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竹波エーイチ

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熱海のカグツチ、伊東のイワナガヒメ - 火の民族編その3

火の民族

今回で「その3」になるのに、マンガ『ヤマタイカ』の「火の民族仮説」について、ここまで何も触れて来なかったことに気がついた。

それでササッと説明すると、まず『ヤマタイカ』では日本民族を「火の民族」と「日の民族」に分ける。んで、このうち「火の民族」の方は「火山を崇拝し」「火山とともに生きた縄文人あるいは原日本人」とされる。一方「日の民族」の方は、弥生時代に朝鮮半島から流入してきた渡来人で、「火山を恐れ」「太陽を崇めた」とされる。

このとき、「北九州から近畿へと席巻する渡来人」によって、「火の民族」は東西に追いやられていき、東は蝦夷へ、西は熊襲・隼人・琉球へと分断された・・・、というのが『ヤマタイカ』の基本的な歴史観だ。

これが、まだDNA解析や炭素14法などの科学的判断が確立されてない時代の、ただの空想でしかないことは「九州編」で散々書いたのでここでは繰り返さない。いわゆる「弥生人」の圧倒的大多数が元々は「縄文人」だった人たちで、「渡来人」なんぞはほんの僅かでしかなかったという事実は、そろそろ社会常識になって良い頃だと思われる。

ただ、『ヤマタイカ』では別に日本人の分断を図ろうとしているわけじゃない。実はわれわれ日本人はすべて、縄文人の「血」を受け継いでいるのではないか、というのが「仮説」の主眼だからだ。

はっきりとは覚えてないが、『ヤマタイカ』が書かれた1986〜1991年ごろ、縄文人がぼくらの祖先だという結論は、まだ出ていなかったような気がする。同じくぼくらの愛読書である『暗黒神話』(諸星大二郎/1976年)には、縄文人は紀元前三世紀に何らかの原因で絶滅し、今の日本人は大部分が渡来人の子孫だ、と書いてある。昭和の古代史観なんてのは、それぐらいテキトーだったということだ(騎馬民族うんちゃら説とかw)。

箱根神社元宮

さて、終息なんてまだまだムリの武漢ウイルス(by CNN)が蔓延する昨今だが、こういう時こそ観光の好機と考えて、いわゆる「伊豆・箱根路の三社詣」に出かけてきた。鎌倉や江戸からも近い火山エリアで、日本人はどんな神を祀ってきたのだろうか。そこにいるのは「火の民族」と「日の民族」、どちらの末裔なのだろうか。

まずは箱根神社だ。
2015年に大涌谷で水蒸気噴火を起こして、警戒レベル3が発令された事件は記憶に新しいが、そもそも箱根は18万年前の大噴火でできたカルデラの中にある観光地だ。その中心にある「神山」を遙拝するために、お隣りの駒ヶ岳山頂につくられた祭祀場のあとが、今の箱根神社「元宮」だとか。

箱根園から「駒ヶ岳ロープウェイ」で山頂まで7分ほど。残雪が寒風に巻き上げられて、寒いのなんのって。久しぶりに奥歯が鳴ったよ。ところが待合室に飾ってあった写真を見ると、何と1985年までは山頂に立派なスケート場があったらしい。しかも大層賑わってたらしい。昭和日本人のバイタリティは半端ないな。

ところでこの箱根神社、祀ってきたのは「火の民族」か「日の民族」かと問われれば、判断が難しい。鎌倉時代にも何度か水蒸気噴火を起こしたと記録にあるので、そこらが火山エリアだとは知っての山岳信仰なんだろうが、中心たる神山が直接火山と関連するわけでもないので。

三嶋大社

お次は三嶋大社
こちらは判断を迷う余地なんてない。御由緒には「富士火山帯根元の神」と明記されているし、えらい先生の本にも「伊豆諸島の噴火・造島を司る神であった」と書いてある(『日本の神々 神社と聖地10 東海』)。疑いようもなく、火山の神への崇拝から始まった神社だ。

