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竹波エーイチ

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『火の鳥・黎明編』と『もののけ姫』の自虐史観

火の鳥のニニギとウズメ

前回の記事でぼくは、『風立ちぬ』は窮屈な作品だと書いた。
今は1980年代までと違って、リベラルを装わなくても戦争や兵器を描ける時代だ。実際、『風立ちぬ』を「戦争賛美だ」と批判したのは中国や韓国のメディアばかりで、多くの日本人はあれを戦争映画どころか、ただのラブストーリーだと観たはずだ。
しかしそれはつまり、お客さんからみれば、宮崎が描きたかった「ゼロ戦」も「堀越二郎」も実はぜんぜん描かれていなかったことになる。

宮崎駿本人が、すでに「サヨク」を卒業していることは「ナウシカ」の記事でさんざん書いた。
だから本来なら、闇雲な反戦思想や軍隊への忌避からは解放され、自由に思うがままに「ゼロ戦」も「堀越二郎」も描けたはずだ。
しかし宮崎はそれはできなかった。結局は、かつての「旧友」に遠慮した。
それは高畑勲や鈴木敏夫だけでなく、戦後リベラル派(心情左翼)という過去の自分自身への遠慮も含むのだろう。

もちろん、それは宮崎駿という人の人生および生き様を表すもので、非難の対象にはならない。見ず知らずのネトウヨ(笑)より現実の友人たちを大切に思うことは当たり前だし、過去の自分を含めての自分自身であり人生であって、容易に割り切れるようでは返って信用に値しなくなる。

・・・要するにぼくは、ただ「惜しんでる」わけだ。

宮崎駿はことあるごとに「中国で人を斬りまくってきたと自慢する人」の話を持ち出すが、それは赤の他人が吹いていた単なる法螺かもしれない。しかし宮崎は1992年の鼎談で、戦後リベラルの帝王(笑)司馬遼太郎の、こんな発言を聞いているわけだ。

たとえば私は戦争の末期、旧日本軍の兵士でした。戦後になって日本がほうぼうで悪いことをしたというのを初めて知るんですけども。私はそんなの目撃したこともないし、もちろんやったことなどなんにもない。満州でもない。中国の人ともうまくいってました。(『時代の風音』1992年)


見ず知らずのオッサンと司馬遼太郎を並べて、なんで前者の言を採れるのか。
おそらく宮崎駿の脳内には、「南京大虐殺」やら「百人斬り競争」が、事実として刷り込まれてるのだろう。だから無批判に「さもありなん」となる。

しかし実際には、水間政憲さんの『ひと目でわかる 日韓・日中歴史の真実』(2012年・PHP)などで分かるように、「南京事件」当時、南京市で略奪や暴行を犯したのは蒋介石の中国軍であって日本軍ではなく、逆に日本軍は治安の回復や維持、民衆への食料・物資の配給、重要文化財の保護などを行ったことが、一次資料による「証拠」で証明されている。軍人どうしの戦闘行為はあったが、非人道的な民間人の虐殺などはなかった。

というわけで、宮崎の脳内にある「南京」は史実ではなくプロパガンダだと決着がついている今、それを知ろうとしない宮崎をぼくは惜しむ。
日本を破壊しようと意図して活動している左翼と違って、宮崎はただの戦後リベラル派(心情左翼)に過ぎない。そもそもが資本家の家に生まれ、それへの反発から労働運動に走ったおぼっちゃまだ。学習院出身だ。『風立ちぬ』冒頭に出てくる美しく立派な日本家屋は、今は人手に渡った宮崎の生家だ。

・・・もともと宮崎駿には、日本を憎んだり呪ったりする理由なんかない。
ただ戦後に蔓延させられ、今では腐臭を放っている古臭い間違った日本観が、宮崎の自由を縛っているだけだ。
そして同じことは、宮崎の思想面での代表作『もののけ姫』(1997年)にも言えるとぼくは見る。

ファンなら誰でも知るように、宮崎作品の根幹には「照葉樹林文化論」からの影響がある。
この「論」についての説明は省くが、それを知った宮崎は「自分が何者の末裔なのかを教えてくれた」と『呪縛からの解放』という文に書いている(「世界」臨時増刊1988年)。
何者とはつまり、森と生きた縄文人の末裔ということだ。

