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竹波エーイチ

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風立ちぬ(4)〜コクリコ坂から

日輪の遺産
宮崎駿にとって、監督しての前作は2008年の『崖の上のポニョ』となるが、脚本家としてのそれは、2011年『コクリコ坂から』(宮崎吾朗監督)になるだろう。

その舞台は1963年の横浜。
ここに港南学園という高校があって、老朽化した文化部部室棟「カルチェラタン」の立て替え計画が進められていた。一方それに反対する生徒たちもいて、あるとき「全学討論会」なる集会が開かれた。
その時の、立て替え反対派筆頭の少年のセリフが以下だ。

君たちは保守党のオヤジどものようだ。古くなったから壊すというのなら、君たちの頭こそ打ち砕け! 古いものを壊すことは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか。人が生きて、死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか。新しいものばかりに飛びついて、歴史をかえりみない君たちに、未来などあるか! 少数者の意見を聞こうとしない君たちに、民主主義を語る資格はない!


歴史、文化、伝統が大事だと言うんだから、この少年が「保守派」であることは明らかだ。
きっと、それらを無視して作られた『日本国憲法』にも反対の立場だろう(笑)(※)。

・・・なんてのは余談だが、これまでの話の流れに沿ってみたとき、この『コクリコ坂から』のストーリーは、実に味わい深いものがあると思う。一言で言ってそれは、戦後第一期世代の男女が、「父」を求め「父」を知るストーリーだった。そんな脚本を宮崎駿が書いた。
そして岡田斗司夫さんによれば『風立ちぬ』は堀越二郎の「赦し」の物語であり、またそして、宮崎駿本人の言によれば、堀越二郎には宮崎の「父」が重ねられていた。

この流れを整理すればこうなるだろう。
父を求め、父を知り、父を赦す・・・。

そしてそれは、宮崎が彼の父親に戦後日本や日本人を象徴的に見ていたとしたら、こうなるだろう。
日本を、赦す・・・。

宮崎駿が『風立ちぬ』の試写会で、何度となく涙ぐんでいたというのは有名な話だ。
半藤一利との対談本『腰抜け愛国談義』では、劇中で二郎がドイツ・ユンカースの工場に視察に行く場面で泣けたと言っている。技術提携だというからカネを払って出かけてきたのに、そこで日本人技術者が受けた粗末でみじめな扱い。
あるいは『CUT』での渋谷陽一との対談では、少年時代の坊主狩りの画を観ただけで涙が出てきた、とも言っている。

その姿、ぼくには宮崎駿から日本への愛があふれてしまった姿のように思える。
もちろん宮崎は否定するだろう。「日本はきらいだ」「日本人はダメだ」と言って。
しかし『風立ちぬ』から敗戦を経ての『コクリコ』で描かれた日本の情景や人々のどこに、日本を否定しようとする悪意があったか。ぼくには全く思い当たらない。
そこでは戦前も戦後も日本は美しく、社会はたくましく、人々はやさしい。
宮崎は赦し、そして赦された。
それが宮崎駿の「現在地」なんじゃないかと、ぼくは思う。



それにしてもつくづく思うのは、『風立ちぬ』って、窮屈な作品だなぁってことだ。
今はもう、日本と日本人を素直に描ける時代になっていて、邦画をみたって左翼テイストの映画なんて壊滅状態だ(皆無か?)。
このカテゴリで扱った『ガンダムSEED』や『コードギアス』は有名な左翼プロデューサーが関わってるアニメだが、初期設定の左翼テイストなんて、ストーリーの進行とともに「悪役」に転じている始末だ。きっと需要的にも乏しいんだろう。

中国や韓国や朝日新聞は、今の日本を「右傾化」と言いたがるが、たぶん「中道」に戻っただけだ。
例えば同じく「零戦」を扱って大ヒットした『永遠の0』(原作・百田尚樹)。
宮崎駿は観もしないで馬鹿にしてるようだが、これ、完全な「反戦映画」だぞ。今は”右翼”が反戦映画を作る時代ってわけだ(笑)。
主役のエースパイロットの零戦評はこんなだ(小説版より)。

