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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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機動戦士ガンダム ホワイトベースと光子力研究所

bar

前回の記事では、『機動戦士ガンダム』のホワイトベースと『マジンガーZ』の光子力研究所の間には、かなりの類似点があることを挙げてみた。

このことは、ホワイトベース同様に宇宙を飛行する軍艦である宇宙戦艦ヤマトが、専守防衛でもなければ敵の目標でもなく、多くの民間人が搭乗しているわけでもないことを鑑みると、制作側が露骨に意識したものだと考えたくなるところだ。つまりターゲットは『マジンガーZ』に絞られている・・・。

で、そうなると一つ面白い可能性が出ててくる。
それは、『機動戦士ガンダム』の劇中でホワイトベースがどう見られていたかを考えることで、『マジンガーZ』世界における光子力研究所とは何だったのかが見えてくる、という可能性だ。
だとすれば、ホワイトベースはまさに、光子力研究所を「解体」していることになるんじゃなかろうか?


では順番に。
それはまず、アムロやブライトには「囮」だと言われた。
ホワイトベース(やガンダム)の優れた性能から予想される脅威が、敵をそこに引きつける。そして敵がそこに引きつけられている限り、そこ以外の場所は安全だというわけだ。

さらにそれは、連邦の将軍に「厄介者」だと言われた。
ようやく南米の連邦軍本部(ジャブロー)に到着したホワイトベースは、それを執拗に追跡してきたシャアに本部への案内をして来たようなものだった。入り口を発見されたジャブロー内部は、これを機に交戦状態に突入してしまう。
ホワイトベースの近くにいると災いに巻き込まれてしまう典型だ。
そういえばアムロが暮らしていたサイド7も、ホワイトベースの入港がきっかけで宇宙空間に浮かぶ粗大ゴミになってしまったのだった。


このうち後者については、『マジンガーZ』劇中でも何度か似たような表現がされたことは既に見てきた通りだ(マジンガーZと市民運動)。Dr.ヘルは、光子力研究所が持つテクノロジーを求めて襲来してくるんだから、当然のように近隣の都市だけがいつも戦闘に巻き込まれる。
とんだ厄介者だ。

では前者の方はどうかと言うと、これも実は『マジンガーZ』の劇中から探すことが出来るものだったりする(マジンガーZとアメリカ)。繰り返しになるがもう一度書いておくと、第33話で弓教授に助言を求められたニューヨークのスミス博士は、別れ際にこんなセリフを吐いたのだった。

われわれは彼(Dr.ヘル)を倒すためには、どんな援助も惜しみませんよ

酔っぱらって半分居眠りしながらDVDを観ていたぼくは、この発言を聞いて一気に目が覚めてしまったもんだ。
えんじょ・・・援じょ・・・援助を惜しまない・・・?
この、当事者意識のなさは一体どういうことだ? 
要するにアメリカ在住のスミス博士にとって、Dr.ヘルの侵略は「他人事」ということなのか?

だが、日本で(と言うか静岡県で)Dr.ヘルとの必死の戦闘を続けている兜甲児には、そんなスミス博士に怒りをぶつける権利はなかった。最終回第92話。いろいろあってマジンガーZを失い、その後釜にもっと強力なグレートマジンガーが準備されていることを知った甲児は、心と体の傷を癒すためと称し、なんとアメリカに留学してしまったのだ。

これはつまり、その地は甲児から見て「安全圏」にある、ということだろう。
そしてその「安全圏」に住む人は、日本での戦闘を「他人事」として見ている・・・。


ぼくにはこの状況は、光子力研究所がその「安全圏」を維持するための「囮」となっているように見えるが、そりゃコジツケだという人もいるだろう。
では、こんなセリフはどうだろうか?

それは、ついに連邦軍の連合艦隊が、ジオン軍との最終決戦に向かう道中のホワイトベース艦内の会話だ。サイド7脱出以来のアムロの戦友であるカイ・シデンは、自分たちの戦いについてこう言った。
問題なのはオレたちが連邦の無能な官僚や参謀の盾となって死ぬってことなんだ」(劇場版「めぐりあい宇宙編」より)


「囮」「厄介者」に続くホワイトベース論、それは「連邦の盾」というものだった。
それではもしも、ホワイトベース=光子力研究所という仮説が成立するとしたなら、光子力研究所はいったい何の「盾」となっているんだろうか?