70年代、すっかり「日本人嫌いの日本人」になっていた宮崎駿が、でも「何かを肯定したくてうずうずしている自分」に与えた答えがそれだった。狭い日本の土地に縛られた農耕文化じゃなくて、ブータンから東南アジア一帯に広がる森の文化に、自分たちのルーツはあるのだと。

だが、そんなこと言いながら宮崎駿がつくった『もののけ姫』は、森が台無しにされることに怒る神様と人間が戦うという話だった。その神様は人語を解するイノシシで、それが統制された軍隊となって攻め込んでくる。その総大将は半透明なゴジラだ。

・・・何か変だ。
たしかに山のタヌキは住み処を奪われ、オバケに化けて人間を追い出そうとした(笑)。
しかし、日本の、縄文以来の八百万の神々が同じようなことをするもんだろうか。マジでキレたら地震でも噴火でも洪水でも起こすのが、日本の神々の祟りってもんじゃなかろうか。
それがイノシシなんて「目に見える」実体を伴って、人間に戦争を挑んでくる・・・。

この何とも矮小な日本の「神」観を、宮崎の出身地であるマルクス唯物論に求めることも可能だろう。
だがぼくはそれを、日本人全般を呪縛するもっと巨大な「物語」に由来すると見ている。
それは日本の歴史上、最大規模の戦いの物語・・・。

源平合戦も川中島も関ヶ原も、さらには先の大東亜戦争ですらもが霞むその戦いとは、いにしえの「縄文人と弥生人の戦い」だ。そこでは縄文人という先住民族が、弥生人という「渡来人」によって取って代わられたと語られる。日本民族をふたつに分断する物語だ。

つまり、『もののけ姫』における神々と人間の対立とは、この物語の延長線上にあるんじゃないかと、ぼくは睨むわけだ。宮崎の大好きな縄文と、大嫌いな農耕民族の戦いの物語として。


と、ここでちょっと脇道に逸れるが、ぼくらオッサンには有名だが、知らない若者向けに紹介したいマンガが一つある。
それは手塚治虫が1967年に書いたマンガ『火の鳥・黎明編』。
いわゆる「反日」的なマンガとしては『はだしのゲン』や『美味しんぼ』の名が挙げられるが、反日ではないものの、いわゆる「自虐史観」に基づくマンガがこの『火の鳥・黎明編』だ。

劇中で邪馬台国の女王・卑弥呼の死が描かれるので、舞台は西暦250年前後の日本。そこに馬に乗った一団が現れて、村々(クニグニ)への侵略を開始する。首領は「高天原族のニニギ」と名乗り、手塚によるこんな説明が加えられる。

学者の説によれば 西暦三世紀から五世紀にかけて 北中国やモンゴルあたりを 馬に乗って駆けまわっていた部族・・・・騎馬民族・・・・が ぞくぞくと朝鮮半島をとおって日本列島に侵略してきたという
そして もとから 日本に住んでいた原住民たちを つぎつぎに征服して のちの神武天皇のヤマト政府を 築いたのだとしている
神話に出てくるニニギノミコトは 天からタカチホの山にくだった神の子ということになっているが ほんとは 大陸からわたってきた 遊牧部族の首領のようなものだったというのである


ここで手塚の言う「学者の説」とは、言わずと知れた江上波夫「騎馬民族征服王朝説」のことだ。
もちろん今ではこの「説」は、なんら物証に基づかない「物語」「神話」「ファンタジー」として一蹴されているが、手塚が『火の鳥・黎明編』を連載していた時期は、有力な仮説として議論の俎上に上っていたらしい。手塚も作中で、何の抵抗感もなく皇室のルーツを満蒙の遊牧民に求めている。

が、卑弥呼の時代に馬を積んだ船団が大挙として玄界灘をおし渡って来るなんて、いくらなんでも荒唐無稽なファンタジーを、聡明な手塚がどうして信じることができたんだろうか。
それは多分、その時代より前に、それと同じような行動をとったとされる人たちの存在が「史実」とされているからだろう。
すなわち、今から2300年前、大陸から朝鮮半島を経由して稲作や先進文化を伝えた渡来人によって、弥生時代が始まった・・・という、教科書に普通に書いてある「史実」だ。
そしてこの時はじまった民族間の戦いが、室町になっても縄文の神々と弥生の人々の対立として続いている、ってのが『もののけ姫』の基本的な世界観じゃないかとぼくは思う。


