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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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ゴジラ映画は2度終わる ~『怪獣総進撃』から『ゴジラ対メカゴジラ』へ

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それは、時間を作っては少しずつ、年代順に昭和のゴジラ映画(東宝怪獣映画)をみていた時期のことだ。『ゴジラ対ガイガン』を観ていたぼくは、ふいにこんな疑問に取り憑かれてしまった。
「一体なぜ、ゴジラは戦い続けているのか?」

劇中でゴジラは、鮮血を噴き出し、片目をつぶされながら尚も強敵ガイガンとキングギドラのコンビに立ち向かっていった。一体どこに、そこまでしてゴジラが戦い続ける理由があったのか。あるいはゴジラを「戦わせる」理由があったのか。


昭和ゴジラシリーズについて多少なりとも調べたなら、それが本来は1968年の『怪獣総進撃』で完結する予定であったことがわかる。

11大怪獣が登場するという、東宝怪獣映画の総決算的作品である」「ところが、この映画が興行的に好成績を残したため、怪獣路線は存続されることになった(『ゴジラ大辞典』

だからゴジラは戦い続けた、というわけだ。

このような説明は一見明快で何となく納得してしまうものだが、実際にはぼくの疑問への答えにはなっていない。なぜならそれは、ゴジラ映画がその後も続いたことを知らなければ不可能な説明だからだ。
1968年、『怪獣総進撃』が制作されている期間においては、その後のことは分からなかった。そして、制作者たちは『怪獣総進撃』をもってゴジラ映画を完結させたつもりだった。かつて日本中で暴れ回った怪獣たちは、小笠原の怪獣ランドで平和に暮らしていくことになっていた。

しかしゴジラ映画はその後も作られ、ゴジラは血を流し続けた。つまり制作側の意に反して、『怪獣総進撃』ではゴジラ映画は完結してはいなかったということだ。
ゴジラシリーズを完成させるためには、いくつかのピースが欠けていた。そう考えることもできるはずだ。

そして結局は1974年の『ゴジラ対メカゴジラ』でゴジラ映画はようやく完結した。
あ、いや、もちろん翌1975年の『メカゴジラの逆襲」という映画があることは知っている。しかし、この映画のタイトルを見てほしい。この作品の主役はメカゴジラだ。前作で完成したゴジラに、メカゴジラがリターンマッチを挑んだのが『メカゴジラの逆襲』だったとぼくは思う。


『怪獣総進撃』から『ゴジラ対メカゴジラ』へ。
この間にゴジラは、ヘドラと戦い、ガイガンと戦い、メガロと戦った。しかしここに、第1作『ゴジラ』から『怪獣総進撃』に至るまでのような、シリーズとしての連続性はない。おそらく、戦う順番を入れ替えても特に支障はないだろう。
ではなぜ、ゴジラはこんな不毛な戦いを続けたのか。

理由があるとすれば、それは時間の経過ということではないだろうか。
『ゴジラ』が完結するためには、1974年という時が来るのを待たなければならなかった。ヘドラもガイガンもメガロも、時が満ちるまでの時間稼ぎに過ぎなかった。
それは、ゴジラに同時にふたつの出会いをさせるためだった。ひとつはメカゴジラ。もうひとつはキングシーサー。

このふたつの出会いは同時でなければ意味がなかった。ゴジラ本人の完成とゴジラシリーズの完結は、一つのストーリー上でしか達成できなかった。
だから『怪獣総進撃』の後も、ゴジラは戦い続けた。
そんなふうに、ぼくは今考えている。

では、ゴジラ本人の完成とは何か。
高橋敏夫という早大の先生が『ゴジラが来る夜に』という本のなかで、こう書いている。

ゴジラは、ゴジラじしんの力を、ゴジラじしんの強さを、ゴジラじしんの存在そのものを、そして、いうまでもなく、ゴジラじしんの意味を、確認し、反芻するためにだけ、メカゴジラとむかいあうのである。


高橋先生の言う「ゴジラじしんの意味」とは一体何だったのだろう。

ウルトラマンは第18話『遊星から来た兄弟』のなかで、ザラブ星人が変身した「ニセウルトラマン」と向かい合った。この時ウルトラマンが知ったこと。それは地球人から見れば、ウルトラマン=ザラブ星人であって、どちらも地球人類とは無関係な、赤の他人であるということだ。ザラブ星人は人間に問う。
「ウルトラマンこそ地球征服を狙う宇宙人ではないでしょうか?」
ウルトラマン(ニセ)が街を破壊していることを聞いた科特隊のムラマツ隊長は言う。
「たとえウルトラマンでも、この地球上で暴力をふるう者とは戦わなければならん」

ジャイアントロボは第22話『殺人兵器カラミティ』で、メルカ共和国が製造しBF団によって操られる自分のコピー品ロボット「カラミティ」と向かい合った。ロボの攻撃はすべて180度はねかえされ、ロボ自身を襲った。ロボは自ら放ったレーザー光線によって、視力を失った。しかし操縦者、大作少年の声に励まされ、ロボは立ち上がった。
この時ジャイアントロボが知ったこと。それは全く同じ性能として、全く同じ部品で作られたカラミティのコンピュータには存在しない、「こころ」を自分が持ち始めているということだった。


ゴジラが向かい合ったメカゴジラ。手当り次第に人間の文明を破壊し尽くそうというその姿は、20年前、初めて東京を襲った時の過去のゴジラ自身の姿に他ならなかった。メカゴジラは問いかけている。本来お前は文明の破壊者ではなかったのかと。

南海の孤島で、ゴジラは自ら吹きすさぶ嵐の中に身を投じると、何度も何度も落雷を受ける。じっと身を固めて、激しい電気ショックを耐え忍ぶ。それは、自分が今でも大自然の中にある者であることを確認するための作業のようだった。

ゴジラは再びメカゴジラに挑む。今度のメカゴジラは、最初から科学文明の粋ともいえるチタニウム合金の皮膚をさらしている。メカゴジラはまたもゴジラに問いかけているようだ。お前もまた俺同様に、人間のために戦う兵器ではないのかと。

メカゴジラの繰り出すフィンガーミサイルを受けて、ゴジラの全身から真っ赤な血が噴き出す。しかしこの時のゴジラは、まるでその痛みを楽しんでいるかのようだった。
そしてついに、ゴジラの本当の力が発現する。それは落雷という大自然がくれたエネルギーによって、ゴジラの肉体に宿った強大な磁力だった。ゴジラはその力でメカゴジラを引き寄せると、その首をへし折った。
ゴジラはメカゴジラとの戦いの中で、「ゴジラじしんの意味」を知っていったのだろう。


それでは、1974年のゴジラのもうひとつの出会いとは何だったのか。
それこそが『怪獣総進撃』に欠けていた最後のピースだったということになるが、それを考えるには1954年の『ゴジラ』にまでさかのぼる必要があるだろう。

つづく

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ゴジラは反戦映画か? ~東京大空襲と原爆

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ゴジラ』(1954年)には、たいていの場合「反戦」「反核」という単語がセットになって添えられることが多い。
このとき、たしかに『ゴジラ』が「反核」であることには疑いがない。もしも南太平洋で水爆実験が行われていなかったなら、ゴジラがこの世に誕生することはなかったからだ。

しかし「反戦」のほうはどうだろう。『ゴジラ』は怪獣映画であって戦争映画ではない。なのに『ゴジラ』のどこに、人は「反戦」を見るのだろう。
それを探るには、『ゴジラ』のなかでゴジラに与えられたイメージを、順番に追っていく作業が必要になるだろう。


『ゴジラ』において、ゴジラはまず「荒ぶる神」として語られる。
ゴジラが初めて日本の領土に現れたのは、伊豆諸島にある大戸島(おおどしま)だったが、その地には「ゴジラ伝説」とでも言うべき古くからの言い伝えがあった。

島の古老は言う。
「おそろしくでけえ怪物でしてね。海の魚を食いつくすと、今度は陸へ上がってきて人間までも食うそうだ。むかしは長く時化の続くときには、若え娘っ子をいけにえにして、遠い沖に流したもんだ。今じゃそんときの神楽がこうやって厄払いで残っているだ」

ここで古老の語る怪物のイメージの元祖は、日本神話のヤマタノオロチにさかのぼることができるだろう。Wikipediaにはヤマタノオロチについて、次のような記述がある。

オロチは水を支配する竜神を、クシナダヒメは稲田を表しているとみられている。すなわち、毎年娘をさらうのは河川の氾濫の象徴であり、それが退治されたことは、治水を表しているとする。


ヤマタノオロチが「洪水」の象徴であるように、ゴジラの大戸島への上陸は「台風」の象徴として行われる。激しい暴風雨の中で起こった惨劇は、それが本当にゴジラによるものなのか、それとも例年より台風の威力が増しただけなのか、現場に居合わせた東京の新聞記者にも断定できないギリギリの映像表現で表される。

しかし、『ゴジラ』はいつまでもゴジラに「荒ぶる神」のイメージにとどまることを許さない。「厄払い」であるはずの「ゴジラ神楽」に何の効用もなかった時点で、ゴジラから「荒ぶる神」のイメージは剥奪された。


続いて『ゴジラ』が語るゴジラは、それが山根博士言うところの「あの水爆の被害によって安住の地を追い出された」水爆の被害者であるということだ。
大戸島の調査を依頼された山根博士は、国会の特別委員会の求めに応じて次のように言う。
「(ゴジラは)おそらく海底の洞窟にでもひそんでいて、彼らだけの生存を全うして今日まで生きながらえておった。それが度重なる水爆実験によって、彼らの生活環境を完全に破壊された」

ここでは、破壊家屋17、死者9名(ついでに牛12、豚8の損害)という惨劇への恐怖よりも、「彼らの生活環境を完全に破壊された」ゴジラへの、山根博士の同情の念のほうが強く表現されていることがわかる。
「荒ぶる神」であったゴジラは、あっさりと「水爆の被害者」にイメージを変えている。


次のゴジラのイメージは何か。
ゴジラによる日本近海での被害状況を報じる新聞記事をめぐる三人の男女の会話は、わずかな言葉のやり取りの中で、ゴジラのイメージを二転させる。
「嫌ぁね、原子マグロだ、放射能雨だ、そのうえ今度はゴジラと来たわ。もし東京へでも上がりこんで来たら、一体どうなるの」「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な体なんだもの」と若い女。
「そろそろ疎開先でも探すとするかな」と若い男。
「あーあ、また疎開か」と年配の男。

「原子マグロ」「放射能雨」が、「長崎の原爆」につながり、最終的には「疎開」で締めくくられている。
ここで行われたことは昭和の時間の巻き戻しだ。「原子マグロ」に表される1954年という『ゴジラ』世界の時間は、1945年の原爆を経て、1944年の学童疎開にまで引き戻された。

そして、そうやって1954年に1944年がオーバーラップさせられた状況のなか、ゴジラの一回目の東京上陸が行われるが、このときのゴジラは沿岸地域の鉄道や橋を壊しただけで海に帰っていく。いわゆる威力偵察というものだろう。


続くゴジラの本格的な上陸に備える東京で、主人公の尾形は夜空を見上げ、今日こそ山根博士に娘の恵美子との結婚を許してもらおうと場違いな決意を固めている。
その尾形が何気なく見ている東京の夜景。しかしここには違和感がある。何本ものサーチライトが照らしているのはゴジラが来る海ではなく、何も来ないはずの夜空だからだ。

そしてついにゴジラによる東京の破壊が始まるわけだが、このときのゴジラの進撃ルートについて、木原浩勝さんという作家が『ゴジラ映画はいかに演出されたか』(『文藝別冊 円谷英二』)という文章の中で次のように語っている。

それは東京大空襲の再現(リプレイ)だったはずです。

東京大空襲であるならこう撮るはずだという仮説を立てて映像を見ていくと、その仮説通りに見える。

このとき、「疎開」という言葉によって1944年に巻き戻された時間が、「東京大空襲」のリプレイを通じ、再び1954年に向けて正転を始めている。

ゴジラの二回目の上陸によって焦土とされた東京の映像は、やがて被災者を収容する病院の映像に移っていく。カメラは次々と負傷した人々の痛ましい有様を映していくが、そのなかでも一番胸を締め付けられるのは、放射能に汚染されてしまったまだ幼い女の子の映像だろう。放射能反応を示すガイガーカウンターに静かに首を振る医師の姿を見れば、この後この少女がどのような運命をたどったかは、日本人であれば容易に想像がつく。
B29による東京大空襲のあとに日本人が体験する歴史は、核による被爆以外にはなかった。


最後にゴジラは芹沢博士の開発したオキシジェン・デストロイヤーによって滅ぼされるが、山根博士は弟子の死を悼みつつ、こう言う。
「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかもしれない」
過去に巻き戻された時間はここで完全に現在に復帰し、『ゴジラ』は終幕する。



さて、劇中で語られたゴジラについてのイメージはだいたいこんなところだと思うが、それではぼくらは『ゴジラ』のどこに「反戦」を見るべきなのだろうか。見ての通り『ゴジラ』には、ゴジラ自身が「反戦」を直接に訴えているようなシーンはどこにもない。
しかしその一方で『ゴジラ』が、1954年当時の日本人に、もう一度あの戦争を追体験させてしまう映画であったことも間違いない。ただしここで注意すべきは、そこには「日本人がアメリカ人にやられたこと」だけしか描かれていないという点だ。日本がアメリカにやったことには一切触れられることはない。
戦争というのはある程度までお互い様であるのに、これはあまりに一方的な表現だと言えるだろう。

この件については佐藤健志という作家が『ゴジラはなぜ日本を襲うのか』(『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』)という文章のなかでこう書いている。

太平洋戦争のイメージを、コンテキストを無視して(つまり日本人が被害者となった部分だけを)取りこむことによって、これらの作品は暗黙のうちに日本の戦争責任を免罪し、日本人の被害者意識を正当化してしまうのだ。


この説は、1954年当時の日本人のメンタリティーについての指摘という意味では正しいように思える。しかし、その「被害者意識」が、どうして「反戦」に結びついていったのか。
初めに言ったように、ゴジラが「反核」映画であることは疑いがない。ゴジラ映画に最も詳しい人間の一人である竹内博さんは、香山滋の原作を子どもむけに編集した『ゴジラ、東京にあらわる』の巻末の解説のなかで

この作品のテーマは、今なお世界各国で続けられている核兵器実験に対する反対と抗議です。


と書いている。
『ゴジラ』のテーマは「反核」であると、子どもたちに向かって断言している。
しかし、どこにも「反戦」だとは書いていない。もちろん、ちくま文庫『ゴジラ』に収められた香山滋自身による『トーク&エッセイ』を見ても、「反戦」という単語はみつからない。