つづく
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機動戦士ガンダム 地球連邦政府=アメリカ合衆国

デギン

カイ・シデンが、自分たちがその「盾」になっていると断言した「地球連邦」とは何か?
不思議なことに『機動戦士ガンダム』全43話のなかで、この「連邦」について語られたことはほとんどない。その歴史も政体も理念も、その他もろもろ、何一つと言っていいほど説明されない。

だが、それを子ども番組ならではの手抜きや省略だと考えるのは間違いだろう。
なぜなら、もう一方のジオン公国については、それらは十分過ぎるほどに語れているからだ。ジオン公国の首都はサイド3のズム・シティーにあるし、国家元首はデギン・ザビ。議会もあって、首相の名前はダルシアさんだ。国家理念はジオニズムだとか。

それでは何故、一見すれば「正義」の側に立つと見られる「連邦」についての説明はないのか?
ぼくの愛読書の一つに井沢元彦さんの『逆説の日本史』というシリーズがあるが、このなかで度々登場してくる主張にはこんなものがある。いわく、

当たり前のことは記録されない

井沢さんの主張は歴史書の読み方を指しているわけだが、これを強引に「連邦」に当てはめればこうなるだろう。
「連邦」とは、ぼくらが当たり前に知っている世界のことである、と。

確かにそう言えば、ぼくらはアムロらの生きる連邦世界での生活様式に、基本的には違和感を覚えない。彼らは洋服を着てコーラ(らしきもの)を飲み、ハンバーガー(らしきもの)を食べる。自由や人権に対する考え方なども、おおむね似たようなもんだ。

だからぼくらは特に深く考えることなく、連邦にもどこかに人口が密集した首都があり、そこには民主的な選挙を経た議会があり、官公庁や政府があると感じることができる。
要は、そこはぼくらが現実に生きるこの世界の、延長線上にあるんだと・・・。


ところがこの連邦を、現在の国連(連合国)が主導して樹立された世界政府のようなものだと考えていると、とんだカウンターパンチを食らってしまう。言うまでもない、ご存じのようにこの連邦からは、現在の国連本部のあるアメリカ合衆国が除外されているからだ。
北米。
そこはジオン軍に占拠されて、連邦の地図から消えた土地。

地球はおろか、宇宙にまでその版図を広げている連邦から、なぜアメリカだけが消えているのか。
大気圏から地球に降下したホワイトベースは、シャアの策略によって、わざわざ敵地である北米に誘導された。そして延々と北米大陸を横断させられた。その結果、ぼくらは第5話から第11話の間、荒れ果てて人も住めなくなった北米を、ずっと見せつけられた。

『機動戦士ガンダム』は創作なんだから、ホワイトベースがどこを旅するかなんて、制作者が自由に決めることができる。それをわざわざシャアの策略ということにして北米に誘導した・・・。


自然に考えれば、もしも国連(連合国)が主導する形で「連邦」が樹立されたのなら、世界でもっとも重要な場所はアメリカに集中していることになるだろう。
ところがそのアメリカだけが、ジオンに奪われたままの敵地となっているのは一体どういうことか。

くどいようだが『機動戦士ガンダム』は単なる創作物だ。
ジオンが地球上のどこを占拠しようと、それは制作サイドの思うがままだ。
それをわざわざ、現在においても世界の中心と見なされるアメリカに指名したんだから、そこには何かしらの意図がある。と、ぼくは思う。
つまりはこれは、一種の謎かけ、暗号のたぐいではなかろうか?


そう思うとき、『機動戦士ガンダム』のなかに、どことなく似た雰囲気を持つエピソードが存在することに思い当たる。
それは、ジオン公国誕生の瞬間という、『機動戦士ガンダム』において最も重要とも言える一幕だ。

そもそものジオン共和国を作った人は、シャア・アズナブルの実父、ジオン・ダイクンだ。ダイクンは、息子のシャアによると
「宇宙移民者の独立主権を唱えて地球連邦政府に独立運動を起こした」
しかし
「(側近の)ジンバ・ラルはわたしたちを育てながら、デギン・ザビ公王が父を暗殺したといい続けていた。父の死をもたらした病を仕掛けたのがデギンであるのは事実だ」

この経緯はテレビ版38話では、ジンバ・ラル本人による言葉で説明されている。
「ところが急の病に倒れ、その御臨終のきわにお父上はデギン公を御指名になったのです」
「私はジオン様の御気性をよく存じております。
デギン公を御指名になったのは、御自分の暗殺者がデギン公だと教えたかったのです


暗殺者であるからこそ、後継者に指名されたというデギン。
この理屈は普通に考えれば変だ。逆だ。
『機動戦士ガンダム』という、徹底してリアリティにこだわった作品のなかで、このジンバ・ラルの発言だけは分かったような分からないような、妙な後味が残る。何だか不思議なロジックだ。

ところがここに、同様のロジックをもってすれば、その違和感が解消するものがある。
なぜ連邦の地図からアメリカが消されているのか?
そして、なぜその状態が半ば放置されているのか? という違和感だ。

ここに、当たり前のことは記録されない、という観点を加味すれば、導かれる結論はこうなるだろう。

それは、世界全体がアメリカだからだと。
連邦全体がアメリカだからこそ、北米大陸にはもはや特別の意味はなく、それを奪回する必要さえないのだと。


つづく

機動戦士ガンダム ジオン公国=大日本帝国

じーくじおん

機動戦士ガンダム』の制作スタッフたちが、”打倒ヤマト”の思いを強く抱いていたことは良く知られたことだ。
が、そうは言いつつも、彼らが巧妙に利用したものの一つが「連邦政府」だろうとぼくは思う。すでに『さらば宇宙戦艦ヤマト』に「連邦政府」が登場していたからこそ、当時のぼくらは「あーゆー世界なわけね」と、容易に思考停止することができた。そうでなければ、「連邦政府?なにそれ?」に対する説明を『ガンダム』も求められたことだろう。

