プロフィール

竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
一つの 「カテゴリ」 で一つの記事となってます(記事は古い順に並んでます)。同世代のおっさん向け。

カテゴリ
もくじ

全ての記事タイトルを表示する

ブログ内検索
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

主要記事
リンク
応援中
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

フリーエリア
趣味 - シュミラン

大阪出張

港
大阪。
ちょうどぼくがカメラを持って立っていた場所からは、50数年前にゴジラとアンギラスが上陸した港が一望できた。正面に見えるクレーンがゴジラのサイズだろうか。『ゴジラの逆襲』の主人公、月岡は、まさにこの場所からゴジラとアンギラスの死闘を見ていたのだ。

というのは真っ赤なウソだが、大阪では不思議なことにエスカレーターで右に寄って立つ。東京はもちろん左。
さて、これは西日本のマナーなのかと思ったが、たしか岡山や広島は左だったので大阪だけなのかもしれない。アメリカ式なのだろうか。
全く関係ないが、府の役人と話をしたところ、ベンツに乗って生活保護を受けにくる人って本当にいるらしい。てっきり都市伝説だと思っていた。

大阪の後は高松に。
高松駅というのは面白いところで、海が近いために電車の線路が一方向しかなく、駅を見ている限りでは「地の果て」のように見える。なるほど日本の全ての線路は高松で終着するというわけか、としばし感慨にふけってみたが、よく考えてみると鹿児島や長崎もそうだった・・・。

移動の車中で『モスラの精神史』を読了。
評判どおり、モスラについてのトリビア本の決定版だろう。ただいかんせん、記述がやや教科書的で迫力に欠ける。ぼくも一応、博士の端くれなのでアカデミズムの窮屈さは熟知しているつもりだが、この本は文芸の新書なわけだし、もう少し大胆な推論なども読みたかった。
もちろんぼくの方は、例によって妄想全開でモスラについて書いてみようと思っているところ。

鹿児島出張

P1000018.jpg
モスラが破壊した小河内ダム。
ではないが、仕事がてら、道の途中で鶴田ダムに立ち寄った。ダムを見ると、いつも『ヤマタイカ』(星野之宣)の一説を思い出す。

古代から日本人はケタはずれに巨大な”依代”をつくりあげ崇拝してきた。“巨大なるもの”こそ小さな日本列島のもっとも原初的な”神”のイメージだったかもしれん

しかし現代の日本では、巨大なダムは崇拝どころか、さまざまな圧力団体に体よく餌食にされている存在だ。実際には、慢性的水不足の沖縄などでは、ダム反対の声はほとんど聞かれることはない。必要性を十分に感じているからだろう。

鹿児島での楽しみといえば、ぼくにとっては芋焼酎につきる。娘がにおいを嫌がるので、あまり自宅では飲めないのだ。聞きかじりだが、鹿児島で人気がある焼酎を「3大エム」というそうだ。「森伊蔵」と「魔王」そして「村尾」がそれ。今回は「村尾」にありつくことができたが、感動的にうまかった。しかも、ちょっと人気が出るとすぐにプレミアがついてしまう日本酒と違って、安い。
おかげで2晩連続で飲み過ぎてしまい、持参していったDVDを観る機会を失った。

持っていったDVDは、NHK『日本人はるかな旅』。
この第2巻に鹿児島の上野原遺跡の話題が出てくるとのことだったが、結局観ずじまいで持ち帰った。
まあ、DVDなんていつでも観られるが、うまい焼酎は滅多に飲めないので一向に構わないが。

雑誌

特撮ニュータイプ

角川書店から発行されている『特撮ニュータイプ』という雑誌に、切通理作さんによる田口成光へのロングインタビューが載っているという話があったので、早速買って読んでみた。
田口成光はウルトラシリーズの脚本家で、『タロウ』『レオ』のメインライターだった人。しかし実は『ウルトラマンA』でもエースキラーやヒッポリト星人のエピソードを書き、実質的なメインライターだったとぼくは思っている。
ちょうど次は『ウルトラマンA』について触れる予定だったぼくとしては、是非とも知っておきたい人物だったのだが・・・。

