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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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最終回「輝け! 巨人の星」 〜近代日本のメタファーとして

破滅の日

栄光と挫折を限りなく繰り返した悲運の投手、星飛雄馬!」
大リーグボール3号を引っさげて、巨人軍としては二人目となる完全試合達成にばく進する飛雄馬を、当日のテレビ中継のアナウンサーが評したのがこのセリフだ。

幼い頃から鍛え上げた自慢の速球はその球質の軽さでプロには通用せず、それを克服すべく生み出した大リーグボール1号、2号はひとときの栄光を飛雄馬に与えはしたが、並み居るライバルたちの手で悉く打ち込まれてしまった。

挫折に次ぐ挫折。
しかしその末に、ついに飛雄馬が掴んだ魔球が大リーグボール3号。すなわち、バットをよけてしまう魔球だ。
これまでの飛雄馬の栄光の陰には、いつでも父・星一徹の力が潜んでいた。大リーグボール1号を可能にしたのは一徹が飛雄馬に仕込んだ類い希な制球力であったし、2号・消える魔球は「魔送球」の変形だ。

だが3号は全くの飛雄馬のオリジナル。
しかもその背景には、飛雄馬の最大の弱点である恵まれない体格から来る、球質の軽さがあった。飛雄馬は自分の最悪の欠点をそのまま最強の武器にかえて、父の影響下から脱出した。飛雄馬は真に独立した人間として、幼い日から父と目指した「輝ける星座」の一員へと今、登り詰めようとしていた。

ところが父一徹は、そんな飛雄馬をまたもや挫折させ、敗者の座に引きずり下ろそうとする。
一体これは、どういう神経から来るものなのか? いみじくも娘の明子が指摘したとおり、一徹の行為はもはや教育的観点からは正当化できず、ただただ息子の「邪魔」をしようとしているに過ぎない。狂気だ。

そもそも一徹が飛雄馬の「邪魔」をしてやろうと決意したのは、飛雄馬が都心でのマンション生活を始め、若者らしい青春を求め始めたときだ。この頃の飛雄馬の行為を正し、修正するために一徹が立ち上がったことは理解できる。しかし馬鹿ではない飛雄馬は迷いと苦しみの果てに飛雄馬なりの「青春」に決着をつけ、自力でマウンドに戻ってきた。

だったらそれで、もういいじゃないか。
もはや飛雄馬は親に保護されるべき子どもではなく、精神面も顔つきも、立派な一人前の大人になった。そんな飛雄馬にいつまでも絡み続ける一徹のほうが、ぼくには余程子どもじみて見えてしまう。一徹は一徹の人生を勝手に全うすればいいじゃないか。これまで通り、貧乏長屋の片隅で、ひっそりと・・・。


大リーグボール3号は、他でもない巨人軍史上はじめて完全試合を達成した中尾2軍コーチに「野球史を根底からくつがえします」と川上監督に言わしめた驚異の魔球だった。しかしその代償は大きく、肘を使わずに2本の指だけでボールを押し出すような不自然な投球フォームがいつしか飛雄馬の左腕を蝕み、その野球生命は危機に瀕していた。

秘密を知った花形は、自分は引退するから3号はこれ以上使うな、と懇願する。ライバルへの対抗心がなくなれば、3号がなくても飛雄馬はソコソコの投手ではいられるからだろう(1号は今でも通用する)。
だが飛雄馬は「あの人がいる!」と言って、一歩も引こうとはしない。
何のことはない。飛雄馬の左腕を再起不能に追い込んだのは、父一徹その人の存在だということだ。
これが「邪魔」でなくて、他の何だというのだろう。

しかしここで思い出したいのが、飛雄馬を巨人のエースに育て上げるという願いは、実は一徹ではなく、亡き妻・春江さんの願いだったということだ。一徹は、春江さんの描いたストーリーを忠実に実行していった人に過ぎなかった。

ならば、春江さんの願望が達成され、飛雄馬が改良1号で巨人のエースにのし上がってしまった後の一徹の行動。そこにも実は、一徹自身思いもよらぬ、何か別の大きなストーリーがあったんじゃないだろうか? 
一徹は今度も、そのストーリーに突き動かされるように、結局わが子を破滅にまで導いていってしまったんじゃないか?