ところで、そんな『さらば宇宙戦艦ヤマト』の物語は、ヤマトがその地球連邦を守るために、強大な敵に体当たりを食らわそうとするシーンで幕を閉じる。ただし、映像には巨大な爆発が映されるだけで、ヤマトが実際にはどうなったかの描写はない。つまり、あの爆発がテレサの手によるものか、ヤマトの特攻によるものかは定かでない・・・。

・・・もしかしたらヤマトは生き残ったのではないか・・・。
そんな願望、というか妄想は、あの結末を受け入れがたい思いで見つめた人々が、等しく共有したものだろう。
ヤマトは地球を離れはしたが、まだ生きている・・・。
そして、消えてしまった「日本」の復活を願っている・・・。

だが、もしもヤマトがあの大和であり、あの時代の日本そのものであるとしたら、ヤマト=大和=日本が目指すべき道の先にある場所はどこなんだろうか?

言うまでもない。それはアメリカしかない。北米大陸しかない・・・。


などと、わけの分からない話はここまでにするとして、さて、前回の地球連邦に続いて考察すべきものは、当然、相手方のジオン公国ということになるだろう。
ジオンとは何か? ジオンが意味するものは何なのか?
そのヒントは、いつでもぼくらの目の前にあったように、ぼくは思う。

人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。
宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々はみずからの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた


繰り返し繰り返し流された、番組冒頭のナレーションだ。引用したのは第1話のものだが、その後も適宜アレンジされながら、序盤のガンダム世界への導入役を務めた。

思えば『機動戦士ガンダム』は観る側に極度の集中を求めた作品だったが、このわずかなナレーションには、ジオンとは何かが極限まで凝縮されていたんだと今になって思う。
まず分かることが、この長大な物語が、ジオンの「独立戦争」によって始まったものだと言うことだ。物語の主体は、ジオンにあって連邦にはない。
もう一つが、ジオンが地球から「最も遠い」宇宙都市であるということだ。
ぼくに言わせれば、これだけでもうジオンが何なのかは十分に示唆されているように思う。

そもそものジオンは連邦の一部だった。ジオンは連邦の内部に存在するものだった。しかしジオンは宇宙移民者の解放を叫んで「独立戦争」を起こすと、連邦から「最も遠い」外部から、連邦の内部にむけて侵攻を始めた。そして北アメリカを連邦から奪った。
こういったジオンの一連のストーリーから連想するものは何だろう。

ナチスドイツはどうか? それはちょっと違うだろう。ドイツはヨーロッパのほぼ中央にあるし、その理念は「第三帝国」というように過去の強いドイツの復活を目指したものだ。

アメリカ独立戦争はどうだろう? これも違う。清教徒たちはたしかに世界(ヨーロッパ)の外部に飛び出したが、内部(イギリス)に向かって侵攻してきたわけではない。

ロシア革命のソ連はどうだ? たしかに「独裁」「革命」はザビ家に似たような雰囲気を感じさせるが、そもそもボルシェビキは「独立戦争」は起こしていない。

そう、それはもっと身近なところにある。
こんな国があったはずだ。国際連盟という世界の内部にいながら叛旗を翻すと、「極東」の地からアジアの解放を叫んで欧米の列強に宣戦布告をした国が。

いわずもがなの、大日本帝国だ。

つづく

機動戦士ガンダム 連邦の盾、アメリカの盾

zion

さて、ここでこれまでの話を整理してみるとこんな感じ。
まず、「悪」の側のジオンのストーリーには、かつての大日本帝国のストーリーがオーバーラップさせられていた。
そして、それを迎え撃つ「正義」の側に立つ連邦政府とは、宇宙にまで拡大したアメリカ的世界だった。

で、そうしてみると、要するに『機動戦士ガンダム』の世界とは、過去の日本と未来のアメリカの間に起こった出来事であるように思えてくる。
じゃあその世界でぼくらの日本はどうしているのかと言えば、そもそもそれは、存在すらしていない(世界政府なんだから当たり前)。ただの一地方の旧名でしかない。

ところが作品を詳細に検討してみると、実はその痕跡だけは残されていた。
それは、序盤のホワイトベースに見ることができる「平和憲法」的な物語であり、アムロレイの周辺に漂う「戦後民主主義」的な物語だった。
これらはいずれも、本来は現在のぼくらが生きる戦後日本にしか存在しないはずのものだ。

ではそんなホワイトベースが劇中でどう語られたかといえば、カイ・シデンいわく「連邦の盾」というものだった。連邦政府を攻撃してくるジオン軍の前に立ちふさがって、連邦政府を守っているのがホワイトベースだということだろう。

