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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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風立ちぬ(1)〜小冊子『熱風』

熱風

話はいきなり宮崎駿に戻る。

2013年7月に発行されたスタジオジブリの小冊子『熱風』には、正直参った(笑)。
ここに宮崎駿の名義で寄稿された文章のタイトルは『憲法を変えるなどもってのほか』で、文中でも「本当に日本が嫌いになりました」「情けない戦争だったんだ」「本当に日本人はダメだと思いました」などと反日的発言の連発。

このブログで、宮崎駿が左翼を辞めたことを嬉々として取り上げた身としては、腹立たしいやら恥ずかしいやらで、思わず印刷したPDFを破り捨てそうになり、該当記事には夜中にコソコソ言い訳がましい「追記」を加えたりしたもんだった(参考記事)。

しかしそんな厄介な文章は、今では良く知られているとおり、落ち着いて熟読するとそれほど「反日」でもないし、もちろん左翼っぽくもない。いたって中立的な論説だ。これは続いて収録されている鈴木敏夫の典型的なお花畑思考(『9条 世界に伝えよう』)や、反米のクセに9条を喜ぶ高畑勲の教条的左翼思考(『60年の平和の大きさ』)と読み比べることで、すぐに腑に落ちることができる。

例えば宮崎駿が批判的に語ってる満洲事変について。
宮崎は、日露戦争が終わった時点で遼東半島は中国に返還すべきだったと、当時の朝日新聞が聞いたら猛烈にバッシングしそうなことを言っている(笑)反面、「(そういう発想は)帝国主義の時代ですから世界にもなかった」とか「日本だけが悪人と言うことではない」などと、及び腰なフォローも入れている。

これは生粋の左翼から見れば「日和り」以外の何物でもないだろう。悪いのはあくまで日本だけであって、白人の侵略は「きれいな侵略」だし、現在の中国の侵略は「少数民族の保護」のはずだ(笑)。

まぁなかには、慰安婦に賠償しろとか、領土問題は折半か共同管理しろとか、互いの事情や実情を無視した戯れ言も散見されるんだが、それでも「尖閣諸島なんか明け渡しちゃえばいいじゃない」などと宣うホリエモンなんかよりは、よっぽど「中立」だ。しかも宮崎駿にとっては、慰安婦や領土の問題などは、「そんなことよりも」と他の話題に移ってしまってもいい程度の問題でしかない。

ならばと、宮崎駿のいわゆる「歴史認識」をいちど棚上げしてみると、およそ元左翼の運動家とは思えない宮崎駿の「現在地」のようなものが見えてくる。
いくつか興味深い発言を引用していく。

僕は「自分の命よりももっと大事な大義があるんじゃないか」とか、「そのために死ぬんだ」と思って、そっちの方へ、ガーンと行ってしまうタイプの人間なんです。もうちょっと早く生まれていたら、絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした。

 かつて、スイスやスウェーデンという中立国に憧れたことは事実でした。平和の国があってハイジが走り回ってるんだっていうイメージしかなかったから。でも、実際は違うわけで、非武装中立ということは現実にはあり得ないです。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃいけない。ただ、それ以上は「ちょっと待て」というのがやっぱり正しいと思うんです。

前にも言いましたが、今、はっきりしなきゃいけないのは、産業構造をどうするかという問題です。「自分たちの食うものや着るもの、住むものは自分たちで作ろう」という思想を持たずに、ただ消費して、あとは全員がサービス業みたいな、そんな国にしたってしょうがないし、うまくいくわけがないに決まってます。(中略)要するに今の世界中を覆っている、このマーケット中心のやり方というのはダメなんです。


ここで特に注目したいのが引用の3段目で、ストレートにグローバル経済を否定しているのみならず、明らかに「国境」を意識した考え方が見受けられると思う。左翼が標榜する「地球市民」や「世界政府(あるいは無政府)」とは180度異なる、いたって保守的な国家観だ。

まぁそれもそのはずで、かつて宮崎駿が「心情左翼」をやめたのは、ソ連やベルリンの壁の崩壊のせいじゃなくて、ユーゴスラビアが前時代的な「民族主義」に回帰していったことが理由だった。つまり、人間が「進歩」を求めず、国境の中に戻っていった現実から、宮崎は目をそらさなかったというわけだ(※)。

さて、ではそんな元は軍国少年予備軍で、心情左翼はやめて、保守っぽい世界観をもつ宮崎駿の憲法観とはどんなものか。宮崎は本当に「憲法を変えるなんてもってのほか」と言ってるのだろうか。

もし本当に戦火が起こるようなことがあったら、ちゃんとその時に考えて、憲法条項を変えるか変えないかはわからないけれど、とにかく自衛のために活動しようということにすればいいんです。立ち上がりは絶対遅れるけれど、自分からは手を出さない、過剰に守らない。そうしないと、本当にこの国の人たちは国際政治に慣れていないからすぐ手玉に取られてしまいます。

 憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです。(中略)多数であれば正しいなんてことは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない。


以上、宮崎が「もってのほか」と言ってるのは、”現実的な手続きについて”であって、狂信的に何が何でも改憲は認めんと騒いでるわけじゃあないわけだ。実際に領土が侵されたとき、それに対する国民の論議の結果としての改憲はアリだと言ってるように、ぼくには聞こえる。

高畑勲のように、日本人はバカだから歯止めとしての9条が必要だと自虐したり、鈴木敏夫のように、9条がある日本国を侵略できるわけがないと夢想したり、そんなのとは異なる至って現実路線の話を宮崎駿はしていると、ぼくには思える。

尖閣諸島を失うのは痛いが、それによって沖縄や対馬の自主防衛論が巻き起こると言うのなら、それはそれで議論の俎上には乗せられるのだ(日本人をバカ扱いする人や白昼夢を語る人とはお話する気になれないが)。



というわけで、以上、小冊子『熱風』2013年7月号から見えてくる、宮崎駿の「現在地」のようなことを考えてみた(たしかYouTubeにもっと詳しく解説した動画があったと記憶する)。

口の悪いオヤジでいちいち腹が立つ物言いだが、少なくとも反日的でも左翼的でもない。というか、かつてのお仲間に遠慮もしなければ擦り寄ることもなく、正直に自分の言葉を語ってる姿は痛快にさえ思える。もしも、「日本が嫌いになった」とか「日本人はダメだ」とか、余計なこと(笑)を言わなければ、あれだけネットで叩かれたりもしなかっただろう。

