
本業多忙につき、年内は更新できません。よいお年を。

このカテゴリの始めの方で書いた通り、ぼくは『
機動戦士ガンダム』は昭和ヒーローの二つの類型を同時に登場させ、互いに争わせたヒーロー番組だと思っている。
類型の一つは、横山光輝の『
鉄人28号』から永井豪の『
マジンガーZ』を経て大流行した”正義のロボット”もの。心を持たないロボットを、「正義」の心を持つ少年が操って「悪」を倒す。言うまでもなく『ガンダム」ではアムロ・レイ。
そしてもう一つが、石ノ森正太郎が得意とした”復讐のヒーロー”。『
サイボーグ009』『
仮面ライダー』『
変身忍者嵐』『
人造人間キカイダー』・・・。「悪」から生まれたヒーローが、「正義」の心でその「悪」を討つ。
こちらは『ガンダム』では、ジオン軍にありながらザビ家に復讐を誓うシャア・アズナブル。
ところが、このうちの前者が『ガンダム』の中で「連邦の盾」だと看破されたことは、ここまで見てきた通り。”正義のロボット”番組は、アメリカは存在しないと「嘘」をつくか、あるいはアメリカの「盾」となるか、いずれかを選ばないことにはその立脚点を失う物語群だった。
それでは後者、”復讐のヒーロー”は『ガンダム』においてどのように語られたか。
これはもう、多くの説明は必要ないだろう。
アムロ「
本当の敵は、ザビ家ではないのか!」
シャア「
わたしにとっては、違うな!」(「めぐりあい宇宙編」)
その理由はこれだ。
「
ザビ家を連邦が倒すだけでは、人類の真の平和は得られないと悟ったのだ」(第38話「再会、シャアとセイラ」)
これは要するに、仮面ライダーがショッカーを倒しただけでは人類の真の平和は来ないと、本郷猛が言っているようなものだろう。
が、全くもって正論だと思う。
なぜなら仮面ライダーが行っている「正義」とは、結局のところ現実世界が「平和」で「正しい」ことを前提にして、その維持を図ることに他ならないからだ。仮面ライダーがショッカーに勝ったところで、世の中が何か良くなるわけじゃない。そして実際には1970年代前半の世界は、「平和」でもなければ「正しい」わけでもなかった。
ならば仮面ライダーの「正義」の根拠は一体どこに求めることができるのか?
おそらくそれは、そもそもが反語的にしか存在しないようにぼくは思う。
つまり、彼が戦っている相手が「悪」だから、彼は「正義」なんだと。
そしてその「悪」について、『機動戦士ガンダム』はひとつの示唆をぼくらに与えているようにぼくは思う。
すなわち、当初のジオンがそうであったように、「悪」とは大日本帝国を表してるのではないかというイメージだ。ショッカーにせよ、ダークにせよ、地下帝国にせよ、その立ち位置はジオンとほぼ同じ。ストーリーを共有している(詳しくは当ブログの他の記事を探してください)。
だとすれば、逆に「正義」の在処もボンヤリと見えてくるんじゃないか。
それは、大日本帝国を「悪」とみなし、滅ぼしたものの「正義」であるはずだ。そしてその「正義」を維持するため、仮面ライダーたちは、大日本帝国の復活を阻止している・・・。
これが以前ぼくが書いた”借り物の正義”の構図だ。
大日本帝国が本当に「悪」ならそれで問題ないが、そうではない以上、ぼくら日本人が仮面ライダーの「正義」を応援するのは、ぼくらでない他の誰かの「正義」を応援することだろう。誰かからこれが「正義」だよと教えられ、そのまま信じて疑わないだけのことだろう。
”復讐のヒーロー”シャア・アズナブルは、この構図に気がついたのだとぼくは思う。
すなわち、”復讐のヒーロー”ですら、「連邦の盾」であるという事実に。
ここで少々話が飛躍するが、『ガンダム』における「連邦」とは世界政府のことだ。
いわゆるサヨクの人たちは常々国家というものを否定したがる。「地方主権」だとか「東アジア共同体」だとか、何とかして「国」という形を壊そうとして躍起になっているようだ。