「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」
「いま、その類い稀なる能力が自分たちを苦しめている。560浬を飛んで、そこで戦い、また560浬を飛んで帰る。こんな恐ろしい作戦が立てられるのも、零戦にそれほどの能力があるからだ」
「8時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。8時間もの間、搭乗員は一時も油断はできない」
「いつ敵が襲ってくるかわからない戦場で8時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。8時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」

あるいはキャッチコピーの「生きねば」。

2011年に公開された日本映画に『日輪の遺産』(角川)がある。
終戦間際、20人の少女がマッカーサーの財宝を秘匿する極秘作戦に狩り出されていたが、敗戦が決まり、少女らの殺害命令が下される。担当の真柴少佐(堺雅人)は命令実行後、自分も責任を取って自決すると言うが、同行していた主計中尉に「少女もわれわれも、生きねばなりません」とたしなめられる。むろん、財宝を使って、飢餓に陥ると予想される一千万の日本人を救うためだ。そしてそれこそが「もうひとつの本土決戦」だと中尉は言う・・・。

この両者の「生きねば」を比べた時、残念ながら『風立ちぬ』のそれは、いかにも軽い。
命を一代のものとして完結させてしまう、幼稚で自己中心的な個人主義。しかも自画自賛。きっと鈴木敏夫の発案だろう。そうに決まってるさ(笑)。

つづく

(※)宮崎駿は『熱風』のなかで「憲法は目標であって〜」などと言ってるようだが、イギリス人が聞いたら意味不明な発言だろう。イギリスには成文憲法典がなく、要は歴史や文化、伝統から判断される「イギリスの常識」が憲法だ。憲法は、事務所の壁に貼ってあるスローガンではない。

でもまぁこれぞ「偏った」戦後教育の成れの果て、というところなんだろう。イギリスのような先進国が不文憲法であることを知れば、「護憲」の意味はあらためて考えざるを得ない。だがぼくは、それを学校で習った記憶がない(寝てたか?)。

風立ちぬ(3)〜『青春の夢いまいづこ』

VHS

話はようやく映画『風立ちぬ』に辿り着いた。

と言っても、ここで今さら『風立ちぬ』の感想をクドクドと言いたいわけではない。
宮崎駿の「現在地」という観点から、いろいろ引用したり、引用したり、引用したりして、ついでに多少は自分の考えも述べてみようかと思うところだ。
はっきり言って、『風立ちぬ』の論評なんかはその道のプロに任せておけばいいんだ(笑)。
岡田斗司夫さんの「『風立ちぬ』を語る」(光文社新書・2013年)を読めば、『風立ちぬ』とはどんな映画だったかの大半が理解できるんだから。

岡田さんはまず、『風立ちぬ』を「薄情者の恋愛の話」だと言う。そしてまた、「赦し」の話でもあると言う。岡田さんは『On your Mark』を引き合いに出したうえで、宮崎駿と劇中の堀越二郎を重ねていく。

この2作に共通するのは、最後に「赦し」があることです。赦されるのは「アニメを作っている自分(宮崎駿)」や「零戦を作ってしまった自分(二郎)」です。

 若くて綺麗で、すぐ死んでしまうような人と結婚をして、おまけにアニメばかり作ったとしても、「いいのよ、あなたは家庭をないがしろにしていて」と最後には赦してくれるという宮崎駿監督自身の妄想が、『風立ちぬ』には重ねられています。

『風立ちぬ』は美しいものを追ってしまう、人間の「罪」を描いた映画ですが、「罰」は描いていません。ただ、二郎、そして宮崎駿監督にも後ろめたさがあります。だからこそ、死んだ菜穂子に「生きて」と、赦しのセリフを言わせたのです。


前回の記事に引用したように、宮崎駿は『パンダコパンダ』の昔から「人間の暗部や愚かな面」を半ば無視するように、「肯定的な部分とか善いものだけ」を描き続けてきた。それはつまり、人間の美しさだけを描いてきたことになるわけで、そういう歴史を知る識者なら、堀越二郎=宮崎駿、の等式は容易に思いつくことになる。

