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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
一つの 「カテゴリ」 で一つの記事となってます(記事は古い順に並んでます)。同世代のおっさん向け。

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映画『東京裁判』(1983) 〜南京事件

nanking

東京裁判』は1983年公開の記録映画。
ペンタゴン秘蔵の貴重な記録フィルムが使われたそうだが、トータル277分のなかで2箇所、「創作」で表現されている部分がある。
ひとつはソ連による「シベリア抑留」で、理由は分からないが数枚のイラストのスライドショーで構成されている。だがその映像は、まさにアメリカとソ連の両代表がその件で争っている場面で流れているので、抑留の事実が揺らぐような話ではない。

ではもうひとつは何かと言うと、・・・南京事件だ。
やれやれ、またかよ!と言われそうだが、ぼくもそう思う。
どういうわけか、ここだけが『中国之怒吼』という、国民政府がつくった「プロパガンダ映画」でできている(テロップにも堂々と「映画」と出ている)。

それについて渡部昇一から「やらせ」を指摘され、小林監督は「確かに、あれは中国・国民政府が南京事件を告発するためにつくった映画のフィルムであり、いわゆるやらせがかなり多いことも、最初からわかっていました」と述べる一件も起こっている。(Wikipedia 中国之怒吼)

だってさ。
ちなみに、同じく「虐待行為」とされる「ホロコースト」や「バターン死の行進」は、ちゃんと記録映像から編集されている。


ところでその「南京大虐殺」、言いだしたのが中華民国(蒋介石)だったのは確かだが、利用したのは東京裁判での連合国側だ。映画『東京裁判』から起訴状のナレーションを聞けば、その意図は容易に分かる。

東條以下28名の被告たちは、ひとつの共同謀議に加わっており、その目的は侵略による世界支配であり、その目的のため通常の戦争犯罪の他、平和に対する犯罪、および、人道に反する犯罪を犯し、あるいは犯すことを奨励したと断じた。(声:佐藤慶)

2008年発刊の『日中戦争 戦争を望んだ中国 望まなかった日本』(北村稔・林思雲 PHP研究所)には、欧州で「侵略戦争」が「戦争犯罪」に見なされていく過程が詳細に記されているが、結局のところそれは国際法理論の発展によるものではなく、「ドイツ敗北後に強制収容所の実態が判明し、ドイツの戦争遂行とユダヤ人虐殺が表裏一体であった事実がもたらした衝撃の結果」だそうだ。

となれば、ドイツを裁くのと同じやり方で日本を裁こうとすれば、日本の指導者による計画的な「世界支配」が「共同謀議」されていなければならず(平和に対する罪)、ナチの強制収容所に匹敵する「虐殺」(人道に対する罪)がなければならない。
もっと具体的には「その戦争目的は、外国の国民を奴隷化し、これらの国民の文明を破壊し、さらには人種、政治姿勢、宗教に基づき、これらの国民のかなりの部分を肉体的に絶滅することである」(チェコの亡命政権の法律顧問、エチェルによる提起)。

まぁ「共同謀議」(A級戦犯)については、恥ずかしながら当時の指導層はてんでバラバラ、陸軍と海軍は反目し、北を攻めるか南を攻めるかもハッキリ決まらず、ただズルズルと戦線を伸ばすばかりの行き当たりばったり。「共同謀議」なんて立派なことは、到底できない情けなさだ。
では「虐殺」(C級戦犯)の方はと言えば、実態はこうだ。

 1937年の日中戦争開始後の南京占領時(37年12月)にも、日本軍は二週間をへずして南京在住の中国人たちを組織して南京自治委員会を作り上げた。そして占領一ヶ月後の<1938年1月中旬>には、大量の米と小麦を南京住民に配給していた。
 この事実は、日本軍占領時に南京の住民を保護した人物と讃えられるドイツ人ラーベが、1月14日付で日本大使館に提出した報告書に明らかである。日本軍の南京占領には「外国の国民を奴隷化する」目的などは、全く存在していなかった。
 ラーベの報告書は、1939年に中華民国国民政府が戦時対外宣伝の印刷物として発行した『南京安全区档案』に収録されており、信憑性は揺るがない。ところが8年後の東京と南京での戦犯法廷の判決書では、南京市内で米と小麦が配給された<1938年1月中旬>は「南京大虐殺」の真っ最中であったとされている。(『日中戦争 戦争を望んだ中国 望まなかった日本』)

北村先生が「ナチスドイツのとばっちり」と言われる通り、「南京大虐殺」を必要としたのはアメリカを中心とした連合国の総意だ。だからこの件については、日本の味方はどこにもいないと肝に銘じるべきだろう。
そして言うまでもなく最大の敵は、日本人でありながら日本の敵に回ろうとする不思議な人たちだ。これ以上そういう人を増やしてはならないし、一人一殺の覚悟で臨めば、その数は年々減らしていけるだろう。

・・・鳩山には困ったもんだ・・・。

つづく

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『日中戦争 戦争を望んだ中国 望まなかった日本』

books

前回の記事で引用した『日中戦争 戦争を望んだ中国 望まなかった日本』(北村稔・林思雲 PHP研究所)を使って、もう少々お勉強タイムを続けたい。
そもそも「侵略戦争」とは何か?

<侵略戦争>と訳される英語の agressive war の agressive は、「先に手を出す、進んで仕掛ける、先制攻撃をする」の意であり、戦争の開始状況を形容するだけで、戦争自体に<侵略、征服>という倫理判断に基づく「悪」の性格を付与する言葉ではなかった。

だから、1944年9月末の戦争犯罪委員会の答申の多数意見は、「侵略戦争は戦争犯罪ではない」というものだった。それが逆転したのが、委員会での審議による国際法理論の発展によるものではなく、ナチスの強制収容所の実態が判明したためだったことは前回も引用した。

”ナチスドイツがユダヤ人にしたこと”が戦争犯罪で、通常の戦闘行為が戦争犯罪でないのは、東京裁判以降、どの国もその件では裁かれていないことからも明らかだろう。朝鮮戦争にもベトナム戦争にも湾岸戦争にも、「戦争犯罪」は存在しない(ということになる)。

と、基本を押さえて先に進む。
この本の第二章「日中戦争と中国」は、南京大学を卒業した中国人の林思雲氏の執筆による。そこで展開されたのは、「日中戦争開始前の中国では日本に対する主戦論が圧倒的に優勢で、農民を除く都市の住民は日本との戦争を熱望し、勝利を確信していた」という事実だ。