しかし宮崎には宮崎で、日本や日本人を嫌ったり失望したりする理由があったはずだ。
それをこのPDFから探すなら、どうやら実のお父上の話題がカギになりそうだ。

 後にロバート・ウェストールが書いた『”機関銃要塞”の少年たち』などを読んだ時に「あ、この人は俺の先輩だ」と思いました。主人公は戦時下の少年で、大人たちが「戦争、戦争」と言いながら、まじめに戦争をやってないことに腹を立てている。それが自分と周りの世界との境目を、見極めるきっかけになっているんです。


宮崎から見て、そんな「まじめに戦争をやっていない」大人の代表が、実の親父さんだったようだ。曰く「現実主義者でニヒリスト」「天下国家、俺は知らんというような人物」「徹底した刹那主義者」「世界情勢がどうこうということを認めたくなかった」「大局観なし」とボロクソだ。

若き日の宮崎は、そんな父にも戦争責任はあるはずだと中二病を起こすが、親父さんはそんなものを背負う気は全然なく、戦後もすぐにアメリカ人と友人になって「家に遊びに来い」と誘ったそうな。要するに「節操がない」・・・。

ぼくが見るところ、どうやら宮崎青年はそんな親父さんと「戦後日本」(あるいは戦後日本人)を同一視していたような気がする。

そもそも宮崎は「アメリカ人からチューインガムやチョコレートをもらうような恥ずかしいことはできない、そう思うような子どもでした」というが、同じような感慨を語ることのある松本零士は左翼思想には走らず、素直にやや反米的で、かなりアンチグローバリズムな名作群を生み出した(参考記事)。

この二人の違いに、少年時代の家庭環境を考慮するのは全くの間違いではないだろう。
松本零士の父親は、軍オタ少年予備軍の宮崎駿には憧れの的であるはずの、陸軍航空部隊のパイロットだったのだ。

長くなったので、風立ちぬ(2)へつづく


※なお、別の対談で宮崎は、30年後にはアジアにEUができると言われて頷いているが、それは日本が望んでそうなるというより、結果的にそうならざるを得ないという消極的な未来予想を意味していると思う。ルーピー鳩山がいうような積極的な「東アジア共同体構想」とは似て非なるものだろう。


風立ちぬ(2)〜四歳で体験した戦争の記憶(キネ旬)

zerofighter in TOKOROZAWA

宮崎駿が、自分の親父さんについて語ったものが初めて印刷物になったのは、1995年7月の『キネマ旬報臨時増刊』に収められた『宮崎駿講演採録 アニメーション罷り通る(なごやシネフェスティバル’88)』だと聞いている。ここで宮崎は4才で体験した戦争の記憶を語り、それは「創作の原点を窺うことのできる貴重な講演」であると解説がついている。

今となっては余りに有名な講演だが、知らない人のために部分的に引用してみよう。
まず「創作の原点」について。

僕は映画を何本かやって来ましたけれども、「本当の悪役がおまえの映画には出て来ない」ってよく言われるんです。どっかで善い人になっちゃったり、一生懸命になるとたいてい善い人になっちゃいますから。

「人間の掘り下げが足りない」とか「一人の人間の中にある悪とか愚かな部分に背を向けて、肯定的な部分とか善いものだけを出してるんじゃないか」、例えば今度の「となりのトトロ」なんか全くそうです。はっきり意図的にやりました。こういう人達がいてくれたらいいなあ、こういう隣の人がいたらいいなあ、っていうふうに。

実はそのことで今日お話しようと思ったのは、自分の子供の時の体験がたぶん自分をそういうことにさせてるんじゃないか、と思ってるんです。この話はもう五十歳近くなってから平気でしゃべるようになったんですが、父親と母親のことに絡んでるものですからつい最近まで全然しゃべりたくなかった話なんです。


そして話題は「4才時の戦争体験」に移っていく。
戦時中の宮崎家は宇都宮で軍需工場を経営していて、「我が一族の歴史の中では1番景気が良かった」そうな。

やがて終戦間際の7月、事件は起こる。空襲に襲われた宮崎家はトラックに乗り込んで避難しようとするが、そこへ小さい女の子を抱いた近所の女性が「乗せてください」と駆け寄ってくる。しかし宮崎家のトラックは、その女性を見捨てて走り去ってしまう。

自分が戦争中に、全体が物質的に苦しんでいる時に軍需産業で儲けている親の元でぬくぬくと育った、しかも人が死んでる最中に滅多になかったガソリンのトラックで親子で逃げちゃった、乗せてくれ言う人も見捨ててしまった、っていう事は、四歳の子供にとって強烈な記憶になって残ったんです。それは周りで言ってる正しく生きるとか、人に思いやりを持つとかいうことから比べると、耐え難いことなわけですね。それに自分の親は善い人であり世界で一番優れた人間だ、っていうふうに小さい子供は思いたいですから、この記憶はずーっと自分の中で押し殺していたんです。それで忘れていまして、そして思春期になったときに、どうしてもこの記憶ともう一回対面せざるを得なくなったわけです。


ぼくはこの「キネ旬」を蒲田のアパートで読み、ショックのあまり呑川に身投げしそうになった(嘘です)。

少年時代のぼくは、宮崎駿のまき散らす反権力、反体制の雰囲気に激しく憧れたもんだったが、何だ、本人はブルジョワだったのかよ! そういや大学は学習院だっけ。ブルジョワの、上から目線の贖罪意識で「トトロ」を作られたんじゃあ、俺らがミジメすぎるぜ!!