残念ながら今回は助監督時代の撮影裏話が中心で、脚本については次号にて、とのこと。
拍子抜けしてしまったが、雑誌連載だし、やむなし。

ただ、問題は1500円のこの雑誌、他に読みたい記事が全くないこと!
切通さんの記事は3ページなので、1ページ500円か・・・。
しかもこの表紙・・・。
店じゃ絶対レジに持っていけんだろうなあ、41歳のおっさんとしては(こういうときAmazonは便利だ)。


<1/18追記>
次号の田口成光インタビューはかなり充実したものであるようです。
詳しくはこのエントリーのコメント欄を。



<知人への業務連絡>
本業が忙しくなってきたので、しばらくブログは休む。
糖尿で入院とかじゃないので心配なく。

特撮ニュータイプ 3月号

特撮ニュータイプ

角川書店から発行されている『特撮ニュータイプ』3月号。
作家・切通理作さんによる田口成光インタビューの第2弾。今回は「シナリオ編」。

ぼくは25年ぶりにオタク趣味を復活させたおっさんなので、ウルトラマン関係の同人誌とかは一切読んだことがないし、インターネットで他の人が書いたウルトラマンの記事を読んだことも、ほとんどない。だから、田口成光についての知識は全くと言っていいほどない。
それでこのインタビューにはかなり期待していたわけだが・・・。

さすがに期待通りの内容だった。
第二期ウルトラについて漠然と感じていた、違和感とか疑問の全てが氷解した。なるほど、そういうことだったのか・・・。
詳しく引用したい気持ちに駆られるが、最新刊なので遠慮して、小見出しだけにとどめたい。

・弱さを指摘されるMAT
・揺れ動く子どもの心
・本当は人間が怖い!?
・ウルトラ兄弟の誕生
・ウルトラマンは解決しない
・ウルトラマンとの訣別

わずか3ページの記事だが、250ページ近くある『僕らのウルトラマンA』(辰巳出版)の1000倍ほど役に立った。

もちろん不満もあって、それは切通理作さんが、どういう質問を田口成光にしたのかが書かれていない点だ。当たり前のことだが、インタビューの面白さは、質問者がどうやって対象から得たい答えを引き出したかのやりとりにある。おそらくこのインタビューも、凡庸な人が質問者であれば凡庸な記事になったはず。田口成光も、知らず知らずに切通理作さんが言わせたかったことを言わされただけなのだろう。

いずれ全文が掲載された本になるんだろうが、非常に楽しみだ。


<知人への業務連絡>
本業がパニック状態なので、しばらくブログは休む。
痔が悪化して入院したわけじゃないので、心配なく。

GMK ~『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

白目ゴジラ

話はここで、唐突にゴジラに戻る。

2001年に公開された日本映画に『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』という作品がある。略して『GMK』とも呼ぶそうだ。
Wikipediaによれば「第3期ゴジラシリーズ(ミレニアムシリーズ)の第3作」であり、「平成ガメラ3部作の金子修介監督が担当したことでも話題になった」そうな。「本作ではゴジラは第1作のみを踏まえ、以降日本には怪獣は全く現われなかった設定となっている」ともある。

あらすじは簡単で、約50年ぶりに日本を襲うゴジラを、日本列島に古代から眠る「護国聖獣」なる怪獣たちが覚醒して撃退する、というもの。「護国聖獣」は3体で、バラゴン(婆羅護吽)、モスラ(最珠羅)、ギドラ(魏怒羅)がそれだ。ギドラはキングギドラに変異すると「千年竜王」とも呼ばれる最強の存在になる。

この作品で特に興味深いのは、「ゴジラ」という存在についての解釈だろう。
劇中で「護国聖獣伝記」の著者と目される伊佐山嘉利という古老は、ゴジラを「強烈な残留思念の集合体」だと言う。いわく、「ゴジラには太平洋戦争で命を散らした数知れぬ人間たちの魂が宿っているのだ」。
では何故ゴジラが日本を襲うかについての、伊佐山老人の回答はこうだ。
「人々がすっかり忘れてしまったからだ。過去の歴史に消えていった多くの人たちの叫びを。その無念を」