 実際には当時の日本は、決して戦争の方向をコントロールしていなかった。中国側において自発的に日本と戦おうとする意思が高まっている状況では、たとえ日本が拡大したくなくとも、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう。
 事実として、日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は、1937年の8月13日に発生した第二次上海事変である。そしてこの戦闘は、正しく中国側から仕掛けたのである(この日、蒋介石は上海に駐屯していた五千人余りの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した)。
 日中戦争が拡大した真の原因を言うとすれば、それは世論に煽動された双方の民衆の仇敵意識であると言わねばならない。1937年7月29日には、通州事件が発生した(日本の傀儡政権である冀東防共自治政府の中国人保安隊が反乱を起こし、首都の通州にいた二百数十人の日本の民間人を惨殺した)。


・・・どうみても、中国の態度は(ユダヤ人のような)憐れで気の毒な弱者って感じではないな。やる気満々だったとしか読めない。
実際、客観的に経過を追えば、盧溝橋事件で明らかなように、挑発してくるのはいつも中国側で、それにズルズル引きずられていくのが日本側。
世界的に有名な「通州事件」以外にも、「中山水兵射殺事件」「成都事件」「北海事件」など吹き荒れる抗日テロの嵐では民間人も殺される。向こうに「抗日」の空気あれば、こっちには「懲中」(中国を懲らしめる)の空気ありだ。
これではナチスとユダヤ人の関係を、日本と中国に当てはめるのは無理があると言わざるを得ない。語源である agressive からすれば、どっちが「侵略」しているのか分からなくなる。


当時の中国が、「憐れで気の毒な弱者」ではなかったことは、別の本からも分かる。
日中戦争はドイツが仕組んだ 上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ』(阿羅健一 2008年 小学館)にはタイトルのとおり、中国軍に武器を供与して訓練を指導してきたドイツ軍事顧問団の詳細が記されている。1936年の統計によると、ドイツの武器輸出先の第一位は中国で、57.5%だそうだ(2位はブルガリアで10.5%)。ドイツは中国のタングステンなどの原材料が欲しく、中国はドイツの武器が欲しいというバーター貿易で、日本は当然ドイツに抗議を入れるが聞き入れられない。

要は、ドイツにとっては日独防共協定よりも中国との貿易が重要で、武器のサービスの軍事教練で強化された中国軍に日本人が何人殺されようが、何とも思ってないってことだ。戦後よく言われた「つぎはイタリア抜きで」なんてジョークは、マヌケな日本人へのリップサービスでしかないのだろう。『宇宙戦艦ヤマト』でヤマトはナチスドイツをモデルにしたガミラス軍と戦うが、日中戦争の復讐だと考えれば筋が通る。

既にこのとき、これまで練度の低かった中国軍は、大きな変身を遂げていた。彼らは、ドイツ製の鉄帽を被り、ドイツ製のモーゼルM98歩兵銃を手にしていた。同歩兵銃は、日本の口径6.5ミリの三八式歩兵銃と違って、7.92ミリもある。さらに、当時世界一といわれたチェコ製の軽機関銃も持っていた。火力においては日本軍をはるかに上回っていた。

この中国のやる気はどうだ。
そしてその最新鋭の火力で、自信満々の「先制攻撃」をしてきたのが第二次上海事変というわけだ。

・・・それにしても、ナチスが日本より中国を重視していた事実があまり有名ではないのは不思議だが、その件についての北村先生の説はこうだ。

 この理由を考えてみると、「日本のファシズム」を抗日戦争により打倒したと主張する国民党には、「日本のファシズム」の盟友で「歴史の罪人」となったナチス・ドイツとの親密な関係は、第二次大戦後には触れてはいけない過去なのである。
 さらにまた、日本における日中戦争研究では、「日本の侵略戦争」を批判することが大前提である。そしてこの大前提に立つ限り、「日本の侵略戦争」と戦った中国の国民政府がナチス・ドイツの軍需産業の発展に大きな貢献を行い、この軍需産業がナチス・ドイツのヨーロッパ侵攻の原動力となった事実は、説明できない歴史の皮肉であった。

ナチス=日本ではない。ナチス=中国が実態だったというわけか。


おまけとして、ドイツの戦時賠償について、こんな一文を引用しておく。

 はっきり言おう。ドイツが潤沢な戦時賠償金を支払い、日本が渋ってきたという、韓国や中国、そして一部の日本人の主張は、まったく正しくない。賠償金を律儀に払ったのは日本で、ドイツは払ってない。ドイツが払ったのは、絶滅収容所で強制労働をさせた人、あるいは生体実験に使った人など、つまり、ナチ特有の「ホロコースト」の犠牲者に対しての賠償であり、ドイツはこれを、道義的な義務感から払ったと主張している。国家間の条約で決めて履行する戦時賠償とは別物だ。都市の破壊や村ごとの虐殺など、ドイツの正規軍が働いた不正に対する戦時賠償は、ドイツは一切支払っていない。(『日本はもうドイツに学ばない?』(川口マーン恵美 徳間書店 2009年)



以上、引用ばかりでろくな説明もない記事だが、詳しくは本を買って読んで下さい。
それにしても、国民の「仇敵意識」を煽り、さかんに「挑発」してくる中国って、今となんも変わらんな。

つづく

「怪獣使いの遺産」ーウルトラマンメビウス

怪獣使いの遺産

2006年に放映された『ウルトラマンメビウス』の第32話は「怪獣使いの遺産」。
ぼくらが幼少期にみた「怪獣使いと少年」の後日談だ。

(大ざっぱなあらすじ)
30年前に地球人に父を殺されたメイツ星人のビオは、宇宙船に怪獣ゾアムルチを積んで地球へやってくると、賠償として「地球の大陸部の20%の割譲」を要求してきた。防衛隊のGUYSは当然これを拒否、両者は戦闘状態に突入した。

子どもたちのやさしさも、話し合おうというミライ(ウルトラマンメビウス)の声も、頑ななビオの心には届かない。「我らの痛みを思い知れ」と叫び、いよいよ戦闘は一般市民を巻き込む市街戦に発展してしまう。
ここでビオに語りかけたのが、「あの少年」を知る女性だった。

あの頃、メイツ星人(金山)と親子のように暮らしていた佐久間少年は、金山が殺害されたあとも、円盤を探して河川敷を掘り返し続けていた。それはいつの日かメイツ星へ赴いて、彼らと友好を交わすためだった。
少女時代に少年と知り合い、異星人間の深い友情に感銘を受けたその女性は、ビオの父が地球の子供に残した「愛情という遺産」を伝えるため、今は保育園の経営をしているのだった。

はじめて父の心を知ったビオは煩悶するが、結局は地球人への憎しみの心を消すことが出来なかった。GUYS隊員の差し出す右手に首を振ると、「握手は父の遺産が咲かせた花を、見届けてからにしよう」と言って、メイツ星へと帰って行った。


特に説明はいらないと思うが、ここで描かれているものこそが「歴史認識」問題の本質だと言えるだろう。ビオは、父親が地球人に殺されたことだけは知っていたが、父がどんな思いで地球で暮らしていたかは知らなかった。ビオは父の、半分だけしか理解していなかった。