当時のぼくは、宮崎があの時女性を見捨てた父親への失望と、それに続く倫理観の崩壊から左翼活動に走り、さらには貧乏人への贖罪意識から「ハイジ」や「コナン」や「トトロ」で徹底的な善人を描いたのだと理解した。つまり、親父さんへのルサンチマンこそが宮崎駿の「創作の原点」であって、ハイジの笑顔の後ろにはドロドロとしたニヒリズムが存在してるのだと、怖くなった。そしてぼくは漫画版の「ナウシカ」だけが宮崎の本当の顔で、あとは欺瞞やウソなんだと思い込むようになり、『ゲド戦記』の騒動も、さもありなんと冷ややかに眺めていたのだった。

・・・以上、もしかしたら同じような経緯を辿った同世代もいるかと思って自分語りをしてみたが、今となってはもちろん、ぼくの宮崎観はとんだ勘違いで、読み違えだった。

たしかに、青年になりかけの宮崎少年はこの世に厳然と存在する貧富の差という不公平に直面して、「自分が生まれてここまで生きて来たってことの根本に、とんでもないごまかしがある」とまで思いつめる。しかしそれに続く発言はこうだ。

 これはとっても辛いことでした。当然親とも喧嘩をして、それでもやっぱり親に、あの時なぜ乗せなかったのか、と僕はとうとう言えなかったんです。なぜなら僕も今だったら自信がないんです。僕が今、その場の父親や叔父貴の側に立ったら、車を止めるかどうかよくわからないんですね。

その時に「乗せてくれ」って言ってあげられる子供が出てきたら、たぶんその瞬間に母親も父親もその車を止めるようにしたんじゃないかと思うんです。例えば自分が親で、子供がそう言ったら僕はそうしただろうと思うんです。

でも僕はその時に、人間っていうのはやっぱり所詮「止めてくれ」って言えないんじゃなくて、言ってくる子を出すようなアニメーションを作りたいと思うようになったんだ、ってこの年になって思い至ったんです。


4才で人間のエゴイスティックな本性を知った宮崎は、だからこそ「こうあってほしい、こうあったらいいな」と本人が言うような映画作りを徹底する。このとき宮崎が、内心のニヒリズムやルサンチマンを隠して自分にさえ嘘をつき、営業スマイルを浮かべて子供好きのおじさんを演じてるわけじゃないことは、今では疑う余地がないだろう。

なぜって、宮崎駿の最新作『風立ちぬ』は、”美しいもの”だけを追った人を描いた映画だからだ。

風立ちぬ(3)へつづく

風立ちぬ(3)〜『青春の夢いまいづこ』『腰抜け愛国談義』

VHS

話はようやく映画『風立ちぬ』に辿り着いた。

と言っても、ここで今さら『風立ちぬ』の感想をクドクドと言いたいわけではない。
宮崎駿の「現在地」という観点から、いろいろ引用したり、引用したり、引用したりして、ついでに多少は自分の考えも述べてみようかと思うところだ。

はっきり言って、『風立ちぬ』の論評なんかはその道のプロに任せておけばいいんだ(笑)。
岡田斗司夫さんの「『風立ちぬ』を語る」(光文社新書・2013年)を読めば、『風立ちぬ』とはどんな映画だったかの大半が理解できるんだから。

岡田さんはまず、『風立ちぬ』を「薄情者の恋愛の話」だと言う。そしてまた、「赦し」の話でもあると言う。岡田さんは『On your Mark』を引き合いに出したうえで、宮崎駿と劇中の堀越二郎を重ねていく。

この2作に共通するのは、最後に「赦し」があることです。赦されるのは「アニメを作っている自分(宮崎駿)」や「零戦を作ってしまった自分(二郎)」です。

 若くて綺麗で、すぐ死んでしまうような人と結婚をして、おまけにアニメばかり作ったとしても、「いいのよ、あなたは家庭をないがしろにしていて」と最後には赦してくれるという宮崎駿監督自身の妄想が、『風立ちぬ』には重ねられています。

『風立ちぬ』は美しいものを追ってしまう、人間の「罪」を描いた映画ですが、「罰」は描いていません。ただ、二郎、そして宮崎駿監督にも後ろめたさがあります。だからこそ、死んだ菜穂子に「生きて」と、赦しのセリフを言わせたのです。


前回の記事に引用したように、宮崎駿は『パンダコパンダ』の昔から「人間の暗部や愚かな面」を半ば無視するように、「肯定的な部分とか善いものだけ」を描き続けてきた。それはつまり、人間の美しさだけを描いてきたことになるわけで、そういう歴史を知る識者なら、堀越二郎=宮崎駿、の等式は容易に思いつくことになる。

たとえば評論家の渋谷陽一氏は『CUT』(327号)の対談の中で、『風立ちぬ』は「初めて宮崎駿が自分を主人公にした」作品だと、本人に向かって言っている。だから「自分が意識しない形で自分を反映してる場面」や「自分の作品の持っている、無意識の自分を揺らす局面」で涙が出てくるのだと。

しかし、この「堀越二郎=宮崎駿」の等式について、宮崎駿の反応は冷たい。照れもあるのかもしれないが、本気で嫌悪している印象もある。いわく「堀越二郎がどういうふうに生きたかっていうのはね、どういう姿勢で自分の仕事に取り組むかってことにあてはめて、理解できますよ。そういう形でしか理解できないんだ」と一応は説明するものの、対談の最後では、『男たちの大和/YAMATO』の撮影現場で海軍役のエキストラがデブばかりだったことに憤慨しつつ、こう叫んでいる。

どうかしてる。映画ってもう少し、世界に肉薄するものだったんじゃなかったか。プロパガンダのためにやるもんじゃないって、僕は思いますよ。だからね、『風立ちぬ』で自分のことを描いたって言われるとイヤなのは、それです! 僕は自分のことを描いたんじゃない、堀越二郎を描いたんだ。二郎を取り戻したんです。僕流に取り戻したんです。


・・・これだけムキになられると、逆に図星かと勘ぐりたくなるが、とりあえず「堀越二郎=宮崎駿」説は否定されたことにしておこう。それにそもそも『風立ちぬ』の堀越二郎は、設計技師の堀越二郎と、小説家の堀辰雄との合体ロボだったはずで、そっちの堀さんの方はどうなったのよ、という話にもなる。

するとここに一つ面白い話があって、実は『風立ちぬ』の堀辰雄パーツには、宮崎駿と非常に縁の深い人物の実話が投影されているらしい。半藤一利との対談本『腰抜け愛国談義』(文春ジブリ文庫/2013年)には、宮崎のこんな発言が収められている。

親父にはおふくろとの結婚の前に最初の奥さんがいたということが、はじめてわかった。しかも学生結婚なんです。聞いてみたら、生きるの死ぬのと大騒ぎして結婚して、一年もたたないうちに相手が結核で亡くなっちゃった。「あんなに大恋愛の末の結婚だったから、大丈夫だろうか」ってまわりはずいぶん気を揉んだそうです。(中略)父は自分の結核が伝染したんだって言ってました。父も結核を患っていますから。


