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竹波エーイチ

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出雲の国のタケミカヅチ -出雲編その10

出雲大社神楽殿しめ縄

11月上旬、念願叶ってようやく出雲大社へ行くことができた。
神在月の期間だったせいか、とにかく人が多くて写真もろくに撮れなかったが、ただの物見遊山のオッサンズとしては、必死の縁結びを祈念する若者には遠慮して、場所を譲らねばなるまい。

上の写真は、出雲大社・神楽殿の大しめ縄。
とにかくこれが見たかったと言っても過言でないわけだが、ホントに期待以上のバカでかさで感動した。んで、デカいからこそ一見で分かるように、ここのしめ縄は向かって左端が太く、向かって右端が細い。

何でもこの張り方は一般の神社とは逆になるようで、ぼくらの若き日の愛読書『逆説の日本史』(井沢元彦/小学館)ではこの点を根拠の一つとして、オオクニヌシ=怨霊説が展開されていた。いわく、「死者の着物を左前にするのと同じことである」ゆえに、出雲大社とは「霊魂の牢獄」としてオオクニヌシを封印する「死の宮殿」であると。

オオクニヌシが「怨霊」になる理由は言うまでもなく、苦労して作り上げた国土を、高天原の使者に恫喝されて横取りされたからだ。ならばオオクニヌシがまず第一に恨むべき相手は、この使者になるだろう。
使者の名はタケミカヅチ(建御雷)。茨城県の鹿島神宮に祀られる、高天原最強の軍神だ。

ところが、オオクニヌシにとっては宿敵のはずの、タケミカヅチを祀る神社が出雲にもあるという。出雲市武志町の「鹿島神社」だ(といっても、移動中のグーグルマップでたまたま表示されて寄ってみただけで、この地域に鹿島系神社が何社あるのかも全く知らないんだがw)。

だが、何事も現地に行ってみないと分からないもの。
以前、本家の鹿島神宮にお詣りしたこともあって、ほんのご挨拶のつもりで参拝したが、何とも不思議なものを見せてもらった。

鹿島神社

写真のとおりで、何と高天原およびヤマトにとって最大級の功臣タケミカヅチが、ここ出雲の鹿島神社では「死の宮殿」のオオクニヌシと同じように祀られていたのだ。しめ縄の「左本右末」、すなわち井沢説でいうところの、怨霊の封印だ。

ええー何でだー、とすっかり混乱したぼくら。
だが混乱はその後も続いたのだった。

今でこそ知らぬ者なき出雲大社だが、古代には出雲の「四大神」の一つ(杵築大神)に過ぎず、「一の宮」の地位は松江市の熊野大社が得ていたそうな。
例えば『日本三代実録』(901年)によると、熊野が従二位勲七等のとき、杵築は従二位勲八等の神階で、つまり大和朝廷から見て熊野の方がやや優位視されていたと『熊野大社』(熊野大社崇敬会)という本には書いてある。

その理由について同書では、熊野の祭神スサノオが高天原出身の「天つ神」で、杵築の祭神オオクニヌシが地場の「国つ神」だからだと書いてある。しかし時が流れ、平安時代に両社を祀ってきた出雲国造が杵築に本拠地を移してからは、熊野は次第に衰えていったのだとか。今では熊野大社というと、和歌山県の熊野三山の方が有名になってしまってるし。

とは言うものの、さすがにアマテラスの弟を祀る大社だけあって、今の熊野大社は立派なものだ。
それもそのはず、現代においても出雲大社宮司(出雲国造)の代替わりでは熊野大社の神器で起こした「火」を使ったり、毎年の「古伝新嘗祭」でも熊野大社から神器を授与されたりと、出雲大社と熊野大社の関係は深い。

この際、ビミョーに熊野が上位の立場なのは、やはり祭神がスサノオで、出雲国造の祖神(アメノホヒ)から見て「叔父さん」に当たるからだろうか。
第82代出雲国造、千家尊統さんの筆による『出雲大社』(学生社/1968年)には、「古伝によれば」「天つ神の仰せとして」「神代の約束にしたがって」とあるので、アメノホヒがスサノオから出雲の統治権を授与された際の再現劇が、神事となって繰り返されているのだろう。

