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竹波エーイチ

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富士山本宮浅間大社 - 火の民族編その2

富士宮市

前回の記事の補足から。

『日本書紀』は「本文」と「参考文」の二段構成になっていて、本文は編集委員が認める日本の正史で、参考文は「一書に曰く」と異説が併記されている。

このうち『古事記外伝』(藤巻一保/学研)で「天皇家の伝承を第一に重んじてまとめられている」とされるのは、本文の方だ。「一書に曰く」には本文と矛盾する異論も多数あるが、この点にこそ、当時の官僚や知識人を広く集め、客観性を高めて作り上げられた『日本書紀』の特徴があるようだ。

一方、『古事記』の方は太安万侶と稗田阿礼の二人が密室で作った本で、『古事記外伝』ではそこへの藤原(中臣)氏の介入を考えている。それは例えば「天孫降臨」の場面での両書に違いなどに、如実に見ることができる、と。

『日本書紀』の本文が、司令神としてのアマテラスも、五伴緒も、サルタヒコも、アメノウズメも、いっさい出さずに天孫降臨を描いていること自体が、『古事記』の天孫降臨神話は、天皇家自身の神話とはさして深い関連をもたない、いうなれば中臣氏の「事情」にもとづく神話だということを、暗に示していると筆者は考えるのである。(『古事記外伝』藤巻一保/学研)

繰り返しになるが『日本書紀』本文では、天孫降臨の司令神はタカミムスビただ一人で、天孫ニニギもたった一人で誰にも会わずに高千穂峰に降り立った。それが皇室の本来の伝承で、『古事記』にしか出てこない大勢のキャストは藤原氏の必要性に基づく演出だ、という話。

似たような展開は同じく重要な「伊勢遷祀」の場面にも現れているが、いずれも皇室にとっては意味がなく、藤原氏にとっては多大なメリットがある修正、変更、加筆などがなされているという分析だ。

ま、詳しくは『古事記外伝』を。

富士山本宮浅間大社

さて、世間を騒がす新型肺炎の感染にビビりつつ、先日は富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社にお詣りしてきた。天孫ニニギが地上で娶ったコノハナノサクヤヒメ(木花開耶姫)を祭神とする浅間神社、1300社の総本社だ。社殿はあの徳川家康の造営によるとかで、本殿が二階建ての「浅間造」という珍しい形式で、全国に4社しかないそうな。

我らが『ヤマタイカ』では1コマしか登場しないうえに、社名まで間違えられていて少々気の毒な扱いなんだが、「火の民族仮説」を追う上では重要な神社だと考えて訪問してみた。

ページトップは、浅間大社の近くにある「富士山世界遺産センター」最上階の展望ホールから撮った富士宮市の写真。
鳥居の向きを見れば分かるように、浅間大社は富士山を背に負ってない。富士山をご神体とするのに、拝殿からは富士山を拝めない。45度、ずれている。

これは面白い。S級、A級の神社にはたいてい不思議な話がくっついてるもんだが、ここ浅間大社もそうなのか?

そもそも、富士山の噴火への備えとして浅間大社がこの地に選ばれたのは、境内にある「湧玉池」の存在が理由らしい。池には富士山の雪解け水が、一日約30万トンも湧出するという。この水の力で富士山の火を鎮められないか、と昔の人は考えたんだと『関東の聖地と神社』という本に書いてある(辰宮太一/JTBパブリッシング)。

なるほど、まずは湧玉池ありきということか、と改めてグーグルマップなど開いてみれば、浅間大社は富士山頂から見て南西の方角、すなわち「裏鬼門」に建っていることが分かる。それでは、と富士山頂から北東を見れば、北口本宮冨士浅間神社富士吉田市)が鬼門に鎮座している。ちなみに江戸城の鬼門には寛永寺、裏鬼門には増上寺というのは有名な話だ。

・・・むむぅ、そう言えば鬼門や裏鬼門には「鏡」を置くと良い、と風水の本には書いてあったが、浅間大社の「鏡」が湧玉池だとするなら、北口本宮にも「鏡」があるんだろうか。これは一度、自分の目で確かめに行かないとならないな。