ところがこの「史実」、最近はそれを疑うに足るだけの考古学的な発見が次々になされているそうな。
チャンネル桜の動画で知った長浜浩明さんの三部作、『日本人ルーツの謎を解く』『古代日本「謎」の時代を解き明かす』『韓国人は何処から来たか』(いずれも展転社)は、バラバラに扱われがちな最新の発掘や学説を俯瞰して、ひとつの見地に至っている。

それは、大陸や朝鮮半島から「渡来人」が大挙として渡ってきて弥生時代をはじめた、なんて「史実」はない、という知見だ。

YouTube -【長浜浩明】韓国人は何処から来たか[桜H26/4/15]

詳しくは当然、長浜さんの本に当たって欲しいが、いくつかその根拠を引いておく。
まず、日本の稲作は紀元前10世紀頃には縄文人の手によって始められていた点(わずか2300年前ではない)。
DNAの「Y染色体」分布を見る限り、現在の日本人と中国人・朝鮮人はそのルーツが異なる点。
言語学的に見て、日本語と中国語・朝鮮語はまったくの別系統である点。

他にも「根拠」は多数あげられているが、要は、「渡来人」が来た来たと騒ぐ割りには、日本にその影響力はほとんど認められないということだ。DNA的にも言語的にも、現在の日本人とその社会のルーツは縄文時代に形成されたと見るのがストレートで、あいだに「渡来人」なる概念を挟む必要がない。
縄文人がコメを作るようになって土器が実用本位の弥生式に変わっていったのだし、顔つきや体型も主に食生活の変化によって、明治と昭和と平成で平均身長が変わったように変わっていった、ということだ。

さらには、北部九州から中国・朝鮮式の大陸系集落や土器、生活用具がほとんど見つからないのに反して、朝鮮半島南部からは縄文土器も弥生土器もガンガン見つかる事実から、「騎馬民族征服王朝説」どころか、半島南部は縄文人が住んでいた地域だったとも書いてある。たしかに少数の「渡来人」(年に二、三家族とも)はいたが、一方では日本から半島へ渡った縄文人も多数いたわけで、文化の流通はお互い様状態だったとか。


さて、そうしてみると、荒唐無稽なファンタジーを「史実」のように扱った手塚は困ったチャンだが、宮崎駿の方はいかにも「惜しい」。
宮崎は「照葉樹林文化論」で日本文化のルーツが縄文時代にある真実を知っていながら、「渡来人」なる異国の人々が弥生時代を始めたという「物語」を信じ込んでしまった。宮崎にとって、日本史は民族の「対立」の歴史だった。そして宮崎は縄文側に共感し、弥生側を嫌った。

でも宮崎自身、映画に「網野史観」を取り入れたように、あの当時、皇室と最下層民が直接繋がっていたような日本社会は、簡単に白黒つけられるほど単純ではない。縄文も弥生もごちゃごちゃに混ざっているのが日本らしいんじゃないか?

ちなみに長浜本によれば、「日本人の先祖は縄文人ではなく渡来人だ」と主張して日本史を分断させたのは、「大森貝塚」で有名なエドワード・モース大先生だそうな。以後、それは金科玉条の大前提とされ、後にGHQにも受け継がれたとか。

結局のところ、「渡来人の手による弥生時代」こそが、もっとも最古の自虐史観ということだ。
何故ならそれは、われわれは縄文人を滅ぼした弥生人の末裔である・・・という「原罪」意識を呼び起こすことで、日本人が歴史的にも血統的にも野蛮な侵略者であるという印象を与えることに繋がるからだ。

小冊子『熱風』2013年7月号には高畑勲の「ねりま九条の会」での講演が収録されているが、そこで高畑は9条の意義を、一方向へと暴走しやすい日本人への「歯止め」だと言い切っている。高畑にとっては、日本人であること自体が彼の「原罪」なのだろう。

つづく












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