では、原作者すら意識していなかった「反戦」が、どうして『ゴジラ』と結びついていったのか。
それは、佐藤健志の言う「被害者意識」の「薄れ」にあったとぼくは思う。
1954年当時の日本人、つまり戦中派の人々には、『ゴジラ』によって正当化された「被害者意識」と同時に、「加害者意識」もあった。戦争をしてしまったという罪の意識だ。
しかしこのとき注意しなくてはならないことは、戦中派の人々は、日本がどうして欧米相手の戦争に踏み切らなくてはならなかったかの理由を知っていたということだ。一般大衆にはそれすら知らされなかった、と広く喧伝されていることが事実無根のでっちあげであることは、佐藤優氏の『日米開戦の真実』などで完全に論破されている。

だからこのときの罪の意識とは、戦争に負けてしまったという結果に始まる。勝ってさえいれば「尊い犠牲」だったものが、全部まるっきりの無駄になってしまったという後悔だ。
つまり、戦中派の「加害者意識」とは、あくまで内向きのものだった。

しかし時が流れるにつれて戦争の記憶も遠いものになり、やがて戦中派も黙して語らなくなった。『ゴジラ』を観る者は、戦争を知らないこどもたちになった。そして、そんな戦後に生まれた子どもたちには、いわゆる戦後教育が施され、戦前の日本は丸ごと「悪」であると教えられた。同時に国民のアメリカ化も行われ、アメリカこそ戦前の「悪」の支配者から日本を解放した「正義」だとも教えられた。

では、そのような教育を受けた目には、『ゴジラ』はどのように映ったのだろう。

戦後生まれには、戦中派が欲した”被害者意識の正当化”という渇望はない。だから『ゴジラ』に癒しを求めているわけではない。戦後生まれにとっては、あの戦争は「他人事」でしかない。
しかし『ゴジラ』は、あの戦争で日本がアメリカにやられたことの再現劇だ。そこには今なお、ありありと空襲や被爆の恐怖だけが残されている。それだけを『ゴジラ』は繰り返し繰り返し、新しい世代に見せ続けていく。

ここに、戦前を「悪」だとして全否定する戦後教育を足してみれば答えはこうなる。
学校の先生は言うだろう。
「戦争の悲惨さを訴えているのが『ゴジラ』なんだよ。あんなバカな戦争をしたせいで、日本は焼け野原にされたうえ、原爆まで落とされてしまった。全部、むかしの日本人が招いた自業自得なんだよ」


『ゴジラ』を語る時、往々にして「反核」とセットにされる「反戦」。
それは要するに、アメリカと戦争をしたことの愚かさを指している。アメリカに逆らったから、あんなひどい目に遭わされた。だから日本はアメリカの言うとおりにすればいい。
『ゴジラ』が伝える「反戦」とは、結局のところ、そういうことだろう。

もう一度言うが、香山滋も円谷英二も『ゴジラ』に「反戦」のメッセージなど込めてはない。むしろそれは「反核」すなわち、アメリカに対する抗議だった。
ならば『ゴジラ』の「反戦」とは、何者かによって故意にねじまげられ、付け加えられた解釈だと言えるだろう。

『ゴジラ』は今も、日本人が自虐的であることを望む、ある人々によって利用されている。

つづく

ゴジラは誰なのか? ~「ゴジラはなぜ『暗い』のか」川本三郎

ゴジラ東京2

生粋の怪獣ファンを自認する小説家の八本正幸さんは『神獣の誕生』(『怪獣神話論』)という文章のなかで、次のような問題提起をしている。

先行する作品『原子怪獣現わる』があったにもかかわらず、リドサウルスではなくゴジラになぜこのような神性が宿ったのだろう?


ゴジラには「神性」がある。それが日本のゴジラとハリウッドのGodzillaを分ける最大の要因だとぼくも思う。ハリウッドのGodzillaは、所詮は用意されたエサ(魚)におびき寄せられるトカゲでしかない。
では、ぼくらは日本のゴジラのどこに「神性」を見るのだろうか?

おそらくそれは、ゴジラが「怒っている」ことにあるとぼくは思う。
古来、日本人にとっての「神」は、人間を救済してくれたりする親切な存在ではなかった。救済は「仏」の役目だった。日本の「神」はいつだって、怒り、祟る存在としてぼくらの前に現れる。
そしてゴジラも何かに怒っていて、東京に祟りをなした。
それがゴジラにぼくらが「神」を感じる理由だろう。同じく特撮ものの『大魔神』は、まさに日本人の「神」観をそのまま映画にしてしまったものだと言える。

しかし、それにしてはゴジラはなぜ日本を襲うのだろう?
日本は水爆実験もしていないし、何かゴジラの逆鱗に触れるようなことをしたような覚えはない。
ゴジラが怒り、祟りをなすべきは、水爆実験を実行したアメリカに対してではないのか?

八本さんの『神獣の誕生』によると、「『原子怪獣現わる』は『ゴジラ』の前年五三年にアメリカで制作された怪獣映画」だそうだ。そしてこの映画が『ゴジラ』の元ネタであることは、『ゴジラ』のプロデューサー田中友幸本人が認めていることでもある。

その、『原子怪獣現わる』のあらすじは、八本さんの要約によるとこうだ。

北極で行われた水爆実験は、氷の中で眠っていた恐竜を蘇らせてしまう。恐竜は放射能汚染されているため、放射性廃棄物に近い成分の血液を流し、かつての生息地であったニューヨークを襲うが、アイソトープ弾を撃ち込まれ、息絶える。


ここには『ゴジラ』では触れられなかった、ゴジラについての重要な指摘がある。それは、蘇ったリドサウルスが「かつての生息地」を目指した、ということだ。もしもゴジラが、リドサウルスのmade in japanであるとしたら、ゴジラも同じように「かつての生息地」を目指さなくてはならないのではないか?
だとすれば、ゴジラはそもそも、日本が出身地だと言うことになる。


『原子怪獣現わる』にインスパイアされたという田中友幸は、『ゴジラ』の初期の企画段階で、『ゴジラ』の寓意を次のように考えていた。
「人間が人間のために復讐されるという理念」『円谷英二の映像世界』
人間が人間によって復讐される・・・。
それでは田中の考えていたゴジラとは、もとは「人間」だったのだろうか?

ゴジラは劇中、古生物学の大家である山根博士により「200万年前」の恐竜の末裔だと説明された。しかし、言うまでもなく山根博士の言う恐竜たちの「ジュラ紀」は1億年以上前の時代で、200万年前といえばアウストラロピテクスが地上を闊歩していた頃だ。
では原作の香山滋はなぜ、こんなバカバカしいミスを犯したのか。「『ゴジラ』の誕生」(『円谷英二の映像世界』)のなかで、竹内博さんはそれをこう解釈している。
「つまり、人類の歴史に、ゴジラをオーバー・ラップさせているのである。ゴジラは人間自身の姿であると……」

ここでもまた、ゴジラは「人間」だと見なされている。
南太平洋に出現したゴジラは「かつての生息地」を目指すリドサウルスであり、同時に「人間」でもある。
だとしたら、ゴジラは、「彼」は、誰なんだろうか?
南太平洋で、一体、何が目覚めてしまったのだろうか?


ゴジラの二度目の上陸に備える東京の山根博士邸では、こんな議論が行われた。
山根恵美子との結婚を目論む尾形は、博士に言う。
「ゴジラこそ我々日本人の上に、今なお、おおいかぶさっている水爆そのものではありませんか!」
これに対し、ゴジラを殺すことに反対する山根博士は言う。
「水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きている生命の秘密を、なぜ解こうとはしないんだ!」

尾形の発言は、まさに佐藤健志の言う「被害者意識」丸出しのものだ。彼は、アメリカのせいでまたもや日本人が核の脅威にさらされていることを暗に訴えている。「今なお」、すなわち、あの原爆に次いで、ということだ。
しかしこの時、尾形はどうして「我々日本人」とことさらに限定したのだろう? 核の脅威にさらされているのは世界全体だと言うのに。

尾形によって唐突に飛び出した「我々日本人」という言葉。
それはそのあとに続けられる「放射能を受けながら、なおかつ生きている生命」が、ひとりゴジラだけを指しているのではないことを、ぼくらに告げているように思える。
ここでもまた、世界で唯一、原爆による放射能を受けた「我々日本人」がゴジラにオーバーラップさせられているのではないか。
つまりゴジラは「人間」であり「日本人」であるのではないか。だから水爆実験によって目覚めてしまったゴジラは、日本だけを目指すのではないか。
尾形と山根博士の短いやりとりは、そんな空想をぼくらにもたらす。


かくしてゴジラには一つの「神性」が宿されることになる。

そしてこのとき『ゴジラ』は「戦災映画」「戦渦映画」である以上に、第二次世界大戦で死んでいった死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちへの「鎮魂歌」ではないのかと思いあたる。”海へ消えていった”ゴジラは、戦没兵士たちの象徴ではないか。

評論家、川本三郎さんの「ゴジラはなぜ『暗い』のか」(「今ひとたびの戦後日本映画」)のなかの、有名な一説だ。川本さんはゴジラの最期に戦艦大和の最期を重ねたうえで、こうも言う。

東京の人間たちがあれほどゴジラを恐怖したのは、単にゴジラが怪獣であるからという以上に、ゴジラが”海からよみがえってきた”戦死者の亡霊だったからではないか


そしてゴジラの「神性」は、東京を破壊するという怒り、祟りとして現わされる。ではこのとき「彼」は一体何に怒っていたのだろう?
きっとそれは、「彼」をあのような醜い姿に変えてしまったアメリカの核の力によって守られている、東京の平和の「嘘」にだろう。核「そのもの」になってしまったゴジラは、日本人が安全保障を依存しているアメリカの核の脅威を実際に示すことで、その欺瞞に意義を唱えているように、ぼくには思える。

ゴジラの最期は、芹沢博士が自らの命を投げ出すことによって果たされたが、このことは『ゴジラ』の最初の方で語られる、大戸島の古老の言葉を思い出させる。
「むかしは長く時化の続くときには、若え娘っ子をいけにえにして、遠い沖に流したもんだ」
こうしてゴジラは、再び神話の世界に帰っていった。



と、長々書いてはみたが、こんな話はゴジラファンにとっては「いまさら」というような話でしかない。
ではなぜいまさら、こんなカビ臭い話題を出したのか。
それはこの後ぼくが話したいと思うことが、これらの知識を、前提として必要とするからだ。ぼくは「ゴジラシリーズ」(正確には「東宝怪獣映画シリーズ」)とは、この初代ゴジラの持つ「神性」を、ある人物が発掘し、拡大し、完成させたものだと考えている。だから、初代ゴジラの「神性」について、先にまとめておくべきだと思った次第だ。
で、ぼくの言う「ある人物」とは、言わずと知れた中期ゴジラシリーズのメインライター、関沢新一のことを指す。

つづく

ゴジラの逆襲 ~香山滋

ゴジラ大阪2

初代ゴジラとは何だったのか?
このヒントは、実はぼくらの目の前にあるのかもしれない。

ゴジラ映画の第2作となる『ゴジラの逆襲』、この作品が公開されたのは1955年4月24日。なんと、あの『ゴジラ』からわずか半年後のことだ。こんな短い期間に大の大人に心境の変化が起こって、制作者たちのゴジラ像が極端に変化するとは考えにくい。『ゴジラの逆襲』のゴジラは、おおよそのところでは『ゴジラ』のゴジラと同じものだと考えてもいいはずだ。

『ゴジラ』の続編を依頼された香山滋は、熱海行きの電車のなかでアイデアを練ったが、一向に思い浮かばないまま目的地に着いてしまった。ところが・・・。

観念して、風呂に飛びこんだとたん、アッ、と自分でもびっくりして声に出したほど、いっきにインスピレーションが湧いた。

『ゴジラ』第二世は、かくして、熱海の温泉内で誕生した。(「『ゴジラ』第二世誕生」)


それは1954年12月20日午後5時30分のことだったそうだ。『ゴジラ』が公開されてから、まだ2ヶ月も経っていない。

この時の香山の様子からは、全く新しいアイデアが突然浮かんだというよりも、脳内のカオスが一瞬にして整理されたという印象がある。つまり、答えは自分のなかにあることに香山は気がついたのではないか。だから、「アッ」という一瞬の奇声で、全ては完成していたのではないか。
香山の述懐によれば、「『ゴジラ』第二世を、いったいどう始末をつけてよいやら」というフィナーレの前までは「案外すらすらと筆が運んだ」とのことだ。

そうしてみると『ゴジラの逆襲』は『ゴジラ』の正統な続編であるというだけではなく、『ゴジラ』の「後編」と考えることさえできる作品であるように思える。実際、「香山ゴジラ」はこの2作で完成したのか、香山は以後のゴジラ映画の原作の依頼を、ついに死ぬまで拒否している。


では、「香山ゴジラ」の「後編」、『ゴジラの逆襲』で描かれたものは何だったのか?
おなじみ佐藤健志は『ゴジラはなぜ日本を襲うのか』のなかで、このように書いている。

『逆襲』では、これに加えてシベリア(!)の水爆実験でめざめた怪獣アンギラスまでが、やはり日本を襲うのである。

『逆襲』は西日本沖のある小島に不時着した日本人パイロットが、ゴジラとアンギラスが死闘を繰り広げている様子を目撃するという、朝鮮戦争を想起させるシチュエーションから始まるのだ。


つまり佐藤健志は、『ゴジラの逆襲』には、アメリカ(ゴジラ)とアンギラス(ソビエト)による冷戦に、何の関係もない日本人が巻き込まれたという「ひがみ」意識が根底にあると言っているわけだ。

しかし、この佐藤の説には問題があるとぼくは思う。
と言うのも、劇中のどこにもアンギラスがシベリア出身である、という表現はなされていないからだ。もちろん香山滋の原作にもそんな記述はない。おそらくアンギラスがシベリア出身だというのは、後にブロマイドメーカーあたりが東宝に設定してもらったものだろう(ネットでも検索してみたが分からなかった)。
つまり、1955年当時の人々が、『ゴジラの逆襲』をそういう視点で観ることは不可能だということだ。

ついでに書いておくと、佐藤健志は、自衛隊が壊滅したのに在日米軍が出てこないことを指摘して、「日米安保はどうなったのか」と笑っているが、言うまでもなく1955年当時の安保はまだ不平等条約の段階で、アメリカには日本を助ける義務はない(だから安保改定後の1961年『モスラ』には在日米軍が出動している)。


さて、すでに冒頭部分は佐藤健志の引用で済んでいるのでその続きになるが、結局ゴジラとアンギラスは大阪に上陸してしまう。二匹は激しい格闘を始め、その結果として大阪の街は廃墟と化していってしまう。大阪のシンボル、大阪城も格闘の巻き添えとなって崩壊する。戦いはゴジラの勝利に終わり、アンギラスは死ぬ。満足したゴジラは海に帰っていく・・・。

ここでまず注目すべきことは、この大阪の惨劇には「戦災」「戦渦」の要素もなければ、「核」や「放射能」の描写も全くないということだ。さらには破壊の目玉が大阪城であることで、近代文明批判や大自然の復讐といった『ゴジラ』で語られがちな含みもない。
人は死んだが、明らかに死んだと映像で分かるのは、ゴジラの上陸を招き入れてしまった囚人が自業自得として死んだという描写くらいだ。
燃える大阪の街もなにか空々しいものがある。東京版の劣化コピーのようだ。

さらに見逃せないのは、『ゴジラ』では終盤にあったこの破壊活動が、『ゴジラの逆襲』では全体の真ん中より前に配置されているということだ。破壊が終わってもこの物語はようやく半ばに差し掛かっただけで、それはつまり、ゴジラによる破壊がこの物語の主役ではないことを意味していると思われる。
それでは『ゴジラの逆襲』の主役は何だったのだろうか?