たとえば評論家の渋谷陽一氏は『CUT』(327号)の対談の中で、『風立ちぬ』は「初めて宮崎駿が自分を主人公にした」作品だと、本人に向かって言っている。だから「自分が意識しない形で自分を反映してる場面」や「自分の作品の持っている、無意識の自分を揺らす局面」で涙が出てくるのだと。

しかし、この「堀越二郎=宮崎駿」の等式について、宮崎駿の反応は冷たい。照れもあるのかもしれないが、本気で嫌悪している印象もある。いわく「堀越二郎がどういうふうに生きたかっていうのはね、どういう姿勢で自分の仕事に取り組むかってことにあてはめて、理解できますよ。そういう形でしか理解できないんだ」と一応は説明するものの、対談の最後では、『俺たちの大和/YAMATO』の撮影現場で海軍役のエキストラがデブばかりだったことに憤慨しつつ、こう叫んでいる。

どうかしてる。映画ってもう少し、世界に肉薄するものだったんじゃなかったか。プロパガンダのためにやるもんじゃないって、僕は思いますよ。だからね、『風立ちぬ』で自分のことを描いたって言われるとイヤなのは、それです! 僕は自分のことを描いたんじゃない、堀越二郎を描いたんだ。二郎を取り戻したんです。僕流に取り戻したんです。


・・・これだけムキになられると、逆に図星かと勘ぐりたくなるが、とりあえず「堀越二郎=宮崎駿」説は否定されたことにしておこう。それにそもそも『風立ちぬ』の堀越二郎は、設計技師の堀越二郎と、小説家の堀辰雄との合体ロボだったはずで、そっちの堀さんの方はどうなったのよ、という話にもなる。

するとここに一つ面白い話があって、実は『風立ちぬ』の堀辰雄パーツには、宮崎駿と非常に縁の深い人物の実話が投影されているらしい。半藤一利との対談本『腰抜け愛国談義』(文春ジブリ文庫/2013年)には、宮崎のこんな発言が収められている。

親父にはおふくろとの結婚の前に最初の奥さんがいたということが、はじめてわかった。しかも学生結婚なんです。聞いてみたら、生きるの死ぬのと大騒ぎして結婚して、一年もたたないうちに相手が結核で亡くなっちゃった。「あんなに大恋愛の末の結婚だったから、大丈夫だろうか」ってまわりはずいぶん気を揉んだそうです。(中略)父は自分の結核が伝染したんだって言ってました。父も結核を患っていますから。


かくしてぼくらは、再び宮崎駿の親父さんに向き合うことになる。
この対談、相手の半藤が11才も年上という安心感もあってか、ふだんは隙のない宮崎も終始リラックスした様子で、自由奔放に語ってる印象がある。そしてそこでズバリ、劇中の「堀越二郎」は、実在の堀越二郎と堀辰雄に加えて、宮崎の「親父」が混ざっていると発言している。

だけど、ぼくは堀越さんの評伝をつくるわけではありませんから、いいやって(笑)。その上、堀辰雄が混ざっているからややこしい。おまけに、享楽主義の親父が若干混ざり込んでおりまして(笑)。(中略)若いころは、衝突やらなにやらいろいろありましたけど、このごろようやく、やっぱり親父を好きだな、と思うようになりました。

主人公の堀越二郎は、時代の生臭さをニュースで聞いて知ってはいる。しかし、名古屋にいる一飛行技師にとって、それは肉眼で見たものではない。(中略)世界がいろいろ動いていてもあまり関心をもっていない日本人。つまり、自分の親父です。あのミルクホールの給仕の娘がかわいいとか、今度封切りされた映画が面白いとか言っていた人たちが生きていた世界。