もしもビオが30年前に、父の周りで起きたことの全てを知っていたら、彼が地球に復讐しに来ることはなかっただろう。反対に、父が残した「遺産」が地球人に広まるための運動に協力したかもしれない。
「歴史」を正しく捉えることが本当の友好の第一歩だと、子どもたちに教えているのが「怪獣使いの遺産」だとぼくは思う。


※ 歴史を知るための参考記事
2013年3月8日衆議院予算委員会 質疑の動画です。:中山なりあき オフィシャルブログ
【質疑の要旨】(教育問題は38分あたりから)

①朝鮮半島の社会インフラ(鉄道・地下鉄・鉄橋・学校など)は、統治時代の日本が作った。日本は朝鮮を「植民地」扱いはしていなかった。

②「創氏改名」は希望制であって、強制はされなかった。

③「従軍慰安婦」に官権の関与はなかった。知事の全員、地方議員の8割、警察上層部がみな朝鮮人という体制の中で、強制連行は不可能だった。

④尖閣諸島は日本固有の領土である。

といった歴史の真実が、当時の写真や新聞記事などの、証拠となりうる資料を提示しながら説明されている。

つづく

映画『大日本帝国』(1982)ー左翼がはじめた戦争

tojo

しばしウルトラで和んだ後は、お勉強タイムの再開だ。

1982年に公開された映画『大日本帝国』は、さすがは東映の配給といった感じの左翼くさい映画だが、日米開戦のあたりは割りと公平な印象がある。まず、首相になって昭和天皇の大御心(おおみごころ)を知った東條英機が、戦争強硬派から和平論者にかわったことが描かれている。さらに、日本に先制攻撃をさせる方法に苦慮するルーズベルト大統領が登場し、「ハルノート」の過酷さにも触れている。

その上で、開戦決定の御前会議にはこんなナレーションが入る。
「戦前の旧帝国憲法では御前会議での天皇の発言を禁じており、この日も内閣の決議事項に対して天皇は一言の発言もなく裁可した」
その夜、昭和天皇の大御心に沿えなかった東條は、自宅でひとり、むせび泣くのだった・・・。


・・・映画からは、東條が昭和天皇の意思を現すべく、和平論者へ転身したことが分かる。御前会議には天皇の発言権がないことも分かる。
ならば、あの戦争を始めた張本人、真の「戦争責任」があるのは一体誰なんだ??
2010年に復刊された「幻の奇書」、『近衛文麿の戦争責任』(中川八洋 PHP研究所)はその犯人を、ずばり近衛文麿だと断じている。

中川先生はまず、戦後、左翼勢力によって広められた「15年戦争」という考えを明確に否定する。
「満洲事変と満洲国の建国とは、アジアの平和に無限に貢献する」が、支那事変から日本の敗戦にいたる8年は、「アジアの平和にとって弊害おびたたしい」。つまり、支那事変を分岐点にして、日本は本来の国家目標から逸れてしまい、破滅の道に突き進んだというのが先生の説だ。

本の年表をみると、たしかに「北支四ヶ師団派兵」で支那事変(日中戦争)を本格化させたのも近衛だし、「蒋介石を対手とせず」で和平交渉を自ら封印し、「新東亜秩序」声明で日中戦争の永久化を宣言したのも近衛。
「大東亜共栄圏」で英米を刺激し、「日独伊三国同盟」で将来の対英米戦を広言、背後の安全のためにと「日ソ中立条約」を結ぶと、1941年7月の御前会議で「対英米戦を辞さず」「ソ連に侵攻せず」を取り決め、「南部仏印進駐」で実質的な開戦に踏み切り、9月6日の御前会議で「対英米戦を決意」して辞職・・・。

中川先生が「東條英機は、近衛が敷いたレールの上を走った、近衛文麿の影武者に過ぎなかった」と書かれているように、たしかに近衛首相の行動は、日本を日中戦争の泥沼から抜け出せないようにしつつ、英米と戦わせようとしているように思えてくる。
しかし近衛家といえば五摂家筆頭の家柄で、皇室との関係は深い。近衛文麿自身、後陽成天皇の12世孫に当たるというじゃないか。
そんな人が、どうして日本を裏切らなくてはならないんだ?

それは、近衛文麿が熱烈な共産主義者だったから、らしい。
近衛はそれを、わざわざ再受験して入学した京都帝大(法科)で、『貧乏物語』で有名な「当代随一の共産主義者の河上肇」から学んだそうだ。在学中に発表した論文では、「私有財産制の否定」と「社会主義の実現」を熱弁しているとか。

そういえば、2003年に公開された映画『スパイ・ゾルゲ』(監督・篠田正浩)のなかで、朝日新聞の尾崎秀美西園寺公一犬養健の手引きで近衛文麿の側近になっていくシーンがあったが、近衛をのぞく3人は後に「ゾルゲ事件」で全員逮捕されている。映画とは関係ないが、近衛の政策研究団体の「昭和研究会」の有力メンバーが、左翼活動の嫌疑で逮捕された「企画院事件」というのもある。こんだけ周囲にマルキスト、コミュニストがいて、近衛だけが違うってのも、ちょっと考えにくい。

ま、その真偽はさておいて話を進めると、近衛グループが日米開戦に向けて日本を動かした理由は三つだ。
①ソ連の防衛
②英米をアジアから追放
③日本の共産化

実のところ、敗戦というショックドクトリンによって日本を共産化しようとする近衛の意思は、すでに一部が達成されていた。1938年の「国家総動員法」と1940年の「大政翼賛会」は、要は「計画経済」と「一党独裁」のひな形で、前者については「電力国家管理法」と合わせてスターリンの「第一次五カ年計画」の模倣だと、この本には書いてある。

一説によると「太平洋戦争」の勝者はアメリカではない、という話もあるそうだが、たしかに戦後のアジアには、それまでは存在していなかった社会主義・共産主義の国がたくさん誕生した。それが日本が明治以来の国家目標である対ロシア戦「北進」をやめ、日中戦争「南進」に拘泥したからだとすれば、日本は我知らずのうちにソビエトの勝利に加担したことになる。国民党政府を弱体化させ、敗戦時には中国共産党に大量の武器を残していったのも日本だ。

日本の共産主義者がはじめた戦争は、その目的の大半を成し遂げたということか。
だが残念ながら、東京裁判を怖れた近衛は自殺したので、真相は永遠に謎のままだ。


余談になるが、Wikipediaによると『大日本帝国』は公開当時「右翼映画」と言われたそうな。
80年代が、今では考えられないほどセンターラインが「左より」だった絶好の証拠になるな。