ところで浅間大社では、社伝(御由緒)にも面白いことが書いてあった。
曰く、第7代孝霊天皇の御代に富士山が噴火して住民が離散した、んだと。だが、wikipedia(富士山の噴火史)等に記載されてる通説では、正史での富士山噴火の初見は『続日本紀』天応元年(781年)7月条であり、それ以前は穏やかな山としての表現のみで噴火は起こっていなかった、とされている。

それで調べてみたところ、富士自然動物園協会という社団法人が発行していたハンドブックに、西暦200〜300年頃の事件として「噴火。天然木炭のC14による推定」という記述を見つけた。ただ、ハンドブックにはどこのどなたが推定したか書いてないので困ったが、ググってみたら産総研「地質調査総合センター」のサイトに、元ネタと思われる記事を見つけることができた。

富士山、1000年前の噴火に新事実 ー新富士火山、最近3000年間の噴火史ー

どうやらサイト中の表にある「滝沢火砕流」が、孝霊天皇の御代の噴火に当たりそうだ。孝霊天皇の在位は長浜浩明さんの計算によれば西暦110〜148年で、地質調査総合センターの推定より100年ほど古い時代になるが、まずは弥生時代後期に富士山の噴火があったのかどうかが、先に議論される話だろう。

山宮浅間神社

写真は、浅間大社からクルマで10分ほど登った森の中にある、山宮浅間神社の鳥居と、遙拝所からの富士山の眺め。社殿のない原始的な神社として知られる山宮浅間神社だが、世界遺産センターで¥500で買った本には面白いことが書いてあった。
なんでもこの場所は、「噴出して流れ出た青沢溶岩流の先端部」にあたるんだとか。

東日本大震災のとき、過去に津波が遡上してきた場所には神社が建ってることが多いと聞いて、昔の人の知恵には感心させられたもんだが、ここでも神社が命を守る目印になっていたようだ。

なお『走湯山縁起』という古文書には「清寧天皇三年」に富士山が噴火したとあるが、これも正史には記述がないことを理由に、なかったことにされてる記事を見かけた。だが地質調査総合センターのサイトには、西暦500年前後の噴出として「青沢溶岩流」の名前があり、長浜暦によれば清寧天皇の在位は480〜485年なのだ。古文書と最新科学の一致・・・ほんとに面白い。

大鹿窪遺跡

最後に回ったのは、山宮浅間神社を西に下った田んぼの中にある大鹿窪遺跡
縄文時代草創期(約15000 - 12000前)の遺跡で、日本最古の「定住集落」の跡らしい。富士山が今の姿になったのは10000年前ぐらいの火山活動だと言うから、そこいらの縄文人は噴火を恐れて逃げていったのかと思えば、やや北にある縄文時代成熟期(約5000 - 4000前)の千居遺跡には、ストーンサークルによる富士山祭祀の跡が見つかってるのだとか。どうやらずっと住み続けていたらしい。

なぜか危険な火山の近くに住みたがる縄文人・・・、ヤマタイカ「火の民族仮説」のスタート地点だ。


古代日本謎の時代を解き明かす

ところで、長浜本と並ぶ愛読書になりそうな『古事記外伝』だが、一部に不満もある。われわれ中高年にありがちな、古代の朝鮮半島を上流に見ようとする戦後の自虐史観の影響だ。
例えばコノハナノサクヤヒメと出会うちょっと前の、天孫ニニギが降臨する場面で、『古事記外伝』はこんな解説をしている。

『古事記』の天孫降臨神話のつづきを読もう。
 サルタヒコに先導されて、天孫は九州の高千穂の峯に天降った。その地を称えて、ニニギは「ここは韓国に向い、笠沙の御前に真来通りて、朝日の直さす国、夕日の日照る国なり。かれ、ここはいと吉き地」(この地は朝鮮に相対しており、笠沙の御碕にまっすぐ道が通じていて、朝日のまともにさす国であり、夕日の明るく照る国である。だから、ここはまことに吉い土地だ)だといい、宮殿を建てて住みはじめた。
 天降ってまず最初に、「韓国」に向いていることをよい土地の条件に挙げているのは、大王家と朝鮮半島の、なみなみならない関係の深さを物語っている。