この構図・・・。
ぼくはこの構図は、そっくりそのまま『マジンガーZ』の世界にも適用することが出来るように思う。

そもそもDr.ヘルという人物は世界的に高名な科学者で、アカデミズムの中心にいた男だ。しかし彼は古代ミケーネ人の遺跡群を発見するとその地位を捨て、世界征服の野望に燃え上がった。ヘルは世界の内部から外部へと飛び出すと、内部に向けて侵攻を始めた。

ところがそんな大事態に対し、アメリカ人科学者たちはどこか「他人事」で、せいぜいが光子力研究所への技術援助を申し出る程度。それは、Dr.ヘルが侵攻している先が、日本の静岡県近隣に限られていたからだ。甲児らがヘルの狙う光子力研究所とそのテクノロジーを守っている限りにおいては、それ以外の世界の安全は守られているというわけだ。

そして今、漠然と「世界の安全」と言ってみたものの、この世界がどこを指しているかも明白だった。
最終回でマジンガーZを失った甲児が、心と体の疲れを癒すために渡った「安全」な場所は、アメリカ合衆国だった・・・。


以上、こういった『マジンガーZ』の世界観を、『ガンダム』を見終わったあとの視線で見直してみると、ぼくには兜甲児と光子力研究所は、本人たちの意思とは関わりなく、「アメリカの盾」であったように思える。

もちろん、『マジンガーZ』を単独で見た場合、彼らが「アメリカの盾」でしかないと見るような要素は存在しない。主人公たちは「日本を守るため」「世界の平和のため」そして「正義のため」に戦っている。そう叫び続けている。

しかしそれなら何故、ショッカーには大日本帝国のイメージが重ねられるのか。
なぜ変身忍者嵐は、悪に加担した父のあやまちを償わなければならないのか。
なぜ鉄人28号ジャイアントロボでは、アメリカの存在が無視されなくてはならないのか。
正義のエージェント・超人バロムワンは、ほんとは何のエージェントなのか・・・。

それらあの時代の子ども番組を俯瞰してみたとき、ぼくが共通して感じる印象は、悪=大日本帝国、正義=アメリカの構図だ。アメリカというと語弊があるかもしれないので、それぞれ、戦前と戦後に言い換えてもいい。
要は、ヒーローたちが守るべき「平和」も「正義」も、それは戦後にアメリカの力でもたらされたもので、彼らはその現状を維持するために戦っている。それらを守る「盾」となって戦っている・・・・。


お断りしておくが、ぼくは今ここでその是非を問うているわけじゃあない。それが「自虐史観」と言われる思潮と一致するなんてことは、他でさんざん書いたことだ。
そうではなくて、70年代最後の年に登場した『機動戦士ガンダム』が、それ以前のヒーロー番組に秘められていた構図を、白日の下に暴露してしまった事実を言いたい。『ガンダム』の登場によって、いわゆる勧善懲悪的なヒーロー番組は、その世界観からしてが解体されたのだと。


そしてその最たるものは、「悪」であるジオン公国の扱いにあるだろう。
これまでのヒーロー番組なら、ジオンは自らの野望・欲望のために世界の平和を乱す侵略者として描かれたことだろう。どこか、大日本帝国の影を引きずりながら・・・。
だが、自分たちを「連邦の盾」だと看破したカイ・シデンは、同じセリフのなかでジオンをこう評したのだった。

「ジオン公国は地球連邦の独善から逃れようとして戦っているんだ」

つづく


<補足>
上記に引用したカイ・シデンのセリフは、テレビ版・劇場版いずれの本編にも存在しないものでした。出典は『ロマンアルバム・エクストラ50 機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編』の中の「AR台本(抜粋)」より、となります。
参考までに、その周辺のやりとりも引用しておきます。

カイ「親孝行しにいっちゃいけないのか」
ブライト「生きのびたいだけなら、それもいい」
カイ「オレのいっていることはそういうことではないぜ。ジオン公国は地球連邦の独善からのがれようとして戦っているんだ。ザビ家独裁は倒さにゃならんが、問題なのはオレたちが連邦の無能な官僚や参謀の盾となって死ぬことなんだ。そいつはいやだ」
ミライ「カイのいうことは正しいわね。でも、いまの相手はザビ家そのものよ」

機動戦士ガンダム アムロが戦う理由〜ララァ

ララァ

※前回までの記事に対し、「ジオン=大日本帝国」はおかしいのではないか、というご指摘をいただきました。もしかしたら同じような感想を持たれた方もいるかと思いますので、この場で釈明させていただきます。

結論から言ってしまえば、ぼくも「ザビ家=大日本帝国」なんて記述をみたら、アホらしいのでそれ以上先を読むことはないでしょう。ぼくが言いたかったのは、あくまでジオン共和国~初期ジオン公国が作中で置かれた立ち位置が、従来のショッカーやらDr.ヘル(地下帝国)と同じだということです。

ぼくは『機動戦士ガンダム』とは、旧来の『マジンガーZ』等の「子どもに対して誠実ではない」ロボットヒーロー番組を、「コモンセンスとニュートラル」のスタンスから書き換えられた作品だと考えます。手法としては、徹底したリアリズムということになるでしょう。