かくしてぼくらは、再び宮崎駿の親父さんに向き合うことになる。
この対談、相手の半藤が11才も年上という安心感もあってか、ふだんは隙のない宮崎も終始リラックスした様子で、自由奔放に語ってる印象がある。そしてそこでズバリ、劇中の「堀越二郎」は、実在の堀越二郎と堀辰雄に加えて、宮崎の「親父」が混ざっていると発言している。

だけど、ぼくは堀越さんの評伝をつくるわけではありませんから、いいやって(笑)。その上、堀辰雄が混ざっているからややこしい。おまけに、享楽主義の親父が若干混ざり込んでおりまして(笑)。(中略)若いころは、衝突やらなにやらいろいろありましたけど、このごろようやく、やっぱり親父を好きだな、と思うようになりました。

主人公の堀越二郎は、時代の生臭さをニュースで聞いて知ってはいる。しかし、名古屋にいる一飛行技師にとって、それは肉眼で見たものではない。(中略)世界がいろいろ動いていてもあまり関心をもっていない日本人。つまり、自分の親父です。あのミルクホールの給仕の娘がかわいいとか、今度封切りされた映画が面白いとか言っていた人たちが生きていた世界。


半藤は言う。
「その時代を生きたお父さんお母さんを何とか理解してみようとされたのですね」
「宮崎さんはもしかしたら、零戦ではなく、堀越の生きた昭和史を描こうとされたのではないか」
宮崎は応える。
「ぼくはやっぱり親父が生きた昭和を描かなきゃいけないと思いました」

ひとつ、裏付けになりそうな話がある。
今回取り上げた『熱風』でも『CUT』でも『腰抜け愛国談義』でも、必ず話題になる一本の映画がある。1932年公開の小津安二郎監督作品『青春の夢いまいづこ』だ。

父が死んでしばらくして、小津安二郎の『青春の夢いまいづこ』という映画を見て呆然としました。主人公の青年が父とそっくりなんです。この映画を見て、親父は真似したんじゃないかと思うくらい(笑)。アナーキーで、享楽的で、権威は大嫌い。デカダンスな昭和のモダン・ボーイです。映画は早稲田大学が舞台なんですが、親父も早稲田でした。


そこまで言われたら見るしかねーと中古のVHSビデオを買ってみたが、宮崎が言うほどアナーキーで享楽的で権威が嫌いでデカダンスでモダンボーイな主人公かと言うと、実はぼくにはそうとも思えなかった。でもサイレント映画を見慣れてないせいかもなー、と諦めて寝落ちしかけたとき、ふいに主人公の名前が引っかかってきた。

堀野哲夫」・・・。

3人目の「堀」だ。

風立ちぬ(4)へつづく


※おまけの引用

若いころから、おやじを反面教師だと思っていました。でも、どうも僕は似ていますね。おやじのアナーキーな気分や、矛盾を抱えて平気なところなんか、受け継いでいる。(『おやじの背中』朝日新聞 1995年9月4日付)


風立ちぬ(4)〜コクリコ坂から

日輪の遺産
宮崎駿にとって、監督としての前作は2008年の『崖の上のポニョ』となるが、脚本家としてのそれは、2011年『コクリコ坂から』(宮崎吾朗監督)になるだろう。

その舞台は1963年の横浜。
ここに港南学園という高校があって、老朽化した文化部部室棟「カルチェラタン」の建て替え計画が進められていた。一方それに反対する生徒たちもいて、あるとき「全学討論会」なる集会が開かれた。
その時の、建て替え反対派筆頭の少年のセリフが以下だ。

君たちは保守党のオヤジどものようだ。古くなったから壊すというのなら、君たちの頭こそ打ち砕け! 古いものを壊すことは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか。人が生きて、死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか。新しいものばかりに飛びついて、歴史をかえりみない君たちに、未来などあるか! 少数者の意見を聞こうとしない君たちに、民主主義を語る資格はない!


歴史、文化、伝統が大事だと言うんだから、この少年が「保守派」であることは明らかだ。
きっと、それらを無視して作られた『日本国憲法』にも反対の立場だろう(笑)(※)。

・・・なんてのは余談だが、これまでの話の流れに沿ってみたとき、この『コクリコ坂から』のストーリーは、実に味わい深いものがあると思う。一言で言ってそれは、戦後第一期世代の男女が、「父」を求め「父」を知るストーリーだった。そんな脚本を宮崎駿が書いた。

そして岡田斗司夫さんによれば『風立ちぬ』は堀越二郎の「赦し」の物語であり、またそして、宮崎駿本人の言によれば、堀越二郎には宮崎の「父」が重ねられていた。

この流れを整理すればこうなるだろう。

父を求め、父を知り、父を赦す・・・。

そしてそれは、宮崎が彼の父親に戦後日本や日本人を象徴的に見ていたとしたら、こうなるだろう。

日本を、赦す・・・。

宮崎駿が『風立ちぬ』の試写会で、何度となく涙ぐんでいたというのは有名な話だ。
半藤一利との対談本『腰抜け愛国談義』では、劇中で二郎がドイツ・ユンカースの工場に視察に行く場面で泣けたと言っている。技術提携だというからカネを払って出かけてきたのに、そこで日本人技術者が受けた粗末でみじめな扱い。

あるいは『CUT』での渋谷陽一との対談では、少年時代の坊主刈りの画を観ただけで涙が出てきた、とも言っている。

その姿、ぼくには宮崎駿から日本への愛があふれてしまった姿のように思える。
もちろん宮崎は否定するだろう。「日本はきらいだ」「日本人はダメだ」と言って。

しかし『風立ちぬ』から敗戦を経ての『コクリコ』で描かれた日本の情景や人々のどこに、日本を否定しようとする悪意があったか。ぼくには全く思い当たらない。

そこでは戦前も戦後も日本は美しく、社会はたくましく、人々はやさしい。

宮崎は赦し、そして赦された。
それが宮崎駿の「現在地」なんじゃないかと、ぼくは思う。



それにしてもつくづく思うのは、『風立ちぬ』って、窮屈な作品だなぁってことだ。
今はもう、日本と日本人を素直に描ける時代になっていて、邦画をみたって左翼テイストの映画なんて壊滅状態だ(皆無か?)。

前のカテゴリで扱った『ガンダムSEED』や『コードギアス』は有名な左翼プロデューサーが関わってるアニメだが、初期設定の左翼テイストなんて、ストーリーの進行とともに「悪役」に転じている始末だ。きっと需要的にも乏しいんだろう。