なるほど確かに『古事記』ではニニギが「韓国(からくに)」と言っている。だが『古事記外伝』では、『古事記』には藤原氏の作為があり、本当の皇室の伝承は『日本書紀』本文だと繰り返し論じてきたはずだ。では同じ部分を、当の『日本書紀』本文は何と書いているのか。

このようにして、皇孫のいでます姿は槵日の二上(霊奇な峰の二つ並び立つ山)の天浮橋から、浮島があって平らな所に立たれ、荒れてやせた不毛の国のずっと丘続きに良い国を求め、吾田(鹿児島県薩摩半島南西部の南さつま市加世田付近)の長屋(長屋山)の笠狭の碕(野間岬)にお着きになった。(『日本書紀 全訳 上巻』宮澤豊穂/ほおずき書籍)


荒れてやせた不毛の国、原文だと「空國(空国)」、皇室の正史『日本書紀』本文にはそう書いてあるのだ。
「韓国」ではない。

 すると『古事記』の「韓国」とは「空国」であり、その「空」を「から」と読み、何時しか「韓国」と当て字されていたことになる。同時に「韓国岳」は「空国岳=不毛の土地にある山」が正解となる。(『古代日本「謎」の時代を解き明かす』(長浜浩明/展転社)。


うむ、いつもながら長浜さんの説明は明快だ。理系のエンジニア出身で、学会にも業界にも何の所縁もないおかげで、変なバイアスが掛かることがないんだろう。『古事記外伝』は素晴らしい本だが、「業界人」の書かれた本からは見えない縛りのようなものを感じる時が、たまにある。


さて、それはそうと、実際に富士山近くに行ってみたことで、がぜん「火の民族仮説」への興味が増してきた。縄文人の心を知ろうと思うなら、自分が火山の近くに行ってみるしかない。次は箱根か、富士吉田か、あるいはいっそ高千穂峰を目指そうか。

つづく
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ハマの守護神と『古事記外伝』 - 火の民族編その1

ランドマークタワー

昨年末のことになるが、西区にある伊勢山皇大神宮にお詣りしてきた。
近場の観光地?にはあまり行かないものとは聞くが、ぼくも25年のあいだ市民税を納めつつ、今回が初めての訪問となった。桜木町の駅から徒歩10分。表参道の階段を上って注連柱をくぐったところで振り返ると、ランドマークタワーが顔を見せていた。

武蔵国の一宮といえば大宮氷川神社だが、さいたま市はいかんせん遠すぎる。横浜市民にとっての一宮はここ、伊勢山皇大神宮になるんだろう。

思ってたより質素な作りの拝殿でお詣りを済ませて脇に回ると、なんと本殿が丸見えでビックリした。しかも何となく見たことがある社殿のような・・・と思ったら、先の式年遷宮で解体された伊勢神宮の旧西宝殿をそっくりそのまま移築したものだという。前例のない厚遇だそうで、神社の公式サイトでも「異例のこと」「格別の御配慮」「たいへんな栄誉」と鼻高々だ。

伊勢山皇大神宮

伊勢山皇大神宮の創建は明治3年(1870年)というから、まだたったの150年しか歴史のない(笑)若くて新しい神社だ。そこへのこの厚遇は、当社がもともと一種の国策として創られた神社だからだろう。

たしか、中ソが開戦した夜でも酒場でオンナの話にうつつを抜かす男たちを「はまっ子」と呼んだと記憶するが、その心意気は明治3年の遷座祭に始まると、神社の公式サイトには書いてある。移住者、ヨソ者の集まりだった横浜の住人は、伊勢山皇大神宮の祭事を通じて「横浜市民」にまとまっていたそうな。

だが国策は、横浜住民の結束を求めただけではない。
外来の神との対決もあった。

ライバル

左の写真は中華街の中心にある「関帝廟」。右は日本初のプロテスタント教会の「横浜海岸教会」。いずれも創建は1870年代初頭だ。
寒村だった横浜に、にわかに南蛮人やら紅毛人やら中国人やらがウヨウヨしはじめ、漁民や農民に一気に動揺が走ったのだとか。彼らの不安を鎮めて外来の神に打ち勝つには、わが国最強の霊力を持ってくるしかない。