熊野大社

そう、熊野大社は「天つ神」を祀る神社だ。
・・・ところがこれまた写真のとおりで、熊野大社のしめ縄もどういうわけだか「左本右末」だったんすよ。

確かにスサノオには高天原を追放された恨みはあったかも知れないが、出雲に来てからはスーパーヒーローに転身して怪獣ヤマタノオロチを倒し、美しいクシナダヒメと幸せな家庭を築いたはずだ。モンスターとのバトルでゲットしたアイテム、天叢雲剣(草薙の剣)を高天原に献上して関係も改善、怨霊として封印される理由はない。

じゃ、なんで?
ぼくらの混乱はさらに続いていくのだった。


『逆説の日本史』ではオオクニヌシ=怨霊説の根拠として、神座が拝殿に対して横向きに鎮座していて、正面から「拝ませない」ことが挙げられていた。しかしその点は鹿島神宮のタケミカヅチも同様に横向きで、鹿島の宮司さんの本には「古代の住居のなごり」であろうと書いてあって、得心した。ちょー古い神社の様式はさまざまで、それらの理由をざっくり一言で説明するのは不可能なんだろうなぁと、鹿島の地でぼくも思ったもんだった(該当記事へ)。

だが出雲から遠く離れた茨城県とかじゃなく、同じ出雲エリアで同様の祀り方があったらどうだろう。しかも別の祭神でだ。

松江市の揖屋神社(いやじんじゃ)は、黄泉国との境界にあるという黄泉比良坂(よもつひらさか)に近いこともあってか、今回みた神社のなかでは一番神秘的な雰囲気があった。祭神はイザナミ。言わずと知れた「国産み」の女神で、『日本書紀』だと、スサノオの母、オオクニヌシの祖母にあたる。

揖屋神社のしめ縄は「右本左末」、向かって右端が太く、左端が細い。いたってフツーの神社だ。出雲にもフツーの神社はあるんだと安心したぼくらは、社殿の下手に「順路」の案内板を発見して、それに従って進んでみた。順路をぐるっと半周して本殿の右横まで進んだとき、そこには別の案内板があった。

"御神座はこちら向きに御鎮座されています"


・・・や、やられた。フツーの神社は本殿が南向きなのに、揖屋神社の本殿が西向きだったときに気がつくべきだった。ここはフツーの神社ではない。西向きの本殿に対して、神座は南向き・・・やはり一筋縄ではいかない、不思議系な神社だったのだ。

揖屋神社

『古事記』によれば、イザナミは火の神を産んだために死んでしまい、黄泉の国で「腐った死体」になってしまった。さらには、それをわざわざ見に来て恥をかかせた夫、イザナギへの恨みもある。ならば怨霊になってもおかしくはないし、拝ませないように横を向けるのも…、と考えたくなるが、それは揖屋神社では当てはまらないと、ぼくは見る。

何故なら黄泉比良坂には、まさにそのイザナミを黄泉の国に封印した「千引の岩」があるからだ。すでに封印したイザナミを、改めて地上の神社で封印する理由もないし、必要もない。

こうしてますます混乱の度合いを深めたぼくらだったが、続いては同じく松江市でイザナミを祀る、神魂神社(かもすじんじゃ)を訪問した。現存する最古の「大社造り」で、室町時代の造営だとか。むろん、国宝。

前出の『出雲大社』(千家尊統/学生社)には、この神魂神社こそが、出雲国造の本貫の地(実家?)だと書いてある。本来は国造の館の「邸内社」で、陰暦11月には雪に埋もれる熊野の神を遙拝するための神祠として創建された、とも。

同書によれば、古代に熊野大社で行われていた出雲国造の古伝新嘗祭は、のちに神魂神社で行われるようになり、それは明治初年まで続いたそうだ。ちなみに、杵築大社が出雲大社に改名したのも明治4年と新しく、出雲の祭祀は出雲大社だけを見ていては理解できないんだ、とぼくらはようやく気付き始めていた。