伊豆地方には『三宅記』なる古文書が残されていて、そこには天竺からやってきた「三島大明神」が伊豆諸島を造島し、三宅島を中心に開拓した伝承が記されているのだとか。三嶋大社も、はじめは三宅島にあったものが、白浜(現下田市)に移り、平安末期に現在地に鎮座したらしい。

ただ、えらい先生が「三島神社の祭礼には、もはや火山の神、島の神の面影を残すものはない」(『私の一宮巡詣記』大林太良)というように、今の三嶋大社で「火の民族」の祭祀の痕跡を探すのは難しい。ぼくらも、腹ぺこの鹿たちがエサを貪るのを眺めたのち、あきらめて宿泊地の沼津に移動したのだった。

沼津港で浜焼きをつまみながらビールを飲んでいて、ふいにあることに気がついた。この界隈の大きな神社の祭神には統一感があることだ。富士山本宮浅間大社コノハナサクヤヒメ、箱根神社は天孫ニニギ、三嶋大社にオオヤマツミ(大山祇)、伊豆山神社がアメノオシホミミ(天忍穗耳)・・・。順に、「天孫降臨」の新婦、新郎、新婦の父、新郎の父だ。富士から箱根・伊豆にかけてを舞台にして、壮大な結婚式が開かれているというわけか。

さてそうなると、残るあと一人のキャストも近くにいるはずだ。新婦と一緒に天孫ニニギに嫁いだものの、あまりのブサイクさに実家に返品された気の毒な姉、イワナガヒメ(磐長姫)はどこだー。

大室山
写真ACより)

イワナガヒメは伊東にいたよ。
4000年前の噴火で誕生したスコリア丘、大室山のかつての火口の中で、ヒメは祀られていた。しかも、普通ならサクヤヒメを祀るはずの浅間神社でだから、けっこう珍しいケースらしい(大室山浅間神社)。

聞けばその昔、大室山の溶岩流が、今の高級リゾート伊豆高原を作ったのだとか。700年以上続いているという「山焼き」の様子は、まるでその時の溶岩流が山に戻っていくようにも見える。岩のように長い命をあらわすイワナガヒメを祭神としていることといい、ここでも火山は忌避されている存在ではないと、ぼくには思えた。

伊豆山神社

最後に回ったのは熱海市の伊豆山神社。女優の小泉今日子さんが鳥居を奉納したことでも有名な神社だ。
この神社も(箱根神社同様)本殿から山を登ったところに「本宮社」があるというので行ってみたが、それで帰ってきてしまったのは痛恨の失敗だった。高いところに行けばいいというものではない(笑)。伊豆山神社で見るべきは、山を下った境外社「走湯神社」の方だった。

wikipediaに主祭神はアメノオシホミミと書いてあったので鵜呑みにしていたが、実際の主祭神は「火牟須比命(ほむすびのみこと)」、すなわちイザナミが最後に産んだ火の神さま、カグツチ(軻遇突智)だった。御由緒にも伊豆山神社の「神威」は湧き出る霊湯「走り湯」だと書いてある。

上の写真は手水舎の「赤白二龍」(と本宮)。赤龍が火の力を、白龍が水の力を操り、二龍あわせて温泉の守護神なんだとか。主祭神のカグツチも、秋葉神社愛宕神社では「火防(ひぶせ)」の神として「日の民族」に祀られているが、ここ熱海では違う。富士火山帯からの恵みの熱泉を崇める「火の民族」の神が、カグツチだ。

女史

さて、カグツチの名前が出てきたところで、『ヤマタイカ』で以前から気になっていた議論について触れてみることにする。それは、火の神を産んだことで女陰に大ヤケドを負って死んだイザナミを、「火山の女神」だと見るのは「通説」だという主張だ。カグツチ本人を火山の神だというなら素直だが、火が原因で死んだイザナミがなぜ「火山の女神」なのだろうか。

