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竹波エーイチ

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モスラ対ゴジラ その1

ゴジラ名古屋2

前作『キングコング対ゴジラ』には、元祖アメリカ映画『キング・コング』という原作が存在していたが、1964年の『モスラ対ゴジラ』には原作はない。「脚本・関沢新一」のクレジットがあるだけだ。

では、これでようやく関沢ゴジラについて語れるのかと言うと、まだそうではない。
と言うのも、今作『モスラ対ゴジラ』は前の三作の総まとめというべきもので、今風に言えば、香山ゴジラへのオマージュ(笑)だったからだ。


物語は、1954年の伊勢湾台風を思わせる暴風雨の映像から幕を開ける。初代『ゴジラ』同様、ゴジラの恐怖はまず大自然がもたらす災害として語られる。明けて台風一過の倉田浜干拓地(三重県)では、今度は『ゴジラの逆襲』のように明るく力強い復興作業の様子が描かれる。

同じころ、静の浦海岸(静岡県?)にはモスラのタマゴが漂着していたが、ここでは時化続きを嘆く漁師と、祟りだと騒いでお祓いをする神主が登場する。こういった小技で『ゴジラ』への軽いデジャヴを覚えさせたあとに、いよいよ真打ち、ガイガーカウンターが倉田浜で使用されてメーターが反応、ついに地中からゴジラが出現する。この様子をテレビのニュースは「原子怪獣」が現れたと報じる・・・。


と、このように『モスラ対ゴジラ』からは、否が応でも初代『ゴジラ』のイメージが喚起させられるようになっている。それらは『ゴジラの逆襲』『キングコング対ゴジラ』では、忘れ去られてはいないものの、どこか軽く扱われていたものだ。

そしてこうした表現は、『モスラ対ゴジラ』が、初代『ゴジラ』から連綿と続くゴジラ世界の正統な続編だという宣言であるように思える。なにしろ前作『キングコング対ゴジラ』では、ゴジラはただどこかに向かって移動していただけで、すっかりゴジラらしさを失っていた。やはり災害、祟り、放射能と言ったイメージなくして、ゴジラを語ることはできないだろう。


さて前作『キングコング対ゴジラ』では仙台から那須、高崎、富士山麓とひたすら旅路を急いだゴジラだったが、その目的地はどうやら名古屋だったようだ。
ここには香山ゴジラが含んだ、初期ゴジラのイメージの完成がある。すなわち、ゴジラとは太平洋に散った戦没者の亡霊でないか、というあのイメージだ。

前作『キングコング対ゴジラ』で関沢新一は、重沢博士にこう言わせている。
「戻ってくると言ったほうがいいかな。動物がみな持っている帰巣本能。つまり生まれた巣は忘れないっていう本能だよ」

ゴジラがもしも日本人戦没者の霊魂の集合体であるなら、彼が(彼らが)その出身地を訪ねて回るという「帰巣本能」は、自然に人口の多い都市から順番に行われるだろう。ゴジラが東京、大阪に続いて名古屋を襲撃したことで、このイメージはここにようやく完成したと言える。

Wikipediaによると、台本の時点では「ゴジラは瀬戸内海の埋立地から出現、姫路城を破壊する予定だった」とのことだが、もし今回ゴジラが名古屋でなく姫路を襲っていたとしたら、後に多くの論者に「戦没者の英霊説」が支持されることはなかっただろう。


というわけで、今回ゴジラはまず、四日市の石油コンビナートを襲撃する。実際、この時のゴジラは『ゴジラ』以来、久々に見せた「荒ぶる神」の形相だった。前作で、得意の放射能熱線をキングコングに見せつけて勝ち誇ったような愛敬は、今度のゴジラにはない。まさに真剣そのものだ。

四日市と言えば、当時は大気汚染による「四日市ぜんそく」が拡大し始めたころで、まだ補償も受けられずに苦しむ子どもたちが多数いた。ゴジラの怒りは、戦後日本のあり方そのものに向けられていたのかもしれない。
ゴジラはここで、高度経済成長を象徴するかのようなコンビナート群を焼き払うと、本来の目的地である日本第三の都市、名古屋に向かった。

ところが、名古屋に進撃したあとのゴジラは突然トーンダウンしてしまう。
ゴジラははじめ、『ゴジラ』でもやったようにテレビ塔に近づいていく。あの時のゴジラは、自分を畏れることなく実況中継を続けるテレビクルーに苛立ちを見せ、人間ごとテレビ塔を叩き折った。ゴジラが見せた、数少ない「直接の」殺人行為だった。

しかし今回はたしかに破壊することには破壊したが、それはその長い尻尾がテレビ塔の鉄柱に絡まってしまい、力任せに引き抜いたら倒れてしまった、という何とも間抜けな展開によるものだった。そのあげくは、背後からテレビ塔の倒潰を受け、ビックリして自分も倒れ込んでいる始末だ。

続いてゴジラは『ゴジラの逆襲』よろしく、名古屋城に向かう。が、ここでもかつて大阪城下でアンギラスと繰り広げた、生きるか死ぬかの格闘の迫力は失せていた。もはやゴジラには敵意も殺意もなく、ただ内堀に足を滑らせて城に寄りかかると、起き上がろうとして見苦しくもがき、その結果として城の半分を抉りとってしまった。それだけのことだった。


あれほど先を急いでたどり着いた名古屋で、いったいゴジラは何を思ったのだろう。ゴジラはただ市内を徘徊し、徒にその巨体を傷つけただけで、当てもなく東へ去っていった。
そしてその先には、台風ではるばる南洋から流されてきたモスラのタマゴがあったのだった。

こうして『モスラ対ゴジラ』の二つの「タテ軸」は接触した。
では、もう一つの「タテ軸」、モスラのストーリーとは今回どんなものだったのか。
しかしそれを語る前に、南海に存在した、もう一人のゴジラについて知る必要があるだろう。彼こそが、もの言わぬゴジラに代わって、ゴジラの心を代弁した男だとぼくは思うからだ。

つづく

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