そうして作られた『機動戦士ガンダム』は、結果的に『マジンガーZ』等の世界観の真実を暴露してしまったようにぼくには思えます。リアリズムの観点からみれば、それまでは悪の侵略者だと単純に決めつけられてきた「敵」にも、十分な説明と整合性が必要とされるでしょう。そのとき、初期のジオンが置かれた位置こそが「大日本帝国」のイメージであって、このことにより『機動戦士ガンダム』は、それまでの作品群がなんとも安直に「悪」だ「侵略者」だと決めつけてきた「敵」が何だったのかを、問わず語りに物語ってしまったのではないか・・・というのが話の主眼です。
あくまで初期設定の話ですので、その後のザビ家による残虐非道と大日本帝国には何の関連もありません。

ちなみにぼくは(ホロコースト的な意味での)「南京大虐殺」が史実だとは思ってませんので、ザビ家を大日本帝国と同一視することなぞ、心外なくらいに有り得ない話なのです。


と、言い訳はこのくらいにして本題に入ると、ジオンという、「正義」を主張してくる敵役の存在に驚かされたのが『機動戦士ガンダム』の思い出の一つだったが、ぼくにとって更なる衝撃だったのは以下のやりとりだった。

ララァ「なぜ、なぜなの?なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」
アムロ「守るべきものがない?」
ララァ「私には見える。あなたの中には家族もふるさともないというのに」
アムロ「だ、だから、どうだって言うんだ?」「守るべきものがなくて戦ってはいけないのか?」
ララァ「それは不自然なのよ」

第41話「光る宇宙」で交わされたアムロとララァの会話だ。
このやりとりについては、まずアムロの弁護を先にしようと思う。ララァは「私には見える。あなたの中には家族もふるさともないというのに」というが、これはアムロの責任ではない。『ガンダム』の物語が、アムロにそれを要求した。

そもそも『ガンダム』におけるアムロのストーリーは、そういった自分につながるものを次々に喪失していく旅路だった。アムロは物語の冒頭で育ちの地、サイド7を失った。戦いのなかで初めてもった恋心も失った。地球では生まれの家と、自分を捨てた母親に別れを告げた。連邦軍の一員となって出撃した宇宙では、安全な中立コロニーで過去の栄光にすがって生きる、かつては畏敬していた父のみじめに変わり果てた姿を見た・・・。

という具合に、アムロの「家族もふるさとも」は物語によって奪われたものだ。
今や中年のおっさんになり果てた目から見れば、ここで答えに詰まっているアムロの姿にはぐっとくるものがある。

しかし、しかしそれでもやはり、ぼくもアムロに問いたい。
君は何のために戦っているのかと。


ガンダム者 ーガンダムを創った男たち』(講談社/2002年)の中で安彦良和氏は、放映当時、ジオンに強く惹かれていった若者たちについてこんな苦言を呈している。

「ただテーゼに対してアンチテーゼをぶつけて、それで面白いだろうという対比のさせ方はよくやる手法なんですが、その仇役が際立ち過ぎた。お陰でアンチテーゼのほうがテーゼだったという思い込みが、わりとコアなファンを中心に広がってしまった(中略)あくまでも正であり反であるというその緊張感を楽しんでほしいのであって、地球連邦はこんなに腐っているからみんなでジオンに味方しようってことではないんです。人間はダメだからみんなでニュータイプになろうよって、そういう設定なら僕は最初から降りています」


苦言は苦言として、現実にジオンが必要以上に魅力的に描かれ、そこに多くの若者が惹かれてしまったことは隠しようのない事実だった。実際、アムロにしたって、他人の家に勝手に上がり込んで酒をかっ食らっている連邦の兵士と、見事に統制されたランバ・ラルの部隊を比較して、どっちが優れた人間集団であるかくらいは容易に理解できたことだろう。

ぼくはジオンの侵略者と戦っているんです」(第15話「ククルス・ドアンの島」)
アムロほどに聡明な少年が、いつまでもこんな純朴な気持ちのままでいたとは考えにくい。
現に、サイド7以来、アムロとともに戦ってきた少年カイ・シデンはこんなことを言ってる(予定だった)。

ジオン公国は地球連邦の独善から逃れようとして戦っているんだ。ザビ家独裁は倒さにゃならんが、問題なのはオレたちが連邦の無能な官僚や参謀の盾となって死ぬってことなんだ」(『ロマンアルバム・エクストラ50 機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編』中の「AR台本(抜粋)」より)

あまりにもマニアックな資料から引用するのはどうかとも思うが、とりあえずは制作サイドにはこんな意図もあったこと、そして、当時のぼくらがカイにこう言わせた気分を共有し始めていたことは、安彦さんの発言からも確かなことだったように思う。