『ゴジラ』では、破壊を終え、悠然と海に帰っていくゴジラの後ろ姿に、人々が「ちくしょう、ちくしょう」と恨み節を述べるシーンが印象に残った。
しかし『ゴジラの逆襲』の大阪の人々にそんな暗さはない。みな明るく、力強く、大阪の街の復興に励む様子が表現されている。
そしてゴジラ第二世の最期。この時、オホーツク海の神子島で発見されたゴジラを氷の中に封じ込めたのは、日本の自衛隊と民間人の、知恵と勇気の協力による作戦だった。

これが『ゴジラの逆襲』の後半部分で描かれたものだ。


こうして、ここに「香山ゴジラ」の全体像が姿を現す。
『ゴジラ』の東京破壊と『ゴジラの逆襲』の大阪破壊は実際には同一のものだったと考えれば、それに続く復興を信じる人々の明るさと、自らの力でゴジラを倒す日本人の知恵と勇気こそが、「香山ゴジラ」のメインテーマだったことが分かる。
香山はその必然的な決着に、あのとき熱海の温泉で気がついたのだろう。そうでなくてはならないと。それ以外に『ゴジラ』を終わらせることはできないのだと。

だから「香山ゴジラ」は、ただいたずらに東京大空襲や原爆を再現させて、日本人に戦争の恐怖を追体験させるものではなかった。むしろ反対に、それらを力強く乗り越えた日本人を誇り、その知恵と勇気を次代の子どもたちに伝えるためのものだったのだとぼくは思う。

香山は言う。

『ゴジラ』が出てくると、観客は笑うのである。声を出して笑わないまでも、クスリと微苦笑するのである」
「ぼくとしては、原水爆禁止運動の一助にもと、小説の形式を籍りて参加したつもりであったが、これでは全く惨敗に近い(『ゴジラ』ざんげ」)


もちろん香山はゴジラが恐怖の対象になっていないことを嘆いているわけではない。
「『ゴジラ』ざんげ」にはゴジラへの愛とともに、ゴジラで笑えばいいんだ、という香山の日本人への温かいまなざしを感じることができる。しかし、『ゴジラの逆襲』を『ゴジラ』の後編だとする観点がなければ、おそらくその香山のまなざしは理解することはできないだろう。『ゴジラ』を、戦争の悲惨さを訴える作品だと言うのは、『ゴジラ』の半分だけしか見えていないのだとぼくは思う。



「香山ゴジラ」は完結した。香山がゴジラのさらなる続きを書くことはもうない。
しかし香山はこうも言った。

若し書くとすれば、それは、原水爆の象徴としてではなく、別の意味の『ゴジラ』として生れかわらせる外には、絶対に今後姿をあらわすことはない。

香山の誓いとは裏腹に、この7年後にゴジラは再びぼくらの前に姿を現すことになる。
それではそれは、一体どういう「別の意味」を持ったのだろうか?

つづく

空の大怪獣ラドン・大怪獣バラン ~熊襲と蝦夷

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『ゴジラの逆襲』に続く東宝怪獣シリーズは、『空の大怪獣ラドン』(1956年)、『大怪獣バラン』(1958年)だった。いずれも原案は怪奇小説家の黒沼健。Wikipediaによると、日本で最初にノストラダムスを紹介したのが、この黒沼健だそうだ。

ところで、ラドンとバランの名前を併記したとき、そこで必ず語られるのが彼らの出身地が醸し出す日本古代史との因縁だ。ラドンは阿蘇、すなわち「クマソ」を表しており、バランは東北の「エゾ」を表していると。

ぼくがその因縁について初めて読んだ文章は、赤坂憲雄先生という民俗学者の書いた『バランとラドンは、なぜ滅ぼされるか?』(『怪獣学・入門!』)だった。
副題を見れば本文の内容はだいたい察しがつくと思うが、それは「まつろわぬ民の末裔たちの反撃」となっている。そして表題の「なぜ」に対する赤坂先生の解答は、それらが日本古代史をなぞったことによる物語的な必然だから、ということになるだろう。新しい日本の物語の誕生であった『ゴジラ』と違い、『ラドン』『バラン』はすでに陳腐化した中央/辺境、ヤマト/異族の対立の構図の復元でしかない。だからゴジラに対しては無力だった自衛隊(中央=ヤマト)でも、ラドンとバラン(クマソとエゾ)には勝利できたのだ、ということだ。

この説明はとても分かりやすく、『ラドン』の最期の悲しみを増大させる効果さえある。縄文に郷愁を抱く人が聞けば、『ラドン』の最期で思わず流す涙の量が2倍3倍になるだろう。ぼくもそうだ。
だが、(ケチをつけるつもりではないが)この説明は、少なくとも『ラドン』については無理がある。赤坂先生は『ラドン』は「なかなかの傑作」だとし、『バラン』をずばり「駄作」だと言うが、先生の説明は、後発の駄作『バラン』によって補完され、成立している側面があるからだ。

つまり『ラドン』しか観たことがない人には、ラドンがクマソであるということは理解できないということだ。後続のバランが、東北の辺境に今なおエゾとして暮らす人々の「神」だったから、さかのぼってラドンを「クマソ」と見ることができるというわけだ。


そもそも『空の大怪獣ラドン』でラドンは、一貫して2億年の時を超えてよみがえってしまった「動物」として描かれた。ラドンにゴジラのような「神性」が存在しないことは、ラドンが放牧中の牛や羊のみならず、どうやら阿蘇の観光客まで食べてしまったことだけでも明らかだろう。ラドンは腹を減らしてエサを求める「動物」でしかなかった。

それに、ラドンの行動には目的や意味というものもない。
ラドンの第1回目の飛翔は、福岡ー北京ーマニラー沖縄を一周したのち阿蘇に戻るというコースだったが、その間ラドンはひたすら飛んでいただけだったと思われる。ただ、その音速を超える飛翔から発生する「ソニックブーム」と呼ばれる衝撃波が、人間社会に被害を与えてしまっただけのことだ。

2回目の飛行も同じく意味を持っていない。今度は阿蘇から佐世保に向かったラドンは、自衛隊の攻撃を受けて傷ついてしまう。必死で追っ手から逃げるラドンだったが、ついに福岡で疲れ果て、休息を求めて着陸する。この時ラドンの羽ばたきによって、博多の街に大きな被害がでる。が、ラドンはただ羽を休めようとしただけで、ゴジラのように放射能熱線を吐いて暴れ回ったわけではない。

そしてラドンはその最期まで、あくまで「動物」として扱われた。ラドンの動物としての「帰巣本能」に目をつけた人間側は、ラドンの住処を阿蘇山の人工的な噴火によって封印しようとする。ラドンはいったんは巣を離れようとするが、噴火による高温のせいか、それとも何かを悟ったのか、燃える阿蘇に身を投じるようにして滅んでいく・・・。

という具合に、『ラドン』単体から、そこに「クマソ」を読み取ることはほぼ不可能だ。ラドンはただの「動物」で、その行動には何の意味も織り込まれてはいない。
ただし、そうは言っても、それが『ラドン』の値打ちを下げるものではないことは強調しておきたい。『ラドン』はむしろ、ラドンの無内容さによって、ゴジラとはまた別の意味を怪獣に与えた始祖だと言えるからだ。

「ラドンが生きている限り、我々は文句のもっていき場のない被害を被らねばならないのです」

劇中の自衛隊幹部のこの発言こそは、恐怖の対象であるはずの怪獣に初めて、日本人が好む無常観や憐憫の情が投影された瞬間だろう。生きているだけで排除されなければならない命とは何なんだと。


繰り返しになるが『ラドン』はその2年後に『バラン』が公開されたことによって、ようやくそれが「クマソ」の寓話であることを含むことができた。これは『ゴジラ』の時点では何の意味もなかった「大戸島」が、『ゴジラの逆襲』の「岩戸島」との対比によって、それが「異界」との境界にある「扉」であることが示されたのと同じ展開だ。

しかし、そのような重要な意味を『ラドン』に与えた『バラン』自体は、かなりの駄作だった。その理由は、赤坂先生が言うように、今や陳腐化した単純な対立構造(中央/辺境や自然/科学など)を物語の基底に置いてしまったことがあるだろう。

そこにさらに加えるなら『バラン』が『ゴジラ』の完全な二番煎じになっていることも、その原因と見ていい。
いずれも生き残っていた恐竜の末裔であり、「神」として畏敬され、遠ざけられていた。しかし人間の近代文明の侵入に怒り、人間による祭祀を踏みにじると、東京に向かった。
基本的なストーリーはだいたい一致している。

ところが悲しいかな、バランにはゴジラがもつ「被害者」としての側面が全くなかった。バランは最初から最後まで、一匹の恐竜として存在した。だから、せっかく「婆羅陀魏山神(バラダギ)」なんて意味ありげな「神」として設定しておきながら、その行動はラドン同様、無意味で無内容なものに終始してしまった。

全ての怪獣に深い愛情を示す作家の八本正幸さんは、それでも『怪獣神話論』のなかで「羽田空港に上陸しつつも、都心部を襲撃することなく息絶えるバランは、どこか中央集権制への異議申し立てに現れた少数民族の代表という趣があり・・・」と評価しているが、当のバランがその少数民族の集落を破壊してしまっているのだから、かなり苦しい応援演説だと言わざるをえない。


ぼくは、ラドンとバランに、ゴジラのような「神性」が宿らなかった原因の源流には、原作の黒沼健の資質があるような気がしている。『ラドン』の監督は本多猪四郎、脚本は村田武雄(+木村武)で『ゴジラ』と同じ顔ぶれ。原作が香山滋から黒沼健に代わっただけで怪獣から「神性」が消えたなら、その理由を黒沼健に求めるはごく自然な成り行きだろう。もちろん、黒沼ラドンが怪獣を徹底して「動物」として扱ったことで、『ラドン』がゴジラにはなかった別の「怪獣の意味」を創設したことは評価すべきことだとも思う。

ただ、ここで気になるのが『大怪獣バラン』では、黒沼健は原作ではなく「原案」とクレジットされているということだ。原作の場合は、香山滋の小説のように、ほとんど映画そのものという仕事を指すのだろうが「原案」はどうだろう? おそらく最初のアイデアくらいを言うのではないか? 『大怪獣バラン』でいえば、(ゴジラのような)怪獣が東北地方の秘境から出現し(ゴジラのように)東京を襲う、という具合に。

では、もしも「原案」がそれくらいの仕事であるとしたら、『大怪獣バラン』のストーリーの細部を考えたのは誰か。それは言うまでもなく「脚本」の関沢新一ということになるだろう。


ぼくは1962年から復活したゴジラシリーズは、関沢新一という人が、香山滋の言った「別の意味の『ゴジラ』」を順次、構築していった仕事だと考えている。その仕事の内容については追々書いていくつもりだが、とにかく、この『バラン』を関沢新一がかなりのウェイトを占める作品だと捉え直した時、実は1962年以降の関沢ゴジラに似た仕事がここにもあることに気がつく。
それは、なぜバランが羽田空港を襲ったのか、だ。


自衛隊の攻撃によって長年の住処(北上川上流の岩屋部落近辺にある湖)を追われたバランは、その飛行能力で東の方角に逃げていく。続いてバランは太平洋銚子沖に現れ、そこでも自衛隊による攻撃を受ける。バランはどういうつもりか飛行能力は使わず、ひたすら東京を目指して泳いでくる。やがて羽田空港に上陸したバランは、自衛隊による一方的な攻撃を受け、多少の破壊は成し遂げたものの、最後は口から特殊爆弾を入れられて爆死する・・・。


このように、基本的な立場としてはバランもラドンと大体同じだ。人間が近づいて来たから彼らは結果的に人間に被害を与えてしまったし、彼らの動物としての巨大さと頑丈さ自体が人間にとっての迷惑である点で。

明らかに違うのは、ラドンが追われるものとして福岡に飛来したのに対し、バランは自ら東京を目指したということだ。しかも、飛行能力は使わず、わざわざ海から上陸して。
バランが初期の設定にこだわらず、あえてゴジラの模倣を行ったことは明白だろう。
ではなぜバランは、ゴジラを思わせる海からの侵攻の末、羽田空港に上陸したのだろう?