だがいくら「国」を壊そうと、何らかの統治組織は存在するのだろう。
それを至って彼ら好みに考えていけば、結論は世界政府にしかないようにぼくには思える。人種差別も国家間格差も多国籍企業も、世界政府のもとでは消滅するだろうからだ。
あの時代にそんな理想が大いに語られたのかどうかは、まだハナ垂れ小僧だったぼくには定かでないが、『
さらば宇宙戦艦ヤマト』にせよ『機動戦士ガンダム』にせよ、世界政府は人類の当然の帰結点として、その作品世界に存在した。宇宙時代に国家もあるまいという判断だったのかもしれない。
が・・・。
ここでぼくが注目したいことは、それらの世界政府は決して手放しで素晴らしいものだとは描かれなかった点だ。
そこには新たな階級が生まれ、支配と差別と排除の構造が生まれたことが描かれていた。
「
一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住む我々が自由を要求して何度連邦に踏みにじられたかを思いおこすがいい。ジオン公国の掲げる人類一人一人の自由の為の戦いを、神が見捨てる訳はない」
「
地球連邦は聖なる唯一の地球を穢して生き残ろうとしている。我々はその愚かしさを地球連邦のエリートどもに教えねばならんのだ」
有名な「ギレンの演説」から抜粋してみた。
ギレンが嫌いな人も多いだろうので、サヨクが好みそうな虐げられた弱者のセリフも一つ。
「
今度地球へ帰ったらわしは絶対に動かんよ。ジオンの奴らが攻めてきたって、地球連邦の偉いさんが強制退去を命令したって、わしは地球で骨をうずめるんだ」(第5話「大気圏突入」)
この老人は言っている。ジオンと連邦の偉いさんは、彼を抑圧するという意味において、同じなのだと。
さらに続編の『
機動戦士Zガンダム』にはシャアのこんなセリフもあったな。
「
地球連邦が第二のザビ家になろうとしているのが、わからないのか」(第7話「サイド1の脱出」)
シャアのいうように、ザビ家を倒したあとの「連邦」は、結局その内部から
ティターンズを産み出してしまった。ジオン軍を誕生させたのは、ザビ家の野望だけにあったわけじゃなかった。「連邦」そのものに、何度でもジオン軍を産み出す土壌があったというわけだ。
まあその土壌が何であるかは、ガンダムシリーズを観ながらおのおのが考えるべきことだとは思うが、とにかく世界政府が決して人類の理想ではないことをシリーズが訴えていることだけは事実だろう。そしてそれが、”復讐のヒーロー”シャア・アズナブルにとっての、本当の「悪」であったことも忘れてはならないことだと思う。
だらだらと長文になってしまったので無理矢理まとめれば、かくして、昭和を席巻したテレビヒーローの二大類型は、『機動戦士ガンダム』の登場によっていずれも根底から解体されてしまった。”正義のヒーロー”も”復讐のヒーロー”も、これからは自分の力で本当の「悪」を探さなければならない。もはやそこに、大人の「嘘」は許される余地はない。
いまや、『鉄人28号』に始まり『マジンガーZ』で開花した”正義のロボット”ものも、『サイボーグ009』に始まる石ノ森ヒーローものも、すべては「ガンガム以前」のワクに括られてしまったのだった。
・・・だが、それでは『ガンダム』を作った張本人たちは今後どうすればいいのだろう?
いまさら自分たちで壊してしまったフォーマットに戻れるはずはない。
道はふたつある。
一つは、自分で自分の亜流を作ること。これは『機動戦士Zガンダム』がそれだ。
そしてもう一つは、さらなる解体を続けること。
手塚治虫という巨人が、まだ残っている。
つづく
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シャアだ!