神魂神社の祭神はイザナミだと書いたが、それも第82代国造は「後世の思考のいたすところ」と否定されている。社伝ではアメノホヒの創建によると伝えられるが、おそらく本当は、祭神がアメノホヒなんだとぼくは思う。出雲国造の、祖神を祀る神社が近辺に存在しないとは、ちょっと考えにくいからだ。

・・・なんて他愛もない空想を話しながら、ぜーぜー言って急階段を登ると、頂上のすぐ前にいきなり社殿が現れた。やけに狭苦しいが、元々が国造の「邸内社」なら話は別だ。本来なら団体客がバスでぞろぞろやって来て、授与所にドサッと十数冊も御朱印帳を置いていけるような、お気軽な場所じゃなかったんだろう。もっと、国造のプライベートで神聖な空間だったはずだ。

さて、お詣りを済ませて、団体の御朱印の処理に追われる神職に同情しつつもイライラと順番を待ち(笑)、ようやく頂けた御朱印といっしょに受け取った質素な案内書きからは、その日最大の衝撃を受けることになった。

神魂神社

神魂神社もやはり、拝殿からは神座を横向きにしか拝むことができない。
それはもう、OKとしよう(笑)。

問題は、出雲大社とは反対に、神座が拝殿から見て左にあって右方向を見ているスタイルには、「女造(めづくり)」という名称が与えられていることだ。案内書きには、祭神が男性の場合は出雲大社のように左向きの「男造」、イザナミ等の女性の場合は右向きの「女造」だと明確に説明されていて、怨霊だから拝ませないーとか、ここで言ったら顔から火が出るほどの恥ずかしさでは?

てか、もしかして大社造の神社って、みんな神座が横向きなんではないの?
んで注連縄も、特に決まったルールはないので好き勝手に張ってるとか。ちなみに神魂神社は、一般的とされる「右本左末」だったけど。

さらに話をややこしくするのが、杵築大社時代の出雲大社は、その歴史のほとんどで祭神をスサノオにしていたことだ。『私の一宮巡詣記』(大林太良/青土社)によれば、古くは平安時代初期に成立した『先代旧事本紀』にそう記載され、『源平盛衰記』にも同様、1666年に立てられて現存する銅鳥居にも「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と印刻された銘文があるとか。

そして、江戸時代でも杵築大社の神座が横を向いていることは話題になってたようで、その理由としては『日本書紀』でスサノオが、イザナギ・イザナミから「お前は大へん無道である。だから天下に君たることができない。必ず遠い根の国に行きなさい」と言われて勘当されたから、「二神勅勘なれば直に拝し奉らぬにや」と語られていたんだとか(『懐橘談黒沢石斎/1653年)。

ううむ、納得できるような、できないような・・・。

素戔嗚尊者雲陽大社神也

ダラダラと長くなったので一旦締めたいが、つまりは出雲大社の祭祀ってのは、創建以来ずっと「出雲大社」が単独でオオクニヌシを祀ってきたという訳ではなくて、歴史という縦軸においても、熊野大社や神魂神社との関わりという横軸においても、複雑に変化を続けてきていて、一刀両断には語れない・・・ってことが、ぼくらが現地で感じたことだった。

出雲で見てきたものの話題は、次回につづく


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東京都あきるの市のアラハバキ丼 - 出雲編その9

石神伝説

アラハバキ」と呼ばれる神がいる。
漢字で書くと、荒脛巾とか荒吐とか荒覇吐とか、いろいろある。

それは、我らが『ヤマタイカ』では「古代東国の蝦夷の神」と言われ、同じく古代史を扱ったSFマンガ『石神伝説』(とり・みき/1995〜)でも「古代に東北から関東を支配していた」神と言われ、いずれも巨大な遮光器土偶の形で描かれた。

