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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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ジャイアントロボ最終回 ギロチン最後の日

ロボに最敬礼

ジャイアントロボ』における防衛隊を、国連秘密警察機構「ユニコーン」という。
『仮面ライダーV3』や『快傑ズバット』で主役を演じた宮内洋は常々「特撮ヒーロー番組とは子供達に正義の心を教える教育番組に外ならない」というポリシーを表明していたそうだが、こと「教育番組」という観点からすれば、『ジャイアントロボ』のユニコーンという組織はかなり理想的な展開を見せている。

主人公の草間大作少年は、ロボの操縦権を持つがゆえに第一線で戦うことになってはいるが、所詮はただの小学生だ。体力、判断力などは大人に及ぶものではない。だがユニコーンには、大作少年の相棒(お目付役?)のお兄さんのような南隊員もいれば、父親のような東(あずま)支部長もいる。大作くんは彼ら大人たちに、時には叱られ、時には励まされて、一人前のロボット使いに成長していく。ユニコーンは大作くんにとっては(ぼくら視聴者の子どもにとっても)第2の学校であり、社会そのものだった。


・・・と、まず一応は褒めておいてから本題に入る。

ところで、子ども向け特撮番組にあって、「日本」あるいは「日本人」が反映されている存在とは、ユニコーンを始めとした防衛隊に他ならないだろう。彼らは(その当時の)日本の平均的な良識や常識をその思考とし、行動とする。そうでなければ、ぼくらは安心して番組を観ることはできないし、PTAも許さない。

それでは『ジャイアントロボ』で、良識であり常識であるはずのユニコーンはどう具体的に描かれたか。
すでに書いたとおり、第22話「殺人兵器カラミティ」は、日本だけが保有するロボを妬んだメルカ共和国なる超大国が、その技術を開示せよと強要してくるエピソードだ。この圧力に屈した日本政府は、ユニコーン日本支部に対してロボの電子頭脳の公開を要請してくる。この通達を聞いた時の、ユニコーン日本支部の面々の反応はこうだった。

「GRはユニコーンだけが持っていれば十分です」

彼らの言い分によれば、ジャイアントロボが世界中に拡散すれば、必ずそれを軍事的に悪用する国が現れる。だから日本だけがロボを保有しているほうが世界の平和につながる、ということらしい。
だが、その理屈がきわめて独善的かつ排他的であることは、当の彼ら自身が身をもって知っているはずだ。

実際、他国にあるユニコーン支部がギロチン帝王の攻撃を受けて全滅していく中、いまなお日本支部が健在でいられるのは彼らの力ではなく、そこにジャイアントロボが存在するからだ。ジャイアントロボさえあれば、これまで滅ぼされた支部だって十分に戦い、撃退さえできただろう。

しかもジャイアントロボは日本人の科学の力で生み出されたロボットではなく、ギロチン帝王から横取りしたものだ。人類の財産だと言うのならともかく、日本のためだけに使うのはエゴイズム丸出しで、身勝手すぎると言うものだ。

それにそもそも、何の根拠があって彼らは日本だけはジャイアントロボを悪用しないと言い切れるのか。

その理由は簡単だ。
日本には憲法第9条、いわゆる「平和憲法」があるからだ。だから日本人が専守防衛以外でロボを使うことは有り得ないことで、他国侵略等の悪用はできない。ロボの海外派兵も、集団的自衛権の拡大解釈とすれば、かろうじて説明もつく(ことになっている)のだろう。

これが1967ー1968年の『ジャイアントロボ』放映時の、日本の良識であり、常識だった。

しかしこの「良識」は、続く第23話「宇宙妖怪博士ゲルマ」で、いとも容易く崩れ落ちてしまう。
この回、ギロチン帝王に招聘されたゲルマは、まず自慢の妖術で草間大作少年の精巧なコピーを作る。このコピーは声紋までが大作くんと全く同じものであり、すなわちそれはジャイアントロボの操縦者がもう一人増えたということだ。
その上でゲルマは幼稚園の送迎バスを拉致して人質とし、交換条件として大作くんのもつ腕時計型の操縦機を要求してきた。
さて、このとき日本の「良識」ユニコーンは、どう行動したか。

結局彼らは「人命には換えられない」と言って、操縦機をギロチン帝王に渡してしまった。ジャイアントロボはニセの大作くんの命令を受けて東京の破壊を開始した。「人命には換えられない」はずが、もっと多くの「人命」を失う、最悪の大惨事を招いてしまったのだった。