中国や韓国や朝日新聞は、今の日本を「右傾化」と言いたがるが、たぶん「中道」に戻っただけだ。

例えば同じく「零戦」を扱って大ヒットした『永遠の0』(原作・百田尚樹)。
宮崎駿は観もしないで馬鹿にしてるようだが、これ、完全な「反戦映画」だぞ。今は”右翼”が反戦映画を作る時代ってわけだ(笑)。
主役のエースパイロットの零戦評はこんなだ(小説版より)。

「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」
「いま、その類い稀なる能力が自分たちを苦しめている。560浬を飛んで、そこで戦い、また560浬を飛んで帰る。こんな恐ろしい作戦が立てられるのも、零戦にそれほどの能力があるからだ」
「8時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。8時間もの間、搭乗員は一時も油断はできない」
「いつ敵が襲ってくるかわからない戦場で8時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。8時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」



あるいはキャッチコピーの「生きねば」。

2011年に公開された日本映画に『日輪の遺産』(角川)がある。
終戦間際、20人の少女がマッカーサーの財宝を秘匿する極秘作戦に狩り出されていたが、敗戦が決まり、少女らの殺害命令が下される。担当の真柴少佐(堺雅人)は命令実行後、自分も責任を取って自決すると言うが、同行していた主計中尉に「少女もわれわれも、生きねばなりません」とたしなめられる。むろん、財宝を使って、飢餓に陥ると予想される一千万の日本人を救うためだ。そしてそれこそが「もうひとつの本土決戦」だと中尉は言う・・・。

この両者の「生きねば」を比べた時、残念ながら『風立ちぬ』のそれは、いかにも軽い。
命を一代のものとして完結させてしまう、幼稚で自己中心的な個人主義。しかも自画自賛。きっと鈴木敏夫の発案だろう。そうに決まってるさ(笑)。

つづく


(※)宮崎駿は『熱風』のなかで「憲法は目標であって〜」などと言ってるようだが、イギリス人が聞いたら意味不明な発言だろう。イギリスには成文憲法典がなく、要は歴史や文化、伝統から判断される「イギリスの常識」が憲法だ。憲法は、事務所の壁に貼ってあるスローガンではない。

でもまぁこれぞ「偏った」戦後教育の成れの果て、というところなんだろう。イギリスのような先進国が不文憲法であることを知れば、「護憲」の意味はあらためて考えざるを得ない。だがぼくは、それを学校で習った記憶がない(寝てたか?)。

『火の鳥・黎明編』と『もののけ姫』の自虐史観

火の鳥のニニギとウズメ

前回の記事でぼくは、『風立ちぬ』は窮屈な作品だと書いた。
今は1980年代までと違って、リベラルを装わなくても戦争や兵器を描ける時代だ。実際、『風立ちぬ』を「戦争賛美だ」と批判したのは中国や韓国のメディアばかりで、多くの日本人はあれを戦争映画どころか、ただのラブストーリーだと観たはずだ。

しかしそれはつまり、お客さんからみれば、宮崎が描きたかった「ゼロ戦」も「堀越二郎」も実はぜんぜん描かれていなかったことになる。

宮崎駿本人が、すでに「サヨク」を卒業していることは「ナウシカ」の記事でさんざん書いた。
だから本来なら、闇雲な反戦思想や軍隊への忌避からは解放され、自由に思うがままに「ゼロ戦」も「堀越二郎」も描けたはずだ。

しかし宮崎はそれはできなかった。結局は、かつての「旧友」に遠慮した。
それは高畑勲や鈴木敏夫だけでなく、戦後リベラル派(心情左翼)という過去の自分自身への遠慮も含むのだろう。

もちろん、それは宮崎駿という人の人生および生き様を表すもので、非難の対象にはならない。見ず知らずのネトウヨ(笑)より現実の友人たちを大切に思うことは当たり前だし、過去の自分を含めての自分自身であり人生であって、容易に割り切れるようでは返って信用に値しなくなる。

・・・要するにぼくは、ただ「惜しんでる」わけだ。

宮崎駿はことあるごとに「中国で人を斬りまくってきたと自慢する人」の話を持ち出すが、それは赤の他人が吹いていた単なる法螺かもしれない。しかし宮崎は1992年の鼎談で、戦後リベラルの帝王(笑)司馬遼太郎の、こんな発言を聞いているわけだ。

たとえば私は戦争の末期、旧日本軍の兵士でした。戦後になって日本がほうぼうで悪いことをしたというのを初めて知るんですけども。私はそんなの目撃したこともないし、もちろんやったことなどなんにもない。満州でもない。中国の人ともうまくいってました。(『時代の風音』1992年)


見ず知らずのオッサンと司馬遼太郎を並べて、なんで前者の言を採れるのか。
おそらく宮崎駿の脳内には、「南京大虐殺」やら「百人斬り競争」が、事実として刷り込まれてるのだろう。だから無批判に「さもありなん」となる。

しかし実際には、水間政憲さんの『ひと目でわかる 日韓・日中歴史の真実』(2012年・PHP)などで分かるように、「南京事件」当時、南京市で略奪や暴行を犯したのは蒋介石の中国軍であって日本軍ではなく、逆に日本軍は治安の回復や維持、民衆への食料・物資の配給、重要文化財の保護などを行ったことが、一次資料による「証拠」で証明されている。軍人どうしの戦闘行為はあったが、非人道的な民間人の虐殺などはなかった。

というわけで、宮崎の脳内にある「南京」は史実ではなくプロパガンダだと決着がついている今、それを知ろうとしない宮崎をぼくは惜しむ。

日本を破壊しようと意図して活動している左翼と違って、宮崎はただの戦後リベラル派(心情左翼)に過ぎない。そもそもが資本家の家に生まれ、それへの反発から労働運動に走ったおぼっちゃまだ。学習院出身だ。『風立ちぬ』冒頭に出てくる美しく立派な日本家屋は、今は人手に渡った宮崎の生家だ。

・・・もともと宮崎駿には、日本を憎んだり呪ったりする理由なんかない。
ただ戦後に蔓延させられ、今では腐臭を放っている古臭い間違った日本観が、宮崎の自由を縛っているだけだ。
そして同じことは、宮崎の思想面での代表作『もののけ姫』(1997年)にも言えるとぼくは見る。

ファンなら誰でも知るように、宮崎作品の根幹には「照葉樹林文化論」からの影響がある。
この「論」についての説明は省くが、それを知った宮崎は「自分が何者の末裔なのかを教えてくれた」と『呪縛からの解放』という文に書いている(「世界」臨時増刊1988年)。
何者とはつまり、森と生きた縄文人の末裔ということだ。

