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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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ヤマタイカの旅 -九州編その1

阿蘇くまもと空港

邪馬台国の女王、卑弥呼の巨大祭器「オモイカネ」を探すため、久高島を旅立った伊耶輪神子と神女たち。その神子を追う熱雷草作と岳彦の親子が到着したのは、九州は熊本空港だった・・・。ならばマンガ『ヤマタイカ』(星野之信)の舞台をめぐるぼくらの旅も、阿蘇くまもと空港から再開だ。

チブサン古墳

まず神子が向かったのは山鹿市にあるチブサン古墳
おそらく古代史ファンには普通の光景なんだろうが、どこにでもある田舎町の、民家や畑が点在する生活圏のすぐ隣に古墳があって、ぼくら門外漢にとってはビックリだった。

ここで神子が見ていたものは装飾壁画に描かれた人物像で、『ヤマタイカ』ではそれを、三本角の王冠を被って両手を広げている「卑弥呼」だと見なしている。なお、マンガが連載されていた1986〜91年頃は、古墳の内部に自由に入れたようだが(笑)、現在は管理する山鹿市立博物館に見学の予約をする必要がある(写真は駐車場に設置されたレプリカ)。

阿蘇山

お次は、『ヤマタイカ』ではズバリ卑弥呼の居城があった場所とされ、元々は「オモイカネ」が埋められていた聖域とされる、阿蘇
死ぬまでに一度は見ておきたいと願ってきたが、今回、運良く阿蘇山公園道路が開放されていたので、中岳火口に近づくことができた。次々と立ち上ってくる白煙が、一気に数十メートル舞い上がっていく様子に中国人観光客が大喜びしていたが、そういえば中国には活火山がないんだっけ?(白頭山だけ?)

天安河原宮

宮崎県に移動して、高千穂町の天岩戸神社へ。
『ヤマタイカ』に出てきたのは西本宮に隠された「天岩戸」じゃなくて、道路を下って岩戸川をさかのぼった河原にある「天安河原宮」。アマテラスが岩戸に隠れたとき、思兼神ら天津神の皆さんが対策を相談した場所だそうな。

西都原古墳群

南にクルマを走らせて、西都原古墳群へ。
だだっ広い草っ原に300以上の古墳が並ぶ、日本最大級の古墳群だとか。

一つだけ横穴式石室が開放された珍しい形状の古墳(鬼の窟古墳)があったので入ってみたが、こんだけ目立つのにマンガに出てこないのは、連載当時まだ発掘されてなかったのかも知れない。

神武天皇をお祀りする宮崎神宮に立ち寄った後、『銀河鉄道999』に出てきそうなカッコいい列車で大分へ。別府の温泉旅館で食ったシマアジは格別の味わいであった。

宇佐神宮

宇佐神宮・・・。

『ヤマタイカ』に登場する奈良東大寺の高僧によれば、西の宇佐、東の伊勢は、大和を"火"から鎮護する要として、東西の火山地帯との境界上に造営された二大神宮だという。それは大和を守るための巨大な結界であり、長年に渡って、ある"力"の侵入を防いできた、とも言う。

その"火"、そして"力"とは何か!!


・・・と、それはまぁネタバレになるのでマンガを買って読んでいただきたいが、読む際にはひとつ注意が必要な点がある。SFとしては不朽の名作である『ヤマタイカ』だが、日本の古代についての歴史観が古すぎるのだ。昭和末期から平成初期に書かれたんだから当たり前で、『宗像教授シリーズ』など読めば、星野氏がいつでも最新の情報をマンガに活かしているのは明らかだ。

んでは、『ヤマタイカ』の歴史観がどう古いかと言えば、まず「縄文と弥生の対立」があげられる。
BC300年頃、北九州に「スマートな弥生式土器と本格的な稲作文化」をもった「渡来人」が押し寄せて、原住民である縄文人を圧倒。渡来人の力で日本は弥生時代に発展し、あわれ縄文人は、蝦夷やら熊襲やら琉球やらへと押しやられてしまった・・・てな話。

それと「邪馬台国東遷説」。
AD250年頃、邪馬台国の女王・卑弥呼が亡くなると、「渡来系の実力者」がクーデターを起こして実権を奪う。彼こそが後の神武天皇であり、神武率いるニュー邪馬台国が東遷して大和に樹立した政権が、のちの大和朝廷だ・・・てな話。

これらがどう古いのかと言えば、まず前者だと、弥生時代はBC300年頃とかではなく、紀元前10世紀後半に始まったというのが最新情報らしい。2019年3月に出た『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』(関裕二/PHP新書)によれば、炭素14年代法によって弥生時代の始まりが紀元前10世紀後半の可能性が高くなり、その結果

「北部九州に渡来人が稲作をもたらし、一気に日本列島を稲作文化が席巻した」というかつての常識は通用しなくなった。


とある。また、最新のDNA研究の結果として、「かつて信じられていたような大人数の移住の可能性は低く、少人数が何回かに分かれてやってきた」という科学者の推理を紹介しつつ、こう結論づけてある。

弥生時代や古墳時代は、かつて盛んに推理されていたような「渡来系の一方的な制圧、侵略」「渡来人が先住民を駆逐した」のではなく、大陸や半島を追われた人たちが、染み込むように日本列島に拡散し、定住し、先住民と融合し、稲作をはじめ、人口爆発を起こしていたと考えられる。


要は、100年200年でわーっと変わったと思われていたものは、実は1000年かけてゆっくり変わっていたことだった、縄文と弥生には対立なんかは存在せず、長い長い年月をかけて溶け合っていったのだ、というのが2019年の考え方。

それでは後者の「東遷説」はどうか。
こちらの否定のされ方は、時間が引き延ばされたとかいう次元の話ではなく、全くの逆転の衝撃だ。

2019年5月に出た『日本の誕生 皇室と日本人のルーツ』(長浜浩明/WAC)によれば、卑弥呼の後継者どころか、神武天皇は卑弥呼より300年も前を生きた人なんだそうだ。長浜さんの説をとれば、神武天皇と卑弥呼の間にはなんの縁もゆかりもなく、ヤマト王権と邪馬台国もまったくの無関係ということだ。

長くなったので、詳しくはつづく