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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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巨人の星 ライバルたち(花形・左門・伴)

ライバルたち

※以下の記事は3分の2まではあらすじの紹介ですので、『巨人の星』通の方は飛ばしてください。

若い人にはピンと来ないだろうが、『巨人の星』が連載されていた1960年代後半、すでに星一徹のようなガンコ親父やカミナリ親父という存在は、時代錯誤の稀少動物と化していた(らしい)。
荒俣宏の少年マガジン大博覧会』の中には、次のような記述がある(文は高山宏氏)。

『巨人の星』第一部は五月十一日で終わり・・・(中略)・・・自分の父親が一徹だったらなあと思う子供が一五〇人中一四五人。一体どういう統計なんだろう。やさしいばかりのマイホーム・パパの時代が始まっていたのだろう。「星一徹のモーレツ人生相談」など、ウジウジ悩んでいる青少年を「ばかもんっ!」と一喝する、メタきわまる面白い企画で、大笑いして読んだ。


※星一徹その人については、ここでアレコレ書くよりもこちらのサイトを見ていただいたほうが話が早いだろう。
「巨人の星」伝説 星一徹と50の名言!


【花形満の場合】

では、そんな星一徹に育てられた星飛雄馬とは、一体どのような人物だったのか。
まず阪神タイガースの花形満だが、彼は飛雄馬に「青春を見張られてきた」と言う。

花形モーターズという大企業の御曹司に生まれた花形満は、英国貴族趣味の信奉者である父の趣味によって、物心がつくとイギリスの貴族が学ぶ寄宿舎へ入れられた。始めはイギリス特有の黄色人種差別に悩まされた花形だったが、小学校の高学年になる頃にはあらゆる面でナンバーワン。エリザベス女王と握手する光栄にも恵まれたとか。

やがて帰国した花形は、すっかり染まってしまった英国貴族趣味のおかげで、日本で見るもの全てが「おそまつで、うすぎたなくてしかたがない」。母国は「けいべつにあたいする三等国」と嘆き、グレてしまう。不良少年を集めた野球チーム、ブラックシャドーズを結成して草野球アラシを繰り返していた。

その野球が花形に引き合わせたのが、星飛雄馬だった。そのときの飛雄馬の印象は・・・

「これほど骨のズイまで日本的なチビはいなかった。しかし、かれのは失われゆく日本の美! こよなき美学だった。
日本じゅうあげて、ふわふわ骨なし草のように欧米かぶれしつつある風潮にさからい、父上とともに古きよき日本をがんこに死守するすがただった!
そんな単純なものではないが、しいて俗っぽくいえば日本的なナニワブシ・ヒューマニズム!」

飛雄馬との出会いは、花形からニヒリズムを取り去り、不良少年をやめさせた。母国・日本への愛も取り戻させた。それは・・・

「なんのことはない。エリートぶりながら、じつは日本じゅうこぞっての欧米かぶれの先頭をきっていたにすぎぬ、おっちょこちょいの国籍不明の安っぽさを自分のすがたに見たからだ。
まず”日本の男”になりたいとぼくは願い、それゆえに目標の飛雄馬くんに必死にいどみつづけ、いどみつつ、まなんだ!」

「男としての完成をめざす道をふみはずさぬよう、彼に見張られつづけてきたといったのは、ここのところです」

以上、会話の相手が星明子さんなので回りくどい面もあるが、要旨は明瞭だろう。
花形は、星一徹と飛雄馬の親子に、古き良き日本の男を見た。戦後日本の欧米かぶれに失望していた花形にとって、それは英国貴族趣味をはるかに凌駕する輝きを放って見えた。

最終的には和洋折衷の「あしたの理想的な日本の青年像をめざす」花形にとって、星一家とは天然記念物的に保護されるべき存在だったのだろう。飛雄馬の学費を貸してやろうとしたり、川上哲治に飛雄馬の推薦状を送ったりと、陰に日向に援助を惜しまない。ある意味では明子さんへの愛情の中には、一徹を義父に、飛雄馬を義弟にしたいという気持ちもあったのかもしれない。


【左門豊作の場合】

もう一人の宿命のライバル、左門豊作にとっては、初めのうちは飛雄馬は自分をプロに売り込むために打倒すべき存在として映っていたようだ。熊本の貧しい農家に生まれた左門はすでに両親を亡くし、幼い5人の姉弟をイジワルな親類の家から引き取るためには、何が何でも高い契約金をとってのプロ入りが必要だった。
高校球界随一の飛雄馬を打ち崩せば、自然に左門の値段もつり上がる。