半藤は言う。
「その時代を生きたお父さんお母さんを何とか理解してみようとされたのですね」
「宮崎さんはもしかしたら、零戦ではなく、堀越の生きた昭和史を描こうとされたのではないか」
宮崎は応える。
「ぼくはやっぱり親父が生きた昭和を描かなきゃいけないと思いました」

裏付けになりそうな話がある。
今回取り上げた『熱風』でも『CUT』でも『腰抜け愛国談義』でも、必ず話題になる一本の映画がある。1932年公開の小津安二郎監督作品『青春の夢いまいづこ』だ。

父が死んでしばらくして、小津安二郎の『青春の夢いまいづこ』という映画を見て呆然としました。主人公の青年が父とそっくりなんです。この映画を見て、親父は真似したんじゃないかと思うくらい(笑)。アナーキーで、享楽的で、権威は大嫌い。デカダンスな昭和のモダン・ボーイです。映画は早稲田大学が舞台なんですが、親父も早稲田でした。


そこまで言われたら見るしかねーと中古のVHSビデオを買ってみたが、宮崎が言うほどアナーキーで享楽的で権威が嫌いでデカダンスでモダンボーイな主人公かと言うと、ぼくにはそうとも思えなかった。サイレント映画になれてないせいかなー、と諦めて寝落ちしかけたとき、主人公の名前が引っかかってきた。

堀野哲夫・・・。
3人目の「堀」だ。

つづく


※おまけの引用

若いころから、おやじを反面教師だと思っていました。でも、どうも僕は似ていますね。おやじのアナーキーな気分や、矛盾を抱えて平気なところなんか、受け継いでいる。(『おやじの背中』朝日新聞 1995年9月4日付)



風立ちぬ(2)〜四歳で体験した戦争の記憶(キネ旬)

zerofighter in TOKOROZAWA

宮崎駿が、自分の親父さんについて語ったものが初めて印刷物になったのは、1995年7月の『キネマ旬報臨時増刊』に収められた『宮崎駿講演採録 アニメーション罷り通る(なごやシネフェスティバル’88)』だと聞いている。ここで宮崎は4才で体験した戦争の記憶を語り、それは「創作の原点を窺うことのできる貴重な講演」であると解説がついている。

今となっては余りに有名な講演だが、知らない人のために部分的に引用してみよう。
まず「創作の原点」について。

僕は映画を何本かやって来ましたけれども、「本当の悪役がおまえの映画には出て来ない」ってよく言われるんです。どっかで善い人になっちゃったり、一生懸命になるとたいてい善い人になっちゃいますから。

「人間の掘り下げが足りない」とか「一人の人間の中にある悪とか愚かな部分に背を向けて、肯定的な部分とか善いものだけを出してるんじゃないか」、例えば今度の「となりのトトロ」なんか全くそうです。はっきり意図的にやりました。こういう人達がいてくれたらいいなあ、こういう隣の人がいたらいいなあ、っていうふうに。

実はそのことで今日お話しようと思ったのは、自分の子供の時の体験がたぶん自分をそういうことにさせてるんじゃないか、と思ってるんです。この話はもう五十歳近くなってから平気でしゃべるようになったんですが、父親と母親のことに絡んでるものですからつい最近まで全然しゃべりたくなかった話なんです。


そして話題は「4才時の戦争体験」に移っていく。
戦時中の宮崎家は宇都宮で軍需工場を経営していて、「我が一族の歴史の中では1番景気が良かった」そうな。
やがて終戦間際の7月、事件は起こる。空襲に襲われた宮崎家はトラックに乗り込んで避難しようとするが、そこへ小さい女の子を抱いた近所の女性が「乗せてください」と駆け寄ってくる。しかし宮崎家のトラックは、その女性を見捨てて走り去ってしまう。

自分が戦争中に、全体が物質的に苦しんでいる時に軍需産業で儲けている親の元でぬくぬくと育った、しかも人が死んでる最中に滅多になかったガソリンのトラックで親子で逃げちゃった、乗せてくれ言う人も見捨ててしまった、っていう事は、四歳の子供にとって強烈な記憶になって残ったんです。それは周りで言ってる正しく生きるとか、人に思いやりを持つとかいうことから比べると、耐え難いことなわけですね。それに自分の親は善い人であり世界で一番優れた人間だ、っていうふうに小さい子供は思いたいですから、この記憶はずーっと自分の中で押し殺していたんです。それで忘れていまして、そして思春期になったときに、どうしてもこの記憶ともう一回対面せざるを得なくなったわけです。