今さら言うまでもないが、こういったゴジラ解釈は(ぼくの知る限りでは)評論家の川本三郎さんが世に広めたものだ。
あらためて引用すればこうだ。

そしてこのとき『ゴジラ』は「戦災映画」「戦渦映画」である以上に、第二次世界大戦で死んでいった死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちへの「鎮魂歌」ではないのかと思いあたる。”海へ消えていった”ゴジラは、戦没兵士たちの象徴ではないか。

東京の人間たちがあれほどゴジラを恐怖したのは、単にゴジラが怪獣であるからという以上に、ゴジラが”海からよみがえってきた”戦死者の亡霊だったからではないか。
(「ゴジラはなぜ『暗い』のか」/『今ひとたびの戦後日本映画』)

というわけで、つまりは有名な川本解釈を下敷きにして制作されたのが、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』という映画だったと見て、ほぼ間違いない。そしてそのゴジラ解釈自体は、おそらく古くからのゴジラファンの人々をニヤニヤさせたことだろう。

ところがさすがに50年も経ってから「ゴジラ第2作」をリメイクしたせいか、このゴジラ映画には肝心な視点がひとつ脱落してしまっている。劇中で、自衛隊高官の父親とテレビレポーターの娘のあいだには、こんな会話が交わされる。

父「太平洋に散った英霊たちは、日本を守るために戦って散った。それがなぜ、ゴジラになって日本を攻める・・・?」
娘「犠牲になったアジアの人々と、アメリカ人と、原爆で死んだ日本人と・・・それが、こう、ひとつになったんじゃない?」

この映画に抜けている視点はもうお分かりだろう。
ゴジラを生み出したのは「アメリカの核実験」だという厳然たる事実が、この作品からは脱落しているのだ。だから娘は平気でゴジラのなかに「アメリカ人」が混ざっていると言ってしまうことができる。

しかしそもそも何故、「太平洋に散った英霊」たちは戦争が終わって9年も経ってからよみがえり、東京を破壊しに来たのか? アメリカの核実験でその眠りを覚まされたのだから、彼らは本当ならアメリカを襲うべきだろう。それが何故、東京へ向かったのか? 
それは「英霊」たちが日本人であり、彼らが1954年の日本に対して激しい怒りを感じたから、だとぼくは思う。

それは、彼らがその若い命を投げ捨ててまで守ろうとしたこの祖国を滅ぼした「アメリカの核」そのものによって、戦後の日本の安全が守られているという現実だ。だから彼らは、東京に「核」の脅威をまき散らし、あの「原爆」の恐怖を再現した。この日本の「平和」は何なのかと。これは偽りの平和であり「欺瞞」ではないのかと。

こんなゴジラに「アメリカ人」が混ざっているはずはない。
ゴジラを生み出したのは漠然とした「人類」ではなく、「アメリカ人」単独の所為だ。こんなことは1950年代の日本人には常識であり、だからこそ『ゴジラ』は「反核映画」として受け入れられた。

「反戦」ではない。「反核」だ。
二度とあの「核」が使われないための警鐘として『ゴジラ』は作られた。二度と日本が戦争をしないように、作られたわけではない(詳しくは拙ブログ記事 ー ゴジラは反戦映画か?)。


実はそのことは、昭和ゴジラシリーズをひとつの大きな流れの中で捉えると、さらによく理解できることでもある。
ご存じのように、はじめは日本を襲う悪玉だったゴジラは途中で心を入れ替えたか、日本を守る善玉へと転身する。それまで東京を皮切りに、大阪、名古屋、横浜と、要は(当時の)人口の多い順に大都市を襲撃したゴジラだったが、これはゴジラを「強烈な残留思念の集合体」だと考えれば納得がいく。つまりゴジラを構成する「思念」が多いであろうと思われる順番で、戦没者ゴジラは「ふるさと参り」をした。

そんなゴジラの前に現れたのが、侵略兵器キングギドラと戦うために来日した南太平洋の「神」モスラだった。
モスラはここで、ゴジラとラドンに対し、モスラの言語すなわち「神」の言語を使って対キングギドラ共同戦線の申し出をする。この瞬間、ゴジラは「神々」の仲間入りをし、それはラドンも同様だった(クマソの神)。
その証拠として、この『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)、ゴジラはついに海へは帰っていかず、日本の地に留まった。守護神ゴジラの誕生だ。

続く『怪獣大戦争』で、ようやくキングギドラを撃退したゴジラとラドンのコンビはそれぞれの住み処へと戻っていき、ゴジラはその後はただ眠り続けた。『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』は人間が仕掛けた騒ぎによってゴジラが暴れただけで、ゴジラはただただ眠りたがっているようだった。

ところが1968年、事態は一転する。
怪獣総進撃』は、ゴジラをはじめとした「神々」が、小笠原の「怪獣ランド」に集められているシーンからスタートする。この措置は「国連科学委員会」が主導して計画したことになっているが、それではなぜ小笠原なのか?

