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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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キャシャーン無用の街

キャシャーン無用の街

強大な敵に対し、抗戦か降伏かを問うヒーロー番組は『新造人間キャシャーン』に限ったものではない。すでに見たところでは『ウルトラマンA』や『マジンガーZ』にも類似したストーリーはあった。
だが『新造人間キャシャーン』においては、その問いかけはいささか執拗ですらあった。

第16話「キャシャーン無用の街」。
破竹の勢いで進撃するアンドロ軍団は、巨大な武器製造工場のあるブッキー市を次の攻略目標に定め、その隣町のハテナイ市を駐屯地にすることを決定した。それを聞いたハテナイ市では緊急会議が開かれたが、ここでは逃げるか戦うかの議論は起こらなかった。
というのもハテナイ市の市長は絶対平和主義者であって、彼の一存でハテナイ市の降伏は最初から決定していたからだ。

「いくさによって、この街が破壊されるのを望みません。同時にまた、戦いによって私たちの尊い命が失われるのを望みません。例え戦っても勝てる相手ではないのです。みなさん、私たちは軍団に服従するしかない。人間としての誇りさえ捨てれば平和が約束される。恥がなんです! 人間の命ほど、大切なものはないのです」

議会は満場一致で市長を支持し、市民にはアンドロ軍団への絶対服従が通達された。
キャシャーンは議員たちに抗戦を訴えるが、迷惑だから出て行けと街を追い出されてしまう。
やがてブライキングボスが直々に率いる本隊がハテナイ市に入ってくると、街頭スピーカーからはこんなアナウンスが流れる。
「アンドロ軍団のみなさま、ようこそこのハテナイ市に。私たちは今日からロボットの皆様の手足となり、何事にも耐え、よろこんで服従を誓います」

市長以下の議員は公邸に集められると、さっそく服従の証しとして四つん這いにさせられ、その上にロボットたちが腰をかけた。人々はロボット工場に集められると、奴隷のようにムチで打たれての強制労働だ。
ブライキングボスは大笑いする。
「わはは、このようにして守るほど、平和とはありがたいものかな」

沈鬱な調子のナレーションが入る。
「人間がこころを捨て、ロボットに服従したとき、人間はもはや人間ではなく、一個の機械となった・・・」

大通りでは犬のように首輪でつながれた人間が、ロボットに散歩させられていた。
しかしキャシャーンが危惧したとおり、人間の忍耐にも限界があった。犬コロ扱いされた男は発狂してロボットに反撃を試み、惨殺された。それをきっかけとして、ついに人々の反乱が始まった。
抗戦を叫ぶ人々が市長の邸宅を包囲して、投石を始めた。

そんな騒ぎを収拾しようと、ブライキングボスは市長に、市内に潜入しているキャシャーンの殺害を命じる。
絶対平和主義者を自認する市長はいったんは銃口を向けたものの、「戦いは好まん」と言ってキャシャーンを逃がす。ところがその様子をブライキングボスに取り入ろうと目論んでいた議員の一人に目撃され、密告されてしまう。

キャシャーンはハテナイ市を諦めてブッキー市に移動しようとしていたが、そこへ瀕死のハテナイ市民が救援を求めてやってくる。キャシャーンが街に戻ってみると、すでに市民は全員虐殺され、廃墟だけが広がっていた。ロボットにリンチを受けて息も絶え絶えになった市長は、街を見渡して言う。
「これが・・・私のつくった平和か・・・」
しかし、市長は最後まで「自分が正しいと思っている」と言いながら死んでいくのだった・・・。


この市長が主張するようなことを、現実の日本でも主張する人々がいることはご存じのとおり(無防備全国ネット)。そしてこの第16話が、そういった主張への回答として創作されているのも見ての通り。

結局のところ、この市長が読み違えたことは一点で、それは相手のブライキングボスが、ハテナイ市の人間を同格の存在とは見ていなかったことに尽きる。
ブライキングボスにとって、人間などは一段劣った存在として最初から差別の対象だった。そんな相手に服従しても、ますます相手を増長させるだけのことだろう。
価値観がまったく異なる相手に、市長の主張は無意味かつ無力だったというわけだ。