だが左門の執念も空しく、勝敗は飛雄馬の青雲高に軍配が上がる。
落胆して帰途につこうとする左門と飛雄馬が町中で偶然にも出会う。するとそこへ新聞記者がやってきて、川上監督の厳命で巨人軍が左門獲得に動き出したというニュースを運んでくる。
飛雄馬は自らの巨人入団の夢が崩れ始めているショックを受けながらも左門の肩を抱くと、喜びを分かち合おうとする。
去りゆく飛雄馬の後ろ姿に左門がつぶやく。

「広い世間で、わしのために、みじめな妹や弟たちのために、はじめて星くんが泣いてくれたとです」

こうして二人の間には友情が芽生えた。
左門は、飛雄馬の巨人軍への燃えるような思いを知ると、巨人入りを拒否。契約金の安い大洋ホエールズへの入団を決意する。カネだけを貪欲に追い求めていた左門は、飛雄馬との出会いでカネにはかえられない何かを見つけたのだった。


【伴宙太の場合】

憎たらしい先輩として出会い、やがて親友としてバッテリーを組み、最後には一徹の放つ最強の刺客となった伴宙太も、花形同様、ブルジョワ(笑)の出身だ。伴自動車工業の御曹司にして高校柔道チャンピオンだった伴は、残された高校生活に目標を失い、張り合いのない日々を送っていた。退屈しのぎは弱小野球部への嫌がらせ的なシゴキだけ。

そこに現れたのが新入部員の飛雄馬だった。飛雄馬は伴のイジメに耐え、対等な勝負に持ち込み、伴を破った。あらたな生き甲斐を見つけた伴は野球部に入り、飛雄馬とともに甲子園出場を目指す。
しかし伴が飛雄馬に惹かれた理由は、何も飛雄馬がとてつもなく速いボールを投げるからではない。飛雄馬の野球に賭ける一途な思い。そして、それにも関わらず他人のために自分を捨てることができる心に、伴は生涯の友情を誓った。

甲子園大会決勝。左手親指を負傷していた飛雄馬はスローボールしか投げられない。花形に対しては全打席敬遠という屈辱だ。青雲高には小宮という第二投手がいたが、その実力はおよそ甲子園大会のレベルにはなかった。飛雄馬は小宮に恥をかかせまいとして、負傷を隠して血染めのボールを投げ続けた。その結果として川上監督から、不要の烙印が押されると分かっていたのに、だ。

花形を敬遠して敗北した青雲高では、後援会会長の伴大造(宙太の父)の無理押しで、ライバル企業の息子に花を持たせたことを理由に、野球部の解散が決定していた。それを恨んだ飛雄馬の友人、牧場春彦が伴大造を闇討ちし怪我を負わせる。たまたま現場に居合わせた飛雄馬の姿を運転手が目撃し、嫌疑は飛雄馬にかけられる。飛雄馬は牧場春彦の家庭がすでに没落しており、牧場の高卒の資格だけが頼りだと聞くと、罪をかぶって自主退学の道を選ぶ・・・。

こんなかんじで、他人の悲しみを自分の悲しみに引き受け、損な道ばかりを選んでしまう飛雄馬を伴はほっておけない。青雲を中退した飛雄馬が巨人軍の新人テストを受けると聞くと、矢も楯もたまらず多摩川グラウンドへ走るのだった。大金持ちの家に生まれ、恵まれた体格と身体能力で高校柔道の頂点を極めた伴宙太にとっても、飛雄馬という存在は守り、盛り立てていかねばならないものだった。


簡単に言ってしまえば、これら3人のライバルたちにとって、飛雄馬はそれまでの人生を一変させてしまうインパクトとして登場した。高度経済成長に湧き、戦後民主主義に踊るあの時代にあって、飛雄馬の衝撃は計り知れないものがあった。
それはいみじくも花形が看破したように「古きよき日本」すなわち生き残っていた「戦前」を死守する姿だった。

そんな飛雄馬を形作ったのは、言うまでもなく父一徹だ。
「戦後民主主義」を鼻で笑う一徹は、頑ななまでに「戦後的」なるものを拒み続け、貧乏長屋の片隅でひっそりと暮らした。その薫陶を受けて育った飛雄馬も、時には人並みに貧乏生活を自嘲しながらも、多くは望まなかった。

しかし一徹が願った飛雄馬の巨人軍での成功は、結果的に飛雄馬に望外の富をもたらすことになった。
飛雄馬は都心のマンションでの生活を始め、ボウリングやディスコなど若者らしい場所にも出入りするようになった。

それは死に絶えたはずの「戦前」が、「戦後」に侵入した瞬間だった。

そして一徹は立ち上がった。
我が子、飛雄馬を粉砕するために・・・。

つづく


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