つづく

映画『226』(1989)ー右翼と左翼

226
最近、新しく「ネトウヨ」なんて左翼用語が誕生したようだが、日本では「右翼」と「保守」は一致しない概念だ(「左翼」と「革新」は一致する)。
前回の記事でも引用した『近衛文麿の戦争責任』(中川八洋 PHP研究所)から言葉を借りて、そこらへんを簡単に整理しておきたい。

戦後日本で「右翼」のイメージというと、天皇・愛国・軍服・日の丸・・・といった感じで、要は「昭和維新」を叫んで過激なテロが行われた「血盟団事件」とか「五・一五事件」「二・二六事件」、あるいは『国家改造』の北一輝や「日本主義」の大川周明といったイデオローグ、そんなとこだろう。
ではその思想とは如何なるものだったか。

1989年に公開された映画『226』(松竹)で、決起した陸軍青年将校はこう主張する。
天皇陛下ご親政のもとに(略)国民がこぞって公正平等の発展を遂げる
そのためには「側近政治の打倒」「財閥の解体」「農地解放」が必要だ、と。

これについての中川先生の解説はこうだ。

マルクス・レーニン主義の描く理想社会としての共産社会をもって、日本古代の理想上の、天皇を戴く「私有のない」平等で、和合一致の農民中心の共産社会が存在していたと空想し理念化してこれにおき替えれば、「一君万民」の社会とその体制としての「国体」が理想郷となる。


要するに、「昭和維新」やら「日本主義」やら「二・二六事件」の中味ってのは、言うなれば「天皇制社会主義」とか「天皇制共産主義」という感じで、バリバリの「左翼」というわけだ。共産党との違いは、皇室を廃止するかどうかだけ。

二・二六事件で死刑になった北一輝の『日本改造法案大綱』では、次のような「過激なる共産化革命」が主張されてるそうな。

華族制の廃止/天皇財産の国家下附(めしあげ)/私有財産限度(一家族百万円を上限、違反者の厳罰)/私有地限度(一家族時価額十万円を限度)/都市の土地市有制(私有の完全廃止)/私人生産業(=私企業)限度(資本金壱千万円を上限、すなわち大企業の全面国有化)/・・・・・・。


また、「日本社会主義研究所を設立」した大川周明については「日本共産党との相違は、日本という国家を重視して、ロシア共産党の支配を受けることやロシア共産党に奉仕することを拒否する点だけしかなかった」とのことだ。

これは当時のドイツも全く同じで、ナチス党とは「国家社会主義労働党」のことで、英米の自由主義経済とまっこう対立する社会主義政党だ。ドイツ共産党とナチスの違いは、ナチスはユートピアを「ドイツ千年王国」という純血ドイツ民族からなるコミューンにおき、共産党は共産主義者からなるコミューンにおくことにしかない、と本には書いてある。
毛沢東やホー・チ・ミン、チトー等に表れているように、民族主義と「左翼」の親和性は、実は高いとも。


もちろん、現在の感覚で、当時の農村出身の青年将校の抱いた政治の夢を批判するのは間違いだ。天皇のもとの万民平等だって、それでホントに平和にやっていけるなら悪くはない気もする。何しろ、まだマルクス主義の結果が答えとして出ていない時代なのだ。
問題は、それが後世に「ウソ」で語られていることだ。
 

戦後の日本は、左翼マスコミや左翼大学人らによる、戦争責任のすべてをかつての「共犯者」軍部に転嫁するための巨大な嘘宣伝(プロパガンダ)に洗脳されすぎて、社会主義者であるが故に当時すでに革新将校と呼ばれた彼らを、ありのままに正しく”左翼”とせず、「右翼」だと逆さにレッテル貼りする情報洗脳からいまだに洗浄されていない。
(※本では陸軍上層部の「共犯者」、共産主義者グループへの言及があるが、長くなるので割愛した)


「保守」と「革新」は対立する概念だが、「右翼」と「左翼」はそうではない。「右翼」は天皇ありの社会主義、「左翼」は天皇なしの社会主義で、いずれも根っ子は同じ。「左翼」のなかの「右」と「左」でしかない。
ゆえに「ネット右翼」を正確に定義するなら、ネット上で過激な愛国的発言をする皇室容認の左翼、ということになり、意味が分からん。いつものイメージ戦略で、むりやり「保守」を暴力と結びつけようとしているだけのことだろう。日本の「右傾化」・・・何それ?

なお、映画『226』は、豪華キャスト・豪華セットの割りには見所のない作品。二・二六関係なら高倉健の『動乱』の方が面白いと思う(記事タイトルに使ったので、一応感想らしきものを書いておかねば)。


つづく

アニメ『ジパング』 〜米内光政の自虐史観

ジパングの米内

このブログで今やってることは、ぼくら世代のおっさんから自虐史観を排除するための作業。そのため歴史通の方には「今さら」で、若い人には無意味に感じられる記事ばかりだが、十分自覚して書いてるので、ほっといてください(笑)。

さて、2004年から2005年にかけて、TBS系で放映されたアニメに、かわぐちかいじ原作の『ジパング』がある。
ストーリーはご存じの通り、太平洋上で姿を消したイージス艦「みらい」が1942年6月にタイムスリップする話。『戦国自衛隊』の海自バージョンのようなかんじだ。米空母ワスプをトマホークの一撃で撃沈するシーンとか、名場面多数。
そんな数々の死闘を乗り越え、満身創痍の「みらい」がようやく横須賀に寄港してくるのが第25話「帰還」。そこでクルーを単身出迎えたのが、元海軍大臣で海軍大将の米内光政だった。

米内光政を知らん人はいないと思うが、鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、海軍大臣、内閣総理大臣などを歴任した、トンデモなく偉い人。井上成美、山本五十六とともに海軍内のリベラル派として知られ、三国同盟に反対。「みらい」艦内随一の歴史オタク、柳一曹がいうように「終戦の処理と海軍の幕引きに尽力した」。

そんな米内は、みらいに乗り込んで艦長の梅津と面会してみらい側の要求を聞くと、続いてこんな趣旨の発言をはじめる。
「日本人が帝国主義などと、100年早いとぼくは思っている」
「日本国100年の計にとって、この戦争、勝ってはならんのです。どれほどの犠牲を払ってでも」
「敗戦という現実でしか、その目は醒めないとぼくは思う」
「残念ながら日本人は、我が手で我が身を切り裂き、血を流してでも膿を出し切れるほど強くはない。だからこそ外圧という力をいつの時代も利用してきたのです」



・・・むむ、これって相当な「自虐史観」だぞ。
負けて膿を出せと。そのためには、どんな犠牲も払うしかないと。
それは日本人が、心の「弱い」民族だから仕方ないんだと。