ジオンの魅力。
それはカイの(幻の)セリフから読み取れるように、ジオンが理想を持ち、その理念のために命を賭けているという事実にあるのだろう。ザビ家を褒めるわけではないが、あの”ギレンの演説”を聞いたときのアムロの反応、
「これが・・・敵・・・?」
からは、初めて見る全体主義国家の異様な一体感への衝撃をうかがうことが出来る。自由気ままだが常に孤独感を抱えていたであろうアムロにとって、多くの人が同じ気持ちを共有することができるという事実は、信じがたい光景だったに違いない。

だが、アムロにだって反論の余地はあったはずだ。
先輩ヒーローである本郷猛や兜甲児のように、彼も「正義」を主張すればいい。
「ぼくは正義のために戦っているんだ!」
そうララァに言い返せばいい。

おそらくララァには大爆笑されるだろうが・・・。


結局のところ、仮面ライダーや兜甲児が自らの「正義」を安心して叫べる根拠はただ一つ。それは、相手側のショッカーやDr.ヘルが、自分で自分を「悪」だと言ってくれた上に、オレらこそが本当の「正義」だ!とは言わないことだ。そうやって敵味方がお互いに認め合うことで固定された「善悪」だけが、ヒーローの「正義」を担保するものだった。

『ガンダム』がこの構造を完全に暴露してしまった今、自分で自分を「悪」だという敵役なんて、バカらしくて見てられなくなるのが普通だ。ヒーロー番組の歴史は、「ガンダム以前」「ガンダム以後」に分断された。

そのトドメを刺すのは、シャアだ。

つづく

機動戦士ガンダム 正義は誰のものか

アムロの演説

シャアだ!
と言いつつ、もう少しアムロの話題を。

コメントでも指摘していただいた通り、「悪」であるはずの敵方にも立場と言いぶんを認め、「正義」を相対化してしまった作品自体は『機動戦士ガンダム』以前にも存在した。古くは『ウルトラセブン』の「ノンマルトの使者」や、マンガ版の『デビルマン』、テレビシリーズとしては『海のトリトン』や『宇宙戦艦ヤマト』・・・もっとあるのかもしれない。

だが、それらはいずれも「正義」を相対化しただけで、「正義」そのものがヒーロー側から取りさらわれたわけではなかった。それらのヒーローには依然として、戦うだけの理由があることになっていた。

では我らがアムロ・レイはどうだったか。
ララァに戦う理由がないと言われてしまう直前のアムロは、それをこんな感じで語っている。場所はホワイトベース艦内。すでに引用したカイ・シデンのセリフのすぐ後だ。

ミライ「カイのいうことは正しいわね。でも、いまの相手はザビ家そのものよ」
カイ 「じゃあさ、その後で連邦も叩くかい?セイラさん」
セイラ「え?私には政治のことは分からないわ。自由のための戦いとしか理解していないから」
カイ 「あいまいなのね、セイラさんみたいな利口な人がさ」
アムロ「あいまいでいいんじゃないんですか?」
カイ 「なんでだよ、ニュータイプ」
アムロ「それですよ。ジオン・ダイクンのいった人の革新論のいきつく先だってどういうものかわかってないんです。でも人間は環境に従って変化してゆく能力はもっています。そんな人の能力を阻止するものは拒否したい、それはみんなの感情のなかにだってあるはずなんです。こいつはいやだなとか、危険だなって感覚です。そんなものに対して戦わなくっちゃいけないってことです。そう思いませんか」


さて、例によってこのやりとりは『ロマンアルバム・エクストラ50 機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編』中の「AR台本(抜粋)」から引用した。するとここに厄介な問題があって、実は上記アムロのセリフのうち、最も重要だと思える部分は劇場版ではカットされてしまっていることが分かる。
具体的には「それはみんなの感情のなかにだってあるはずなんです。こいつはいやだなとか、危険だなって感覚です」がそれだ。

なぜカットされてしまったのかは分からないが(単純に尺の関係か?)、そのおかげで、この時のアムロのセリフは映画館ではまったく意味不明のものだったように思う。だが、アフレコ台本をみれば一目瞭然だろう。
アムロは、シャアがいるから戦っている。そう聞こえる。

まあ、そこには拘らなくてもいいのかもしれない。
「あいまいでいい」という通り、アムロは自分がハッキリとした理由もなく戦っていることは、十分に自覚している。差し当たっては若者らしく、それをシャアへの対抗心で埋め合わせている状態なのだろう(ララァへの想いについては割愛する)。


てな感じで表現されたこのヒーローだったが、それでは何故、アムロには戦う理由がないのか。なぜ、兜甲児や本郷猛が叫んだ「正義」をアムロは叫ばないのか。
注目すべきは、ここでもやはりカイのセリフだろう。
じゃあさ、その後で連邦も叩くかい?セイラさん

もう一度最初から整理してみると、『機動戦士ガンダム』は大先輩である『マジンガーZ』の世界を、リアリズムで再構築したものだ(と何かで読んだか、誰かに聞いた記憶がある)。
その世界を簡単な図式にすればこうだ。