と言いつつ、もう少しアムロの話題を。
コメントでも指摘していただいた通り、「悪」であるはずの敵方にも立場と言いぶんを認め、「正義」を相対化してしまった作品自体は『
機動戦士ガンダム』以前にも存在した。古くは『ウルトラセブン』の「
ノンマルトの使者」や、マンガ版の『デビルマン』、テレビシリーズとしては『海のトリトン』や『宇宙戦艦ヤマト』・・・もっとあるのかもしれない。
だが、それらはいずれも「正義」を相対化しただけで、「正義」そのものがヒーロー側から取りさらわれたわけではなかった。それらのヒーローには依然として、戦うだけの理由があることになっていた。
では我らがアムロ・レイはどうだったか。
ララァに戦う理由がないと言われてしまう直前のアムロは、それをこんな感じで語っている。場所はホワイトベース艦内。すでに引用したカイ・シデンのセリフのすぐ後だ。
ミライ「カイのいうことは正しいわね。でも、いまの相手はザビ家そのものよ」
カイ 「じゃあさ、その後で連邦も叩くかい?セイラさん」
セイラ「え?私には政治のことは分からないわ。自由のための戦いとしか理解していないから」
カイ 「あいまいなのね、セイラさんみたいな利口な人がさ」
アムロ「あいまいでいいんじゃないんですか?」
カイ 「なんでだよ、ニュータイプ」
アムロ「それですよ。ジオン・ダイクンのいった人の革新論のいきつく先だってどういうものかわかってないんです。でも人間は環境に従って変化してゆく能力はもっています。そんな人の能力を阻止するものは拒否したい、それはみんなの感情のなかにだってあるはずなんです。こいつはいやだなとか、危険だなって感覚です。そんなものに対して戦わなくっちゃいけないってことです。そう思いませんか」
さて、例によってこのやりとりは『ロマンアルバム・エクストラ50 機動戦士ガンダム鶚 めぐりあい宇宙編』中の「AR台本(抜粋)」から引用した。するとここに厄介な問題があって、実は上記アムロのセリフのうち、最も重要だと思える部分は劇場版ではカットされてしまっていることが分かる。
具体的には「
それはみんなの感情のなかにだってあるはずなんです。こいつはいやだなとか、危険だなって感覚です」がそれだ。
なぜカットされてしまったのかは分からないが(単純に尺の関係か?)、そのおかげで、この時のアムロのセリフは映画館ではまったく意味不明のものだったように思う。だが、アフレコ台本をみれば一目瞭然だろう。
アムロは、シャアがいるから戦っている。そう聞こえる。
まあ、そこには拘らなくてもいいのかもしれない。
「あいまいでいい」という通り、アムロは自分がハッキリとした理由もなく戦っていることは、十分に自覚している。差し当たっては若者らしく、それをシャアへの対抗心で埋め合わせている状態なのだろう(ララァへの想いについては割愛する)。
てな感じで表現されたこのヒーローだったが、それでは何故、アムロには戦う理由がないのか。なぜ、兜甲児や本郷猛が叫んだ「正義」をアムロは叫ばないのか。
注目すべきは、ここでもやはりカイのセリフだろう。
「
じゃあさ、その後で連邦も叩くかい?セイラさん」
もう一度最初から整理してみると、『機動戦士ガンダム』は大先輩である『マジンガーZ』の世界を、リアリズムで再構築したものだ(と何かで読んだか、誰かに聞いた記憶がある)。
その世界を簡単な図式にすればこうだ。
(悪)地下帝国ー兜甲児ー光子力研究所(正義)
(悪)ジオン軍ーアムローホワイトベース(正義)
兜甲児が結果的に光子力研究所だけを守っていたように、アムロもホワイトベースを守るために戦う。この構図については両者の行動は一致する。
ところが『ガンダム』において、そのようなアムロの行動は「連邦の盾」でしかないと看破されてしまった。図式はこう変わらざるを得ない。
(悪)ジオン軍ーアムロ&ホワイトベースー地球連邦(正義)
これを『マジンガーZ』側にも、時折チラチラ見え隠れしていた例のものを適用すればこうなる。
(悪)地下帝国ー兜甲児&光子力研究所ーアメリカ合衆国(正義)
『マジンガーZ』とアメリカ合衆国の関係については繰り返さないが、要するに『機動戦士ガンダム』は、『マジンガーZ』においては本来見えなかったはずのアメリカを、ずばり可視化してしまったのだとぼくは思う。
そしてそこにカイのセリフが重なっていく。
「
じゃあさ、その後で連邦も叩くかい?セイラさん」
カイが連邦の「正義」など丸っきり認めていないことは明らかだ。
そしてそれに対し、他の誰一人としてカイに正統的な反論を試みる人はいない・・・。
だがそれも当然のことだろう。
連邦については、ギレンが「絶対民主制」と言った程度のことを除けば、その国家理念等はほとんど明らかにされていない。そのうえ、アムロやカイは宇宙コロニー育ちなので、地球にたいする愛郷心さえ持っていない。
そんな彼らから見て、連邦の「正義」なんぞは、結局のところ”借り物”でしかないだろう。そんな「正義」をいくら叫んだって、それは虚しいだけのことだ。
そしてそれは、数多の先輩ヒーローだって同じことだろう。
彼らが口々に叫ぶ「正義」や「平和」はそもそも誰のためのものなのか?