70年代、すっかり「日本人嫌いの日本人」になっていた宮崎駿が、でも「何かを肯定したくてうずうずしている自分」に与えた答えがそれだった。狭い日本の土地に縛られた農耕文化じゃなくて、ブータンから東南アジア一帯に広がる森の文化に、自分たちのルーツはあるのだと。

だが、そんなこと言いながら宮崎駿がつくった『もののけ姫』は、森が台無しにされることに怒る神様と人間が戦うという話だった。その神様は人語を解するイノシシで、それが統制された軍隊となって攻め込んでくる。その総大将は半透明なゴジラだ。

・・・何か変だ。
たしかに山のタヌキは住み処を奪われ、オバケに化けて人間を追い出そうとした(笑)。
しかし、日本の、縄文以来の八百万の神々が同じようなことをするもんだろうか。マジでキレたら地震でも噴火でも洪水でも起こすのが、日本の神々の祟りってもんじゃなかろうか。
それがイノシシなんて「目に見える」実体を伴って、人間に戦争を挑んでくる・・・。

この何とも矮小な日本の「神」観を、宮崎の出身地であるマルクス唯物論に求めることも可能だろう。
だがぼくはそれを、日本人全般を呪縛するもっと巨大な「物語」に由来すると見ている。
それは日本の歴史上、最大規模の戦いの物語・・・。

源平合戦も川中島も関ヶ原も、さらには先の大東亜戦争ですらもが霞むその戦いとは、いにしえの「縄文人と弥生人の戦い」だ。
そこでは縄文人という先住民族が、弥生人という「渡来人」によって取って代わられたと語られる。日本民族をふたつに分断する物語だ。

つまり、『もののけ姫』における神々と人間の対立とは、この物語の延長線上にあるんじゃないかと、ぼくは睨むわけだ。宮崎の大好きな縄文と、大嫌いな農耕民族の戦いの物語として。


と、ここでちょっと脇道に逸れるが、ぼくらオッサンには有名だが、知らない若者向けに紹介したいマンガが一つある。
それは手塚治虫が1967年に書いたマンガ『火の鳥・黎明編』。

いわゆる「反日」的なマンガとしては『はだしのゲン』や『美味しんぼ』の名が挙げられるが、反日ではないものの、いわゆる「自虐史観」に基づくマンガがこの『火の鳥・黎明編』だ。

劇中で邪馬台国の女王・卑弥呼の死が描かれるので、舞台は西暦250年前後の日本。そこに馬に乗った一団が現れて、村々(クニグニ)への侵略を開始する。首領は「高天原族のニニギ」と名乗り、手塚によるこんな説明が加えられる。

学者の説によれば 西暦三世紀から五世紀にかけて 北中国やモンゴルあたりを 馬に乗って駆けまわっていた部族・・・・騎馬民族・・・・が ぞくぞくと朝鮮半島をとおって日本列島に侵略してきたという
そして もとから 日本に住んでいた原住民たちを つぎつぎに征服して のちの神武天皇のヤマト政府を 築いたのだとしている
神話に出てくるニニギノミコトは 天からタカチホの山にくだった神の子ということになっているが ほんとは 大陸からわたってきた 遊牧部族の首領のようなものだったというのである


ここで手塚の言う「学者の説」とは、言わずと知れた江上波夫「騎馬民族征服王朝説」のことだ。
もちろん今ではこの「説」は、なんら物証に基づかない「物語」「神話」「ファンタジー」として一蹴されているが、手塚が『火の鳥・黎明編』を連載していた時期は、有力な仮説として議論の俎上に上っていたらしい。手塚も作中で、何の抵抗感もなく皇室のルーツを満蒙の遊牧民に求めている。

が、卑弥呼の時代に馬を積んだ船団が大挙として玄界灘をおし渡って来るなんて、いくらなんでも荒唐無稽なファンタジーを、聡明な手塚がどうして信じることができたんだろうか。
それは多分、その時代より前に、それと同じような行動をとったとされる人たちの存在が「史実」とされているからだろう。

すなわち、今から2300年前、大陸から朝鮮半島を経由して稲作や先進文化を伝えた渡来人によって、弥生時代が始まった・・・という、教科書に普通に書いてある「史実」だ。
そしてこの時はじまった民族間の戦いが、室町になっても縄文の神々と弥生の人々の対立として続いている、ってのが『もののけ姫』の基本的な世界観じゃないかとぼくは思う。


ところがこの「史実」、最近はそれを疑うに足るだけの考古学的な発見が次々になされているそうな。
チャンネル桜の動画で知った長浜浩明さんの三部作、『日本人ルーツの謎を解く』『古代日本「謎」の時代を解き明かす』『韓国人は何処から来たか』(いずれも展転社)は、バラバラに扱われがちな最新の発掘や学説を俯瞰して、ひとつの見地に至っている。

それは、大陸や朝鮮半島から「渡来人」が大挙として渡ってきて弥生時代をはじめた、なんて「史実」はない、という知見だ。

YouTube -【長浜浩明】韓国人は何処から来たか[桜H26/4/15]

詳しくは当然、長浜さんの本に当たって欲しいが、いくつかその根拠を引いておく。
まず、日本の稲作は紀元前10世紀頃には縄文人の手によって始められていた点(わずか2300年前ではない)。

DNAの「Y染色体」分布を見る限り、現在の日本人と中国人・朝鮮人はそのルーツが異なる点。
言語学的に見て、日本語と中国語・朝鮮語はまったくの別系統である点。

他にも「根拠」は多数あげられているが、要は、「渡来人」が来た来たと騒ぐ割りには、日本にその影響力はほとんど認められないということだ。DNA的にも言語的にも、現在の日本人とその社会のルーツは縄文時代に形成されたと見るのがストレートで、あいだに「渡来人」なる概念を挟む必要がない。

縄文人がコメを作るようになって土器が実用本位の弥生式に変わっていったのだし、顔つきや体型も主に食生活の変化によって、明治と昭和と平成で平均身長が変わったように変わっていった、ということだ。

