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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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趣味 - シュミラン

新造人間キャシャーン ブライキングボスとアンドロ軍団

キャシャーン誕生

新造人間キャシャーン』(1973ー1974・タツノコプロ)の物語は、同じ頃の東映ヒーロー番組ときわめてよく似た始まり方をする。

時代も場所もよく分からないとある国で、世界的なロボット工学の権威の東光太郎博士が、公害処理用のアンドロイドの製造を行っていた。ところがある夜、このうちのBK-1号が激しい落雷を受けて暴走してしまう。BK-1号は、ロボットによる人類征服を宣言すると、生みの親である東博士に襲いかかってきた。かろうじて窮地を脱した博士家族は国防軍に連絡するが、BK-1号には歯が立たずに全滅。
おのれの力を確信したBK-1号は博士の研究所を利用してロボットの量産を開始し、「アンドロ軍団」を組織。自分は団長「ブライキングボス」を名乗るのだった。

ブライキングボス率いるアンドロ軍団は最大の脅威である東博士を捜しはじめ、やがて博士が国立科学研究所にいることを突き止める。博士に危機が迫る。すると博士の一人息子の東鉄也が、自分を新造人間に改造してくれと志願してくる。博士は、一度改造すれば二度と人間には戻れないと言って一旦は拒否するが、元はといえば全ては博士自身が蒔いた種でもあり、息子に説得されるかたちで人間改造(機械と人間の合成)を行う。

こうして「新造人間キャシャーン」に生まれ変わった東鉄也はさっそくアンドロ軍団を撃退するものの、戦闘中にスキを突かれ、父と母を連れ去られてしまう。キャシャーンは、父母を奪回するために生まれ育った家(兼研究室)に忍び込むが、すでに父の東博士はどこかへ移送された後であり、母のみどりは父の手で白鳥型ロボット「スワニー」に姿を変えられていた。

アンドロ軍団はキャシャーンの生まれた国を皮切りに、次々と人間社会の侵略を開始した。都市が攻撃され、占領されていった。キャシャーンは、ロボットを憎む人々のなかでその正体を隠しながら、ひたすらアンドロ軍団と戦うのだった・・・。


てなあたりが『新造人間キャシャーン』の出だし部分だ。
簡単に言えば、父が心ならずも生み出してしまった「悪」をその息子が叩いて回るというストーリーは、東映の『変身忍者嵐』と同じパターンだ。要は、息子の鉄也=キャシャーンの行動の根底には「父のあやまち」への「償い」がある。

と聞けば、な~んだキャシャーンも大日本帝国を叩く自虐系か~と思われるかもしれないが、それはごく最初のうちだけのこと。実写の特撮番組では(予算的に)不可能な表現も、ただの絵であるアニメなら問題なく描くことが出来る。『新造人間キャシャーン』は、東映特撮が実現できなかった軍隊による都市の占領を描くことで、「敵」の持つイメージを180度転換させてしまったのだった。

具体的にはこんなこんじだ。
第5話「戦いの灯を消すな」。
アンドロ軍団はキャシャーンの生まれた国を占領すると、次々と近隣都市への侵略を開始した。各国の国防軍は必死の抵抗を試みるものの、すでに大量生産に入ったロボット軍団には全くの無力だった。
そんなある都市でのこと。
ここでブライキングボスが打った手は、ネズミ型ロボットの大軍をばらまいて食料という食料を食い尽くさせる作戦だった。人々は飢えに苦しみ、戦意を失っていった。
そこに山のようなパンを携えて現れたブライキングボスは、パンが欲しければ俺に土下座しろという。人々は日々の一切れのパンのために、ロボット工場でドレイのように働かされるのだった・・・。


『新造人間キャシャーン』の物語には、このエピソードに代表されるように、アンドロ軍団という”占領軍”とそれに占領されてしまった人々のやりとりを巡って展開されるものが多数、散見される。
アンドロ軍団は「ショッカー」等のように、コソコソと暗躍する存在ではない。人間が太刀打ちできない強大な軍事力を前面に押し出して、堂々たる行軍をもって都市の中心地を占拠する。

むろん、人間側にだって黙って占領されてドレイに落とされることを受け入れない者もいる。
上記の第5話でも、たった4人ではあったが勇者たちが攻撃隊を組織してブライキングボスの狙撃を図った。それが失敗に終わっても諦めず、人々が強制労働をさせられている工場に乱入すると監視ロボットを破壊し、人々を解放しようと奮闘した。
しかしどうだろう。
一緒に戦おうと叫ぶ4人の声に応える人は皆無であり、あまつさえブライキングボスの本隊が到着したと聞くや、我先に逃げ出す始末・・・。


第5話がぼくらに訴えたいことは極めて明瞭だろう。
『新造人間キャシャーン』の物語は、絶対的な力の差を前にして、ぼくらは降伏してドレイになるべきか、それとも団結して戦い抜くべきか、それを問うているのだとぼくは思う。
キャシャーンがいくらブライキングボスより強いアンドロイドだとは言っても、残念ながら彼の肉体はひとつしかない。何百、何千というロボット軍団を前にしては、彼の太陽エネルギーもすぐに限界を迎えてしまう。キャシャーンには、ともに戦ってくれる沢山の同志が必要なのだ。

というふうに見てみると、一見、東映ヒーローっぽい始まり方をする『新造人間キャシャーン』が、実は『月光仮面』や『快傑ハリマオ』型のヒーロー番組であったことが理解できる。すなわちこの番組は、観る側の倫理を問うているということだ。
と同時にこの番組では、いわゆる等身大ヒーローの限界も表されている。もしもショッカーが本気を出して挑んでくるなら、仮面ライダーもキャシャーン同様、おのれの無力さを痛感して打ちひしがれたことだろう。

といった辺りで『新造人間キャシャーン』の世界の基礎部分をざっと説明してみた。
繰り返しになるが、ここでの「敵」は次々と都市に進軍しては抵抗を排除し、降伏させ、占領するものだ。その行く手の先々では人々が選択を迫られていく。戦うべきか、屈するべきかと。

これはいったい、何を意味する物語なのだろう?

つづく