言うまでもないことだが、ユニコーンはこういう事態に備えて何らかの手を打っておくべきだった。それを彼らは、自分たちが悪用しなければ大丈夫だと高をくくり、ロボの存在でかろうじて維持されている平和を永遠のもののように考えていた。その甘さが、首都東京に壊滅的な破壊をもたらしてしまった。


このユニコーンの甘さの根底には、例によって東映の平山亨プロデューサーの軍事アレルギーがあるようだ。現在発売中のDVD『ジャイアントロボ』VOL.2のライナーノーツのなかで、平山亨は次のように語っている。

「ユニコーンを正規軍と考えないで秘密組織と考えたほうがリアリティがあると思ったのは、私の常套手段みたいだ。ギロチン帝王なんて奴と正規軍が闘ったら奇妙な気がするんだなあ」


常套手段というとおり、巨悪にたいしてヒーローが秘密的に対抗する平山パターンは『仮面ライダー』にしても『超人バロム・1』にしても基本は同じ。つまりは軍につながる国家組織が表立って闘うのではなく、個人や秘密組織の手で誰にも気がつかれないうちに平和が守られているほうが、平山にとっては「リアリティ」があるらしい。
ぼくには丸っきり反対のように感じられるが、焼け跡世代の人たちにしか分からない「リアリティ」なのかもしれない。


それはさておき話を戻すが、ユニコーンという組織は、実は普段から意識的に軍隊臭を抜きたがる集団でもあった。普通の軍隊であれば敬礼をすべきところで、彼らは親指と人差し指、中指の三本を顔の前であわせ、ひょいと捻る仕草をする。するとどこからか「ひょい」という効果音が入り、これが彼らの間での「了解」の挨拶だったりする。

おそらくこれも、平山亨のアイデアというか、趣味の一貫なのだろう。
とにかく「軍隊」を連想させるものは「悪」。だから『仮面ライダー』は制服と敬礼で統制された軍隊式のショッカーの「悪」に対し、私服を着た自由な立場の一個人が「正義」を標榜して戦う。

ところが、この(今から見れば)実に頼りないナヨナヨした印象のあるユニコーンは、最後の最後になって、君子のように豹変した。

第26話最終回「ギロチン最後の日」。
ここにいたるまでの間に、ロボには少しずつある変化が生まれていた。「こころ」とでも呼ぶようなものが、だんだんとロボには芽生えていったのだ。それは第19話で命令なしに大作少年のピンチを救ったことから始まり、第21話では「まるで人間の意思をもっているようだ」とユニコーンを驚かせた。
決定的だったのが第23話だ。ゲルマが作ったニセ大作と本物の大作、二人の大作に異なる命令を出されてGRは悩み苦しむように見える。そして結局は、操縦器を持たない本物の大作の叫びに従ったのだ。

そして最終回。ギロチン帝王はかつてロボに敗れた怪獣やロボットを蘇らせると、次々にロボと戦わせた。このときの長時間の戦闘で、やがてロボの原子力エネルギーは尽き果ててしまう。
いまやロボは全機能を停止して突っ立っているだけだ。一方ユニコーンも、巨大化したギロチンの体が原子力のかたまりであることを知らされて、手も足も出せない。
地球は絶体絶命のピンチだ。

その時だ。
突然、ロボは自らの自由意思で補助エネルギーを使って再起動する。そしてギロチンを抱きかかえると、制止する大作少年の命令を無視して宇宙空間に飛び出し、浮遊する隕石に突っ込んでいって爆死する。ギロチン帝王の最期だ。

問題はこの後だ。
ユニコーン日本支部の人々は全員、直立不動の姿勢で軍隊式の敬礼をしたのだ。

それはロボにうまれた「こころ」、すなわち自己犠牲の精神がユニコーンの連中を覚醒させた瞬間だった。軍隊色を嫌い、ぬるい行動に明け暮れた彼らはこの瞬間、正真正銘の軍隊として生まれ変わった。いつもの妙な指ひねりの挨拶では、この時のロボの崇高な魂に報いることはできなかったのだ。

『ジャイアントロボ』に秘められたもう一つの物語。
それはユニコーンという”秘密組織”の皮を被った軍隊が、その皮である「平和憲法」を脱ぎ捨て、卒業するまでの物語でもあったのだと、ぼくは思う。

つづく

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