こうして皇室の祖神アマテラス(天照大神)の分霊が、はまっ子の守護神として伊勢山の高台から横浜港を見下ろすことになったわけだが、その奇蹟はつい先日、ぼくらも目の当たりにしたな。今上陛下が即位を宣言すると、それまで降っていた雨がやんで空に虹が架かるなんて、マンガでもチープ過ぎる表現なのに、現実に起こるとあれほどの感動を呼ぶとは、ホント長生きはするものだ。

さすがに今上陛下に自由に天候を操作できる霊力が備わってるとは考えにくいので、あれはやはり大嘗祭に向けて皇居にお出ましになったアマテラスからのプレゼントだろうと、ぼくは涙ながらに思ったものだった。

ところが!!

そんなアマテラスを、もともとの皇祖神ではないと考える説があるという。
ぼくが読んだのは作家の藤巻一保さんの書かれた『古事記外伝 正史から消された神話群 』(学研/2011年)という本だが、先達の研究を広く参照したマジメな本だ。

古事記外伝

じゃあアマテラスって何なんよ、ほんとの皇祖神って誰なんよ。
『古事記外伝』によればアマテラスはもともとは伊勢地方の海人族(あまぞく)の神であり、皇室の祖神はタカミムスビ(高皇産霊尊)という神さまらしい。

もちろん、根拠はちゃんと示されている。

記憶に新しい大嘗祭だが、新しく即位した天皇にとって一代で一回しかない最重要な宮中祭祀だ。始まりは天武・持統の時代と言うから、西暦で700年ごろ。
ところが大嘗祭の祭神をアマテラスだとしている「古代」の記録はひとつもなく、1212年の『後鳥羽院宸記』でようやく現れるらしい。この500年ものブランクからは、「アマテラスを祭神とする考えそのものが、後世の発想だったことをうかかがわせる」と本にはある。

また、月次祭(つきなみさい)という毎年の宮中祭祀としては、新嘗祭(にいなめさい)に並ぶ重要行事がある。
その祝詞では最初に「宮中八神」に祈りが捧げられるが、そこにもアマテラスの名前はないんだとか。

アマテラスへの祈りは、ずっと後ろにまわされている。八神につづくのは、井戸の神、斎場の柴の神、竈の灰の神、門の神など宮廷の施設を護る神々だ。さらに、生く国・足る国の国土の神(八十島神)に感謝と守護の祈りが捧げられたあと、ようやく「伊勢に坐す天照らす大御神」への祝詞という順番になっている。この序列は、どうみても低すぎる。

『古事記外伝』から結論だけ抜けば、月次祭の祝詞のアマテラスの部分は「後世の付け足し」だということだ。
そして、大嘗祭における「御膳八神」と月次祭の「宮中八神」にさまざまな検証を加えていくと、最終的に絞り込まれる「天皇の守護神中の守護神であり、もっと重んじられてきた本来の祖神」はタカミムスビ以外には考えにくい。
と本には書いてある。


・・・でも、こういった話を聞くと、神道の神さまへの素朴な信仰心が汚されるようで、気分が悪いという人もいるだろう。ぼくも最初はちょっと抵抗感があった。実は『古事記外伝』を読んだのは諏訪に出かけた夏の頃なので、あの頃はモヤモヤした気分で神社巡りをしていたもんだった。

ま、しかしそれは自虐史観を脱した人が左翼(パヨク?)ではいられないように、引き返せない道だと諦めるしかない。『古事記外伝』を読み終えてなお、ただの「観光客」として神社仏閣を訪れるのは難しい話だ。どうしても、神秘的な謎や伝承の、その裏にある意味を知りたくなってくる。

例えばその諏訪大社の祭神タケミナカタは、『古事記』には出てくるが『日本書紀』には出てこない。これをどう考えたらいいのか。

別冊宝島

ぼくが古代史に興味を持ち始めたのは、仲間と出かけた宇佐神宮参拝がきっかけなので、去年の春ごろからになる。んで、まずは視覚的に分かりやすい本が欲しいと買ったのが『古事記と日本書紀 神話の謎』という別冊宝島のムックだった。「日本最古の歴史書を比較して読み解く」という副題も気に入った。