簡単なことだ。
この年、長くアメリカ海軍の軍政下にあった小笠原諸島が、ようやくわが国に返還されたからだ。国連がどうのこうのという説明を無視してみれば、そこにはわが国が誇る最強の兵器である怪獣軍団が、もっともアメリカ領に近い場所に集結させられたという構図が見えてくる。そこはマリアナ、すなわち原爆を積んだエノラ・ゲイ号が発進した場所に、もっとも近い場所だ。
彼らは監視している。二度と「核」が日本本土に向けて飛ばないように・・・。

そんな昭和ゴジラの最後の戦いが、やはり返還されて間もない沖縄であったのは必然というものだろう。『ゴジラ対メカゴジラ』(1974)、ゴジラは沖縄土着の「神」キングシーサーと共闘し、「侵略者」を撃退した。

ここで見逃せないのが、劇中で初めて、アンギラスがシベリア方面の出身であることが明かされたことだ。ここにシベリアから蝦夷(バラン・バラゴン)本土の大都市(ゴジラ)熊襲(ラドン)琉球(キングシーサー)南太平洋(モスラ・マンダ)等に至る、日本にまつわる神獣による一大防衛ラインが完成した。その最前線は「怪獣島」がある小笠原・・・。

彼らは、アメリカの脅威から日本を守っているのだ。


思わぬ長文になってしまったが、もちろんこのゴジラ解釈はぼくが勝手に考えていることだ。
しかし日本の旧領土が回復するたびに、ゴジラがいつも最前線にあったのは歴史的事実だ。もしも台湾や朝鮮半島が日本に戻ってくるようなことがあったなら、きっとゴジラはそこでも戦ったことだろう。

という具合で、昭和のゴジラシリーズには否が応でも当時の日本の「戦後」が反映されていた。これは制作者が意図しようがしまいが、結果として作品に現れてしまったことだ。
そしてそのような「結果」には、常にアメリカの「陰」があった。

無論、これはゴジラシリーズだけに限った話ではない。


※ではなぜ2001年に公開されたゴジラ映画からは「アメリカ」が抜け落ちているのだろう。ぼくは専門家ではないので断言はできないが、もしかしたらその理由は、2001年には日本とアメリカの境界線が消失していたから、なのかもしれない。

つづく

LP

交響組曲ヤマト

小学校5年生の頃にお年玉で買ったLPレコードを、最近実家の倉庫にて発掘した。『ヤマト』の後ろにチラと見えるのは『イデオン』と『ナウシカ』のサントラ。

・・・しかし、再生環境がない・・・。


高校生の頃はオーディオ小僧だったもんだが、最近はiPodオンリーだなあ。
ちなみに最終的なシステムは、PL70LⅡ、DL103、AU-D907、NS1000Mだったような。分かる人には分かる、究極に凡庸なシステムというヤツですな(笑。


【知人への業務連絡】
しばらく忙しいので、こちらは休みます。このご時世、稼げるときに稼いでおかないと・・・。

業務連絡

普天間

どうにも本業が多忙になってきたので、しばらく中断します。
10月中旬頃に復帰の予定。

業務連絡

がんぷら屋さん

本業多忙につき、年内は更新できません。よいお年を。

業務連絡

しおり

本業のケツに火がついたので、しばらく休止します。

業務連絡

言志

一ヶ月ほど休止します。
(更新中のカテゴリは「風の谷のナウシカ」です)

ヤマタイカの旅 − 沖縄編

金城哲夫氏書斎

このブログの管理人、竹波エーイチが「竹」「波」「エーイチ」のおっさん3人の複合人格であることは既に書いた。
そんなぼくらの愛読書に星野之宣さんの『ヤマタイカ』があって、以前からマンガに出てくる史跡を回ってみたいという計画があった。んで昨年11月、ようやく時間の調整がついて、沖縄行きのJALに乗り込むことができたので、その記録を少々・・・。