それは要するにショッカーやら地下帝国やらの侵略から、「戦後の日本」を維持するための戦いだろう。ならば守られるべきは、その「戦後の日本」を作った人々だ。その人たちの理念だ。ぶっちゃけて言えば、GHQの正義だ。
果たしてそれは、本当に”借り物”の正義ではなかったのだろうか?
そんなもののために、本当にヒーローたちは命を賭けられるものなのだろうか?
つづくテーマ:懐かしのアニメ - ジャンル:サブカル

※前回までの記事に対し、「ジオン=大日本帝国」はおかしいのではないか、というご指摘をいただきました。もしかしたら同じような感想を持たれた方もいるかと思いますので、この場で釈明させていただきます。
結論から言ってしまえば、ぼくも「ザビ家=大日本帝国」なんて記述をみたら、アホらしいのでそれ以上先を読むことはないでしょう。ぼくが言いたかったのは、あくまでジオン共和国〜初期ジオン公国が作中で置かれた立ち位置が、従来のショッカーやらDr.ヘル(地下帝国)と同じだということです。
ぼくは『機動戦士ガンダム』とは、旧来の『マジンガーZ』等の「
子どもに対して誠実ではない」ロボットヒーロー番組を、「
コモンセンスとニュートラル」のスタンスから書き換えられた作品だと考えます。手法としては、徹底したリアリズムということになるでしょう。
そうして作られた『機動戦士ガンダム』は、結果的に『マジンガーZ』等の世界観の真実を暴露してしまったようにぼくには思えます。リアリズムの観点からみれば、それまでは悪の侵略者だと単純に決めつけられてきた「敵」にも、十分な説明と整合性が必要とされるでしょう。そのとき、初期のジオンが置かれた位置こそが「大日本帝国」のイメージであって、このことにより『機動戦士ガンダム』は、それまでの作品群がなんとも安直に「悪」だ「侵略者」だと決めつけてきた「敵」が何だったのかを、問わず語りに物語ってしまったのではないか・・・というのが話の主眼です。
あくまで初期設定の話ですので、その後のザビ家による残虐非道と大日本帝国には何の関連もありません。
ちなみにぼくは南京大虐殺が史実だとは思ってませんので、ザビ家を大日本帝国と同一視することなぞ、心外なくらいに有り得ない話なのです。
と、言い訳はこのくらいにして本題に入ると、ジオンという、「正義」を主張してくる敵役の存在に驚かされたのが『機動戦士ガンダム』の思い出の一つだったが、ぼくにとって更なる衝撃だったのは以下のやりとりだった。
ララァ「なぜ、なぜなの?なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」
アムロ「守るべきものがない?」
ララァ「私には見える。あなたの中には家族もふるさともないというのに」
アムロ「だ、だから、どうだって言うんだ?」「守るべきものがなくて戦ってはいけないのか?」
ララァ「それは不自然なのよ」
第41話「光る宇宙」で交わされたアムロとララァの会話だ。
このやりとりについては、まずアムロの弁護を先にしようと思う。ララァは「私には見える。あなたの中には家族もふるさともないというのに」というが、これはアムロの責任ではない。『ガンダム』の物語が、アムロにそれを要求した。
そもそも『ガンダム』におけるアムロのストーリーは、そういった自分につながるものを次々に喪失していく旅路だった。アムロは物語の冒頭で育ちの地、サイド7を失った。戦いのなかで初めてもった恋心も失った。地球では生まれの家と、自分を捨てた母親に別れを告げた。連邦軍の一員となって出撃した宇宙では、安全な中立コロニーで過去の栄光にすがって生きる、かつては畏敬していた父のみじめに変わり果てた姿を見た・・・。
という具合に、アムロの「家族もふるさとも」は物語によって奪われたものだ。
今や中年のおっさんになり果てた目から見れば、ここで答えに詰まっているアムロの姿にはぐっとくるものがある。
しかし、しかしそれでもやはり、ぼくもアムロに問いたい。
君は何のために戦っているのかと。
『
ガンダム者 ーガンダムを創った男たち』(講談社/2002年)の中で
安彦良和氏は、放映当時、ジオンに強く惹かれていった若者たちについてこんな苦言を呈している。
「