調べてみると、言い出しっぺは『ヤマタイカ』でも度々引用されている科学者、寺田寅彦(1878〜1935)らしい。寺田は地球物理学者としての目線で『古事記』を読んだとき、イザナミの「国産み」は「海底火山の噴出、あるいは地震による海底の隆起によって海中に島が現われあるいは暗礁が露出する現象、あるいはまた河口における三角州の出現などを連想させる」と書いている。

さらにはスサノオの乱暴狼藉も「火山現象」を表してるといい、アマテラスの「天の岩戸隠れ」神話も火山の噴火の描写だと書いている。

これらの記事を日蝕に比べる説もあったようであるが、日蝕のごとき短時間の暗黒状態としては、ここに引用した以外のいろいろな記事が調和しない。神々が鏡や玉を作ったりしてあらゆる方策を講じるという顚末を叙した記事は、ともかくも、相当な長い時間の経過を暗示するからである。(『神話と地球物理学』1933年)

とは言え引用した文章は、Kindleで¥0でダウンロードできる数ページの随筆の一部で、思いつきを書き留めただけのもののようだ。その寺田の説を受けて本格的な考察に仕立てたのは、何とロシア人の革命家で、亡命先の日本で火山に魅了されたワノフスキー(1874〜1967)なる人物だった。

ワノフスキー

ワノフスキーの「火山神話論」では、古事記神話を「火山の神々とそれを鎮めようとする神々の闘いとして読み解いている」。前者の「火山の神」にはイザナミ、スサノオ、オオクニヌシ、コトシロヌシ、タケミナカタ、サルタヒコら「出雲系、国つ神が多い」とされ、後者の「火山を鎮める神」にはイザナギ、アマテラス、タケミカヅチ、フツヌシ、アメノウズメ、ニニギら「天皇家の先祖神とその配下につらなる神々」の名前が挙げられている。

だがそうやって議論を単純化すれば、いかにもキリスト教社会から来た共産主義者(無神論者)による善悪二元論のように聞こえるが、ワノフスキー説の面白いところは、神々の闘争の先までをも火山で読み解こうとするしぶとさにある。
本の欄外の解説文を借りるなら、たしかに「火山灰は農作物に甚大な被害を与えるが、長期的に見れば、火山噴火はマグネシウム、カルシウムなど植物にとって有用なミネラルを地表に放出し、土壌を若返らせる面もある」。

高天原を追放されて地上に降りた悪漢スサノオの、突然の正義のヒーローへの転身を、ワノフスキーは「火山からくる二重性」だと考えたようだ。はじめは破壊と害悪をもたらすが、のちに創造と有益ももたらす存在であると。
またワノフスキーは、日本列島に流入して縄文人を形成していったアジア大陸や南方の島々の人々が、順番に(?)阿蘇山の噴火を経験していったことが、『古事記』に火山のモチーフが色濃く残ることの理由だと、考えたようだ。

黒煙の雲が空をおおい、太陽さえ暗くする火山噴火の光景は、彼らの想像をひどく刺激し、そして当然、それは火山の神と太陽の神との闘争という意味に彼らは解釈したのであろう。だが、噴火は終わって偉大な天の発光体は天上に再び輝き始めた。(『火山と太陽』元々社/1955年)


なるほどワノフスキーの説は、火山という日本の国土特有のイメージから神話を読み解く点においては興味深い。だが、その説が日本人の精神性とマッチしているかと言えば、それは正直考えにくいとぼくは思う。なぜならワノフスキーが挙げるような「火山の神」が、実際の火山の周辺で祀られてきているケースがないからだ。阿蘇山はもちろん、桜島でも雲仙でも浅間山でも、榛名でも白根でも富士でも伊豆でも、イザナミもスサノオも祀られていない(村の鎮守レベルは知らんけど)。