さらには、北部九州から中国・朝鮮式の大陸系集落や土器、生活用具がほとんど見つからないのに反して、朝鮮半島南部からは縄文土器も弥生土器もガンガン見つかる事実から、「騎馬民族征服王朝説」どころか、半島南部は縄文人が住んでいた地域だったとも書いてある。たしかに少数の「渡来人」(年に二、三家族とも)はいたが、一方では日本から半島へ渡った縄文人も多数いたわけで、文化の流通はお互い様状態だったとか。


さて、そうしてみると、荒唐無稽なファンタジーを「史実」のように扱った手塚は困ったチャンだが、宮崎駿の方はいかにも「惜しい」。

宮崎は「照葉樹林文化論」で日本文化のルーツが縄文時代にある真実を知っていながら、「渡来人」なる異国の人々が弥生時代を始めたという「物語」を信じ込んでしまった。宮崎にとって、日本史は民族の「対立」の歴史だった。そして宮崎は縄文側に共感し、弥生側を嫌った。

でも宮崎自身、映画に「網野史観」を取り入れたように、あの当時、皇室と最下層民が直接繋がっていたような日本社会は、簡単に白黒つけられるほど単純ではない。縄文も弥生もごちゃごちゃに混ざっているのが日本らしいんじゃないか?

ちなみに長浜本によれば、「日本人の先祖は縄文人ではなく渡来人だ」と主張して日本史を分断させたのは、「大森貝塚」で有名なエドワード・モース大先生だそうな。以後、それは金科玉条の大前提とされ、後にGHQにも受け継がれたとか。

結局のところ、「渡来人の手による弥生時代」こそが、もっとも最古の自虐史観ということだ。
何故ならそれは、われわれは縄文人を滅ぼした弥生人の末裔である・・・という「原罪」意識を呼び起こすことで、日本人が歴史的にも血統的にも野蛮な侵略者であるという印象を与えることに繋がるからだ。

小冊子『熱風』2013年7月号には高畑勲の「ねりま九条の会」での講演が収録されているが、そこで高畑は9条の意義を、一方向へと暴走しやすい日本人への「歯止め」だと言い切っている。高畑にとっては、日本人であること自体が彼の「原罪」なのだろう。

つづく

オランダ映画『38度線』(1986年)

Field of honor

1986年に製作されたオランダ映画『38度線』(原題 FIELD of HONOR)は、何だか不思議な映画だった。

タイトルの通りで、朝鮮戦争を扱った映画なんだが、どういうわけか北朝鮮軍が全く出てこない。韓国側も軍人は「サカハシボーイ」と呼ばれる青年が一人だけで、他に役があるのは4人ほどの戦地売春婦と女衒のおやじが一人、それと母姉弟の一家丸ごとで売春に来た親子三人。まるで戦争は白人と中国人が戦っていて、韓国人は売春していただけのようにさえ見えてくる。

実はこの映画でぼくが見たかったのは米軍慰安婦韓国軍慰安婦)だったんだが、さすがにそれは描かれていなかった。描かれているのは当時の韓国の絶望的な貧困と、食うために売春する人々の毎日だ。

靴磨きの少年に請われて、その母と姉をキャンプに連れ込んだオランダ人軍曹は言う。
「親子であれをしなきゃ、のたれ死にだ」
「つまり彼女らとやるのは慈善行為だ」

・・・と、まぁここまでは珍しくもない、ありふれた話。
だがもしも、この映画が現在の韓国で上映禁止にされているとしたらどうだろう? 話はだいぶ違ってくると思う。
つまり「歴史を直視」しているのは、日本と韓国のどっちなのか、が問い直されてくる。

ありふれた話、と書いたとおりで、日本では貧困ゆえの女性の悲劇を描いた映画は数多い。
思いつくままに挙げてみても、「泥の河」「あゝ野麦峠」「動乱」「肉体の門」「吉原炎上」「ゼロの焦点」「人間の証明」などがあるし、反日マンガとして名高い「はだしのゲン」にもパンパンは描かれている。

最近の作品で印象に残っているのが2012年にNHKが放送した『負けて、勝つ』。

終戦直後、進駐軍向けの慰安所(特殊慰安施設協会)の設置を命じられた大蔵官僚の池田勇人は、視察に行ったダンスホールで米兵に媚びを売る日本女性を見て「日本をバカにする行為」だと憤慨する部下をたしなめて
「バカにしてるのはお前の方だ。媚びてるんじゃない。勝手に戦争を始めて負けた男の尻ぬぐいをしてるのだ。女の方が、よっぽど負けっぷりが良い」
と言うと、女達に深々と一礼する。

といった具合に、日本社会は女性に辛い目を見せてしまった過去を隠したり誤魔化したりはして来なかった。それは映画でも小説でもマンガでも、何度となく描かれては男たちに反省と覚悟を迫ってきた。

ぼくにはそれこそが、「歴史を直視」することに他ならないように思える。

もしも本当に当時の朝鮮で日本軍による「強制連行」があって、韓国の男たちがそれを見て見ぬ振りしたというのなら、「従軍慰安婦」を名乗るバアちゃんに謝るのは日本政府でなく韓国の男たちのはずだ。NHKドラマの池田勇人のように、だ。


歴史、と言えば最近、韓国の教科書『中学校国定国史』の全訳(三橋広夫訳・明石書店2005年)を読む機会があった。それは(あらかじめ聞いてはいたが)、一体どこのパラレルワールドの歴史なのか、ぼくの学んだ歴史とはかなり違うものだった。

例えばWikipediaにも、大韓民国は1948年にアメリカ統治から独立した、と書いてあるが、韓国の教科書では1945年8月15日に「日帝の過酷な植民統治」から「独立運動の結実」として「光復」を成し遂げたとある。ちなみに「朝鮮戦争」という項目は見当たらず、あちらでは「6.25戦争」と呼んでるようだ。

だが、何よりぼくを驚かせたのは、子供が学ぶ教科書なのに「売国奴」なんて感情的な表現が平気で使われていることだ。

「李在明は日本の手先だった李完用を刀で斬りつけ負傷させた。(中略)乙巳五賊など売国奴を処断しようとしたが、成功しなかった」「ついに日帝は(中略)李完用を中心とした売国内閣といわゆる合邦条約を締結した(1910年)」

なんてのは一例で、とにかく読めば読むほど「日帝」とその協力者が憎くなってくる仕組みだ。

で、その「日帝」とか呼ばれる悪の暴虐の帝国が、ぼくらの先祖の大日本帝国のことを指しているのだとしたなら、日韓がこの先ほんとうに理解し合えることは、まず期待できないだろう。何しろ教科書に日本を憎め、と書いてあるわけで、向こうは最初から友好する気なんてサラサラないことになる。こっちがいくら好意を持っても無意味だってことだ。