実は劇中のこれらの発言には、その直前に柳一曹が「終戦に尽力した」人物だと2回も言うおかげで、米内にはそう言うだけの資格があり、尚かつそれは正しい道なのだと誘導しようという意思が感じられる。なぜなら、戦争を終わらせたのが米内なら、戦争を始めたのも米内だという事実のうちの、後者だけがスルーされているからだ。
中川八洋先生の『山本五十六の大罪』(2008年 弓立社)から、米内光政が海軍大臣としてとった行動を列挙してみる。

・1937年の閣議で、閣僚ではじめて「南京占領」を口にし、外務大臣や陸軍大臣の反対を押し切って上海戦を推進した(日中戦争を本格化させた)。

・「蒋介石を対手とせず」の発表に際し、反対する陸軍参謀次長を「内閣総辞職」で恫喝して黙らせ、中国側との交渉を決裂させた(日中戦争の永久化)。

・事実上の対英米宣戦布告を意味する「海南島占領」を、五相会議の場で国策にする。

・1945年4月まで残存艦艇の実数を隠蔽し、米国との早期講和論を封じた。

・神風特攻隊、人間魚雷、人間爆弾を推進。

・・・何なの?この人。
前々回の記事では、同じく中川先生の『近衛文麿の戦争責任』から、大東亜戦争の戦争責任者を近衛文麿だとする説を引用したが、こっちの本だと、それを実際に実行した軍人は米内光政だと読むしかない。

たしかに、アニメでの米内の自虐的発言は「創作」だ。
だが、そう言わせるだけの元ネタがある。敗戦間際の8月12日、米内は腹心の高木少将にこんなことを言ったそうだ。

私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は、或る意味では天佑だ。国内情勢で戦をやめるということを出さなくて済む。

(『米内光政と山本五十六は愚将だった』三村文男 テーミス より引用)

三村氏はかつての東郷大将の例をあげて、「天佑」とは「軍人ならば大敵を仆した時に、神への感謝の気持ちから発する」言葉であり、日本の大敗を目前とした時期に使うことは「明瞭に売国奴の言葉である」と断じている。広島や長崎に行って、同じことを言ってみろと。

米内の発言を聞いて、もしかしたら思い起こす人もあるかも知れないのが、2005年に大ヒットした映画『男たちの大和/YAMATO』(東映)の中で、長嶋一茂演じる臼淵磐大尉のこのセリフだ。
「破れて目覚める、それ以外に日本が救われる道はない。俺たちは日本が生まれ変わるために、その先駆けとして散る。まさに本望じゃないか」。

敗北を受け入れ、そこからの再起に賭けるという意味では、臼淵と米内の発言は似ている。だがその立場は、片や死にゆく者の願い、片や死に追いやった者の傲慢であって、180度異なる。自分で開戦のトリガーを引いておいて、「終戦の処理」がそんなに偉いのか。その手で多くの若い命を犠牲にしておいて、未来に賭ける資格がどこにあるんだよ。

東京裁判史観に支配される戦後日本では、沈黙を守るしかない陸軍を尻目に「海軍善玉論」が大いに吹聴されたそうな。その代表格の阿川弘之氏の名を取って「阿川史観」とも言うそうな。海軍は自由でリベラルで平和主義でかっこいい。陸軍はその反対でダサい。簡単に言えばそんなとこだろうが、それは所詮はイメージでしかない。韓国人や中国人の歴史認識を笑う前に、ぼくらも自分の国の歴史を洗い直す必要があるのかも知れない。

つづく

聯合艦隊司令長官『山本五十六の大罪』

山本五十六

ぼくの知る限りでは、今のところ史上最後の反日反戦映画は『きけ、わだつみの声 Last Friends』(1995年 東映)だ。そのラスト近く、懲役拒否で逃走したものの憲兵隊に捕まって拷問を受けた青年、鶴谷(緒形直人)は叫ぶ。
誰がこんな戦争を始めたんだ! 誰が俺たちの仲間を戦場へ連れて行ったんだ!!

鶴谷の第一の疑問については、どうも近衛文麿米内光政が怪しい・・・というのが前回までの話。では第2の方はと言えば、それは山本五十六だ、というのが中川説だ。

 山本五十六とは、決して戦場に出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、”卑怯”の二文字を絵に描いた、史上最低の高級軍人だった。(『山本五十六の大罪中川八洋 弓立社)


なるほど、日本の歴史で名将と言われる人物は、源義経にしろ織田信長にしろ東郷平八郎にしろ、みな最前線で指揮をとったもんだ。しかし山本五十六は、ミッドウェイ海戦で「空母四隻の前方2㎞にいるべき山本の大和が、あろうことか、この空母四隻よりはるか後方540kmに逃亡=職場放棄していた」。

やってみせ、言ってきかせて、させてみて、 誉めてやらねば人は動かじ
は山本の名言だそうだが、言ってることとやってることが違うのではないか?

 ミッドウェー海戦の敗因は、山本五十六を庇うために奥宮正武らが考案した、弁解用の創り話「魔の五分間」などでは、もちろんない。最大の主因は、軍人にあるまじきレベルの、”山本五十六の怯懦”(臆病)にある。
(中略)
 ”山本五十六の怯懦”とは、山本が命を惜しんで、戦艦「大和」の通信傍受隊が敵空母の位置を一日以上も前にキャッチしているのに、それを南雲提督が率いる機動部隊に知らせなかった事件である。”無線封鎖”を解けば、自分が乗艦している「大和」の位置を敵に知られて攻撃される可能性があると、山本は、自分の命大事と戦々恐々して、それを避けたのである。(同)


ぼくは昔、光栄の『提督の決断Ⅲ』という歴史シミュレーションゲームにハマったことがあるが、日本海軍で「ミッドウェー海戦」に勝つのは難しい作業ではなかった。要は、後方の主力部隊を全力で前進させ、機動部隊の援護に回せばいいだけ。そうすれば我が軍は空母8(米軍は3)戦艦11(米ゼロ)巡洋艦28(米8)という圧倒的な戦力差になって、負けるわけがない。

だがもちろん、ヘボな用兵で虎の子の主力空母4隻を失ったことだけで、山本五十六に「大罪」があるというのは酷だろう。問題になるのは、ミッドウェーの大敗北が「隠蔽」されたことだ。

ミッドウェー海戦の大敗北が国民に知れるのを恐れた山本五十六は、このとき生き残った最後の第一級の海軍パイロットたちを休養のための下艦すらさせることなく次から次へと新しい戦場に送り戦死させ口封じをすることを計画し、それを実行した。このミッドウェー海戦の敗北を政府全体が知っていたら早期講和が決断された可能性もあり、「山本五十六の犯罪」の害は量り知れない。
(『近衛文麿の戦争責任』)

この海軍の嘘情報で、日本は戦争全体の合理的・有効な作戦立案そのものが不可能になったのに、海軍がそれを気にした様子はない。
(『山本五十六の大罪』)