『ゴジラ』で、ゴジラが東京湾に侵入したことによって起こったこととは何だったか。
それは東京への海路の封鎖だった。ゴジラ接近によってまず発生した被害が、海路における東京の孤立だった。『バラン』では省略されているが、同様な措置がとられたことは常識の範囲内だろう。

続いてバランが狙ったことは、言うまでもない、空路における東京の孤立だった。この時バランがもしも羽田空港の破壊に成功していたなら、東京の海と空は完全に封鎖されることになっただろう。
そしてここで、そもそもバランが何によって目覚めさせられ、怒り狂ったのかを思い出す必要があるだろう。それは、自らの聖域にズカズカと踏み込んでくる近代文明の騒音(ジープ)だったはず。

バランの行動には、その近代文明をこの国にもたらした欧米との接点自体を、根本から断ち切ろうとする意識があるように、ぼくには思える。それ以外に、なぜバランが羽田空港を狙ったかの理由が、ぼくには思いつかない。


で、このように考えてみると、バランの羽田襲撃が、実はゴジラによる東京湾侵入の意味をしっかりと踏まえたものであることが分かる。そしてぼくがそれを関沢新一の仕事だと思うのは、これから先に展開される関沢ゴジラシリーズがまさに同様に、意味の拡大によってより大きな意味を生み出していく過程だったと考えているからだ。

つづく

モスラ ~『モスラの精神史』

モスラの繭

モスラというと、人間の味方をする平和的な怪獣、というイメージがあるが、少なくとも『モスラ』(1961年)に登場する初代モスラはそうではなかった。モスラが味方をするのはインファント島の人間だけであり、モスラが守る平和はインファント島の平和だけだった。

日本についていえば、モスラは豪華客船を沈没させ、東京第三ダムを破壊し、東京タワーをへし折った。アメリカ(劇中ではロリシカ)に至っては、大都市ニューヨーク(劇中ではニューカーク)を壊滅させられた。インファント島の平和を守るために、モスラは日米両国に甚大な被害を与えた。

ストーリーを簡単にいうと、それは南太平洋の孤島、インファント島に日米合同の調査が行われたことに始まった。この時、日本人グループはインファント島を保護する立場をとったが、アメリカ(劇中ではロリシカ)側は、島の住民とモスラを媒介する巫女の「小美人」を拉致し、見世物として興行に利用する行動に出た。

やがてモスラの卵が孵化し、モスラ(幼虫)は小美人を取り返すため、見世物興行が行われている東京を目指してやってきた。太平洋上で自衛隊による攻撃を受けるとモスラは海中に潜行し、今度は奥多摩の小河内ダムに現れた。モスラの東京上陸を知ったアメリカ人興行師ネルソンは、アメリカ本国に逃亡した。モスラは東京を横断すると東京タワーにまゆを作り、羽化。小美人を追って渡米するとニューカーク市を蹂躙する。ネルソンは地元警察に射殺され、そこに日本側のインファント島調査団のメンバーが駆けつけた。中條博士の発案によってモスラは沈静化し、解放された小美人を連れてインファント島へ帰っていった・・・。


ところで『モスラ』については絶好の参考書がある。小野俊太郎さんという評論家の書いた『モスラの精神史』がそれで、この本を読むと『モスラ』の背景となった事象の大半が理解できるようになっている。特に、モスラが日本の伝統産業である「養蚕」と深い関わりがあること、また、『モスラ』の背景に1960年に改定された日米安保条約があることは非常に興味深い話だった。

しかし、ぼくがこの本を手にして真っ先に開いたページはそこではなかった。
「第八章 小河内ダムから出現したわけ」。ここが読みたくて、ぼくはこの本を買った。

『モスラの精神史』によると、『モスラ』の原作『発光妖精とモスラ』では、太平洋を北上してきたモスラ幼虫は始め鎌倉に上陸し、そこから陸路で東京に進撃すると、国会議事堂にまゆを作ることになっていたらしい。それが脚本の関沢新一の手で、地中から小河内ダムに出現し、東京タワーで羽化するように変更されたそうだ。

なぜダムなのか?
小野俊太郎さんは本文中で「自然主義リアリズムを越えた理由」があるはずだと言い、こう説明する。

「ダムの決壊と大量の水の流出というスペクタクルが、水というイメージのつながりもあって、インファント島から海を渡って怒濤のように押し寄せてきたモスラの迫力を持続してきたせいかもしれない」


もちろんこれだけでは説明不足なので、小野さんは最終的にモスラがまゆを作った東京タワーとの関連に目をつける。小河内ダムができたのは1957年、東京タワーが翌1958年。この東西の新名所をモスラが一直線に横断したことに意味があるのだろうと。

なぜ国会議事堂が東京タワーに変更されたのかについての小野さんの考えはこうだ。第一に、当時は東京タワーより高い建物がなかったから。第二に、誘蛾灯としての塔というイメージによって。第三に、映画人にとっての強力なライバルであるテレビ電波塔をへし折るという意味。

しかし、ここでの小野さんの解説は、正直なところ、何となく腑に落ちないものである気がする。
もっと簡単に考えてはいけないものか。それも、小野さん自身がそこまでの間に触れられている『モスラ』の背景となる事象を使って。
つまりは「養蚕」と「安保」という2つのキーワードで。


まず、なぜ国会議事堂が東京タワーに変更されたのかだが、ぼくはそれはモスラがカイコガであることによる必然だったのではないかと思う。

http://www3.famille.ne.jp/~ochi/kaiko/06-eiken.html

このサイトを見ると、カイコガは平面に密着させるのではなく、空中に浮かせるようにまゆを作るということが分かる。カイコガにとっては、最低でも三角形からなる空間が必要だということだ。

となると、モスラのあの巨大なまゆを内部に収容できない以上、国会議事堂にまゆを作ることは不可能だ。
当時それが唯一可能だったのが、上半分をへし折ることで三角形の空間を作ることができる東京タワーだということに関沢新一が気付いたから、あの変更が行われたのではないか(ただし、東京タワーをもってしても翼長250メートルのモスラのまゆを収納することは不可能だったが)。

それと、なぜ小河内ダムに出現したかは、1960年の安保改定が背景にあるように、ぼくには思える。
そもそも小野さんは、モスラはダムから陸路を進み、横田基地を通過して都心に向かったと見ているようだが、それはぼくは違うと思う。
あの時、ダムでモスラを目撃した福田ら新聞記者たちは、そのちょっと後には都心にいた。これはつまり、モスラは一旦はダムに現れたものの、再び地中に潜ったと考えるほうが自然だろう。でなければ、敏腕で鳴らす福田記者がモスラを追跡しないことはありえない。

さらには、その都心で、福田記者のもとに届けられた言葉は「モスラが現れたのよ」「横田基地に」だった。このセリフからは、モスラが奥多摩から陸路で横田基地までノコノコやってきたとは読み取れない。第一、横田基地の米軍がそれをぼんやり眺めているはずもない。ダムに消えたモスラは、地中から横田基地に奇襲をかけたと見るのがやはり自然だろう。
そしてその結果として、在日米軍は指令本部を失ってしまった。だから、60年の安保改定直後であるにもかかわらず、モスラの東京襲撃に米軍は出動することができなかった。

つまり、あれほど日本中を騒がせた安保改定の記憶が新しい1961年でそれなりのリアリティを維持するためには、先に横田基地の在日米軍本部を封じ込めておく必要があった。そのためにモスラは鎌倉ではなく、福生に現れた。ただし、いきなり横田基地を襲ったのでは日米同盟にケチをつけているように思われかねないので、わざと行き過ぎてダムに現れ、それからおもむろに横田基地を叩いた。ぼくはそう思う。


そういった操作を自然に行うため、モスラは拉致された「小美人」のテレパシーを感知して行動するように設定された。そして、そのテレパシーを遮断するためのケースも東京で開発された。

ここで、このケースを使ったテレパシーのONとOFFが、その後のモスラの行動を決定した。テレパシーON時のモスラは「小美人」の居場所に向かう。一方、テレパシーOFF時のモスラは、その直前の行動を延長する。
これらの操作によって、脚本家はモスラを自由にコントロールすることが可能になった。ネルソンに「うっかり」ケースを開けさせることで、モスラをアメリカに差し向けることも自由自在だということだ。


モスラがニューヨークを襲撃する。
『ゴジラ』を、戦後日本人が持つ大国アメリカに対する「ひがんだ被害者意識」が根底にあると捉える佐藤健志は『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』のなかで、「『モスラ』は当時の日本における反米意識を例によってストレートに反映した作品」だと言うが、それはいくらなんでも我田引水に過ぎるように思える。

『モスラの精神史』によると、『モスラ』の最終稿は、逃げるネルソンを追ってモスラが霧島(高千穂)に飛来する予定だったのを、米コロムビア映画社の意向でアメリカ襲撃に変更されたそうだ。
しかし、そういった興行的な背景は置いておいても、『モスラ』では物語の途中にある「反米意識」よりも、日本人のインファント島への誠意がアメリカの危機を救ったという結末のほうが、よほど核心であるように思う。

それは、経済の復興によって日本人が再び自信を取り戻してきた、というような矮小な意味ではないだろう。もっと根源的な、白人には分かりあえない、南洋の人々と日本人の間にある遠いつながり。そういう精神を、ぼくは『モスラ』全体から感じる。
それは、白人から見れば巨大な蛾でしかないモスラを「神」として崇める精神なのかもしれない。あるいは、遠い昔に先祖を同じくする所以なのかもしれない。

いずれにしても、ここに怪獣を「守護神」とする作品が現れた。

つづく

関連記事:モスラ対ゴジラその1 モスラ対ゴジラその2

※なお日米安保については以下のサイトが分かりやすい。
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20040706A/

キングコング対ゴジラ

熱海城

キングコング対ゴジラ』(1962年)は、『大怪獣バラン』(1958年)『モスラ』(1961年)に続く、関沢新一の脚本による東宝怪獣映画の第三弾だ。作品の概要は以下の通り。

本作は、東宝創立三十周年記念映画の一本として製作され、怪獣映画史上最高の観客動員数1120万人を記録した。円谷英二と田中友幸に大きな影響を与えた元祖モンスター映画『キング・コング』(1933年)のキャラクター版権をRKOから取得し、東宝の誇る怪獣王ゴジラと戦わせた夢の対決映画である。

本作によって『怪獣対決物』の枠組みは完成したと言ってよい。後年の怪獣映画の対決物も、この映画の影響下にある。”枠組み”とは以下のようなものである。
(中略)
○ゴジラと宿敵は別個に現れ、ストーリーの軸も二つ同時タテに進行する。軸の接触ポイントがヨコ軸の対決シーンとして描かれ、最後に大決戦となる。


評論家の氷川竜介さんによる『キングコング対ゴジラ』の解説文(『円谷英二の映像世界』)から、一部を引用した。
ここで”枠組み”というのは『キングコング対ゴジラ』でいえば、キングコングのストーリーとゴジラのストーリーが別個に存在して、それらが交わる地点で戦闘が起こるということだ。実際、キングコングとゴジラははじめ那須高原で激突し、次に富士山麓で戦った。

ところでこの作品におけるキングコング側のストーリーというのは、概ね本家アメリカ映画の『キング・コング』に準じたものだ。いわゆる「オマージュ(笑)」というやつだろう。南海の孤島に生息していたキングコングが、それを商業的に利用しようとする人間によって都会に連れてこられるが、反撃に出る。美女をさらい、ビルによじのぼる。基本的なストーリーはいっしょだ。

しかし、そのキングコングが、どうして那須高原や富士山麓に現れたのか。元祖『キングコング』で、キングコングがニューヨークやワシントンの郊外で暴れ回ったというシーンはない。
となるとこれはもちろん、ゴジラ側のストーリーに、キングコングの方から乱入していった結果ということになるだろう。そしてぼくらにとって重要なのは、言うまでもなくゴジラのストーリーの方だ。


7年前の『ゴジラの逆襲』のラストでオホーツク海で氷詰めにされたゴジラは、重沢博士の言うところの「冷凍冬眠」状態のまま、いつしか北極海に漂流していた。そこで目覚めたゴジラは南を目指し、やがては宮城県松島湾に上陸する。

このゴジラの行動を予測していた重沢博士はこう言った。
「戻ってくると言ったほうがいいかな。動物がみな持っている帰巣本能。つまり生まれた巣は忘れないっていう本能だよ」
ゴジラは戻ってきた。「生まれた巣」である日本へ。

松島湾に上陸したゴジラは、劇中で仙台を「蹂躙」したと言われるが、映像はない。ゴジラは東北本線の線路にそってなおも南下し、那須高原でキングコングと激突する。これは日本近海で逃亡したキングコングが、彼の「動物本能」によって一方的に接近してきた結果だった。

この戦闘に圧勝したゴジラは、続いて那須から高崎に移動する。しかし、首都圏の外縁に張り巡らされた100万ボルトの高圧電流線の結界を破ることができず、電線に沿っての移動を始める・・。


と、さらっと書いてみたが実は良く考えてみると、この時のゴジラの進撃路からは、ある疑問が生まれる。
ゴジラは一体、どこへ行こうとしていたのだろう・・・?

もしもゴジラが再び東京を破壊するつもりなら、仙台から那須まで東北本線に沿って南下したのち、宇都宮から大宮を通って都心に進撃すると考えるのが自然だ。それが東京への最短コースだ。

ところがどういうわけか、ゴジラは那須のあと自発的に西に逸れて、高崎に向かっている。
これはどういうことだろう。
ゴジラはもはや、東京になど興味がないのだろうか。

次にゴジラが映像に出てくるのは静岡側の富士山麓だった。どうやらゴジラは、関東平野に踏み入れることなく、高崎から山伝いに南下していったようだ。
ゴジラがその斜面をトコトコと登っていると、そこに東京から空輸されてきたキングコングが現れ、第2ラウンドが開始される。二頭は戦いながら市街地まで下山し、熱海城を破壊する。この熱海城というのは戦後に作られた観光施設で、歴史上の背景はない。
そして結局二頭はもみ合いながら相模湾に転落し、キングコングだけが浮上して南洋に帰っていく。が、ゴジラがどうなったのかは分からず終いだった。


という具合に『キングコング対ゴジラ』では、どうやらゴジラにはゴジラなりの目的地があった。それがこの作品におけるゴジラのストーリーだ。ゴジラには何らかの目的があって、ひたすらその地を目指していた。ゴジラは、かつては強引に突破した鬱陶しい高圧電線を回避し、黙々と山中を進んだ。

ゴジラにはキングコングと戦う理由は何もなかった。キングコングに見られる「動物本能」は、この時のゴジラには見ることはできない。ゴジラがキングコングと戦ったのは、あくまでキングコングが彼の行く手に立ちふさがったからでしかない。現に、一回目の対戦でキングコングを放射能火焔で圧倒したゴジラは、キングコングを追撃することなく、また道を急ごうとしていた。


では一体、ゴジラはどこへ向かおうとしたのだろう? うるさい東京を迂回し、キングコングを無視してまで急ぐ、ゴジラの目的とは何だったのだろう?