星飛雄馬の物語。
それは簡単にまとめてしまえば、貧弱な体格しか持たない少年が、超人的な努力と自己抑制によってプロ野球界にデビューしたものの、「栄光と挫折を限りなく繰り返した」あげくに破滅した、というものだ。
この一連のストーリーは、ぼくには至って身近なところにある、ある小国のストーリーを思い起こさせる。

ロクに資源もない山がちのちっぽけな国土しか持たないその国は、勤勉な国民性をフルに発揮して一丸となり、奇跡のような成長を遂げると近隣の大国との戦争に勝ち抜き、世界の一流国の仲間入りをした。しかし勝つたびに更に大きな国からの干渉を受けて挫折、臥薪嘗胆だ。まさに栄光と挫折を繰り返した悲運の国。そして最後は破滅した・・・。

地上最強の魔球、大リーグボール3号。
それはつまるところ、野球というスポーツ自体を無意味化してしまうものだ。いずれ飛雄馬を真似て、各球団が3号を使うようになれば、野球というスポーツはこの世から消滅する。
ならば3号が意味するものは明らかだろう。
それは、アメリカより先に日本が開発してしまった「核」だ。

星一徹、すなわち飛雄馬にとっての「黒船」は、この歪められつつある歴史を修正しなくてはならない。
だから一徹が戦争で野球を失ったことで表面的には戦争拒否のような煙幕を張りながら、一徹はもう一度あの戦争を飛雄馬に演じさせた。あの破滅への道を、だ。
”戦前”の象徴であったはずの一徹は、我知らずのうちに、あの「アメリカ」の役回りを演じされられていたのだった・・・。

こうして、近代日本のメタファーとして『巨人の星』は完成した。
近代日本が辿った栄光と挫折、そして最終的な破滅の物語は、繰り返し繰り返し週刊誌で読まれ、単行本で読まれた。学校の教科書で近代史をあらためて学ぶ必要なんてなかった。大ベストセラーのマンガの中に、それは最低最悪の表現をもって再現されていたのだった。
あの時代に団塊世代が読んだもの、それは圧倒的な迫力で語られる、日本の敗戦の物語だったというわけだ。


飛雄馬を野球界に「開国」させた黒船であり、最後に最大最強の相手として飛雄馬の前に立ちふさがった一徹は、わが子の破滅を見届けるとただの普通の父親に戻った。一徹にかけられていた呪いは、すべて解かれた。
「わしらの親子の勝負は終わった!!」
そして、かろうじて命脈を保っていた”戦前”は1971年のこの日、夕陽のなかに消えていったのだった。


というところで、ここでもう一度内田樹さんに戻らなくてはならないだろう(『9条どうでしょう』)。
内田樹さんは、アメリカにとっては矛盾しない「平和憲法」と「自衛隊」が、日本国内では矛盾してしまうことへの対処として、日本人がそれを”国内問題”に転嫁してきた歴史を指摘する。つまりは国内の革新vs保守の対立が、矛盾の解消を阻害しているんだと思い込むことで、日本人はアメリカの「奴僕国家」である現実から目をそらしてきたのだと。

内田さんの指摘するこうした一種の自己欺瞞は、ぼくらが幼少時に観てきたヒーロー番組においては、しばしば「矛盾」そのものとして表出してしまうことがあった。『鉄人28号』『ジャイアントロボ』『マジンガーZ』については、このブログでも具体的に検討してきたとおりだ。
そして今回『巨人の星』にも、同様の構図は見られたと思う。
ここでは戦後の日本人が隠蔽してきた本当の日米関係は、親と子の関係にすり替えられて語られた。

内田さんはそんな戦後日本人の性根を「可憐」だという。
たしかに飛雄馬も、そして一徹も可憐だったとぼくは思う。死に損なった”戦前”として破滅を選び、静かに消え去る姿は涙ものだろう。
それは、失われゆくものへの哀歌であり、鎮魂歌だった。

だが、同じ頃、「可憐」であることを拒否するような人々もいた。
「奴僕国家」であることを受け入れ、現実を直視した人々がいた。
彼らは表出してしまった「矛盾」と戦う道を選んだ。それはつまり、あの「アメリカ」と、もう一度戦うということだ。

つづく


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