そんなアラハバキをお祀りする神社が、今も東京近郊にあるという。
秋晴れの平日(笑)、クルマは東名高速から圏央道へ。

養澤神社

まずは、東京都あきるの市の養澤神社を目指す。
圏央道を八王子西ICで降りて30分、森の中を養沢川という渓流に沿った山道をぐねぐね行くと、道の突きあたりのような場所に神社があった。近所には鍾乳洞やキャンプ場もあるようで、とにかく深い山の中だ。

案内板によると、1915年に近隣の4社を合祀して養澤神社を創立したとあり、そのうちの一社が「門客人神社」で(あらはばき)とカッコ書きされていた。本殿後方に「門客人大明神」と書かれた石塔があったが、詳細は不明。

二宮神社

来た道をぐねぐねと戻り、東京サマーランドを右手に見ながら市街地を東に進むと、JR五日市線・東秋留駅のすぐ近くに、目的の二宮神社があった。秋川と多摩川が合流する直前の平地に小さな丘があって、その上に神社が鎮座するスタイルのやつだ。

拝殿に続く参道の右手、社務所の前に「荒波々伎神社」という摂社があって、鉄製のワラジ(?)が備えられていた。奉納された絵馬には「足神様」と書いてあり、ここではアラハバキはそう呼ばれているようだ。

小野神社

最後にお詣りしたのは、厚木市の小野神社
圏央厚木ICで降りて、市街地を抜けた先の田畑の中に鎮座。なんと式内社らしい。

アラハバキは本殿の裏に7つある境内社のひとつで、額には日枝神社、淡島神社にはさまれて「阿羅波婆枳神社」の名があった。あくまで7社のうちの一つという扱いで、特筆すべき点は見当たらず。

門客人神社と荒脛神社

さて、こうして回ってきた3社に加え、さいたま市・氷川神社の「門客人神社」と、同・中山神社の「荒脛神社」が、ぼくがこの眼で見てきたアラハバキ神なわけだが、まぁ言うまでもなく「蝦夷」だの「遮光器土偶」だのを想起させるものは何もなかった。

それもそのはず、アラハバキを「蝦夷」や「遮光器土偶」と結びつける根拠はただ一つ、『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)という「偽書」だからだ。戦後に青森県の民家から発見されたとするその「古文書」は、和田喜八郎なるペテン師が考えた作り話だった。

アラハバキを「荒羽吐」または「荒覇吐」と書き、遮光器土偶の絵を載せ、アラハバキのビジュアルイメージは遮光器土偶である、という印象を広めたのも、本書が「震源」である。(Wikipedia - 東日流外三郡誌

要約すれば、古代の東北地方には歴史から抹殺された独自の文明国が存在したというホラ話なんだが、これが東北人の心情にマッチしたのか大ヒットしてしまい、古田武彦教授のような著名な学者までが擁護に回って話がややこしくなり、果てしない真偽論争が繰り広げられたそうな。

しかし最終的には1999年、作者の和田喜八郎の没後に家捜しが行われた結果、「古文書」は戦後に書かれた偽書であることが確定し、論争は終結した。ただし、『ヤマタイカ』『石神伝説』ともに書かれたのはそれ以前のことなので、文句を言われる筋合いはないだろう。

戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」

この偽書事件の顛末を、その始まりから終わりまでを徹底取材したルポに『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』(斎藤光政/集英社)がある。著者は青森県の地方紙・東奥日報の記者さんで、岩手県盛岡市生まれ、青森県八戸市育ちというから、バリバリの東北人だ。
そんな東北を知り尽くしたジャーナリストが、アラハバキについてはこう書いている。

(略)本来は関東地方に濃密に分布するはずの正体不明の神「アラハバキ」がなぜ列島北端に存在するのか(略)

斎藤さんは、アラハバキを「関東」の神だと認識していた。ならばそれは、遮光器土偶と無関係なだけでなく、そもそも「蝦夷の神」ですらなかったということだ。

だとすれば『ヤマタイカ』で描かれたような、ヤマト=弥生系への対立項としてのアラハバキ=縄文系という説は、根底から崩れ去ってしまうことになる。そんな対立自体が、フィクションだったことになる。