念のためザッと触れておくと、『古事記』は当時の日本語(やまとことば)の音を漢字に当てはめたりした「夜露死苦」みたいな変テコな漢文で、日本人には音から理解できるが中国人には意味不明。一方の『日本書紀』は部分的には中華ネイティブが書いたと言われる本格的な漢文。

内容も、『古事記』はドラマ性重視でラノベっぽく、『日本書紀』は淡々とした歴史書。同時代に二種類創られたのは、国内向けと国外向けと説明されることが多い。

んでぼくが買った別冊宝島ムックだが、この両者の違いについて、『日本書紀』は『古事記』から天皇家に都合の悪い部分を「カット」したものだから、例えば出雲のオオクニヌシの冒険譚がほとんど掲載されていないとあった。

また、その他の出雲神話については、『日本書紀』にはほとんど編入されていない。天皇家が強大な権力をもつ前に、出雲族は絶大な権力ををもって各地を治めていた。だから、出雲族の長であるオオクニヌシや出雲族の力を讃える神話はカットしたのである。(『古事記と日本書紀 神話の謎』瓜生中/宝島社)

そのときは、ふむふむ、そんなもんかいなーと納得したぼくだったが、1分後には疑問が湧いてきた。
『古事記』が国内向けなら、天皇家に都合の悪い話を隠したいのは『古事記』の方であって、海外向けの『日本書紀』ではないはずだ。なぜわざわざ日本中に、オオクニヌシの素晴らしさを広めてやる必要があるのだろう・・・。

でも、そんな疑問は『古事記外伝』であっさり解けてしまったよ。
いわく、『日本書紀』本文とは、「天皇家の伝承を第一に重んじてまとめられている」んだそうだ。つまりムック本の話は全くの逆で、シンプルな皇室の正史『日本書紀』本文に後からゴテゴテと飾り立て、一部は改変までされているのが『古事記』だということだ。

例えばアマテラス誕生のシーン。『日本書紀』本文では単にイザナギイザナミの間の子供として誕生するアマテラスは、『古事記』だといったんイザナミを殺した上で、イザナギ一人の子供として誕生させている。

あるいはオオクニヌシをオオクニヌシと呼ぶのは『古事記』だけで、『日本書紀』では一貫して"大己貴神"(オオナムチ)で、「大国主」みたいに名前からして偉大さを表すような過剰な意味を持たせたりはしていない。

また、諏訪大社の祭神タケミナカタが登場するのは『古事記』だけ。
ここでも大己貴神と事代主神の親子関係に、タケミナカタが追加されている。

・・・てな案配で、シンプルな『日本書紀』本文に対して、何かとゴテゴテと追加される印象のある『古事記』なわけだが、どうやらその目的は、ある一点にあるらしい。

皇室の出発点ともいえるニニギ(瓊瓊杵尊)による「天孫降臨」。
これを命じた司令官は『日本書紀』本文ではタカミムスビただ一人だが、『古事記』ではタカミムスビにアマテラスが加えられての二人になっている。そしていよいよ天孫降臨のシーン、『日本書紀』本文ではニニギがたった一人で高千穂の峯に降り立つのに対し、『古事記』ではアメノコヤネを先頭にゾロゾロと高天原の神々が地上に連れ立っていく・・・。

さて、ここで問題になるのが、天孫ニニギの第一の側近として登場するアメノコヤネなる神だ。
この神が藤原氏中臣氏)の祖神だと聞けば、大概の人はニヤニヤしながら察することができるだろう。あーなるほどねーと。

さらにこの時代、藤原氏には「伊勢」を持ち上げたい理由があって、そのためにアマテラスを持ち上げ、アマテラスに国を譲ったオオクニヌシまで持ち上げた・・・というようなエキサイティングな話が『古事記外伝』には書かれていたが、それはまた別の機会に(Kindleで¥1226は安い!)。

ダラダラと長くなったので、次回につづく

関岡英之さん

(『拒否できない日本』で年次改革要望書の存在を暴いてくれた、作家の関岡英之さんが去年、亡くなられていたそうだ。御安霊の安らかならんことを)
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