(悪)地下帝国ー兜甲児ー光子力研究所(正義)
(悪)ジオン軍ーアムローホワイトベース(正義)

兜甲児が結果的に光子力研究所だけを守っていたように、アムロもホワイトベースを守るために戦う。この構図については両者の行動は一致する。
ところが『ガンダム』において、そのようなアムロの行動は「連邦の盾」でしかないと看破されてしまった。図式はこう変わらざるを得ない。

(悪)ジオン軍ーアムロ&ホワイトベースー地球連邦(正義)

これを『マジンガーZ』側にも、時折チラチラ見え隠れしていた例のものを適用すればこうなる。

(悪)地下帝国ー兜甲児&光子力研究所ーアメリカ合衆国(正義)

『マジンガーZ』とアメリカ合衆国の関係については繰り返さないが、要するに『機動戦士ガンダム』は、『マジンガーZ』においては本来見えなかったはずのアメリカを、ずばり可視化してしまったのだとぼくは思う。
そしてそこにカイのセリフが重なっていく。

じゃあさ、その後で連邦も叩くかい?セイラさん

カイが連邦の「正義」など丸っきり認めていないことは明らかだ。
そしてそれに対し、他の誰一人としてカイに正統的な反論を試みる人はいない・・・。

だがそれも当然のことだろう。
連邦については、ギレンが「絶対民主制」と言った程度のことを除けば、その国家理念等はほとんど明らかにされていない。そのうえ、アムロやカイは宇宙コロニー育ちなので、地球にたいする愛郷心さえ持っていない。
そんな彼らから見て、連邦の「正義」なんぞは、結局のところ”借り物”でしかないだろう。そんな「正義」をいくら叫んだって、それは虚しいだけのことだ。

そしてそれは、数多の先輩ヒーローだって同じことだろう。
彼らが口々に叫ぶ「正義」や「平和」はそもそも誰のためのものなのか?
それは要するにショッカーやら地下帝国やらの侵略から、「戦後の日本」を維持するための戦いだろう。ならば守られるべきは、その「戦後の日本」を作った人々だ。その人たちの理念だ。ぶっちゃけて言えば、GHQの正義だ。

果たしてそれは、本当に”借り物”の正義ではなかったのだろうか?
そんなもののために、本当にヒーローたちは命を賭けられるものなのだろうか?

つづく

機動戦士ガンダム 復讐のシャア

2大ヒーロー

このカテゴリの始めの方で書いた通り、ぼくは『機動戦士ガンダム』は昭和ヒーローの二つの類型を同時に登場させ、互いに争わせたヒーロー番組だと思っている。

類型の一つは、横山光輝の『鉄人28号』から永井豪の『マジンガーZ』を経て大流行した”正義のロボット”もの。心を持たないロボットを、「正義」の心を持つ少年が操って「悪」を倒す。言うまでもなく『ガンダム」ではアムロ・レイ。

そしてもう一つが、石ノ森正太郎が得意とした”復讐のヒーロー”。『サイボーグ009』『仮面ライダー』『変身忍者嵐』『人造人間キカイダー』・・・。「悪」から生まれたヒーローが、「正義」の心でその「悪」を討つ。
こちらは『ガンダム』では、ジオン軍にありながらザビ家に復讐を誓うシャア・アズナブル。

ところが、このうちの前者が『ガンダム』の中で「連邦の盾」だと看破されたことは、ここまで見てきた通り。”正義のロボット”番組は、アメリカは存在しないと「嘘」をつくか、あるいはアメリカの「盾」となるか、いずれかを選ばないことにはその立脚点を失う物語群だった。

それでは後者、”復讐のヒーロー”は『ガンダム』においてどのように語られたか。
これはもう、多くの説明は必要ないだろう。

アムロ「本当の敵は、ザビ家ではないのか!
シャア「わたしにとっては、違うな!」(「めぐりあい宇宙編」)

その理由はこれだ。
ザビ家を連邦が倒すだけでは、人類の真の平和は得られないと悟ったのだ」(第38話「再会、シャアとセイラ」)

これは要するに、仮面ライダーがショッカーを倒しただけでは人類の真の平和は来ないと、本郷猛が言っているようなものだろう。
が、全くもって正論だと思う。
なぜなら仮面ライダーが行っている「正義」とは、結局のところ現実世界が「平和」で「正しい」ことを前提にして、その維持を図ることに他ならないからだ。仮面ライダーがショッカーに勝ったところで、世の中が何か良くなるわけじゃない。そして実際には1970年代前半の世界は、「平和」でもなければ「正しい」わけでもなかった。

ならば仮面ライダーの「正義」の根拠は一体どこに求めることができるのか?
おそらくそれは、そもそもが反語的にしか存在しないようにぼくは思う。
つまり、彼が戦っている相手が「悪」だから、彼は「正義」なんだと。

そしてその「悪」について、『機動戦士ガンダム』はひとつの示唆をぼくらに与えているようにぼくは思う。
すなわち、当初のジオンがそうであったように、「悪」とは大日本帝国を表してるのではないかというイメージだ。ショッカーにせよ、ダークにせよ、地下帝国にせよ、その立ち位置はジオンとほぼ同じ。ストーリーを共有している(詳しくは当ブログの他の記事を探してください)。