その疑問について、後進の『ヤマタイカ』ではちゃんと答えを提示している。曰く、火の民族が崇めていた火山の神々は、黄泉の国・根の国である出雲で、むりやり葬り去られたのだ!と(だからそれぞれの火山で火山神を祀る必要がない?)。

しかし、果たして出雲がいわれるような死者の国であるのかどうかは、ぼくらは実際に出雲に行ってみて、そうとは断定できないことを知ったものだ。また、出雲で葬られたはずの火山神は、出雲以外の地でいまも祀られているという事実もある。

例えばイザナミだけを祀る神社としては波上宮(那覇市)などがあるし、夫イザナギではなく熊野権現とセットになって祀られるケースも多々ある。
スサノオだと氷川神社(さいたま市)や八坂神社(京都市)が有名だ。

それと、結局はイザナミと一緒に祀られるのはイザナギであることが多いわけだが、その理由には心当たりもある。
古事記外伝』が言う皇室の本来の伝承である『日本書紀』本文では、イザナミはカグツチを産んでいない。だからホトを焼かれて死んだりしていない。黄泉比良坂で離婚もしていない。二神は海やら川やら木やら草やらを生んだ後に、ふたりで大日孁貴(アマテラス)らを産んでいる。

『日本書紀』本文を尊重すれば、イザナギとイザナミが仲良し夫婦として祀られるのは、いたって自然なことのように、ぼくには思えるのだった。

火山の話はまだまだ続く。
関連記事

富士山麓の縄文人 - 火の民族編その2

富士宮市

前回の記事の補足から。

なぜか説明を省いてしまったが、『日本書紀』は、「本文」と「参考文」の二段構成になっている史書だ。本文は編集委員が認める日本の正史。参考文には「一書(あるふみ)に曰く」と、さまざまに異説・異論が併記されている。

このうち『古事記外伝』(藤巻一保/学研)で「天皇家の伝承を第一に重んじてまとめられている」とされるのは、本文の方だ。このとき参考文の「一書に曰く」には本文と矛盾する異論も多数あるが、この点にこそ当時の官僚や知識人を広く集め、客観性を高めて作り上げられた『日本書紀』の特徴があるんだとか。

一方、『古事記』の方は太安万侶稗田阿礼の二人が"密室"で作った本で、『古事記外伝』ではそこへの藤原(中臣)氏の介入を考えている。それは例えば「天孫降臨」の場面での両書の差違などに、如実に見ることができるそうな。

『日本書紀』の本文が、司令神としてのアマテラスも、五伴緒も、サルタヒコも、アメノウズメも、いっさい出さずに天孫降臨を描いていること自体が、『古事記』の天孫降臨神話は、天皇家自身の神話とはさして深い関連をもたない、いうなれば中臣氏の「事情」にもとづく神話だということを、暗に示していると筆者は考えるのである。(『古事記外伝』藤巻一保/学研)

繰り返しになるが『日本書紀』本文では、天孫降臨の司令神はタカミムスビただ一人で、天孫ニニギもたった一人で誰にも会わずに高千穂峰に降り立った。それが皇室の本来の伝承で、『古事記』にしか出てこない大勢のキャストは藤原氏の政治的必要に基づく演出だ、という話。

似たような展開は同じく重要な「伊勢遷祀」の場面にも現れているが、いずれも皇室にとっては意味がなく、藤原氏にとっては多大なメリットがある修正、変更、加筆などがなされているという分析だ。

ま、詳しくは『古事記外伝』を。

富士山本宮浅間大社

さて、世間を騒がす新型肺炎の感染にビビりつつ、先日は富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社にお詣りしてきた。天孫ニニギが地上で娶ったコノハナノサクヤヒメ(木花開耶姫)を祭神とする浅間神社、全国1300社の総本社だ。社殿はあの徳川家康の造営によるとかで、本殿が二階建ての「浅間造」という珍しい形式で、全国に4社しかないそうな。

我らが『ヤマタイカ』では1コマしか登場しないうえに、社名まで間違えられていて少々気の毒な扱いなんだが、「火の民族仮説」を追う上では重要な神社だと考えて訪問してみた次第。

ページトップは、浅間大社の近くにある「富士山世界遺産センター」最上階の展望ホールから撮った富士宮市の写真。
鳥居の向きを見れば分かるように、浅間大社は富士山を背に負ってない。富士山をご神体とするのに、拝殿からは富士山を拝めない。45度、ずれている。

これは面白い。S級、A級の神社にはたいてい不思議な話がくっついてるもんだが、ここ浅間大社もそうなのか?