2011年に公開された映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』(東映)をみて、日本語を解する欧米人なら大半の人が驚くであろう点は、ミッドウェイであれだけの大敗をした人物が何の責任も問われずに、引き続き同じポストに留まっていることだろう。ぼくらはごく最近、「誰も責任を取らない人たち」として、民主党政権や東京電力といった組織を目の当たりにしたもんだが、その日本の伝統は、すでに日本海軍から始まっていたようだ。

もしもこのとき山本が引責辞任すれば、「なぜ?」の声からやがては海軍の大敗北が明るみに出たはずだ。そうすれば、早晩訪れる戦力の大逆転が問題になり、「早期講和」という(本来)山本が願った方向へと舵が切られた可能性は高い。
ならば「学徒出陣」や「東京大空襲」や「ひめゆり」や「原爆」や、その後の日本を襲ったありとあらゆる悲劇のスタートは、このミッドウェイ敗戦の「隠蔽」にあったことになる。「敗北」自体ではなく、その「隠蔽」にだ。

 米内ら海軍が、昭和天皇に残存艦艇の実数を初めてほぼ正しく報告したのは、1945年4月、沖縄戦に戦艦「大和」が特攻出撃する直前であった。
(『山本五十六の大罪』)


・・・映画だと、役所広司がいかにも理想の上司っぽく演じてるが、実際の五十六さんは、そんなに良い人でもないらしい。ミッドウェイの敗戦の後、五十六さんが考えたのが「特殊潜行艇」1000隻による攻撃だったらしいが、呉工廠の朝熊水雷部長が「本体はともかく1年半では魚雷と発射管が間に合わない」と答えると、あっさり「頭部爆装でよい」と言ったそうな。
つまりは、若者2000人の命を武器にした「特攻作戦」だ。

自分の知らない命に対する想像力の欠如・・・。
これまた先の原発事故で散々見せられた日本人の一側面だが、その手の人に偉くなられるのはマジで国民の不幸だ。いや、別に枝野や菅直人のことを指してるわけじゃないんだが・・・。

つづく


【2015年4月20日追記】
この記事で取り上げた「中川本」に対して、K・Iさんという方から批判のメールを頂いたので、全文を掲載する。

中川八洋氏のその本は私も知っています。残念ながら、殆どデタラメか何の根拠もない与太話の掻き集めです。中川は意図的にか、どうか知りませんが、何の検証もせずに掲載して、批判のネタの材料にしてるだけです。
隠蔽は大本営(軍令部)と海軍省が行なったものです。海戦直後にもう隠蔽の処置を指示しています。連合艦隊からは正確な数字を報告しています。また、特攻兵器の件も中川本は事実ではありません。これは「海軍省の山本某という課長が人間魚雷の試作を3基作れ」といったのを、又聞きした誰かが「山本長官が千基作れ」と言ったと勘違いしてふれ回ったもの。また、山本長官はひそかに海軍大臣に辞任を申し出ていたが、他に適任者がない、という理由で却下されています。
はっきり言いますが、中川氏のこの本は殆どウソというべきものです。
ひどいものです。


おそらくK・Iさんの指摘は事実なのだろう。確かに中川本は山本五十六憎しの思いが強すぎるように感じる。だがそれでも、山本五十六が敗北の責任を取ってない(辞任してない)のも事実だし、特攻を容認していたことも事実だ。「山本五十六は映画の主役を張れるほどのヒーローだったのか?」というぼくの疑念は、いまも氷解していない。

例えば、経済評論家の上念司さんは、真珠湾攻撃を「愚策」といい、山本五十六を「無能」という。

 それは「フィリピン沖で日米決戦」という日本海軍が何十年もシミュレーションして準備してきた必勝プランを捨てる無謀なギャンブルでした。多くの参謀に反対されたにもかかわらず、山本が辞任をチラつかせて無理やり強行した愚策です。
 (中略)アメリカ艦船が大量に沈めば、戦死者が数千人単位で出てくることになります。
 当時の日本海軍の砲弾命中率は「アメリカ海軍の3倍」と言われています。(中略)最悪引き分けたとしても、大量の戦死者が出ればアメリカ国内で一気に厭戦ムードが広まります。
 しかもフィリピンは植民地でありアメリカの領土ですらありません。
 (中略)ところが、無能な山本五十六はわざわざ真珠湾まで出かけて行って、占領もせず帰ってきました。しかも、日本海軍の手のうちを全部見せて「航空作戦」の重要性をアメリカにわざわざ教え、アメリカ人のやる気にまで火をつけてしまいました。(『経済で読み解く大東亜戦争』2015年/KKベストセラーズ)



また、保守論客の重鎮として知られる日下公人さんは、山本五十六が指揮した昭和17年10月のガダルカナル島艦砲射撃を、「スタンドプレー」「やったふり」と評している。要するに、陸軍に対して海軍のメンツを保つだけのために、膨大な砲弾を無駄に撃ち込んだ愚策。「山本五十六は本気で戦争していない。陸軍と戦争している」と日下さんは言う。

 そこで山本五十六は、もう一回やれという指令を出す。彼は効果がないことを知っている。部下も大反対している。それでも中止にはしない。天皇陛下のところに第二回をやりますと報告すると、同じことを二度して大丈夫かと聞かれるが、大丈夫ですと答えるところは無責任である。
 はたして大丈夫ではなく、敵は待ち構えているから、たちまち発見されて戦艦が一隻沈んでしまった。行かされた戦艦の乗組員の身になってみろと言いたい。山本のスタンドプレーのために出されて戦死したのである。ところが、そういうことを海軍の軍人はいまだにひた隠しにしている。山本五十六をかばい、自分たち全員をかばっている。せっかく国民に人気が高いのだから、わざわざ言うことはないということらしい。(『人間はなぜ戦争をするのか』1996年/クレスト社)


詳しいことは本で読んでいただきたいが、少なくともガダルカナル島艦砲射撃は山本五十六が「国益より省益を優先」した戦闘であって、そんなくだらない時間つぶしをしてるうちに、アメリカは東京大空襲や原爆投下の準備をしてたというわけだ。
最近では同じく「国益より省益を優先」した結果、消費増税が決定したが、国をおかしくする原因はいつも同じということなんだろう。

映画『ムルデカ 17805』(2001)〜インドネシア独立

peta

前回前々回の記事でみたように、いわゆる「海軍善玉論」なんてのは相当に怪しい議論で、一種のプロパガンダにさえ思えてくる。それが何で戦後日本で広く通用したかと言えば、やはり東京裁判史観の文脈と一致したからだろう。すなわち、海軍は単純に戦闘行為を行っただけで、「侵略」には加担していないんだと。「悪」は侵略行為に走った陸軍で、だからあそこで裁かれた軍人は陸軍関係者だけなのだと。