だがそれも仕方ないのかもしれない。
そもそも現在の日本人と韓国人は、まるで別の人種と言ってもいいくらいに異なるからだ。

前回の記事でも取り上げた長浜浩明さんの『韓国人は何処から来たか』(展転社・2014年)によると、形態人類学による古人骨の比較においても、あるいは分子人類学によるDNAの比較においても、現在の日本人と韓国人は「兄弟」どころか全くの「赤の他人」であるという結論に至っている。

無論、日本がまだ「倭」と呼ばれた時代までは、両者は縄文人を祖先とする同じ民族だった(当時の『倭』は半島南部を含んでいた)。だから、韓国から出土する古人骨も、北九州から出土する古人骨も、いずれも同じく現在の日本人の祖先に当たる。しかし、現在の韓国人は、それらとまったく異なる形態をしているそうな。

この理由をざっくり言えば、縄文人がそのまま現代人に繋がっている日本人に対して、半島ではの支配を受けた高麗や、女真族出身の李氏朝鮮の時代のなかで混血が進み、結果、現在の韓国人のDNAはモンゴルや中国北部に近いパターンを示すようになった、ということらしい。
このことは言語学からも説明できるようだが、長くなるので割愛する。

ちなみに、新羅が半島を統一していくに従って、百済や高句麗から王族を含めて多数の亡命者(若光王など)が渡来したが、彼らは縄文人を祖とする「倭人」に近いので、「混血」には当たらないようだ。


・・・ま、とにかく、どんな説明も日韓友好の役には立たないのだろう。韓国の反日には国家的にも民族的にも複雑な事情があるようで、その独善的な歴史教育にしても他国が口出すようなことじゃないのかも知れない。

ならばぼくらができることは、これまで以上に「歴史を直視」して、せめて日本国内だけでは真実から目を背けない努力をすることだろう。

最近読んだ宮脇淳子さんの『悲しい歴史の国の韓国人』(徳間書店・2014年)には、中韓や朝日新聞が「侵略」の歴史だと騒ぐ日清戦争・日露戦争・満洲事変は、その原因のすべてが朝鮮人がらみだったと書いてある。満洲事変でいえば、それは「万宝山事件」で、満洲に入植した朝鮮人(当時は日本国民)と現地中国人の抗争を端緒とする。

宮崎駿などは事ある毎に日本の「侵略」を非難するが、歴史はそんなに単純じゃない。
宮崎が大好きな「共産主義者」たちの暗躍だって、「侵略」の一因だったのだ(左翼が始めた戦争)。一面的で一方的な断罪では歴史を語ったことにはならない。ぼくらはもっと冷静に客観性を重んじたいものだ。

・・・って、ぼくらの少年時代は教科書に「南京大虐殺」なんて反日プロパガンダが平然と書いてあったわけで、他国のことは笑えないか(笑)。



※映画『38度線』だが、いまだにDVDが販売されてないので、中古のVHSビデオを買う羽目に。日本で死蔵されている理由は不明だ。


【8/23追記】
韓国の「反日」は教科書だけに止まらない。国の基本法である「憲法」だって、反日だ。
最近すっかり有名になった「前文」だが、知らない人のために冒頭部分を引用してみよう。

 悠久なる歴史と伝統に輝くわが大韓民国は、三・一運動によって建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗した四・一九民主理念を継承して・・・(新版世界憲法集/岩波文庫)


「三・一運動」とは日韓併合後の1919年に起きた大規模な反日暴動のこと。
つまり韓国は、建国のルーツを抗日レジスタンスに求めているということで、反日は国是のようなものなんだろう。

しかし問題は、その三・一運動が、ホントに韓国の教科書で書かれているような「日帝」の弾圧だの虐殺だのならば恨まれても仕方がないが、実際はそうじゃない冤罪だという点だ。宮脇淳子さんの『悲しい歴史の国の韓国人』(2014年・徳間書店)から事の顛末を引用してみる。

最初は平和的なものでしたが、デモの参加者が急増していくなかで暴徒化し、警察署や役場などに押しかけて略奪、殺人などの暴動にまで発展していきます。混乱が朝鮮半島全体にまで広がったことで、朝鮮総督府は警察だけでなく軍隊も派遣して鎮圧に努めます。
 その過程で悲劇的な事件も起こったことは確かです。
(中略)
この運動は日本統治時代なので、しっかりした統計が残っています。
 実際には送検された被疑者は12668人。うち8417人が起訴されて、一審で3967人は有罪判決を受けました。しかし、日本人憲兵6名、警官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑も無期懲役も15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役が80人で、のち刑期は半分以下になった。これが三・一運動の結末です。


そして反体制デモといえば、お決まりの左翼勢力の登場だ。

 朝鮮半島における三・一運動にしても、結局はコミンテルンおよび共産主義に影響されたもので、民衆が自発的に植民地支配に対して立ち上がったというものではなかったというのが真相です。(同書)


それでも、そもそも韓国を併合したことが間違っていたのでは?という疑問もあるかも知れない。しかしそれが暴力を背景にした強制ではなかったことは、併合前の日本の援助が証明している。

まだ日韓併合前の1904年から日本は朝鮮の歳入不足を補填しはじめて、資金立て替えを実施したほか、直接支出で援助しているのです。
 1907年度の朝鮮の国家歳入が748万円ですが、必要な歳出は3000万円だった。たいへんな財政大赤字です。この不足分をすべて日本が負担しているのです。(中略)1908年に、日本は3100万円を韓国のために支出しました。
 併合前の4年間は統監府時代ですが(中略)あわせて当時のお金で一億円を超える額を朝鮮半島に支出しているのです。(同書)


念押しするが、引用した日本の援助は「併合前」に行われた分。
ちなみに当時の一億円の価値だが、同書によれば、あの満鉄は4億円で設立されたそうな。併合前にそんだけのカネを援助するような国が、いきなり暴力に訴えて合邦を強要したりするものかいな(笑)。

ぼくはお人好しだと言われるが、冤罪を笑ってスルーできるほど人間ができていない。中国への「侵略」については、現在の価値観からは認めざるを得ない部分もあると思うが、韓国に謝罪するような罪は日本にはない。いいかげん、「中」「韓」はそれぞれ分けて考え、対応するべきだろう。

つづく