そもそも、富士山の噴火への備えとして浅間大社がこの地に選ばれたのは、境内にある「湧玉池」の存在が理由らしい。池には富士山の雪解け水が、一日約30万トンも湧出するという。この水の力で富士山の火を鎮められないか、と昔の人は考えたんだと『関東の聖地と神社』という本に書いてある(辰宮太一/JTBパブリッシング)。

なるほど、まずは湧玉池ありきということか、と改めてグーグルマップなど開いてみれば、浅間大社は富士山頂から見て南西の方角、すなわち「裏鬼門」に建っていることが分かる。それでは、と富士山頂から北東を見れば、北口本宮冨士浅間神社富士吉田市)が鬼門に鎮座している(ちなみに江戸城の鬼門には寛永寺、裏鬼門には増上寺というのは有名な話だ)。

・・・むむ、そう言えば鬼門や裏鬼門には「鏡」を置くと良い、と風水の本には書いてあったが、浅間大社の「鏡」が湧玉池だとするなら、北口本宮にも「鏡」があるんだろうか。これは一度、自分の目で確かめに行かないとならないな。


ところで浅間大社では、社伝(御由緒)にも面白いことが書いてあった。曰く、第7代孝霊天皇の御代に富士山が噴火して住民が離散した、んだと。
だが、wikipedia(富士山の噴火史)等に記載されてる通説では、正史での富士山噴火の初見は『続日本紀』天応元年(781年)7月条であり、それ以前は穏やかな山としての表現のみで噴火は起こっていなかった、とされている。

それで調べてみたところ、富士自然動物園協会という社団法人が発行していたハンドブックに、西暦200〜300年頃の事件として「噴火。天然木炭のC14による推定」という記述を見つけた。
ただ、ハンドブックにはどこのどなたが推定したかが書いてないので困ったが、ググってみたら産総研地質調査総合センター」のサイトに、元ネタと思われる記事を見つけることができた。

富士山、1000年前の噴火に新事実 ー新富士火山、最近3000年間の噴火史ー

どうやらサイト中の表にある「滝沢火砕流」が、孝霊天皇の御代の噴火に当たりそうだ。孝霊天皇の在位は長浜浩明さんの計算によれば西暦110〜148年で、地質調査総合センターの推定より100年ほど古い時代になるが、まずは弥生時代後期に富士山の噴火があったのかどうかが、先に議論される話だろう。

山宮浅間神社

写真は、浅間大社からクルマで10分ほど登った森の中にある、山宮浅間神社の鳥居と、遙拝所からの富士山の眺め。社殿のない原始的な神社として知られる山宮浅間神社だが、世界遺産センターで¥500で買った本には面白いことが書いてあった。
なんでもこの場所は、「噴出して流れ出た青沢溶岩流の先端部」にあたるんだとか。

東日本大震災のとき、過去に津波が遡上してきた場所には神社が建ってることが多いと聞いて、昔の人の知恵には感心させられたもんだが、ここでも神社が命を守る目印になっていたようだ。

なお『走湯山縁起』という古文書には「清寧天皇三年」に富士山が噴火したとあるが、これも正史には記述がないことを理由に、なかったことにされてる記事を見かけた。だが地質調査総合センターのサイトには、西暦500年前後の噴出として「青沢溶岩流」の名前があり、長浜暦によれば清寧天皇の在位は480〜485年なのだ。