日本人にとっては、それによって、少なくとも日本の半分は「悪」ではない、むしろ陸軍軍部に欺された被害者なのだ、という自己弁護が成り立つし、アメリカ側からすれば、単純な戦闘行為の結果だけで(都市空襲や原爆なしで)アメリカが勝利したようなイメージを持たせることができる。お互いの精神安定にとって、「海軍善玉論」は都合がよろしい。

しかし実際には、陸軍は中国も韓国も「侵略」してないし、海軍がちっとも「善玉」でないのは、これまで見てきた通りだ。
詳細は省くが、満洲国を建国して「北進」(対ソ連)の準備をしていた陸軍が、日本政府と中国共産党と日本海軍の策動で、「南進」(対国民政府)させられた、というのが中川説の肝。ズルズルと中国大陸奥地へと引きずられ、気がついたら「侵略」のレッテルを貼られていた、という展開が実情だという。

この説は、しばしば言われる「日本が『アジア』を侵略した」を検証すると、一層、信憑性が増してくるだろう。
2001年公開の日本映画『ムルデカ17805』(東宝)は、インドネシア独立戦争を描いた作品だ。敗戦をインドネシアで迎えた日本軍人の一部が、インドネシアの人々とともにオランダ相手に4年以上戦って、独立を勝ち取るまでの物語だ。

この映画をみれば誰でも気付くのが、日本軍はインドネシア人とは戦ってないという当たり前の事実だ。日本軍が戦ったのはオランダ軍で、物資や石油を奪ったのもオランダ軍から。日本軍は、350年続いたオランダの支配を、わずか7日の戦闘で終わらせた。

アメリカ人の日本軍政学者ジョージ・S・カナヘレは『日本軍政とインドネシア独立』 (1977年 早稲田大学社会科学研究所翻訳選書) の中で、この時日本の果たした役割を四点あげているそうな。

①蘭語・英語の禁止(インドネシア語の普及)
②青年たちの軍事教練
③高官にインドネシア人を登用
④プートラ(民族結集組織)やホーコーカイ(奉公会)のネットワークを組織、その運営を指導

ゆえに(上記引用元の)『なぜアメリカは、対日戦争をしかけたのか』(2012年 祥伝社)でヘンリー・S・ストークス氏は、(日本がアジアの解放のために戦ったわけではないことを前提にしつつ)こう述べている。

 この事実はとりもなおさず、侵略したのが日本ではなかったことを証明している。
 日本がアジアの国々を侵略していた西洋諸国から、アジアの国々を独立させるために、あらゆる努力を惜しまなかったと見るのが、正しい認識であると思える。

そして、日本軍がインドネシアで創設した「PETA」は、後のインドネシア国防軍の母体となった。スハルト大統領、ウマル副大統領、スロノ国防相など多くのリーダーがPETA出身だそうだ。

ちなみに、ジャカルタの中心にあるムルデカ(独立)広場には、高さ37mの独立記念塔が立っていて、碑には独立宣言文と「17805」という日付が刻まれているそうだ。うち、178は8月17日を表すのだが、05は何かと言うと、なんと「皇紀2605年」の05だそうだ。インドネシアはその独立の日に、日本独自の「インペリアルカレンダー」を採用して、深い感謝の意を示してくれたということだ。

また、かつて東京裁判の舞台となった市ヶ谷の防衛省構内には、インドネシア政府から寄贈された、PETA出身のスディルマン将軍の銅像が立っているそうな。


ま、こんな話は例によって「今さら」の話で、例えば昭和30年代にヒットしたテレビドラマ『快傑ハリマオ』なんかは、白人支配の東南アジアでひとり戦う日本人を描いたわけで、昔の日本人には周知の件だった。だが、いつしかそんな日本人の記憶は薄れ行き、ありもしない「アジアの侵略」が不思議なリアリティで語られる風潮になってしまった。

安倍政権の誕生で改憲議論が再び盛り上がってきた昨今だが、「自虐史観」を放置したまま憲法を変えるのは、実はマズイんじゃないかとぼくは思う。自虐史観こそが「平和憲法」の歴史面からの存在根拠で、”ひとたびキレると破壊と殺戮の限りを尽くす日本人の狂気”は「平和憲法」が抑制してきた、というのが左翼側の論理。あくまで、日本人の自己抑制が「平和」に繋がるという自虐的発想が「護憲」であって、外敵からの防衛は「平和憲法」には含まれていない(拉致事件を見よ!)。

そして、自虐史観が現憲法を背景からサポートする時、その表層で現憲法の精神を具現している「戦後民主主義」の問題も片付いていない。モンスターペアレントなんかがその成れの果てだが、自分さえ良ければいいという幼稚な個人主義を、日本社会は克服できていない。もちろん、憲法を変えることで国民の意識が変わって、結果として日本人が「戦後民主主義」を超克できる可能性はあるが、今のところ、それが意識されているようには感じられない。

 今日、日本がアジア諸国から尊敬されなくなったのは、アメリカに追従して、経済利益だけを追求して、先の大戦に敗れるまでいだいていた気高い精神を、失ったからにちがいない。歴史を失った国には、品格がない。
 (『なぜアメリカは、対日戦争をしかけたのか』ヘンリー・S・ストークス)

ぼくも、改憲ではなく自主憲法だ!という意見には賛成なんだが、その際、「自虐史観」と「戦後民主主義」をまとめて葬れる内容じゃないと、意味がないと思う。これらは互いを強固に補完する関係で、切り離して考えれば全てが失敗に終わるだろう。

つづく

『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』

パールハーバー

前回引用した『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』の共著者、ヘンリー・S・ストークス氏には、ネーサン・クラークという従兄がいたそうだ。1941年半ば、英国軍人だったネーサン大尉は、ビルマのラングーン飛行場で驚くべきものを目撃した。それは多数のアメリカ軍戦闘機と爆撃機が、翼を連ねている様子だった。真珠湾攻撃の、半年前のことだった・・・。

今ではすっかり知られるようになったことだが、当時のアメリカは(テレビヒーローが良く言う)「本当は戦いたくない」のに、日本が侵略をやめないから立ち上がった正義のヒーローではない。同書によれば、フランクリン・ルーズベルト大統領が、日本に敵対する政策を最初に打ち出したのは、真珠湾攻撃の5年前、1936年(昭和11年)のことだそうだ。中立国のはずのアメリカは、裏で戦闘機とパイロットを「義勇兵」として蒋介石に提供していた。

その後も、ルーズベルトは「中立法」を無視して蒋介石を援助し続けた。
1940年10月には海軍情報部提出の、日本を対米戦争に追い詰めるための提案書を承認。
1941年2月には、早くも敗戦後の日本の処理を研究する機関を国務省内に発足。
日米交渉の裏では「B-355」なる日本本土爆撃計画が承認され、真珠湾攻撃の5ヶ月前に、150機の爆撃機と350機の戦闘機が(中国空軍に偽装されて)来襲する手はずになっていた。