つづく

モスラ対ゴジラ その1

ゴジラ名古屋2

前作『キングコング対ゴジラ』には、元祖アメリカ映画『キング・コング』という原作が存在していたが、1964年の『モスラ対ゴジラ』には原作はない。「脚本・関沢新一」のクレジットがあるだけだ。

では、これでようやく関沢ゴジラについて語れるのかと言うと、まだそうではない。
と言うのも、今作『モスラ対ゴジラ』は前の三作の総まとめというべきもので、今風に言えば、香山ゴジラへのオマージュ(笑)だったからだ。


物語は、1954年の伊勢湾台風を思わせる暴風雨の映像から幕を開ける。初代『ゴジラ』同様、ゴジラの恐怖はまず大自然がもたらす災害として語られる。明けて台風一過の倉田浜干拓地(三重県)では、今度は『ゴジラの逆襲』のように明るく力強い復興作業の様子が描かれる。

同じころ、静の浦海岸(静岡県?)にはモスラのタマゴが漂着していたが、ここでは時化続きを嘆く漁師と、祟りだと騒いでお祓いをする神主が登場する。こういった小技で『ゴジラ』への軽いデジャヴを覚えさせたあとに、いよいよ真打ち、ガイガーカウンターが倉田浜で使用されてメーターが反応、ついに地中からゴジラが出現する。この様子をテレビのニュースは「原子怪獣」が現れたと報じる・・・。


と、このように『モスラ対ゴジラ』からは、否が応でも初代『ゴジラ』のイメージが喚起させられるようになっている。それらは『ゴジラの逆襲』『キングコング対ゴジラ』では、忘れ去られてはいないものの、どこか軽く扱われていたものだ。

そしてこうした表現は、『モスラ対ゴジラ』が、初代『ゴジラ』から連綿と続くゴジラ世界の正統な続編だという宣言であるように思える。なにしろ前作『キングコング対ゴジラ』では、ゴジラはただどこかに向かって移動していただけで、すっかりゴジラらしさを失っていた。やはり災害、祟り、放射能と言ったイメージなくして、ゴジラを語ることはできないだろう。


さて前作『キングコング対ゴジラ』では仙台から那須、高崎、富士山麓とひたすら旅路を急いだゴジラだったが、その目的地はどうやら名古屋だったようだ。
ここには香山ゴジラが含んだ、初期ゴジラのイメージの完成がある。すなわち、ゴジラとは太平洋に散った戦没者の亡霊でないか、というあのイメージだ。

前作『キングコング対ゴジラ』で関沢新一は、重沢博士にこう言わせている。
「戻ってくると言ったほうがいいかな。動物がみな持っている帰巣本能。つまり生まれた巣は忘れないっていう本能だよ」

ゴジラがもしも日本人戦没者の霊魂の集合体であるなら、彼が(彼らが)その出身地を訪ねて回るという「帰巣本能」は、自然に人口の多い都市から順番に行われるだろう。ゴジラが東京、大阪に続いて名古屋を襲撃したことで、このイメージはここにようやく完成したと言える。

Wikipediaによると、台本の時点では「ゴジラは瀬戸内海の埋立地から出現、姫路城を破壊する予定だった」とのことだが、もし今回ゴジラが名古屋でなく姫路を襲っていたとしたら、後に多くの論者に「戦没者の英霊説」が支持されることはなかっただろう。


というわけで、今回ゴジラはまず、四日市の石油コンビナートを襲撃する。実際、この時のゴジラは『ゴジラ』以来、久々に見せた「荒ぶる神」の形相だった。前作で、得意の放射能熱線をキングコングに見せつけて勝ち誇ったような愛敬は、今度のゴジラにはない。まさに真剣そのものだ。

四日市と言えば、当時は大気汚染による「四日市ぜんそく」が拡大し始めたころで、まだ補償も受けられずに苦しむ子どもたちが多数いた。ゴジラの怒りは、戦後日本のあり方そのものに向けられていたのかもしれない。
ゴジラはここで、高度経済成長を象徴するかのようなコンビナート群を焼き払うと、本来の目的地である日本第三の都市、名古屋に向かった。

ところが、名古屋に進撃したあとのゴジラは突然トーンダウンしてしまう。
ゴジラははじめ、『ゴジラ』でもやったようにテレビ塔に近づいていく。あの時のゴジラは、自分を畏れることなく実況中継を続けるテレビクルーに苛立ちを見せ、人間ごとテレビ塔を叩き折った。ゴジラが見せた、数少ない「直接の」殺人行為だった。

しかし今回はたしかに破壊することには破壊したが、それはその長い尻尾がテレビ塔の鉄柱に絡まってしまい、力任せに引き抜いたら倒れてしまった、という何とも間抜けな展開によるものだった。そのあげくは、背後からテレビ塔の倒潰を受け、ビックリして自分も倒れ込んでいる始末だ。

続いてゴジラは『ゴジラの逆襲』よろしく、名古屋城に向かう。が、ここでもかつて大阪城下でアンギラスと繰り広げた、生きるか死ぬかの格闘の迫力は失せていた。もはやゴジラには敵意も殺意もなく、ただ内堀に足を滑らせて城に寄りかかると、起き上がろうとして見苦しくもがき、その結果として城の半分を抉りとってしまった。それだけのことだった。


あれほど先を急いでたどり着いた名古屋で、いったいゴジラは何を思ったのだろう。ゴジラはただ市内を徘徊し、徒にその巨体を傷つけただけで、当てもなく東へ去っていった。
そしてその先には、台風ではるばる南洋から流されてきたモスラのタマゴがあったのだった。

こうして『モスラ対ゴジラ』の二つの「タテ軸」は接触した。
では、もう一つの「タテ軸」、モスラのストーリーとは今回どんなものだったのか。
しかしそれを語る前に、南海に存在した、もう一人のゴジラについて知る必要があるだろう。彼こそが、もの言わぬゴジラに代わって、ゴジラの心を代弁した男だとぼくは思うからだ。

つづく

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海底軍艦 〜もう一人のゴジラ

海底軍艦

海底軍艦』(1963年)は、ちょうど『キングコング対ゴジラ』と『モスラ対ゴジラ』の間に製作された東宝正月映画だ。原作は、押川春浪『海島冐險奇譚 海底軍艦』ということになっているが、これは明治時代の小説で、映画との関連はほとんどないそうだ。関沢新一のオリジナルと見て、特に問題はないだろう。

『海底軍艦』のあらすじはこんなところになる。
まず、終戦時、海軍大佐だった神宮寺八郎は、まだ3才だった娘の真琴を上官の楠見少将に預けて、自分の部隊を引き連れて潜水艦で日本を脱出する。そのとき神宮寺らはムウ帝国人に襲われて潜水艦を放棄し、南太平洋の孤島で大日本帝国の再起を誓って海底軍艦「轟天号」の建造を始める。

20年が過ぎ、ムウ帝国の世界侵略が始まる。本拠が深海にあり、地中からの攻撃をもっぱらとするムウ帝国に、地上の人類は対抗することができない。世界の大都市が次々と破壊されていく。楠見は神宮寺の生存と轟天号の存在を知ると、神宮寺の娘、真琴とともに、南洋の秘密基地におもむく。ムウ帝国打倒のために轟天号の出撃を頼む楠見だったが、神宮寺はそれは日本の復活のために作ったもので、他国の危機など知ったことではないと断る。しかし真琴がムウ帝国に拉致され、神宮寺は出撃。ムウ帝国を滅ぼす・・・。


ムウ帝国について説明しておくと、およそ1万2千年前に南太平洋に存在したムウ大陸を中心にして、世界を支配した大帝国だったらしい。しかしムウ大陸は一夜にして沈没してしまい、生き残ったムウ帝国人は海底に移住して、再び地上世界を支配するための準備を続けてきたとか。

一方、元日本海軍大佐の神宮寺は、大東亜共栄圏の復活を目指して、南海の孤島で20年、轟天号の建造に励んでいた。要するに轟天号の威力で米英を打ち倒そうということだ。

このように作品では、このムウ帝国と神宮寺を「同類」として配置する。
神宮寺は20年ぶりに再会した娘に「お父様のお考えはムウ人と同じです」と言われ、愕然とする。
そしてムウ帝国人に娘を拉致されると考えを一転し、「考えてみると錆び付いた鎧を着ていたようです。脱いでみて、せいせいしました」と言う。


このような神宮寺の変節を、井上静という評論家は『アニメジェネレーション』という本のなかで、次のように書いている。

『海底軍艦』では、もう一つの己とも言える敵を倒すことで、自分の内部にある重荷を取り除く主人公が描かれている。そして後にヤマトにも通じる、ナショナリズムとグローバリズムの両立も主張されているのだ。

『海底軍艦』はこのことによって明確に戦後を肯定しているのだ。


『宇宙戦艦ヤマト』のどこに「ナショナリズムとグローバリズムの両立」が主張されているのか理解に苦しむところだが、とにかく旧日本軍軍人が、日本だけのためではなく世界平和のために働くことを宣言したことで、「戦後を肯定しているのだ」という結論になっているようだ。つまり『海底軍艦』は、戦前日本が戦後日本に屈服した映画であると。そして世界のためにというグローバリズムが、ひいては日本を守るナショナリズムに繋がることを神宮寺が知った映画であると。

この井上静という人はこの本を読む限り、いわゆる「左翼」の人のようだ。そういう視点から神宮寺の言動をみれば、彼の変節はまさにあるべき正答ということになるだろうし、グローバリズムがナショナリズムに勝利した結果は至極好ましいものになるだろう。
しかし、それは本当にそうなのか?
『海底軍艦』は、本当にそういうメッセージを込めた作品なのだろうか?


まず冒頭に近い部分。「光國海運」の専務である楠見とその秘書の真琴による、神宮寺についての会話。

「父はたった一人の子どもを残してまで、行かなければならなかったのでしょうか?」
「それが戦争だよ。国のためには私情を捨てて、命をも投げ出す・・・」
「国のため?」
「そうだ。愛国心だよ」
「愛国心?」


ここでは若い真琴が「愛国心」なんて言葉は、生まれてこのかた一度も聞いたことがないことが表されている。しかし、いくら戦後20年経つといっても、この真琴の人物設定は極端すぎるというものだ。明らかな強調表現であり、何かの伏線と見るべきだろう。

その後、楠見とともに神宮寺に再会した真琴は、父がいまだに大東亜共栄圏を夢見て行動し、世界の平和のために轟天号を使うことを拒否したことに失望する。神宮寺は、
「この20年間、お前をひとに預けてまで日本再建を考え続けてきたこの父の気持ちがわからんのか」
と諭そうとするが、真琴はこう反論する。
「戦争のために親と別れた子どもの気持ち、お考えになったことがありますか」
そして言う。
「お父様のお考えはムウ人と同じです」

戦後生れのぼくらはこのようなやりとりに慣れきっているが、神宮寺からすればおよそ想像を絶する真琴の反論だったはずだ。ここで神宮寺は「公」について話をしているのに対して、真琴は「私」について主張している。一体いつから「公」と「私」は同格になったのか。

もう一つの驚きは、真琴が、日本が戦争をせざるをえなかった理由について、全くの無知であるということだ。「ムウ人と同じ」では、まるで自分たちの欲望のためだけに日本が戦争を始めたと理解していることになる。しかもそれは、かつての上官であり、神宮寺の脱走を黙認してくれた楠見のもとにあってのことだ。

真琴はすでに立派な成人だ。
神宮寺はおそらく、わが娘に自分を理解してもらうことを諦めたのだろう。彼が決して真琴の言葉に動かされたわけではない証拠に、この親子の会話を見ていた旗中(同行してきたカメラマン)に「娘のことは頼む」と言って、20年間大切に身につけてきた3才の真琴とのツーショット写真を預けている。
神宮寺が「悠久の大義」と彼が言う信念を、まだ捨ててはいないことは明らかだ。

結局、その神宮寺が彼の信念を捨ててムウ帝国との戦いに参加したのは、ただムウ帝国人が真琴を拉致し、轟天号のドックを爆破したからだ。神宮寺は、すでに彼自身がのっぴきならない所までこの事件に巻き込まれてしまったことを知り、出撃した。

神宮寺は楠見には「錆び付いた鎧」を脱ぎ捨てて「せいせいした」と言うが、その象徴とも言える海軍の軍服を、彼は脱ごうとはしない。そして、救出された真琴を抱擁する時、神宮寺は真琴から目をそらしていたのだ。

果たしてそんな神宮寺は、「もう一つの己とも言える敵を倒すことで、自分の内部にある重荷を取り除く主人公」なのだろうか?
ぼくには、神宮寺はただただ、何かを諦めたのだとしか思えない。

「世界は変わったんだ」という楠見に、神宮寺は「だから海底軍艦でまた変えます」と言い放つ。神宮寺の頑固さに呆れた楠見は「ばかな・・・世迷いごとを・・・」と嘆くが、神宮寺は
「祖国を愛する心を、世迷いごとと言うのですか!」
と怒りをあらわにする。楠見も「世界的見地に立てと言っとるんだ!」とやり返す。

が、その「世界的見地」とはどういうものだっただろう。まさか他国の言い成りになって、ODA等でいい金づる扱いされる日本ではないだろうし、大義なき戦争に派兵させられて無用の遺恨を持たれたりする日本ではないだろう。しかし、自国民の利益を考えず、ただグローバルだ国際貢献だと踊らされれば、そういう日本になってしまう危険は大いにあるだろう。


神宮寺が諦めたこと。それは楠見のいう「世界が変わった」ことではない。それなら轟天号でまた変えてみせると豪語している。変わってしまったのは、彼が20年間守ろうとしてきた日本人のほうだ。

「国のため?」「愛国心?」
神宮寺は、彼の愛した守るべき祖国「日本」がすでに存在していないことを知ってしまった。轟天号の威力をもってしても、人の心までは変えられないということだろう。


ところで、この南洋で日本の再興を願い続けた神宮寺は、まさしく戦時中の日本の亡霊だと見ることができるだろう。実際、映画の中でも神宮寺は終戦時に死んでいることになっていた。
しかし神宮寺は生きていて、いまなお、あの戦争を続けていた。

この姿はぼくには、神宮寺がもう一人のゴジラであったようにも思える。原爆の、東京大空襲の、つまりはあの戦争のメタファーとしてゴジラは現れた。川本三郎さんの言葉を借りるなら「死者を忘れるな」とゴジラは荒れ狂った。それは、神宮寺に「少将」と軍役時代の階級で呼ばれた時の楠見が言ったように、日本人の「古傷」をえぐり出すようなことだった。

しかし神宮寺は諦めた。
ならばゴジラもそろそろ潮時なのではないか。
名古屋を襲撃したものの往年の迫力はなく、何かうつろに見えた『モスラ対ゴジラ』のゴジラ。彼もまた、何かを諦め、何かを悟ったのかもしれない。意味もなく徘徊し、海に帰っていくゴジラは、「ゴジラじしんの意味」を見失いつつあったように、ぼくには思える。

つづく

モスラ対ゴジラ その2

モスラ対ゴジラ

1959年の伊勢湾台風はwikipediaによると、はじめ南太平洋のエニウェトック島付近で発生し、サイパンを経由したのち南近畿に上陸したそうだ。モスラのタマゴもそういった流れに押されて、「静の浦海岸」に漂着したのだろう。タマゴは地元の漁師の手から悪徳興行師・熊沢に売却され、レジャーランドの目玉として展示されることになった。

そこへインファント島からモスラに乗って「小美人」がやってきて熊沢にタマゴの返還を要求するが、熊沢は相手にしない。小美人はこのときの交渉に協力的だった新聞記者の酒井と三浦博士に礼を言うと、インファント島へ帰っていった。

ほどなく倉田浜で目覚めたゴジラが名古屋を襲い、なお東進を始めた。酒井と三浦博士はインファント島に出向き、モスラの支援を懇願するが、島民も小美人も「島民以外は信用できない」と言って、はじめはそれを拒否する。しかし酒井らの熱意にうたれ、モスラは出撃する。

静の浦海岸に到着したゴジラはモスラのタマゴへの攻撃を始めるが、すぐに飛来したモスラとの戦闘が開始される。優勢だったモスラだが、ここで寿命が尽きてしまい、タマゴをかばうような体勢で死亡する。
ゴジラはなお東進し、やがて海に入ると岩島に向かう。小美人が祈りの歌を歌い、モスラのタマゴは孵化、双子の幼虫が誕生する。幼虫はゴジラを追って岩島に上陸すると、絹糸を吐いてゴジラの動きを封じ込める。ゴジラは今回も海に転落し、浮かび上がってはこなかった。双子の新モスラは小美人とともに、インファント島へ帰っていくのだった・・・。