ただテーゼに対してアンチテーゼをぶつけて、それで面白いだろうという対比のさせ方はよくやる手法なんですが、その仇役が際立ち過ぎた。お陰でアンチテーゼのほうがテーゼだったという思い込みが、わりとコアなファンを中心に広がってしまった(中略)あくまでも正であり反であるというその緊張感を楽しんでほしいのであって、地球連邦はこんなに腐っているからみんなでジオンに味方しようってことではないんです。人間はダメだからみんなでニュータイプになろうよって、そういう設定なら僕は最初から降りています」
苦言は苦言として、現実にジオンが必要以上に魅力的に描かれ、そこに多くの若者が惹かれてしまったことは隠しようのない事実だった。実際、アムロにしたって、他人の家に勝手に上がり込んで酒をかっ食らっている連邦の兵士と、見事に統制されたランバ・ラルの部隊を比較して、どっちが優れた人間集団であるかくらいは容易に理解できたことだろう。
「
ぼくはジオンの侵略者と戦っているんです」(第15話「ククルス・ドアンの島」)
アムロほどに聡明な少年が、いつまでもこんな純朴な気持ちのままでいたとは考えにくい。
現に、サイド7以来、アムロとともに戦ってきた少年カイ・シデンはこんなことを言ってる(予定だった)。
「
ジオン公国は地球連邦の独善から逃れようとして戦っているんだ。ザビ家独裁は倒さにゃならんが、問題なのはオレたちが連邦の無能な官僚や参謀の盾となって死ぬってことなんだ」(『ロマンアルバム・エクストラ50 機動戦士ガンダム鶚 めぐりあい宇宙編』中の「AR台本(抜粋)」より)
あまりにもマニアックな資料から引用するのはどうかとも思うが、とりあえずは制作サイドにはこんな意図もあったこと、そして、当時のぼくらがカイにこう言わせた気分を共有し始めていたことは、安彦さんの発言からも確かなことだったように思う。
ジオンの魅力。
それはカイの(幻の)セリフから読み取れるように、ジオンが理想を持ち、その理念のために命を賭けているという事実にあるのだろう。ザビ家を褒めるわけではないが、あの”ギレンの演説”を聞いたときのアムロの反応、
「これが・・・敵・・・?」
からは、初めて見る全体主義国家の異様な一体感への衝撃をうかがうことが出来る。自由気ままだが常に孤独感を抱えていたであろうアムロにとって、多くの人が同じ気持ちを共有することができるという事実は、信じがたい光景だったに違いない。
だが、アムロにだって反論の余地はあったはずだ。
先輩ヒーローである本郷猛や兜甲児のように、彼も「正義」を主張すればいい。
「ぼくは正義のために戦っているんだ!」
そうララァに言い返せばいい。
おそらくララァには大爆笑されるだろうが・・・。
結局のところ、仮面ライダーや兜甲児が自らの「正義」を安心して叫べる根拠はただ一つ。それは、相手側のショッカーやDr.ヘルが、自分で自分を「悪」だと言ってくれた上に、オレらこそが本当の「正義」だ!とは言わないことだ。そうやって敵味方がお互いに認め合うことで固定された「善悪」だけが、ヒーローの「正義」を担保するものだった。
『ガンダム』がこの構造を完全に暴露してしまった今、自分で自分を「悪」だという敵役なんて、バカらしくて見てられなくなるのが普通だ。ヒーロー番組の歴史は、「ガンダム以前」「ガンダム以後」に分断された。
そのトドメを刺すのは、シャアだ。
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さて、ここでこれまでの話を整理してみるとこんな感じ。
まず、「悪」の側の
ジオンのストーリーには、かつての大日本帝国のストーリーがオーバーラップさせられていた。
そして、それを迎え撃つ「正義」の側に立つ
連邦政府とは、宇宙にまで拡大したアメリカ的世界だった。
で、そうしてみると、要するに『機動戦士ガンダム』の世界とは、過去の日本と未来のアメリカの間に起こった出来事であるように思えてくる。
じゃあその世界でぼくらの日本はどうしているのかと言えば、そもそもそれは、存在すらしていない(世界政府なんだから当たり前)。ただの一地方の旧名でしかない。
ところが作品を詳細に検討してみると、実はその痕跡だけは残されていた。
それは、序盤の
ホワイトベースに見ることができる「平和憲法」的な物語であり、
アムロレイの周辺に漂う「戦後民主主義」的な物語だった。
これらはいずれも、本来は現在のぼくらが生きる戦後日本にしか存在しないはずのものだ。