こんな事実を聞いて、例えばこんな説明を信じる人はいないだろう。

昭和16年6月、日本の中国侵攻に反対するアメリカ、イギリス、オランダは、日本への石油輸出禁止などの経済制裁を加えた。日本はその状況を打破するために、12月8日、ついに真珠湾攻撃に踏み切った。
(『男たちの大和/YAMATO』ナレーション)

ぼくらが散々聞かされた開戦理由、ABCD包囲網から南部仏印進駐に進み、ハルノートを拒否して真珠湾攻撃・・・という経済的理由は、嘘ではないが真相の全てではないようだ。その裏には、何が何でも日本と戦争したいルーズベルトの姿があった。日米交渉など、とんだ茶番だったわけだ。

だが、それだと我らが(笑)「自虐史観」って、崩壊しないか?
そもそも自虐史観ってのは、「憐れで気の毒な弱者」中国を「悪の侵略者」日本が襲ったので、「正義のヒーロー」アメリカ合衆国が颯爽と現れて叩きのめし、素晴らしい日本に生まれ変わらせてくれた、ありがとうアメリカ様!というストーリーだったはず。でも、ルーズベルトが日本に向けつづけた憎悪を知って、彼がウルトラマン仮面ライダーのようなヒーローだったと思える日本人はいないだろう。アメリカもまた、「侵略者」だったんじゃないか。しかも日本とは比較にならない、狡猾で残忍な・・・。

同書によると、当時のアメリカは「中国がアメリカの勢力圏のなかにある」と見なしていたそうだ。中国は、アメリカから多くの宣教師を受け入れていたし、市場の巨大さも魅力だった。ルーズベルトは切手の蒐集を趣味としたが、清朝末期や古い香港の切手が自慢だった。それに対して日本は「アメリカに媚びることなく、伝統文化を頑固に守り、キリスト教文化に同化しない異質な国だった」。

2001年に公開されたアメリカ映画『パール・ハーバー』には、御前会議と思わしき作戦会議の様子が、ぼくら日本人の理解を超えた表現で描かれている。

劇中において、東條英機、山本五十六ら軍部の重鎮達による真珠湾攻撃の是非を問う作戦会議が野原に置かれた卓で行われている。しかも子供がその近くで遊んでいたり、「軍機密」と大書きした看板が掲げられている。現実には家屋の用意できない最前線でもなければ屋外で会議が行われることなどあり得ず、真珠湾攻撃のような重要な決定は最終的に屋内の御前会議の場で密室で承認された。また、近くに設置された鳥居には旭日旗が上からぶら下げられているが、日本では過去も現在も国旗をそのように掲げる習慣はない。(Wikipediaーパール・ハーバーより引用)


この映画の監督はマイケル・ベイ。
『ザ・ロック』『アルマゲドン』『アイランド』『トランスフォーマー』など、それなりに面白い作品を作れる人なんだが、日本への無知・無関心はハンパでない。向こうにも『Tora! Tora! Tora!』(1970年)なんて映画もあるのに、おそらく何一つ調べる気さえなかったのだろう。
まさに加瀬先生の言う「アメリカに媚びることなく、伝統文化を頑固に守り、キリスト教文化に同化しない異質な国」、そのまんまのイメージで描かれたのが、『パール・ハーバー』での日本ということだろう。


本書の類書に「開戦は30余年前から想定されていた!」と帯にある『日米衝突の根源 1858ー1908』(渡辺惣樹 草思社 2011年)がある。
ペリー来航からポーツマス条約あたりの「アメリカ史」がメインなんだが、その半世紀にアメリカで起こったことにこそ、日米衝突を不可避にする要因があった、という主張だ。
それを具体的に言えば「国内産業保護を基軸とするアメリカン・システムの綻び、イギリスを筆頭としたヨーロッパ諸国との領土紛争、国内の人種問題。南北戦争、米西戦争、移民排斥、ハワイ併合、フィリピン領有」など。

だがぼくが一番面白かったのは、まさにアメリカが初めて日本を知った、その時のことだ。
それをアメリカにもたらしたのは、ペリーに同行していた紀行作家、ベイヤード・テイラー。香港、南京、上海などに滞在したテイラーは「支那の街ほど嫌悪感を感じさせるところはない」と吐き捨て、不潔極まりない街と怠惰な人間をさんざんに罵倒する。

ところが日本に来るなり、テイラーは一変する。

「船上に上がってきた日本人は、蒸気機関の動きを熱心に見ていた。そこには畏れの表情は微塵もなかった。(中略)質問を続ける彼らの見せた落ち着いた上品な振る舞い。洗練された人々だけが見せることのできる態度だった」

「役人たちの顔はオリーブ色で、頬も唇も血色が良かった。目は大きく、支那人のように斜めにずれていなかった。額は広く表情は豊かで、彼らの心が生き生きとしていることの証しだった」

「ペリー艦隊の士官たちは一様に、こうした日本人が完璧な紳士であることを認めていた」

帰国したテイラーは講演に引っ張りだこで、1858年から67年の9年間に全米で600回の講演をこなしている。話題の中心はもちろん、「極東の謎の国」日本だ。

「テイラーは日本に着くまでは、日本人は支那人と同じで軽蔑の対象になると考えていた。しかし日本人は彼が驚くほど支那人と違っていることを発見する」

「1854年のマサチューセッツ州ケンブリッジ市での講演は支那人と日本人の比較で始まった。そしてそれは後者が前者よりも、能力や将来性においてそうとうに優れている、という主張で締めくくられた」

以上は、当時のアメリカ人が、支那人より日本人を褒めてるからと喜んで引用しているわけではない。
それとは逆に、ここで褒められていることにこそ、後に同等のライバルと見なされ、完全に叩きつぶされる遠因があったんじゃないか、ということだ。支那人はWASPを頂点とするヒエラルキーの最下層を構成できるが、日本人は日本人であるからこそ、そこから逸脱するだろう。そんな予感は的中し、日本は自力で「名誉白人」の座を掴み、国際連盟の五大国に成長した。白人社会にとって、いよいよ恐怖の対象となった。
ならばもはや、文明の存亡を賭けた激突しかない!

・・・みたいな。


【追記】
日米衝突の根源』の「おわりに」には、「コロンビア要塞跡」という砲台の写真が掲載されている。撮影場所は、ワシントン州とオレゴン州を分けるコロンビア川の北岸。
1904年に築造されたこの砲台群の砲口は、なんと太平洋に向けられているそうだ。日本がまだロシアと戦っていた頃、すでにその準備は進められていたというわけだ。

つづく

業務連絡

言志

一ヶ月ほど休止します。
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