ぼくはこの「キネ旬」を蒲田のアパートで読み、ショックのあまり呑川に身投げしそうになった(嘘です)。
少年時代のぼくは、宮崎駿のまき散らす反権力、反体制の雰囲気に激しく憧れたもんだったが、何だ、本人はブルジョワだったのかよ! そういや大学は学習院だっけ。ブルジョワの、上から目線の贖罪意識で「トトロ」を作られたんじゃあ、俺らがミジメすぎるぜ!!

当時のぼくは、宮崎があの時女性を見捨てた父親への失望と、それに続く倫理観の崩壊から左翼活動に走り、さらには貧乏人への贖罪意識から「ハイジ」や「コナン」や「トトロ」で徹底的な善人を描いたのだと理解した。つまり、親父さんへのルサンチマンこそが宮崎駿の「創作の原点」であって、ハイジの笑顔の後ろにはドロドロとしたニヒリズムが存在してるのだと、怖くなった。そしてぼくは漫画版の「ナウシカ」だけが宮崎の本当の顔で、あとは欺瞞やウソなんだと思い込むようになり、『ゲド戦記』の騒動も、さもありなんと冷ややかに眺めていたのだった。

・・・以上、もしかしたら同じような経緯を辿った同世代もいるかと思って自分語りをしてみたが、今となってはもちろん、ぼくの宮崎観はとんだ勘違いで、読み違えだった。
たしかに、青年になりかけの宮崎少年はこの世に厳然と存在する貧富の差という不公平に直面して、「自分が生まれてここまで生きて来たってことの根本に、とんでもないごまかしがある」とまで思いつめる。しかしそれに続く発言はこうだ。

 これはとっても辛いことでした。当然親とも喧嘩をして、それでもやっぱり親に、あの時なぜ乗せなかったのか、と僕はとうとう言えなかったんです。なぜなら僕も今だったら自信がないんです。僕が今、その場の父親や叔父貴の側に立ったら、車を止めるかどうかよくわからないんですね。

その時に「乗せてくれ」って言ってあげられる子供が出てきたら、たぶんその瞬間に母親も父親もその車を止めるようにしたんじゃないかと思うんです。例えば自分が親で、子供がそう言ったら僕はそうしただろうと思うんです。

でも僕はその時に、人間っていうのはやっぱり所詮「止めてくれ」って言えないんじゃなくて、言ってくる子を出すようなアニメーションを作りたいと思うようになったんだ、ってこの年になって思い至ったんです。


4才で人間のエゴイスティックな本性を知った宮崎は、だからこそ「こうあってほしい、こうあったらいいな」と本人が言うような映画作りを徹底する。このとき宮崎が、内心のニヒリズムやルサンチマンを隠して自分にさえ嘘をつき、営業スマイルを浮かべて子供好きのおじさんを演じてるわけじゃないことは、今では疑う余地がないだろう。

なぜって、宮崎駿の最新作『風立ちぬ』は、”美しいもの”だけを追った人を描いた映画だからだ。

つづく

風立ちぬ(1)〜小冊子『熱風』

熱風

話はいきなり宮崎駿に戻る。

2013年7月に発行されたスタジオジブリの小冊子『熱風』には、正直参った(笑)。
ここに宮崎駿の名義で寄稿された文章のタイトルは『憲法を変えるなどもってのほか』で、文中でも「本当に日本が嫌いになりました」「情けない戦争だったんだ」「本当に日本人はダメだと思いました」などと反日的発言の連発。
このブログで、宮崎駿が左翼を辞めたことを嬉々として取り上げた身としては、腹立たしいやら恥ずかしいやらで、思わず印刷したPDFを破り捨てそうになり、該当記事には夜中にコソコソ言い訳がましい「追記」を加えたりしたもんだった(参考記事)。