古文書と最新科学の一致・・・ほんとに面白い。

大鹿窪遺跡

最後に回ったのは、山宮浅間神社を西に下った田んぼの中にある大鹿窪遺跡
縄文時代草創期(約15000 - 12000前)の遺跡で、日本最古の「定住集落」の跡らしい。富士山が今の姿になったのは10000年前ぐらいの火山活動だと言うから、ここいらの縄文人は噴火を恐れて逃げていったのかと思えば、やや北にある縄文時代成熟期(約5000 - 4000前)の千居遺跡には、ストーンサークルによる富士山祭祀の跡が見つかってるのだとか。どうやら懲りずにずっと住み続けていたらしい(笑)。

なぜか危険な火山の近くに住みたがる縄文人・・・、ヤマタイカ「火の民族仮説」のスタート地点だ。


古代日本謎の時代を解き明かす

ところで、長浜本と並ぶ愛読書になりそうな『古事記外伝』だが、一部に不満もある。われわれ中高年にありがちな、古代の朝鮮半島を上流に見ようとする戦後の自虐史観の影響だ。
例えばコノハナノサクヤヒメと出会うちょっと前の、天孫ニニギが降臨する場面で、『古事記外伝』はこんな解説をしている。

『古事記』の天孫降臨神話のつづきを読もう。
 サルタヒコに先導されて、天孫は九州の高千穂の峯に天降った。その地を称えて、ニニギは「ここは韓国に向い、笠沙の御前に真来通りて、朝日の直さす国、夕日の日照る国なり。かれ、ここはいと吉き地」(この地は朝鮮に相対しており、笠沙の御碕にまっすぐ道が通じていて、朝日のまともにさす国であり、夕日の明るく照る国である。だから、ここはまことに吉い土地だ)だといい、宮殿を建てて住みはじめた。
 天降ってまず最初に、「韓国」に向いていることをよい土地の条件に挙げているのは、大王家と朝鮮半島の、なみなみならない関係の深さを物語っている。


なるほど確かに『古事記』ではニニギが「韓国(からくに)」と言っている。だが『古事記外伝』では『古事記』には藤原氏の作為があり、本来の皇室の伝承は『日本書紀』本文だと繰り返し論じてきたはずだ。では同じ部分を、当の『日本書紀』本文は何と書いているのか。

このようにして、皇孫のいでます姿は槵日の二上(霊奇な峰の二つ並び立つ山)の天浮橋から、浮島があって平らな所に立たれ、荒れてやせた不毛の国のずっと丘続きに良い国を求め、吾田(鹿児島県薩摩半島南西部の南さつま市加世田付近)の長屋(長屋山)の笠狭の碕(野間岬)にお着きになった。(『日本書紀 全訳 上巻』宮澤豊穂/ほおずき書籍)


荒れてやせた不毛の国、原文だと「而膂宍之空國(空国)」、皇室の正史『日本書紀』本文にはそう書いてあるのだ。
「韓国」ではない。

 すると『古事記』の「韓国」とは「空国」であり、その「空」を「から」と読み、何時しか「韓国」と当て字されていたことになる。同時に「韓国岳」は「空国岳=不毛の土地にある山」が正解となる。(『古代日本「謎」の時代を解き明かす』(長浜浩明/展転社)。


うむ、いつもながら長浜さんの説明は明快だ。理系のエンジニア出身で、歴史学会にも歴史業界にも何の所縁もないおかげで、変なバイアスが掛かることがないんだろう。『古事記外伝』は素晴らしい本だが、「業界人」の書かれた本からは、何か見えない縛りのようなものを感じる時が、たまにある。


さて、それはそうと、実際に富士山近くに行ってみたことで、がぜん「火の民族仮説」への興味が増してきた。縄文人の心を知ろうと思うなら、自分が火山の近くに行ってみるしかない。次は箱根か、富士吉田か、あるいはいっそ高千穂峰を目指そうか。

つづく
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