ではそんなホワイトベースが劇中でどう語られたかといえば、カイ・シデンいわく「連邦の盾」というものだった。連邦政府を攻撃してくるジオン軍の前に立ちふさがって、連邦政府を守っているのがホワイトベースだということだろう。
この構図・・・。
ぼくはこの構図は、そっくりそのまま『
マジンガーZ』の世界にも適用することが出来るように思う。
そもそもDr.ヘルという人物は世界的に高名な科学者で、アカデミズムの中心にいた男だ。しかし彼は古代ミケーネ人の遺跡群を発見するとその地位を捨て、世界征服の野望に燃え上がった。ヘルは世界の内部から外部へと飛び出すと、内部に向けて侵攻を始めた。
ところがそんな大事態に対し、アメリカ人科学者たちはどこか「他人事」で、せいぜいが光子力研究所への技術援助を申し出る程度。それは、Dr.ヘルが侵攻している先が、日本の静岡県近隣に限られていたからだ。甲児らがヘルの狙う光子力研究所とそのテクノロジーを守っている限りにおいては、それ以外の世界の安全は守られているというわけだ。
そして今、漠然と「世界の安全」と言ってみたものの、この世界がどこを指しているかも明白だった。
最終回でマジンガーZを失った甲児が、心と体の疲れを癒すために渡った「安全」な場所は、アメリカ合衆国だった・・・。
以上、こういった『マジンガーZ』の世界観を、『ガンダム』を見終わったあとの視線で見直してみると、ぼくには兜甲児と光子力研究所は、本人たちの意思とは関わりなく、「アメリカの盾」であったように思える。
もちろん、『マジンガーZ』を単独で見た場合、彼らが「アメリカの盾」でしかないと見るような要素は存在しない。主人公たちは「日本を守るため」「世界の平和のため」そして「正義のため」に戦っている。そう叫び続けている。
しかしそれなら何故、
ショッカーには大日本帝国のイメージが重ねられるのか。
なぜ
変身忍者嵐は、悪に加担した父のあやまちを償わなければならないのか。
なぜ
鉄人28号や
ジャイアントロボでは、アメリカの存在が無視されなくてはならないのか。
正義のエージェント・
超人バロムワンは、ほんとは何のエージェントなのか・・・。
それらあの時代の子ども番組を俯瞰してみたとき、ぼくが共通して感じる印象は、悪=大日本帝国、正義=アメリカの構図だ。アメリカというと語弊があるかもしれないので、それぞれ、戦前と戦後に言い換えてもいい。
要は、ヒーローたちが守るべき「平和」も「正義」も、それは戦後にアメリカの力でもたらされたもので、彼らはその現状を維持するために戦っている。それらを守る「盾」となって戦っている・・・・。
お断りしておくが、ぼくは今ここでその是非を問うているわけじゃあない。それが「
自虐史観」と言われる思潮と一致するなんてことは、他でさんざん書いたことだ。
そうではなくて、70年代最後の年に登場した『機動戦士ガンダム』が、それ以前のヒーロー番組に秘められていた構図を、白日の下に暴露してしまった事実を言いたい。『ガンダム』の登場によって、いわゆる勧善懲悪的なヒーロー番組は、その世界観からしてが解体されたのだと。
そしてその最たるものは、「悪」であるジオン公国の扱いにあるだろう。
これまでのヒーロー番組なら、ジオンは自らの野望・欲望のために世界の平和を乱す侵略者として描かれたことだろう。どこか、大日本帝国の影を引きずりながら・・・。
だが、自分たちを「連邦の盾」だと看破したカイ・シデンは、同じセリフのなかでジオンをこう評したのだった。
「ジオン公国は地球連邦の独善から逃れようとして戦っているんだ」
つづく
<補足>上記に引用したカイ・シデンのセリフは、テレビ版・劇場版いずれの本編にも存在しないものでした。出典は『
ロマンアルバム・エクストラ50 機動戦士ガンダム鶚 めぐりあい宇宙編』の中の「
AR台本(抜粋)」より、となります。
参考までに、その周辺のやりとりも引用しておきます。
カイ「親孝行しにいっちゃいけないのか」
ブライト「生きのびたいだけなら、それもいい」
カイ「オレのいっていることはそういうことではないぜ。ジオン公国は地球連邦の独善からのがれようとして戦っているんだ。ザビ家独裁は倒さにゃならんが、問題なのはオレたちが連邦の無能な官僚や参謀の盾となって死ぬことなんだ。そいつはいやだ」
ミライ「カイのいうことは正しいわね。でも、いまの相手はザビ家そのものよ」
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