日本の神々』(谷川健一/岩波新書)によれば、江戸時代後期に編まれた『新編武蔵国風土記稿』には、氷川神社摂社の門客人神社は、古くは荒脛巾神社と呼ばれていた、と記されているそうな。

また、江戸初期の氷川神社は、スサノオ、クシナダヒメ、オオクニヌシを祀る三社が鼎立していたらしいが、氷川内記なる人物が現れて門客人社を持ち上げ、四社体制をゴリ押ししたと『大宮のむかしといま』(大宮市/1980年刊)に書いてある。

その四社体制は1679年には廃止されて、門客人社も元の社格に下げられたとあるが、ここでの話のポイントは出雲国造の末裔という"ヤマト"から見て、アラハバキは決して怪しい神でも敵対する神でもなく、平然と同居できる相手だったという事実だろう。
日本の神々』には、「神社を建てるとき、以前からあった土着神である地主神を客神として祀る」ケースとして、アラハバキが取り上げられている。

さてそうなると次は、地主神としてのアラハバキって何ぞや、という話になるな。

古事記 日本書紀に出てくる謎の神々』(新人物文庫)という本に簡潔にまとめられていたので紹介すると、アラハバキ神の信仰習俗としては「足の神」「旅の神」「下半身の神」「みずいぼを治してくれる神」などがあるらしく、二宮神社で見た鉄製のワラジなどは「足の神」としてのアラハバキなんだろう。

また、神格や性格については、「蛇神」「製鉄の神」「疫神」「かまど神」「渡来神」などといった説があるようだが、そういう場合、特定の神社にだけ当てはまる説を、ぼくはあまり参考にしない。
それで今もアラハバキを祀っている複数の神社に実際に行ってみて、現地の音を聞き、空気を吸ってみたというわけだが、もはや見沼は存在せず、多摩川の流れも昔と一緒ではないとなると、正直なんのヒントも得られなかった(当たり前だw)。

ま、結局のところ、ぼくが見たアラハバキを祀る五社の全てに通用する説としては、一番有名な「塞の神」説に落ち着くんだろう。

アラハバキの神とは何か。
一、もともと土地の精霊であり、地主神であったものが、後来の神にその地位をうばわれ、主客を転倒させられて客人神扱いを受けたものである。
二、もともとサエの神である。外来の邪霊を撃退するために置かれた門神である。
三、客人神としての性格と門神としての性格の合わさったものが門客人神である。主神となった後来の神のために、侵入する邪霊を撃退する役目をもつ神である。(『白鳥伝説』谷川健一/集英社)


「土地の精霊」というと、諏訪で見てきたミシャグジ神を思い起こすところだが、長野県にはアラハバキ系と推測される神社が見あたらないというし、似たような信仰が中部と関東で棲み分けを行っていた可能性とかも、あるのかも知れない。

婆羅陀魏山神
(1958年公開の東宝映画『大怪獣バラン』に登場した"婆羅陀魏(バラダギ)山神"。アラハバキとの関連は不明)

ところで、"関東地方に濃厚に分布する"とされるアラハバキを、「門客人神社」「客神社」まで話を拡げていくと、その分布は出雲にまで及ぶようだ(客人社と荒波々幾神を祀る神社一覧/神奈備さま)。
白鳥伝説』でも、出雲ナンバー2の佐太神社にかつて存在した、「あらはばきの門」が話題に取り上げられている。

関東の神のルーツを探っていたら、またしても出雲に行き当たるというわけだ。

かくして、ぼくらの出雲行きの準備は整った。
近々(ようやく)、出雲縁結び空港に向かう飛行機に乗ることになるだろう。


※蛇足になるが、斎藤光政さんのルポは本当に面白いので、誰にでもお勧めできる一冊だ。中でも、フェイクニュースを飛ばして謝罪に追い込まれるのが(いつもの)朝日新聞と共同通信だったのには、腹を抱えて笑わせてもらった。また、高名な学者が韓国面に、もとい、暗黒面に落ちていく様などはサイコホラー顔負け。
笑いありスリルありで、映画化が望まれる。

つづく

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