以上は『モスラ対ゴジラ』の、モスラ側のストーリーだ。ここには以後のゴジラシリーズ、特に今回問題にしている「ゴジラじしんの意味」に繋がる重要な転換点がふたつあると思う。

まずその一点は、なぜモスラはゴジラに蹂躙される日本に「力を貸す」ことを決断したのかということだ。
モスラの出動を懇願する酒井記者と三浦博士に、水爆実験の影響で草木も生えぬ大地にされてしまったインファント島の長老は言う。

「悪魔の火ぃ焚いたのは誰だ! 神も許さぬ火ぃ焚いたのは誰だ!」
「我々、この島以外の人間、信じない!」
この長老の発言に、水爆実験をしたのはアメリカだと反論するのは間違っている。長老はさらに言う。
「モスラのタマゴ、返さない!」

長老の怒りは、聖なるタマゴを見世物にしようとしている日本人にも向けられている。もちろん、心優しい小美人でさえ「あなたがたの世界を信用できないのです」と言う。

この島民の心を変えたのは、酒井記者の演説だった。
「我々だって、人間不信のない世の中は理想なんです。でも人間が多ければ、どうしても難しい問題が起きてくるんです。しかし我々は諦めません。その理想を実現するために努力していきます。どうか、長い目で見てください」

日本人の酒井が言ったことで、あたかもこのセリフは、モスラのタマゴをレジャーランドの展示物にしようとする熊沢に代表される、拝金主義の日本人について語っているように見える。
しかし、その真意は違うところにあるとぼくは見る。

酒井の言う「難しい問題」とは何か?
一度はタマゴの返還を求めて来日した小美人とモスラがあっさりと引き下がった理由は、水爆実験にも耐えるモスラのタマゴが、人間の力程度では破損することはできないことが分かっているからだ。彼女たちが心配したのは孵化後のモスラが周囲の日本人に迷惑をかけることであって、タマゴの安全についてではない。
だから心ない日本人がタマゴを見世物にしても、被害にあうのは当の日本人のほうで、それは自業自得というものだと島民は思うだろう。


という具合に「モスラのタマゴ、返さない!」の方は、実はそれほどの大事ではない。
問題なのは、インファント島を草木も生えない「受難の島」にしてしまった「悪魔の火」のほうだ。言うまでもなくそれは水爆のことだが、水爆実験を行ったのは日本人ではなく、アメリカ人だ。当事者でもない日本人が、インファント島島民に誓う「努力」とは何か?

つまりここで酒井が誓っていることとは、アメリカ合衆国の水爆実験をいつの日か日本人の努力でやめさせる、という意味だ。だから酒井はやや曖昧ぎみに「難しい問題」と言ったのだと思う。

そしてその酒井の宣言の直後に、モスラは反応する。このモスラはかつてニューヨーク(劇中ではニューカーク)を襲撃した、あのモスラだ。このモスラには「善悪は分からない」。モスラを動かすものは、インファント島島民の心だ。そしてモスラと島民を繋ぐ存在が巫女である「小美人」だ。

だから小美人が「モスラは力をお貸しします」と言う時、それはインファント島島民が、日本人のためにモスラの力を貸すと決めたということだ。
アメリカの水爆実験によって引き裂かれた日本と南洋が、ここにようやく心を一つにした。
だからこそ、モスラはやってくる。


転換点のふたつ目。
それは、今作で誕生した双子の新モスラは、日本で生まれたモスラだということだ。
前作『キングコング対ゴジラ』の劇中で、動物学者の重沢博士は言った。
「戻ってくると言ったほうがいいかな。動物がみな持っている帰巣本能。つまり生まれた巣は忘れないっていう本能だよ」

双子の新モスラはゴジラを倒したあと、小美人を乗せてインファント島へ泳いでいった。しかし、彼ら(彼女たち?)の誕生の地は、この日本だ。新たなるインファント島の守護神の帰巣本能は、「生まれた巣」である日本に向けられなくてはならない。
こうして新モスラは、南洋と日本にまたがる守護神となった。南洋と日本が、同じ「神」を共有することになった。


それにしても、1962年に復活したゴジラは、どこに行こうとしているのか。
ぼくには先の、水爆の被害者インファント島に向けられた酒井の誓いは、実はゴジラにも向けられていたように思える。戦後20年が過ぎても、なおあの戦争のメタファーとして現れ、「水爆そのもの」となって放射能をまき散らす「荒ぶる神」ゴジラ。酒井はゴジラが誕生してしまった南洋の地で、日本人を代表して、この癒されぬゴジラの魂を鎮めるための宣言をしたようにぼくには思える。

「しかし我々は諦めません。その理想を実現するために努力していきます。どうか、長い目で見てください」

果たして酒井の誓いは、さまよえるゴジラの魂に届いたのだろうか。
そして、ゴジラは「ゴジラじしんの意味」を、取り戻すことができるのだろうか。

つづく

関連記事:モスラ モスラ対ゴジラその1

マンダ 〜キングギドラへ

マンダmu

海底軍艦』(1963年)には、ムウ帝国の守護神として、怪獣マンダが登場する。このマンダは見かけがただの竜なので、幼少時は相当な怪獣好きであったぼくも、実を言うとつい最近まであまり興味のない怪獣だった。
しかし関沢新一という人物の存在を知り、「ゴジラ通史」とでも言うべきものを考えていくにしたがって、この今いちパッとしないマンダの立ち位置こそに、関沢ゴジラの原型ともいえるものが秘められていると感じられるようになった。

Wikipediaには、怪獣マンダについて次のような記述がある。

『海底軍艦/妖星ゴラス/宇宙大怪獣ドゴラ(東宝SF特撮映画シリ-ズ4)』によると当初は大蛇として登場する予定だったため「マンモススネーク→マンモス蛇(だ)→マンダ」と名付けられたが、映画公開の翌年(1964年)が辰年なので竜に変更された。


蛇から竜への変更。この流れは、古代アジアで実際にあった、蛇神から龍神への変化と一致していて興味深い。
同じくWikipediaから、関連した記述を引用してみると

・ヘビは古来、世界的に信仰の対象であった。
・インド神話においては(中略)蛇身神が重要な役割を果たしている。これらの蛇神の形象は中国での竜のモデルの一つとなったとも考えられている。
・仏教伝来以後の中国の竜もまた、蛇神ナーガのイメージから多大に影響を受けたことは想像に難くない。
・日本においてもヘビは太古から信仰を集めていた。豊穣神として、雨や雷を呼ぶ天候神として、また光を照り返す鱗身や閉じることのない目が鏡を連想させることから太陽信仰における原始的な信仰対象ともなった。
・(日本の竜は)様々な文化とともに中国から伝来し、元々日本にあった蛇神信仰と融合した。


そして現代の日本では、出雲大社が「龍蛇(海蛇)を神々の使者としてお迎えする神迎え」を行っているそうだ。
(http://jinja.aiai7.net/doubutu.html)

これに対し、ギリシャ神話ではまだ「ヘビは生命力の象徴」とされているものの

ユダヤ教やそこから発展したキリスト教、イスラム教ではヘビは悪魔の化身あるいは悪魔そのものとされたが、これは唯一神信仰が形成される過程で既存の原始信仰とその対象だったヘビを否定する意味があったのは確かだろう。(Wikipedia)


そうして見ると「龍蛇」への信仰というものは、かなり「アジア的」なものであるように思える。もちろん『海底軍艦』の「ムウ大陸」はアジアに位置した大陸なので、当然と言えば当然な話ではあるが、長い歴史の旅路の果てに、今なお出雲大社等で「龍蛇」への信仰がこの日本で継続されているという事実は、「ムウ大陸」が日本の遠い祖先であることを感じさせる。つまりマンダという守護神の発想は、極めて日本的なものなのではないか、とぼくには思える。

ところがこの守護神であり信仰の対象であるはずのマンダだが、劇中ではどう見てもムウ帝国人の手で「飼育」されている存在だった。
ムウ帝国と対立状態にある日本人を捉えた時、ムウ皇帝は
「マンダのいけにえにせよ」
と笑う。そしてムウ帝国の本拠を攻撃しようと轟天号が接近するやマンダは解放され、轟天号の侵攻を阻止しようとする。守護神と言いながら、ムウ帝国がマンダをある面では生物兵器のように扱っていたことは確かなことだ。
ただし、ここではその是非を問うているわけじゃない。
『海底軍艦』において、マンダがそういう存在であったという事実を言っているだけだ。

それともう一つ、マンダから派生する別のイメージがある。
それは「龍蛇」を「悪魔の化身あるいは悪魔そのもの」と見る、負のイメージだ。
日本神話においては、それはヤマタノオロチという姿として見ることができるだろう。ヤマタノオロチについては、洪水のメタファーと見る説もあれば、火山の噴火の際の溶岩流と見る説もあるようだが、いずれにしても人力の及ばない、圧倒的な力を表している。そして日本人はそういった大自然の破壊力を擬人化して、祀ってきた。
しかし西洋では、それは「悪魔の化身あるいは悪魔そのもの」として、打ち倒すべきものとして見られてきた。

ここにもしも、日本人から見ても否定すべき「龍蛇」が登場したとしたら、それは一体どういうものだろう?
おそらくそれは、東洋的な精神世界の外部から来たもの、はっきり言えば、西洋から来襲したものとなるはずだ。
西洋から東洋に来襲してきた「龍蛇」。
それがキングギドラだ。



※『海底軍艦』には明治時代に書かれた同名の小説があり、映画の原作としてクレジットされているが、そこにはムウ帝国も守護神マンダも出てこない。映画の99%は関沢新一のオリジナルと見ていいと思われる。
なお、小説『海底軍艦』は、ネット上で全文を読むことができる。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000077/card1323.html

三大怪獣 地球最大の決戦 〜守護神ゴジラ誕生

神々の相談2

三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)が、ゴジラシリーズの転機となった作品であることに異論をはさむ人はいないだろう。

モスラ、ラドンとモンスター語で会話したうえに手を組み、結果的に地球を守るために戦ったことから、恐怖の対象としてのゴジラは本作で完全に終わりを遂げる(『ゴジラ大辞典』)。


いつまでもゴジラに「恐怖の対象」であることを望む人から見れば、この大転換によってゴジラはお子様専用に堕落したことになるようで、前作『モスラ対ゴジラ』までに比べると、この『三大怪獣 地球最大の決戦』はあまり評判がよろしくない。Wikipediaの記述もあらすじを除けば、そっけないものだ。

しかし、これまで見てきたように関沢ゴジラシリーズは、決してお子様に迎合するためだけの、行き当たりばったりの作品群ではない。ゴジラに、新しい時代にあわせた「ゴジラじしんの意味」を持たせるために、慌てず急がず着実に積み上げていった大きなストーリーのなかに、それらはあったとぼくは思う。
それは、今作『三大怪獣 地球最大の決戦』で、ゴジラがどのように登場したかを見るだけでも十分に分かることだろう。

『キングコング対ゴジラ』で松島湾から上陸したゴジラは、東北本線にそって南下すると、首都圏を迂回して富士山麓まで到達し、そこに現れたキングコングと戦った末、熱海近海に消えた。
続く『モスラ対ゴジラ』では、ゴジラは三重県の倉田浜干拓地から出現し、四日市を経由して名古屋を襲撃すると東に進み、静岡県岩島近海に消えた。

ぼくはこのゴジラの旅は、ゴジラのもつイメージの一つである「南洋に散った戦没者の霊魂」が「故郷参り」をする旅だと考えた。そして、ゴジラに込められた魂は一人のものではなく戦死した日本人の集合体であるから、東京、大阪、名古屋という順にゴジラは来訪(帰郷)し、蹂躙していったのだとも考えた。
そうだとすればゴジラが次に襲う都市は、1964年当時、日本で四番目に人口(出身者)の多い都市でなければならない。

・・・横浜。

太平洋沖に突然現れたゴジラは、通りがかった客船を放射能熱線で破壊すると、そのまま横浜港に上陸、当時のYOKOHAMAの象徴だったマリンタワーをなぎ倒した。今作のゴジラは、まさに1954年の『ゴジラ』から続くゴジラのイメージそのままの行動からスタートした。ゴジラには、横浜を襲撃する理由が十分にあったということだ。

※もともと1943年以来、五大都市(大阪、名古屋、横浜、京都、神戸)の一つとして規定されていた横浜市が名古屋市の人口を抜いたのは1968年のこと。現在は大阪市を抜いて、東京特別区に次ぐ人口2位(360万人)。


ゴジラがそうであるように、ラドンも1956年の『空の大怪獣ラドン』のイメージをともなって登場した。
当たり前のように「阿蘇山」から現れたラドンは、例によって無意味な飛翔を続けたのち、横浜上空でゴジラを見つけると箱根まで誘導し、戦闘状態に突入した。
すでに書いたように、ラドン=熊襲、というイメージは後続の1958年『大怪獣バラン』(関沢新一脚本)によって確定されたものだ。ラドン自体には阿蘇から生まれる必然はなく、熊襲のイメージと結びつく理由はどこにもなかった。しかしその後、東北地方から出現したバランが、アラハバキ信仰を思わせる「バラダキ山神」として祀られていたことで、ラドン=熊襲、バラン=蝦夷という対比が完成することになった。
今回、関沢新一は自らの作品のなかで、ラドン=熊襲のイメージを強調し直していることになる。


関沢新一にとってのお手馬とも言えるモスラは、完全に『モスラ』(1961年)『モスラ対ゴジラ』(1964年)から続く世界の中に存在している。前作で、インファント島と日本人との心の交流の実現として、日本からゴジラを追い出した新モスラは、小美人とともにインファント島で暮らしていた。
このモスラはインファント島の守護神であったが、日本で生まれたモスラでもあった。モスラの動物としての「帰巣本能」はインファント島ではなく日本にあった。

そのモスラは、日本にキングギドラが来襲して破壊活動を始めると、ちょうど来日していた小美人のテレパシーによって日本に向けて出発した。島民総出の見送りだ。モスラの目的は単独でキングギドラと戦うことではなく、共同して戦うべくゴジラとラドンを説得するというものだった。
この説得は富士山麓で行われた。主役の進藤刑事が「モンスター語なんて習ったことないよ」と嘆くが、小美人が通訳となって人間側に彼らの対談の様子を中継した。

「争いをやめて、みんなで力を合わせて、地球をキングギドラの暴力から守ろうと言っています」
「モスラは、今までの行きがかりはさっぱり捨てようではないか。と言っていますが、ゴジラもラドンもお互いにおまえが謝れと言い合っています」
「この地球は人間だけのものではない。みんなのものだ。その地球を守るために戦うのは当たり前ではないか。ということで、話はまとまりかかっています。・・・やっぱりダメです」

