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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
25年ぶりにおたく趣味を再開した1967年生まれのおっさんたち。一つの 「カテゴリ」 で一つの記事となってます。同世代のおっさん向け。

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ヤマタイカの旅 − 沖縄編

金城哲夫氏書斎

このブログの管理人、竹波エーイチが「竹」「波」「エーイチ」のおっさん3人の複合人格であることは既に書いた。
ところでぼくらの愛読書に星野之宣さんの『ヤマタイカ』があって、以前からマンガに出てくる史跡を回ってみたいという計画があった。んで昨年11月、ようやく時間の調整がついて、沖縄行きのJALに乗り込むことができたので、その記録を少々・・・。

那覇到着後、まず向かったのがウルトラ者の聖地、「松風苑」だ。言わずと知れた、金城哲夫先生のご実家で、このブログで散々金城金城言っておいて、今さら初訪問とはお恥ずかしい限り。哲夫先生のお兄様に案内していただいて、生前の書斎を見学、お墓ではないが何となく手を合わせた。
食事は「アグーしゃぶしゃぶ」とビールたくさん。

翌日は雨の中、まずは青山繁晴さんのご著書で知った、「白梅の塔」にお参り。
適当に立ち寄ったビーチで沖縄風ファストフード「てんぷら」を立ち食いしたあと、高校生でごった返す「ひめゆりの塔」は冷やかし程度に済ませ、本日のメイン「斎場御嶽(せーふぁうたき)」へ。

三庫理

斎場御嶽は昨今のスピリチュアルブームとやらで、かなり観光地化されていたが、『ヤマタイカ』でみた風景もそのまま残っていた。マンガだと「三庫理」の下の洞窟にヤマトの舟が隠されていたが、さすがにそんな洞窟はなかった。東に見える久高島に向かって、何となく手を合わせておいた。

なお、これから斎場御嶽に行かれる人へのアドバイスとして、現地NPOのガイドさんは絶対に頼んだほうが良いことを付け加えておきたい。沖縄の宗教の知識がないと、ただの山歩きになってしまうからだ。ぼくらに付いてくれたのは年配の女性だったが、沖縄ギャグ炸裂で、爆笑の連続だった。

斎場御嶽の後は、お世話になっている先生に数年ぶりの挨拶に伺った。『ヤマタイカ』第1章「妣の国」冒頭で、「琉球大学理学部、木村正明教授」として名前だけ登場される先生だが、詳細は省く。

続いて向かったのは、久高島行きのフェリーが出る安座間港。
閑散とした港にはなぜか猫がウヨウヨしていて、ぼくらは猫と海を交互にながめながら、ぼんやりとビールを飲んでいた。今に思えば、喧噪もなく会話もないあの時間帯が、ぼくらが最も沖縄にフィットしていた時だったのかも知れない。

久高島へは小さなフェリーで30分ほど。
海上から見る島は、不自然なほど扁平な姿をしていた。
なぜか虹が、水平線近くにだけ見えた。

唯一空いていた「久高島宿泊交流館」に荷物を降ろした頃には日が暮れていて、ぼくらは道に迷いながら漆黒の中を歩き、「食事処とくじん」に入った。疲れが出てきたぼくはイラブー(ウミヘビ)の料理を注文したが、他の二人はヴィジュアル的にアウトだったようだ。ビールをしこたま飲み、帰り道でも小さな商店でオリオン缶を買い込んで宿に戻る。

久高島7時ごろ

朝の5時。
イラブーのおかげで早起きしたぼくは、一人で日の出を見に行った。
生活ゴミがまったくなくて、人が好む美しい貝殻は大量に残されているという不思議な浜に佇んでいると、気がつけば周りには10名ほどの人々・・・。

『ヤマタイカ』の登場人物、熱雷草作は、沖縄の創世神話について、アマミキヨとシネリキヨの二神、あるいはアマミクという女神の名を挙げて、「その神が東方のニライカナイという永遠郷から来て、あそこに見える久高島を経て、この斎場御嶽に上陸した」と説明した。
久高島から東方の日の出を見るということは、まさにニライカナイに対面することに他ならない。
やがて雲の隙間から日の出の太陽が輝くと、人々は思い思いに散っていったのだった。


朝食後、ぼくらは自転車を借りて島の探索に出かけた。
50才近いおっさん3人のサイクリング・・・。
東京なら通報ものだろう(笑)。

目指したのは斎場御嶽よりも格が高いと言われる、「クボーウタキ」だったが、途中、やはり聖地の一つである「ヤグルガー」に寄った。神女がクボーウタキに行く前に禊に使う、神聖な井戸らしい。海に面した崖に湧き水の名残があった。
聖地に対する畏れから奥まで行かずに去ろうとしたぼくらだったが、入り口で白装束の老婆を含む数人とすれちがった。本物の「ノロ」だ。
ぼくらは、手を合わせつつも写真を一枚頂戴し、早々に立ち去った。

久高島のノロ

『ヤマタイカ』ラストシーンに出てくる「クボーウタキ」は聖地中の聖地で、当然のことながら立ち入り禁止。
結界の外で写真を一枚だけ失礼して帰路につくと、先ほどのノロが乗ったクルマと又すれ違ってしまった。心の中で先回りの失礼を詫びて、宿に戻る。

驚いたのは、交流館の事務員の女性がノロだったことだ。
「あたしもノロですよ。最年少ですけど。たぶん自分で終わりです。もう数人しかいません」
沖縄信仰の伝統さえ守れずに、なにが琉球王国の独立か、と沖縄メディアに腹が立ったが、きっとそれはヨソ者の感傷に過ぎないのだろうよ。

そういえば、久高島に着いたあたりから、持参したiPhoneが二台とも誤動作を始めたのも不思議な出来事だった。バッテリ残量の表示が狂いっぱなしで、代わりに起動させたiPadも挙動が怪しい。Docomoのガラケーには問題が出なかったので、製造国が気にいらなかったのかも知れない。


本島に戻ったぼくらはクルマを北上させて北谷港の「金松」でビフテキを食い、嘉手納の「道の駅」へ。『ヤマタイカ』では復活した戦艦大和による艦砲射撃で壊滅した嘉手納基地だが、その日、展望スペースから見えたのは巨大な輸送機が二機。しばらく眺める。
それから首里城に向かったが、よく考えたら大して興味がないことに気付き、そこはスルー。
クルマを置いて、国際通りの一本裏の通りの料理屋でビールと海鮮料理を頼んだものの、疲れも出てきて早々とホテルに戻った。おっさんは体力がなくていかんな・・・。
最終日は、公設市場で朝からビールを飲みながら「ゆし豆腐」を食べ、みやげを買い、那覇空港でビールと昼食、ANAで羽田へ・・・。


1986〜91年に執筆された『ヤマタイカ』の史観が古臭いのは重々承知している。
今どき縄文人vs弥生人の対立でもないし、騎馬民族征服王朝説(笑)の影響も随所に見られる。それでも、自虐史観が蔓延していたあの時代に、日本民族とは何かという根源的な問いかけが描かれたことには価値があったとぼくは思う。「火の民族による祭り」という日本史解釈にも感心させられた。

だから、あくまで、今では否定されている史観に基づいた「まんが」として、『ヤマタイカ』は今後もぼくらの愛読書であり続けるだろう。そしてぼくらの旅も、熊本へ、阿蘇へ、高千穂へ、宇佐へ、と続く予定なんだが、それがいつになるのかは、自分たちでも分からないのだ。