しかしそんな厄介な文章は、今では良く知られているとおり、落ち着いて熟読するとそれほど「反日」でもないし、もちろん左翼っぽくもない。いたって中立的な論説だ。これは続いて収録されている鈴木敏夫の典型的なお花畑思考(『9条 世界に伝えよう』)や、反米のクセに9条を喜ぶ高畑勲の教条的左翼思考(『60年の平和の大きさ』)と読み比べることで、すぐに腑に落ちることができる。

例えば宮崎駿が批判的に語ってる満洲事変について。
宮崎は、日露戦争が終わった時点で遼東半島は中国に返還すべきだったと、当時の朝日新聞が聞いたら猛烈にバッシングしそうなことを言っている(笑)反面、「(そういう発想は)帝国主義の時代ですから世界にもなかった」とか「日本だけが悪人と言うことではない」などと、及び腰なフォローも入れている。
これは生粋の左翼から見れば「日和り」以外の何物でもないだろう。悪いのはあくまで日本だけであって、白人の侵略は「きれいな侵略」だし、現在の中国の侵略は「少数民族の保護」のはずだ。

まぁなかには、慰安婦に賠償しろとか、領土問題は折半か共同管理しろとか、互いの事情や実情を無視した戯れ言も散見されるんだが、それでも「尖閣諸島なんか明け渡しちゃえばいいじゃない」などと宣うホリエモンなんかよりは、よっぽど「中立」だ。しかも宮崎駿にとっては、慰安婦や領土の問題などは、「そんなことよりも」と他の話題に移ってしまってもいい程度の問題でしかない。

ならばと、宮崎駿のいわゆる「歴史認識」をいちど棚上げしてみると、およそ元左翼の運動家とは思えない宮崎駿の「現在地」のようなものが見えてくる。
いくつか興味深い発言を引用していく。

僕は「自分の命よりももっと大事な大義があるんじゃないか」とか、「そのために死ぬんだ」と思って、そっちの方へ、ガーンと行ってしまうタイプの人間なんです。もうちょっと早く生まれていたら、絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした。

 かつて、スイスやスウェーデンという中立国に憧れたことは事実でした。平和の国があってハイジが走り回ってるんだっていうイメージしかなかったから。でも、実際は違うわけで、非武装中立ということは現実にはあり得ないです。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃいけない。ただ、それ以上は「ちょっと待て」というのがやっぱり正しいと思うんです。

前にも言いましたが、今、はっきりしなきゃいけないのは、産業構造をどうするかという問題です。「自分たちの食うものや着るもの、住むものは自分たちで作ろう」という思想を持たずに、ただ消費して、あとは全員がサービス業みたいな、そんな国にしたってしょうがないし、うまくいくわけがないに決まってます。(中略)要するに今の世界中を覆っている、このマーケット中心のやり方というのはダメなんです。


ここで特に注目したいのが引用の3段目で、ストレートにグローバル経済を否定しているのみならず、明らかに「国境」を意識した考え方が見受けられると思う。左翼が標榜する「地球市民」や「世界政府(あるいは無政府)」とは180度異なる、いたって保守的な国家観だ。
まぁそれもそのはずで、かつて宮崎駿が「心情左翼」をやめたのは、ソ連やベルリンの壁の崩壊のせいじゃなくて、ユーゴスラビアが前時代的な「民族主義」に回帰していったことが理由だった。つまり、人間が「進歩」を求めず、国境の中に戻っていった現実から、宮崎は目をそらさなかったというわけだ(※)。

さて、ではそんな元は軍国少年予備軍で、心情左翼はやめて、保守っぽい世界観をもつ宮崎駿の憲法観とはどんなものか。宮崎は本当に「憲法を変えるなんてもってのほか」と言ってるのだろうか。