いかなる説得もゴジラとラドンの心を動かすことはなく、諦めたモスラは単独でキングギドラに立ち向かっていく。が、結局はこのモスラの果敢な行動が、ゴジラとラドンを動かすことになった。3頭はそれぞれの得意技を生かしたチームワークを発揮して、見事にキングギドラを宇宙へ撃退することに成功したのだった。モスラは小美人とともにインファント島へ帰っていき、ゴジラとラドンはその姿を見送る・・・。


ストーリー上で注目すべき点が二つある。
まず第一点は、小美人がモスラ同様に、ゴジラとラドンの言語も理解できるということだ。小美人はいわゆる巫女であるので、「神」であるモスラの言葉を一般の人々に伝えることがその役目だ。
その小美人がゴジラらの言語を理解できた。ということは、ゴジラとモスラは同じ言語を用いて対話していたことになる。モスラとゴジラ、ラドンは、実は同じ世界の住人であることがここで示されている。

第二点は、いつも海から現れて海に消えるという行動パターンを(結果的に)繰り返してきたゴジラが、今作ではついに日本の地にとどまった、ということだ。
ゴジラがこれまで、一貫して「恐怖の対象」であった理由を「アンチまれびと信仰」として考えることも可能だろう。

折口信夫は、海の彼方にあると信じられていた他界から、時を定めて村落共同体を訪れ、人々を祝福する霊的存在を「まれびと」と呼んだ。それが用語として定着した。折口信夫は、この「まれびと」に対する信仰が、日本の民俗信仰の根幹にあると考えた(http://www.pandaemonium.net/menu/devil/marebito.html)



ゴジラは、この「日本の民俗信仰の根幹」である「まれびと」と同じように現れるが、祝福するかわりに人々を呪い、人々に祟った。言ってみれば、日本人の民俗信仰の根幹を揺るがす存在がゴジラだった。だから「恐怖の対象」足りえた。
その「アンチまれびと」のゴジラは今回、海から来たが、海に戻ってはいかなかった。
関沢新一が明確な意図を持って、今作でゴジラのイメージを転換させようとしたことは疑いがない。
ゴジラは日本人の精神の根底にある「恐怖の対象」ではなくなった。
代わりにゴジラに与えられたイメージは、モスラと同じ言語を解する、モスラ世界の住人というものだった。

つづく

怪獣大戦争・南海の大決闘・ゴジラの息子

ミニラ2

三大怪獣 地球最大の決戦』でゴジラに与えられた新しいイメージは、ゴジラがモスラと同じ世界に存在する者であるということだった。そしてゴジラは、海の彼方から現れて再び海に去っていく「まれびと」であることを止め、日本の地にとどまった。

その後のゴジラの足取りはこうだ。

怪獣大戦争』(1965)は前作『三大怪獣 地球最大の決戦』の直接の続編とみていいだろう。前作では地球襲撃の目的も理由も全く不明だったキングギドラは、今作では地球侵略をもくろむ「X星人」の手先として登場する。X星人は前回の反省から、侵略を仕掛ける前にまず地球からゴジラとラドンを奪う作戦に出た、と考えると全てがすっきりと理解できる。

今作『怪獣大戦争』のゴジラのストーリーは、ゴジラが日本アルプスにある明神湖の湖底で秘かに眠っていたところ、X星人のUFOの電磁波によって捕獲され、X星に連れて行かれるところから始まる。同じく連行されたラドンとともにX星でキングギドラと戦うゴジラだったが、この後、X星人に脳波をコントロールされると富士山麓に放たれ、農村部から都市部へと暴れ回る。やがて正気を取り戻したゴジラは目の前にキングギドラがいることに気がつくと猛然と襲いかかり、最後はキングギドラもろともに海に転落していく。キングギドラだけが浮上して宇宙に飛び去っていくが、ゴジラとラドンはついに現れなかった・・・。

簡単にまとめてしまえば、『怪獣大戦争』でゴジラは2度覚醒し、いずれも目の前にキングギドラがいたので『三大怪獣・・・』の続きとばかりにそれと戦った。
今作でのゴジラのストーリーはたったのそれだけのことで、それ以外の劇中のドラマは一切ゴジラの与り知らぬことだった。


続く『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966)でも、ゴジラのストーリーと言えるものはほとんどない。
『怪獣大戦争』のラストで海に転落したゴジラは、インファント島にほど近い南海のレッチ島で眠っていた。その島では「赤イ竹」という謎の組織が核爆弾の製造を行っていたが、そこへ漂流してしまった日本人がゴジラを目覚めさせてしまう。ゴジラは攻撃してくる「赤イ竹」と戦い、彼らの核製造施設を破壊する。島が核爆弾で爆発する寸前、ゴジラは海に飛び込んで難を逃れる・・・。

今作にもゴジラの行動にゴジラの主体性はない。ゴジラは眠っていたかったのに、人間たちがそれをわざわざ目覚めさせ、暴れさせているだけのことだ。
とは言え『南海の大決闘』にもみるべき点はある。それは「核のメタファー」であったはずのゴジラが眠るすぐそばで、ゴジラとは無縁の核兵器が製造されていたという点だ。そしてゴジラはその核製造施設を破壊した。
このことをゴジラに核廃絶への願いを託したと見るのは、あまりにこれまでのゴジラの歩みを無視した捉え方だろう。むしろ反対に、もはや「核」のイメージはここでゴジラから完全に切り離されたのだ、とぼくは思う。


怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967)も、南太平洋が舞台となった。
ゾルゲル島に放置されていたゴジラのタマゴからミニラが孵り、そのミニラを守るためにゴジラがやってくる。ゴジラは島の怪獣を蹴散らしながらミニラの教育を始めるが、ここでもどういうわけかやたらと眠りたがる。その頃ゾルゲル島では人間による気象実験が行われており、この実験によって島は冷凍化し、ゴジラとミニラは雪に埋もれる・・・。

この3作はいずれも関沢新一の脚本によるものだ。
それにしてもこの3作を続けてみていくと、まるで関沢新一はゴジラに意味のあるストーリーを与えることを避けているかのようだ。いつだってゴジラは眠りたがっているだけだ。それを周囲のものたちが、なんだかんだと騒ぎ立てて、ゴジラをドラマのなかに引っ張り込もうとする。
はっきり言ってしまえば、この3作にゴジラは必要ない。『ゴジラの息子』もゴジラを出さず、ミニラだけで後の怪獣王の幼少時代を描くこともできたはずだ。なにしろゴジラときたら、息子に多少のアドバイスはするものの、ほとんどは寝ていたのだから。

果報は寝て待てと言うが、それではゴジラは寝ていることで何かの果報を待っていたのだろうか。
『三大怪獣・・・』では、ゴジラがモスラと同じ世界の住人であることが示唆された。これはすなわち、東洋的なアニミズムの「神」の世界の住人と言えるものだろう。日本では八百万の神と言われるものだ。
そして日本で生まれた新モスラは、インファント島においては島の守護神として崇拝されていた。ならば、ゴジラは日本の守護神足りえるのではないか。
それが『三大怪獣・・・』でゴジラに付与されたイメージだ。

そしてまたこのイメージは、『三大怪獣・・・』で唐突に押し付けられたものではなかった。『キングコング対ゴジラ』に始まるゴジラの旅路を通して、慌てず急がず、着実に積み上げられたイメージであることは、これまでじっくり観察してきた通りだ。
しかしここでゴジラを日本の守護神と見るイメージが、「大転換」と言われるほどに古いイメージからかけ離れたものかと言えば、実はそうではない。

そもそも1954年の『ゴジラ』に見られた初代ゴジラのイメージとは何だったか。
一つはゴジラは原爆や東京大空襲といった、あの戦争のメタファーであるということ。
もう一つは、ゴジラがあの戦争の戦没者の霊魂であるということだ。
では、あの戦争の戦没者とは何者だったのか。言うまでもない。彼らはこの日本を守るために、日本に残していった人々を守るために、散っていった人々だ。もしもゴジラが彼らの霊魂の集合体であるなら、ゴジラはもともと、この国を守るために現れても不思議ではない存在だったのだ。

よみがえったゴジラは、あの戦争を忘れ、自分たちを忘れようとする戦後の日本人に腹を立てたのか、日本の主要都市を次々と襲撃していった。しかし『海底軍艦』の神宮寺大佐がそうであったように、怒りをぶつけている相手こそが他ならぬ、かつて自分が守ろうとした人々であったことを思い出したのか、ゴジラの怒りは急速に収まっていく。ゴジラは「ゴジラじしんの意味」を取り戻していく。

ここまでが『三大怪獣・・・』までのゴジラのストーリーだ。
しかし、このストーリーが完結するためには、ゴジラにも、関沢新一にも、自分ではどうにもできない一つの条件が不足していた。それは地理的な条件だ。それが満たされるまでは、ゴジラは寝て待つしかなかった。
そしてそれは、ゴジラのもう一つのイメージである「原爆と東京大空襲」から導きだされるものだった。

つづく

怪獣総進撃(1968年東宝) ~なぜ小笠原か

ラドンとイルカ2

怪獣総進撃』(1968年・東宝)の舞台は20世紀末の地球、ということになっている。そこでは「国連科学委員会」が硫黄島に宇宙空港を作るかたわら、
「小笠原諸島周辺を利用して、一大海底牧場を建設。あらゆる魚類の養殖を始め、陸上には世界の恐怖であった怪獣を集め、怪獣ランドとしてその研究が進められていた」
このとき「怪獣ランド」に集められた怪獣は10体。ゴジラ、ミニラ、ラドン、モスラ、バラン、マンダ、アンギラス、バラゴン、ゴロザウルス、クモンガ。
彼らはここで管理され、飼育されていたのだった。

この「怪獣ランド」がある時「キラアク星人」に占拠されてしまう。キラアク星人は怪獣たちを操縦して世界の都市を襲わせ、攻撃を止めさせたければキラアク星人の地球での居住権を認めろと脅迫してくる。これに対し「国連科学委員会」は月にあるキラアク星人の拠点を破壊して、怪獣たちの操縦権を取り返す。地球人に操縦された怪獣たちが伊豆にあるキラアク星人の基地に向かうと、キラアク星人はキングギドラを差し向けて対抗してくる。しかし多勢に無勢で、キングギドラはゴジラたちに殺されてしまう。するとキラアク星人は今度は自分たちのUFOで、「怪獣ランド」のコントロールセンターを破壊する。怪獣たちのコントロールが全て解除される。しかし主人公・山辺が「動物の本能で敵がちゃんとわかるんだ」と言うとおり、ゴジラたちは自分の意思でキラアク星人の基地を襲い、それを倒した。怪獣たちが再び「怪獣ランド」で生活している様子を映し出して、『怪獣総進撃』は終幕する・・・。


「怪獣ランド」はなぜ小笠原にあるのか?
この答えには、歴史的な意味と、地理的な意味の2つが考えられるだろう。
このうち歴史的な側面については、あれこれ詮索する必要など全くない。『怪獣総進撃』の公開は1968年8月だが、サンフランシスコ講和条約以来、アメリカ海軍の軍政下にあった小笠原諸島が日本に返還されたのは、同年6月26日のことだった。『怪獣総進撃』に、果たして小笠原諸島の返還を記念する意図があったかどうかは知らないが、少なくともこの歴史的な事実がなければ、小笠原諸島を舞台にした映画が作れたはずはない。ゴジラが米軍と同居していることになってしまうからだ。

問題となるのは、小笠原の地理的な意味だ。

『怪獣総進撃』に至る東宝怪獣映画シリーズとは何だったのか。特に、関沢新一が描いてきた「怪獣」とは何だったのか。作品名で言えば『大怪獣バラン』『モスラ』『キングコング対ゴジラ』『海底軍艦』『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』で描かれた「怪獣」とは何か。
それはアニミズム的な「神」だった。

さらに関沢新一は、他の作家が作り出したゴジラやラドンにも、手駒であるモスラを使うことで同じ「神」のイメージを付け加えていった。蝦夷の神バラン、熊襲の神ラドンは本土の神。さらには先の戦争で日本人が大いに関与し、また日本民族のルーツの一つでもある南洋の神としてモスラとマンダ。
ゴジラは何だろう。ゴジラには作品を通じて、それが太平洋に散った戦没者の霊魂であることが示唆された。ならばゴジラは東京の靖国神社に祀られるべき神だろう。
こうした日本にまつわる神々の復活こそが、東宝怪獣シリーズだったとぼくは思う。

こうして復活した日本の神々が集められたのが小笠原の「怪獣ランド」だった。
このとき計画の主導者として「国連科学委員会」という名称が出されるが、これは一種の煙幕だと言っていい。なぜならキラアク星人に操られたゴジラが真っ先に襲撃したのは、まさしくニューヨークの国連本部ビルだったからだ。ゴジラはわざわざアメリカ東海岸まで回り込んで、そこだけを狙って現れた。
国連本部がなくても「怪獣ランド」は機能する。「怪獣ランド」と「国連科学委員会」は実は何の関係もないことが劇中ですでに表されている。


それでは各地から集められた怪獣たちは、小笠原でいったい何をしているのか。日本にまつわる神々は何のために小笠原に終結しているのか。
主人公、山辺は言った。
「動物の本能で敵がちゃんとわかるんだ」
山辺がこう言うまでの怪獣たちは、キラアク星人か地球人かのいずれかの操縦によって行動させられていた。しかしその操縦が解かれた瞬間、怪獣たちは即座にキラアク星人を「敵」と判断し、自主的に攻撃を開始した。
ここで注意すべきことは、ゴジラたちは地球人を「敵」だとは見なさなかったということだ。もしも彼らが「操縦された」こと自体を不服としていたなら、ゴジラたちはキラアク星人の次は地球人を攻撃すべきだった。

しかしゴジラたちはキラアク星人だけを「敵」とした。となると、ゴジラと地球人は、侵略者から地球を守るという点において、その意思が一致しているということになる。同じ「敵」を共有していることになる。
しかし「怪獣ランド」が実際のところ「国連」とは無関係なように、ゴジラたちが守るべきは「日本」であって、それ以外の地域ではない。
そしてここで思い出すのは、ゴジラが元は「原爆」や「東京大空襲」のメタファーでもあったということだ。ゴジラは「戦没者の英霊」でありながら「日本の戦争被災の象徴」でもある矛盾した存在だった。
しかし、だからこそゴジラは知っていたはずだ。日本を守るために散っていった戦没者として、日本に「原爆」や「東京大空襲」をもたらした「敵」のいる場所を・・・。

それはマリアナだ。
グアム、サイパンが陥落した時点で、日本本土はB29の攻撃圏内におさまってしまった。「原爆」も「東京大空襲」も、マリアナからやってきたものだった。
だからもしもゴジラが「ゴジラじしんの意味」を日本守護に見出したのなら、ゴジラはマリアナに向かわなければならない。二度とB29が飛ばないように、マリアナを監視しなければならない。
そして日本の領土内で一番マリアナに近い場所、それが小笠原諸島だった。