あらすじを追うと長くなるので省略するが、第29話「高熱ロボ・ネオタロス」もやはり、戦うか、降伏するかがテーマだ。

キャシャーンが新造人間であることはすでに世間の知るところとなり、人々は彼に複雑な感情を持っていた。だからアンドロ軍団に立ち向かうキャシャーンを見て、勇気ある少年たちがキャシャーンに助力しようとすると、それを制止して市長はいう。
「ロボットはロボットに任せておけ」
ところがそんな市長に少年たちは腹を立てる。
「大人のくせに、いくじなし!」
少年たちに罵倒された大人たちは、「人間の誇りのために」戦うことを決意する。

また、訳あってアンドロ軍団に加担していた科学者メリナ博士は、人間の尊厳のために戦って死んでいく人々や、命を捨ててキャシャーンを守ろうとする少女ルナの姿を見て心を入れ替え、彼女が作ったロボットの弱点をルナに教える。爆発に巻き込まれて瀕死の重傷を負った博士は、「死よりも尊いものがある」と言い残して絶命する・・・。


命を守ることよりも大切なことがある・・・。
これも『新造人間キャシャーン』のテーマの一つだろう。

第22話「ロボット・ハイジャック」。
キャシャーンに救出された人々は口々に「君のおかげだ」というと、脱出用の飛行機に乗り込んでいった。その中に介助を必要とする人がいたため、ルナ(書き忘れていたがキャシャーンの幼なじみの少女)が一緒に搭乗することになった。ところが飛行機はアンドロ軍団のワナにはめられ、途中の飛行場に誘導させられてしまう。飛行機をロボットが取り囲み、乗客を助けたければキャシャーンの隠れ場所を教えろとルナに迫る。キャシャーンがエネルギーを失って休養していることを知るルナは答えられない。すると人々は
「キャシャーンひとりの命より、おれたち乗客の何十人の命の方が大切じゃないか!」
と口々に非難する・・・。


特に説明の必要もないと思うが、こうした「公」と「私」の混同、というか錯誤のようなものは(例えば)1963年の日本映画『海底軍艦』などでも見ることができる。『海底軍艦』では、「国家の大義」という「公」について語る明治生まれの父親と、「わたしの気持ち」という「私」を押し出す戦後生まれの娘の間で、丸っきり会話が成立しない様子が描かれた。1963年の時点で、すでに「私」は「公」と同格になっていたということだ。

そもそもキャシャーンが死んだら人類が征服されることなんぞは子どもでも分かる理屈なわけだが、戦後民主主義では命はすべて等価とされる。そして命はまた至上の価値でもあり、命じたいに尊厳があるともされる。
ならば乗客たちがわめき散らす屁理屈も、戦後民主主義においては正しい発言だということになる(皮肉ですw)。

マジンガーZ』の記事では、”正義のロボット”を制約して、やがては排除してくるものとして「平和憲法」の存在を上げてみたが、ここで同様にキャシャーンの行動を制限・排除してくるものの正体は「戦後民主主義」だといえるだろう。

ある意味では、昭和のヒーロー番組は「平和憲法」「戦後民主主義」という”縛り”から、いかにして自由になるかの格闘でもあったとぼくは思う。
それは『新造人間キャシャーン』が、折に触れてキャシャーンと戦後民主主義を激突させていることで、十分にその証拠たり得るんじゃないだろうか。どう見ても『新造人間キャシャーン』にとって、戦後民主主義は常に「悪役」として描かれているようにぼくには思えるのだが・・・。


さて、一見すると国籍不明(北欧ともいう)の舞台で繰り広げられる『新造人間キャシャーン』は、こうして見ると実に戦後日本的な物語だと感じざるを得ない。なにしろ「平和憲法」同様に「戦後民主主義」も戦後日本にしか存在しない日本独特の思潮だからだ。
となれば『新造人間キャシャーン』におけるロボット軍団vs人間という戦いの物語とは、その表層を取り払ってみれば、結局のところは日本の、それも戦後日本の物語なんじゃないだろうか?

つづく


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