那覇到着後、まず向かったのがウルトラ者の聖地、「松風苑」だ。言わずと知れた、金城哲夫先生のご実家で、このブログで散々金城金城言っておいて、今さら初訪問とはお恥ずかしい限り。哲夫先生のお兄様に案内していただいて、生前の書斎を見学、お墓ではないが何となく手を合わせた。
食事は「アグーしゃぶしゃぶ」とビールたくさん。

翌日は雨の中、まずは青山繁晴さんのご著書で知った、「白梅の塔」にお参り。
適当に立ち寄ったビーチで沖縄風ファストフード「てんぷら」を立ち食いしたあと、高校生でごった返す「ひめゆりの塔」は冷やかし程度に済ませ、本日のメイン「斎場御嶽(せーふぁうたき)」へ。

三庫理

斎場御嶽は昨今のスピリチュアルブームとやらで、かなり観光地化されていたが、『ヤマタイカ』でみた風景もそのまま残っていた。
一方、マンガだと「三庫理」の下の洞窟にヤマトの舟が隠されていたが、さすがにそんな洞窟はなかった。
とりあえず、東に見える久高島に向かって、何となく手を合わせた。

なお、これから斎場御嶽に行かれる人へのアドバイスとして、現地NPOのガイドさんは絶対に頼んだほうが良いことを付け加えておきたい。沖縄の宗教の知識がないと、ただの山歩きになってしまうからだ。ぼくらに付いてくれたのは年配の女性だったが、沖縄ギャグ炸裂で、爆笑の連続だった。

斎場御嶽の後は、お世話になっている先生に数年ぶりの挨拶に伺った。『ヤマタイカ』第1章「妣の国」冒頭で、「琉球大学理学部、木村正明教授」として名前だけ登場される先生だが、詳細は省く。

続いて向かったのは、久高島行きのフェリーが出る安座間港。
閑散とした港にはなぜか猫がウヨウヨしていて、ぼくらは猫と海を交互にながめながら、ぼんやりとビールを飲んでいた。今に思えば、喧噪もなく会話もないあの時間帯が、ぼくらが最も沖縄にフィットしていた時だったのかも知れない。

久高島へは小さなフェリーで30分ほど。
海上から見る島は、不自然なほど扁平な姿をしていた。
なぜか虹が、水平線近くにだけ見えた。

唯一空いていた「久高島宿泊交流館」に荷物を降ろした頃には日が暮れていて、ぼくらは道に迷いながら漆黒の中を歩き、「食事処とくじん」に入った。疲れが出てきたぼくはイラブー(ウミヘビ)の料理を注文したが、他の二人はヴィジュアル的にアウトだったようだ。ビールをしこたま飲み、帰り道でも小さな商店でオリオン缶を買い込んで宿に戻る。

久高島7時ごろ

朝の5時。
イラブーのおかげで早起きしたぼくは、一人で日の出を見に行った。
生活ゴミがまったくなくて、人が好む美しい貝殻は大量に残されているという不思議な浜に佇んでいると、気がつけば周りには10名ほどの人々・・・。

『ヤマタイカ』の登場人物、熱雷草作は、沖縄の創世神話について、アマミキヨとシネリキヨの二神、あるいはアマミクという女神の名を挙げて、「その神が東方のニライカナイという永遠郷から来て、あそこに見える久高島を経て、この斎場御嶽に上陸した」と説明した。すなわち、久高島から東方の日の出を見るということは、まさにニライカナイに対面することに他ならない。
やがて雲の隙間から日の出の太陽が輝くと、人々は思い思いに散っていったのだった。


朝食後、ぼくらは自転車を借りて島の探索に出かけた。
50才近いおっさん3人のサイクリング・・・。
東京なら通報ものだろう(笑)。

目指したのは斎場御嶽よりも格が高いと言われる、「クボーウタキ」だったが、途中、やはり聖地の一つである「ヤグルガー」に寄った。神女がクボーウタキに行く前に禊に使う、神聖な井戸らしい。海に面した崖に湧き水の名残があった。
聖地に対する畏れから奥まで行かずに去ろうとしたぼくらだったが、入り口で白装束の老婆を含む数人とすれちがった。本物の「ノロ」だ。
ぼくらは、手を合わせつつも写真を一枚頂戴し、早々に立ち去った。