『怪獣大戦争』『南海の大決闘』『ゴジラの息子』で眠り続けたゴジラは、この日をずっと待っていたようにぼくには思える。小笠原の返還によって、ゴジラはついに「ゴジラじしんの意味」を取り戻した。水爆にすら耐えたゴジラは、いまや「水爆そのもの」となって小笠原からマリアナににらみを利かせている。
ゴジラは靖国に安穏と納まっていてはいけなかった。同じくバランは北上を、ラドンは阿蘇を出なくてはいけなかった。

小笠原へ。

そこは彼らの「動物の本能」が示す「敵」に、もっとも近い最前線だった。


・・・が、これでもまだゴジラたちの物語は完結しなかった。
いや、正確にはモスラ、ラドン、バラン、マンダの物語は完結した。ゴジラもほぼ、ゴジラ自身の物語自体は語り尽くした。しかしあと一点、ゴジラにはゴジラ自身が乗り越えなくてはならない問題が残されていた。
さらに、神々による日本守護という点では、明らかに不足しているピースがあった。
そして、これまで全く語られることがなかった「神」の物語も残されていた。

アンギラスだ。

つづく

アンギラスとバラゴン 〜なぜシベリアか

アンギラスとバラゴン

怪獣総進撃』(1968)で一応の完結をみた関沢ゴジラシリーズだったが、『怪獣総進撃』自体は実は関沢新一の脚本ではなかった。それを書いたのは、関沢新一と並んで東宝特撮映画シリーズの脚本を手がけてきた馬淵薫(木村武)だ。馬淵薫は東宝では主に『地球防衛軍』『ガス人間第一号』『妖星ゴラス』『マタンゴ』といったSF作品を扱ってきた人だが、その前歴は日本共産党の幹部だったそうだ。

関西大学を中退し、1930年に日本共産党の社会主義運動を起こし、約10年間入獄したのち、日本共産党の佐賀委員長を勤める。1950年に離党し1951年から八住利雄に師事し脚本家になる。東宝のネガティブ、アプローチ路線の映画を多数執筆(Wikipedia)


その経歴のせいか、馬淵薫の怪獣観はきわめて「唯物史観」的だ。
『空の大怪獣ラドン』のラドンは、2万年前のプテラノドンの生き残りだった。ラドンはエサを求めて飛び回り、牛や馬どころか人間まで食ってしまった。
『キングコングの逆襲』のゴロザウルスも、実在の恐竜アロサウルスの子孫ということであって、それ以上の意味はない単なるキングコングのやられ役。
『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』のバラゴンにも、これといった意味のようなものは見つからない。秋田県から現れたことでバラン同様の「蝦夷」を考えたくなるところだが、バラゴンは出身地にまったくこだわることなく地中を掘り進んで日本アルプスまでやってくると、やはり家畜や人間を食った。

このように馬淵薫が描く怪獣はどこまでいっても「動物」であって、香山滋や関沢新一が与えたような、怪獣の「神性」と言えるようなものはない。『怪獣総進撃』で主人公の山辺が言ったセリフ、「動物の本能で敵がちゃんとわかるんだ」は、そんな馬淵薫の考える「怪獣」というものの率直な表れとみていいだろう。

そして『怪獣総進撃』とはそうしてみると、馬淵薫と関沢新一という東宝特撮映画の二枚看板がそれぞれの怪獣観をぶつけあった作品という意味でも、ひとつの集大成と言えるものだった(馬淵陣営からはラドン、バラゴン、ゴロザウルス。関沢陣営からはモスラ、バラン、マンダ)。
しかしここに一頭、いずれの陣営にも属さず、突然の復活を遂げた怪獣がいる。

アンギラスだ。


ゴジラの逆襲』で太平洋は岩戸島に現れたアンギラスは、一般的に「シベリア出身」とされている。
が、『ゴジラの逆襲』の劇中で、アンギラスがどこから来たのかについての説明は一切されていない。Wikipediaをみても

『ゴジラの逆襲』のビデオジャケットにはアンギラスがシベリア出身と表記されている


とあるだけで、一体いつからアンギラスがシベリア出身ということになったのかについての具体的な出典は示されていない。

強いて根拠を求めるならアンギラスが「アンキロサウルスが水爆実験の影響で目覚めたもの」と劇中で説明された点になるかもしれないが、当時のソ連が水爆実験を行ったのはカザフスタンと北極海であって、シベリアではない。

ではなぜ、アンギラスはシベリア出身なのだろう?

それが具体的に劇中で表されたのは、実は『怪獣総進撃』から6年後の『ゴジラ対メカゴジラ』の中でだった。ゴジラシリーズの最後の最後に、ようやくアンギラスはシベリアの地に生息していることが確認できたというわけだ。
それまで間の『ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ対メガロ』では、アンギラスは「怪獣島」でゴジラとともに暮らしていた。
この「怪獣島」が「怪獣ランド」と同じものかどうかは劇中でははっきりとは分からない。ナレーションでは怪獣たちは「怪獣島に住み着いている」といわれているが、「住み着いている」と「管理・飼育されている」というのは微妙にニュアンスが違う気がする。しかし「怪獣島コントロールセンター」が怪獣を「監視している」ことも確かなことなので、おそらく同じものなのだろう。
いずれにしても、「怪獣島」に同居するゴジラとアンギラスはいつしかコンビを組むようになり、協力してガイガンやメガロ、メカゴジラと戦った。

ゴジラとアンギラスのタッグチーム。
この組み合わせはアンギラスをシベリア出身に特定することによって、不思議な効果を生み出すことになった。それは、アンギラスとは「シベリア抑留」の犠牲となった人々の象徴なのではないか、というイメージだ。

もちろん『ゴジラの逆襲』からもそれ以後の作品からも、アンギラスとシベリア抑留者を結びつけるような表現は何もない。それはただ、ゴジラのもつ「南洋の戦没者」というイメージとの対比によって、アンギラスが極寒地の戦没者であってもおかしくはないと思わせているだけのことだ。
つまりここでは、バラン=ラドン、あるいはモスラ=ゴジラで行われた意味の拡大が、同じように行われているとみることができる。
『ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ対メガロ』『ゴジラ対メカゴジラ』、いずれも関沢新一の関わった作品だ。


それにしてもなぜシベリアなのか?
戦没者や引揚者ということであれば、南洋やシベリアよりも大陸方面の方がはるかに多い。それにも関わらず、中国や朝鮮出身の怪獣はいないのは何故なのか?
おそらくそれは、関沢ゴジラシリーズの怪獣たちが、縄文的なアニミズムの「神」だからだとぼくは思う。

われわれ日本人はどこから来たのか。
2001年に放送されたNHKスペシャル『日本人はるかな旅』では、縄文人の人骨から採取されたDNAをアジア各地の現代人と比較した結果、それがシベリア(バイカル湖近辺)の「ブリヤート人」のDNAと酷似していることをつきとめている。このとき現在のブリヤート人が多数映像に出てくるが、驚くほどぼくら日本人と似ていることに気付かされる。これはつまり、日本列島に最初に定住したのは、20000年前にシベリアから流入してきた人々だったということだ。
ここに12000年前ごろ、南から黒潮に乗ってやってきた人々が合流し、縄文人が形成されていく。そして8000年前の対馬暖流の誕生を契機に、一気に縄文文化が花開いていったそうだ。

日本人のルーツはシベリアと南洋にあった。
NHKは言う。
「この(縄文)時代に生まれた森の文化こそ、日本の文化の原点だと言われています」

その「日本の文化の原点」には、縄文的なアニミズムも含まれることだろう。だからこそ『モスラ』のなかで、日本人とインファント島民の間には、太古の祖先を同じくする心の交流が生まれたのだろう。

そして『大怪獣バラン』にもその痕跡はあった。
劇中でバランの住む北上川上流にある湖からは、シベリアにしか生息しないはずの「蝶」が発見されている。このことはバランの住む湖とシベリアが、実は地下洞窟か何かでつながっている可能性があることを表しているように思える。バランはもしかしたら、「蝦夷」とシベリアを行き来する怪獣だったのかもしれない。

そして日本には、いまなお縄文的なアニミズムをそのまま残している地域がある。
土着の「神」を、わが家の守護神として大切に残している地域がある。

沖縄だ。

つづく

関連記事:ゴジラの逆襲

ゴジラ対メカゴジラ ~キングシーサーの意味

シーサー

ゴジラ対メカゴジラ』(1974)の舞台となったのは、その2年前に日本に返還されたばかりの沖縄だった。
この沖縄の玉泉洞付近に基地を建設した「ブラックホール第3惑星人」は、地球征服を狙って「メカゴジラ」を建造する。この異変に気がついたアンギラスは、シベリアと思われる極寒の地からゴジラを呼ぶと、自らも地中を掘り進んで富士山麓に向かう。しかし、ゴジラに扮したメカゴジラとアンギラスの戦闘は、メカゴジラの圧勝に終わる。

なおも破壊を続けるメカゴジラの前に、今度は本物のゴジラが現れる。2頭の勝負は互角で、相打ちとなる。メカゴジラは沖縄の基地で修理され、ゴジラは南海の孤島で落雷のエネルギーを吸収する。
そのころ沖縄では、人間たちの努力によって「伝説の聖獣キングシーサー」が復活させられようとしていた。これを妨害しようと出撃するメカゴジラだったが、間一髪のところでキングシーサーは覚醒する。しかし改修されたメカゴジラは強力で、キングシーサーは劣勢に回る。するとここにようやくゴジラが現れ、キングシーサーと協力してメカゴジラと戦う。一時はそれでも苦戦におちいった2頭だったが、落雷のエネルギーで全身を磁石のかたまりに変えていたゴジラは、磁力によってメカゴジラを引き寄せると羽交い締めにし、ついにその首をへし折った。侵略者の基地も破壊され、ゴジラは海へ帰っていき、キングシーサーは再び玉座で眠りについたのだった・・・。


ゴジラ対メカゴジラ』は、実質的なゴジラシリーズの最終回だった。1954年の『ゴジラ』からちょうど20年。長く続いたゴジラシリーズはここに完結し、ゴジラ自身もここで完成した。
1968年の『怪獣総進撃』では、よみがえった縄文の神々が日本の東の果てである小笠原諸島に終結した。彼らは日本の守護神として最前線に立ち、「敵」への備えとなった。再び日本に向かってB29が飛ばないように、そして、再び日本の地が誰かの手で奪われないように、彼らは小笠原の重石となった。

この配置が可能となったのは、同1968年の小笠原返還のおかげだった。しかしその時なお、奪われたままの日本の地があった。それが沖縄だ。ゴジラたちがいくら小笠原で頑張っても、沖縄が欠けていては獅子身中に虫を飼っているようなものだ。
その沖縄は、1972年にようやく日本に返還された。ならばゴジラは沖縄で「侵略者」と戦って、勝たなくてはならない。もうこの地は誰にも渡さないと宣言しなくてはならない。

沖縄の守り神、キングシーサー。
縄文的なアニミズムが、そのまま現代まで残った希有な「神」と言っていいだろう。この、本物の守護神と協力することで、ゴジラにもここでようやく完全に「守護神」という意味が与えられた。そして沖縄の「神」を仲間にしたことで、蝦夷から南洋まで、南北5000キロに渡る日本守護の結界が完成した。これはもう、一種の呪術的布陣と言ってもいいだろう。
ひとたび日本に害をなすものがあれば、彼ら縄文の「神々」は、蝦夷から、熊襲から、琉球から、南洋から、そして靖国から、「敵」との最前線である小笠原に駆けつけることになるだろう。
ここに、日本守護の呪術的な包囲陣としてのゴジラシリーズは、完結した。


そしてゴジラ自身も、その完成に向かう。
これまでゴジラの最大の敵はキングギドラだった。キングギドラについては長山靖生さんという評論家が『怪獣はなぜ日本を襲うのか?』という本のなかで、こう書いている。
金髪を振り立てた三位一体の原理!
すなわちそれは、白人のキリスト教徒であると。

「龍」そしてその原型である「蛇」を信仰の対象としてきたアジアと異なり、白人のキリスト圏において「竜」は絶対悪の存在だった。そんな絶対悪として登場するキングギドラという「竜」が、アジア的感性の外部から飛来したことは疑いようがない。

そしてキングギドラとは、侵略者の手先となって破壊を行う「兵器」でもあった。ここからキングギドラの三つ首を、陸海空の三軍の象徴とみることもできるだろう。羽を広げたキングギドラの姿は、全てを鷲掴みにしようとする黄金色の手のようにも見える。
しかしそんなキングギドラはついにゴジラには勝てなかった。
ゴジラの敵は、ゴジラだけとなった。

もともとは「近代」のアンチテーゼとして存在したはずのゴジラだったが、いつしかその意味は薄れていった。ゴジラは「近代」を、そして「戦後」を受け入れ、その意味を変質させた。
メカゴジラとは、まさにそういった現在のゴジラの姿そのものだった。メカゴジラと戦うことは、ゴジラがその本質と戦うことでもあった。それはメカゴジラと同じ様に、ゴジラが人間のために戦う「兵器」となってはいないか、という問いかけでもあった。

ゴジラはそのことを確かめるかのように南海の激しい嵐の中に身を置くと、落雷という大自然の膨大なエネルギーと対決する。そしてその力を自分のものとした時、ゴジラは再び帰ってきた。
ゴジラは「近代」に呑み込まれてはいなかった。ゴジラは今も、大自然とともにあった。ゴジラはその大自然の一部としての「神」であることを、自らの手で獲得した。
ゴジラは日本人に都合よく働いてくれる「兵器」ではない。むしろゴジラは大自然にある「神」として、日本人をも監視する存在となった。
それが、1954年の『ゴジラ』から20年の時を経て、ここに完成したゴジラの姿であるようにぼくは思う。

こうしてゴジラの全ての物語は幕を閉じる。
沖縄の神を得て、ゴジラ自身の意味を完成させたゴジラシリーズが描けるものは、もはや何も存在しない。



もちろん、ぼくがここで言う「侵略者」がアメリカ合衆国だからと言って、関沢新一が反米的な思想を持っていたということではない。しかし香山ゴジラを正確に解釈し、それを戦後の日本の状況に合わせて再構築していった結果、関沢ゴジラが我知らずのうちにそのような性格を帯びてしまったのではないか、という意味で言っている。

そしてまた、昭和の東宝怪獣シリーズが戦後日本の歩みをまさしく反映したものであるとするなら、それらが存在した日本の時空には実は「脱アメリカ」のチャンスが存在していたことの証明になるのではないか。すなわちゴジラがゴジラ自身の意味を取り戻していったように、日本人が日本人である意味を取り戻せるチャンスが存在していたのがあの時代だったのではないか。

最近初めて昭和の東宝怪獣シリーズを通して観て以来、ぼくはそのような思いに取り憑かれている。


ところで、ゴジラにとっては終着点であった沖縄の地・・・。
しかしその沖縄を出発点とした男たちもいた。ウルトラシリーズのメインライターであった金城哲夫、そして上原正三だ。

つづく

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