もし本当に戦火が起こるようなことがあったら、ちゃんとその時に考えて、憲法条項を変えるか変えないかはわからないけれど、とにかく自衛のために活動しようということにすればいいんです。立ち上がりは絶対遅れるけれど、自分からは手を出さない、過剰に守らない。そうしないと、本当にこの国の人たちは国際政治に慣れていないからすぐ手玉に取られてしまいます。

 憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです。(中略)多数であれば正しいなんてことは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない。


宮崎が「もってのほか」と言ってるのは、現実的な手続きについてであって、狂信的に何が何でも改憲は認めんと騒いでるわけじゃあない。実際に領土が侵されたとき、それに対する国民の論議の結果としての改憲はアリだと言ってるように、ぼくには聞こえる。
高畑勲のように、日本人はバカだから歯止めとしての9条が必要だと自虐したり、鈴木敏夫のように、9条がある国を侵略できるわけがないと夢想したり、そんなのとは異なるいたって現実路線の話を宮崎駿はしていると、ぼくには思える。尖閣諸島を失うのは痛いが、それによって沖縄や対馬の自主防衛論が巻き起こると言うのなら、それはそれで議論の俎上には乗せられるのだ(日本人をバカ扱いする人や白昼夢を語る人とはお話する気になれないが)。



というわけで、以上、小冊子『熱風』2013年7月号から見えてくる、宮崎駿の「現在地」のようなことを考えてみた(たしかYouTubeにもっと詳しく解説した動画があったと記憶する)。口の悪いオヤジでいちいち腹が立つ物言いだが、少なくとも反日的でも左翼的でもない。というか、かつてのお仲間に遠慮もしなければ擦り寄ることもなく、正直に自分の言葉を語ってる姿は痛快にさえ思える。もしも、「日本が嫌いになった」とか「日本人はダメだ」とか、余計なこと(笑)を言わなければ、あれだけネットで叩かれたりもしなかっただろう。

しかし宮崎には宮崎で、日本や日本人を嫌ったり失望したりする理由があったはずだ。
それをこのPDFから探すなら、どうやら実のお父上の話題がカギになりそうだ。

 後にロバート・ウェストールが書いた『”機関銃要塞”の少年たち』などを読んだ時に「あ、この人は俺の先輩だ」と思いました。主人公は戦時下の少年で、大人たちが「戦争、戦争」と言いながら、まじめに戦争をやってないことに腹を立てている。それが自分と周りの世界との境目を、見極めるきっかけになっているんです。


宮崎から見て、そんな「まじめに戦争をやっていない」大人の代表が、実の親父さんだったようだ。曰く「現実主義者でニヒリスト」「天下国家、俺は知らんというような人物」「徹底した刹那主義者」「世界情勢がどうこうということを認めたくなかった」「大局観なし」とボロクソだ。
若き日の宮崎は、そんな父にも戦争責任はあるはずだと中二病を起こすが、親父さんはそんなものを背負う気は全然なく、戦後もすぐにアメリカ人と友人になって「家に遊びに来い」と誘ったそうな。要するに「節操がない」・・・。

ぼくが見るところ、どうやら宮崎青年はそんな親父さんと「戦後日本」(あるいは戦後日本人)を同一視していたような気がする。
そもそも宮崎は「アメリカ人からチューインガムやチョコレートをもらうような恥ずかしいことはできない、そう思うような子どもでした」というが、同じような感慨を語ることのある松本零士は左翼思想には走らず、素直にやや反米的で、かなりアンチグローバリズムな名作群を生み出した(参考記事)。
この二人の違いに、少年時代の家庭環境を考慮するのは全くの間違いではないだろう。
松本零士の父親は、軍オタ少年予備軍の宮崎駿には憧れの的であるはずの、陸軍航空部隊のパイロットだったのだ。

長くなったので、つづく


※なお、別の対談で宮崎は、30年後にはアジアにEUができると言われて頷いているが、それは日本が望んでそうなるというより、結果的にそうならざるを得ないという消極的な未来予想を意味していると思う。ルーピー鳩山がいうような積極的な「東アジア共同体構想」とは似て非なるものだろう。