プロフィール

竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
一つの 「カテゴリ」 で一つの記事となってます(記事は古い順に並んでます)。同世代のおっさん向け。

カテゴリ
もくじ

全ての記事タイトルを表示する

ブログ内検索
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

主要記事
リンク
応援中
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

フリーエリア
趣味 - シュミラン

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『巨人の星』と団塊世代 〜『荒俣宏の少年マガジン大博覧会』

ジャージャー流す涙

ぼくらの世代で野球マンガと言えば、何といってもまずは『ドカベン』だろう。『巨人の星』は一世代前の古典として、夕方のテレビの再放送で楽しんだもんだ。ただ当時は時代の流れが今よりはるかに速い時代だったので、劇中に出てくるような長屋の風景などは白黒の時代劇ぐらいでしか見ることがなく、必要以上に時間的な隔たりを感じたもんだった。

実際には『週刊少年マガジン』に『巨人の星』が連載されていたのは1966~1971年で、『週刊少年チャンピオン』に『ドカベン』が始まったのが1972年というから、ほとんどシームレス。マンガの表現というものが、ものすごいスピードで進化発展した時代だったのだろう。

ところでそんな『巨人の星』は、連載当時の少年少女が熱狂的に支持したのはもちろんのこと、おっかない全共闘のお兄さん方も随分熱心に読んでいたらしい。全共闘!と言っても元はただの純真な少年少女。当時の『マガジン』は、読者の成長に合わせてマンガの対象年齢を引き上げる戦略をとっていたそうで、彼らは『マガジン』を卒業することなく大学に進んだ。そのタイミングで登場した『巨人の星』は、彼らの忌み嫌う戦前の雰囲気をプンプンと撒き散らかし、主に悪質なギャグとして笑われつつも、不思議な魅力で彼らをとりこにしていったそうな。

とまた、見てきたようなことを書くのも気が引けるので、ここはバリバリの団塊世代で全共闘世代でもある人の文章を引用することで、リアルタイム世代が『巨人の星』にどのような思いを持っているのかを紹介したい。
本は1994年に講談社から出た『荒俣宏の少年マガジン大博覧会』。文章は高山宏という先生だ。

高山先生はまず『あしたのジョー』の衝撃を語り、特にそれがいかに「ドラマチック」だったかを解説した後、こう続ける。

ドラマチックと言うことでは『巨人の星』とはけたがちがっていた。風変わりといえばとんでもなく風変わりだが、星一徹はやはり父なのであり、それになにしろ星明子という存在があって、人間関係や感情のしがらみがどんどん深く濃密になっていく世界が、徐々にたまらなくいやになっていった。『あしたのジョー』と『巨人の星』が並び立って大きな枠をつくっていれば、あとは何がどう出入りしようと大丈夫という時代がしばらく続くわけだが、互いに似て非なることおびたたしい。ジョーは論理の必然として死なざるを得ない。彼に自分を見る団塊世代はねあがりの、終わりのためのいけにえじみた存在だと感じた。星飛雄馬はひたすら「教養小説」の枠組の中にいて、確実に「成長」していく存在だった。伴が、飛雄馬がジャージャー流す涙がもういやでたまらなかったし、自分の子を谷底に落とす獅子の話だの、宮本武蔵だの坂本龍馬だのを引き合いに出しての格言調、お説教の阿呆陀羅教が実際がまんならなかった。大リーグボール1号をうむため、山中にこもって特訓したり参禅したりというパターンもいらいらした。星一徹じみた世代にうつろな精神教育を叩きこまれた世代の自己嫌悪、近親憎悪みたいなものかもしれない。


要は『あしたのジョー』という本命が登場してしまってからは『巨人の星』の株は下がる一方で、次第にそれは嫌悪感すら湧くようになったと。
ところがそういった印象は、飛雄馬が成長し「青春の悩み」に苦しみ出すようになるとまた一転する。