だとすれば、逆に「正義」の在処もボンヤリと見えてくるんじゃないか。
それは、大日本帝国を「悪」とみなし、滅ぼしたものの「正義」であるはずだ。そしてその「正義」を維持するため、仮面ライダーたちは、大日本帝国の復活を阻止している・・・。

これが以前ぼくが書いた”借り物の正義”の構図だ。
大日本帝国が本当に「悪」ならそれで問題ないが、そうではない以上、ぼくら日本人が仮面ライダーの「正義」を応援するのは、ぼくらでない他の誰かの「正義」を応援することだろう。誰かからこれが「正義」だよと教えられ、そのまま信じて疑わないだけのことだろう。

”復讐のヒーロー”シャア・アズナブルは、この構図に気がついたのだとぼくは思う。
すなわち、”復讐のヒーロー”ですら、「連邦の盾」であるという事実に。


ここで少々話が飛躍するが、『ガンダム』における「連邦」とは世界政府のことだ。
いわゆるサヨクの人たちは常々国家というものを否定したがる。「地方主権」だとか「東アジア共同体」だとか、何とかして「国」という形を壊そうとして躍起になっているようだ。

だがいくら「国」を壊そうと、何らかの統治組織は存在するのだろう。
それを至って彼ら好みに考えていけば、結論は世界政府にしかないようにぼくには思える。人種差別も国家間格差も多国籍企業も、世界政府のもとでは消滅するだろうからだ。

あの時代にそんな理想が大いに語られたのかどうかは、まだハナ垂れ小僧だったぼくには定かでないが、『さらば宇宙戦艦ヤマト』にせよ『機動戦士ガンダム』にせよ、世界政府は人類の当然の帰結点として、その作品世界に存在した。宇宙時代に国家もあるまいという判断だったのかもしれない。

が・・・。
ここでぼくが注目したいことは、それらの世界政府は決して手放しで素晴らしいものだとは描かれなかった点だ。
そこには新たな階級が生まれ、支配と差別と排除の構造が生まれたことが描かれていた。

一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住む我々が自由を要求して何度連邦に踏みにじられたかを思いおこすがいい。ジオン公国の掲げる人類一人一人の自由の為の戦いを、神が見捨てる訳はない
地球連邦は聖なる唯一の地球を穢して生き残ろうとしている。我々はその愚かしさを地球連邦のエリートどもに教えねばならんのだ

有名な「ギレンの演説」から抜粋してみた。
ギレンが嫌いな人も多いだろうので、サヨクが好みそうな虐げられた弱者のセリフも一つ。

今度地球へ帰ったらわしは絶対に動かんよ。ジオンの奴らが攻めてきたって、地球連邦の偉いさんが強制退去を命令したって、わしは地球で骨をうずめるんだ」(第5話「大気圏突入」)

この老人は言っている。ジオンと連邦の偉いさんは、彼を抑圧するという意味において、同じなのだと。
さらに続編の『機動戦士Zガンダム』にはシャアのこんなセリフもあったな。

地球連邦が第二のザビ家になろうとしているのが、わからないのか」(第7話「サイド1の脱出」)

シャアのいうように、ザビ家を倒したあとの「連邦」は、結局その内部からティターンズを産み出してしまった。ジオン軍を誕生させたのは、ザビ家の野望だけにあったわけじゃなかった。「連邦」そのものに、何度でもジオン軍を産み出す土壌があったというわけだ。

まあその土壌が何であるかは、ガンダムシリーズを観ながらおのおのが考えるべきことだとは思うが、とにかく世界政府が決して人類の理想ではないことをシリーズが訴えていることだけは事実だろう。そしてそれが、”復讐のヒーロー”シャア・アズナブルにとっての、本当の「悪」であったことも忘れてはならないことだと思う。


だらだらと長文になってしまったので無理矢理まとめれば、かくして、昭和を席巻したテレビヒーローの二大類型は、『機動戦士ガンダム』の登場によっていずれも根底から解体されてしまった。”正義のヒーロー”も”復讐のヒーロー”も、これからは自分の力で本当の「悪」を探さなければならない。もはやそこに、大人の「嘘」は許される余地はない。

いまや、『鉄人28号』に始まり『マジンガーZ』で開花した”正義のロボット”ものも、『サイボーグ009』に始まる石ノ森ヒーローものも、すべては「ガンガム以前」のワクに括られてしまったのだった。


・・・だが、それでは『ガンダム』を作った張本人たちは今後どうすればいいのだろう?
いまさら自分たちで壊してしまったフォーマットに戻れるはずはない。

道はふたつある。
一つは、自分で自分の亜流を作ること。これは『機動戦士Zガンダム』がそれだ。
そしてもう一つは、さらなる解体を続けること。

手塚治虫という巨人が、まだ残っている。

つづく

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