久高島のノロ

『ヤマタイカ』ラストシーンに出てくる「クボーウタキ」は聖地中の聖地で、当然のことながら立ち入り禁止。
結界の外で写真を一枚だけ失礼して帰路につくと、先ほどのノロが乗ったクルマと又すれ違ってしまった。心の中で先回りの失礼を詫びて、宿に戻る。

驚いたのは、交流館の事務員の女性がノロだったことだ。
「あたしもノロですよ。最年少ですけど。たぶん自分で終わりです。もう数人しかいません」
沖縄信仰の伝統さえ守れずに、なにが琉球王国の独立か、と沖縄メディアに腹が立ったが、きっとそれはヨソ者の感傷に過ぎないのだろうよ。

そういえば、久高島に着いたあたりから、持参したiPhoneが二台とも誤動作を始めたのも不思議な出来事だった。バッテリ残量の表示が狂いっぱなしで、代わりに起動させたiPadも挙動が怪しい。Docomoのガラケーには問題が出なかったので、制作国が気にいらなかったのかも知れない。


本島に戻ったぼくらはクルマを北上させて北谷港の「金松」でビフテキを食い、嘉手納の「道の駅」へ。『ヤマタイカ』では復活した戦艦大和による艦砲射撃で壊滅した嘉手納基地だが、その日、展望スペースから見えたのは巨大な輸送機が二機。しばらく眺める。
それから首里城に向かったが、よく考えたら大して興味がないことに気付き、そこはスルー。
クルマを置いて、国際通りの一本裏の通りの料理屋でビールと海鮮料理を頼んだものの、疲れも出てきて早々とホテルに戻った。おっさんは体力がなくていかんな・・・。
最終日は、公設市場で朝からビールを飲みながら「ゆし豆腐」を食べ、みやげを買い、那覇空港でビールと昼食、ANAで羽田へ・・・。


1986〜91年に執筆された『ヤマタイカ』の史観が古臭いのは重々承知している。
今どき縄文人vs弥生人の対立でもないし、騎馬民族征服王朝説(笑)の影響も随所に見られる。それでも、自虐史観が蔓延していたあの時代に、日本民族とは何かという根源的な問いかけが描かれたことには価値があったとぼくは思う。「火の民族による祭り」という日本史解釈にも感心させられた。

だから、あくまで、今では否定されている史観に基づいた「まんが」として、『ヤマタイカ』は今後もぼくらの愛読書であり続けるだろう。そしてぼくらの旅も、熊本へ、阿蘇へ、高千穂へ、宇佐へ、と続く予定なんだが、それがいつになるのかは、自分たちでも分からないのだ。

つづく

読書

徹底検証「森友・加計事件」

小川榮太郞さんの『徹底検証「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)を読んだ。

帯に「"スクープ"はこうしてねつ造された 本当は何が問題だったのか?ー明かされる真相」とあるように、「もり・かけ騒動」の時系列を丁寧に追いながら、朝日新聞が日本国政府に対して仕掛けた「謀略戦」について詳述してある。

「はじめに」の中程にはこう書いてある。

 半年に及ぶ「安倍叩き」の間、安倍による不正、権力濫用の物証はただの一つも発見されなかった。
「もり・かけ疑惑」は国を巻き込んでの「冤罪事件」だったのである。
 しかもマスコミによる安倍追求がいつの間にか度を越して、おのずから踏み外しがあったという自然発生的な熱狂ではない。
 加害側には冤罪事件を計画、実行した「主犯」が存在するのである。
 いずれの案件も、朝日新聞である。


そう言われて、「その通りだ!」と思う人はこの本を買って周りに薦めるべきだし、「そんな馬鹿な!」という人は買って内容を確認すべきだろう。

本の「おわりに」に、「マスコミから国民の知る権利を奪還すべく」活動している会が紹介されているので、ここにもリンクを貼っておこう。
(社)日本平和学研究所
(社)国民の知る権利を守る自由報道協会
放送法遵守を求める視聴者の会