スターになった飛雄馬を芸能界が黙ってはおかない。オーロラ三人娘と一緒にボウリング大会に行ったり、テレビ座談会に出たりの華やかな暮らしぶりになる。「これからは人間らしくくらすんだっ」と言って飛雄馬はボロ家を出てマンション生活を始める。明子も家を出て飛雄馬の所にくる。現れたオズマを好敵手に仕立てた父による子への執拗な挑戦がいよいよ始まる。まさに一徹タイプの教育を受けてそれぞれが一個の「野球人形」に育てられながら、それでは生きていけない資本主義市場経済の世界に直面した団塊世代は、この年(※1969年)に飛雄馬が直面した悩みに自らの自画像を見たと思う。飛雄馬の隙を花形は悲しみ、一徹は「とんだ昭和元禄よ」といって憫笑した。芸能界に代表される新時代は労働より消費をよしとする無根拠な世界だ。つまらない芸能人大会に、腹をすかした弟妹を思って出席した左門の「ふむ・・・・・・こんな出演料ばくれるとはおかしな世界ばい」という台詞は、その後二〇年間、ぼく自身も感じ続けた印象である。
「むなしい・・・・・・こんなものが・・・・・・青春か?」と呟きながら、結局飛雄馬は、一徹に仕込まれた旧来の精神主義的価値観に戻っていく。「騒動」を起こした学生たちの中でも同じような二つの価値観のひび割れがあった。いろんなタイプの反抗学生がいたが、基本的には同じだった。


気がつけば、飛雄馬はいつしか団塊世代の「自画像」になっていた。
たしかに『あしたのジョー』には団塊世代が自己を投影したくなるような何かがあったのだろう。一方で『巨人の星』は前時代的であり、封建的であり、べたべたの浪花節として笑われた。ジョーはかっこよく、飛雄馬はダサイ。
だが実際には誰もジョーのようにカッコよくは生きられない。

ちなみに文庫版1巻の巻末には梶原一騎夫人の高森篤子さんが解説を書いておられるが、飛雄馬こそが生身の梶原一騎の姿と述べられている。

ジョーが、そしてその後の作品の主人公たちが、主人の求め続けた「男」としての、理想像・虚像であったとしたならば、『飛雄馬』は主人の肉声を語った、唯一のヒーローだったのかもしれません。


かくして高山先生の『巨人の星』への結びはこのようになる。

通算四年九ヶ月という歳月はアダやおろそかではない。六〇年代末を青春としている団塊世代は、この『巨人の星』と、そして『あしたのジョー』に添い寝してもらいながら、自分の生きていくイメージをつくっていったというところがある。描線がどうしたこうしたといった技術論とはてんでちがった次元の、まさに添い寝としかいいようのない関係を、生活と少年漫画週刊誌が切り結んでいた。一週ごとにともに成長していってくれる、風変わりだが実に教育的なメディアだった。既存のあらゆる学校制度が、こうした真の教育、「形成」の実質を欠き、それにふさわしく閉鎖され、崩壊していた。


個人的な印象かもしれないが、ぼくはあれほど熱中した『ドカベン』に、これほどまでの連帯感を感じることはなかった。『ドカベン』からは野球というスポーツの奥深さや、野球部という社会を学ぶことはあっても、人格形成につながる影響までは受けなかった気がする。むしろそこに流れている根本思想は「勝利」という単一の価値観からなるヒエラルキーだけなので、言ってみれば『ゴレンジャー』的な世界観だ。ぼくらは『ゴレンジャー』の後のより現実的な「ヒーロー番組」として、『ドカベン』に触れていたのかもしれない。

それはさておき、この引用ばかりの手抜き記事でぼくが言いたかったことはただ一つで、団塊世代とか全共闘世代と言われる人たちが、どれほど強く堅く『巨人の星』や『あしたのジョー』と結ばれていたのか、それだけだ。
もちろん生まれは団塊世代でも、『マガジン』なんて読んでなかったという人も多いだろう。だが一方で、全国的な繋がりを見せた全共闘が、いつも『マガジン』とともにあったことも事実だ。そしてそんな全共闘の多くは、当時はまだ少数派だった大学卒の資格を得て、やがて社会の中枢に入っていった・・・。

ならば『巨人の星』そして『あしたのジョー』が、その後の日本社会に人知れぬ影響を与え続けた可能性は、一概には否定できないのではないか。

つづく


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。