プロフィール

竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
一つの 「カテゴリ」 で一つの記事となってます(記事は古い順に並んでます)。同世代のおっさん向け。

カテゴリ
もくじ

全ての記事タイトルを表示する

月別アーカイブ
ブログ内検索
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

主要記事
リンク
応援中
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

フリーエリア
趣味 - シュミラン

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義

ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義

前回の記事の続き)

佐藤健志氏が、『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(1992年・文藝春秋)のなかで『宇宙戦艦ヤマト』に関して展開している主張とは、要するにプロデューサーである西崎義展が作品に込めたイデオロギーの矛盾と、その危険性についてだ。

「・・・国家の概念を曖昧にすればナショナリズムと博愛的な国際主義は区別がつかなくなるということであり、その上で非現実的な精神主義にもとづいて絶対平和主義をつきつめるならば、結果は最も過激なナショナリズムと区別がつかないものになる・・・」(P.29)


このうちの「矛盾」は主に第一作『宇宙戦艦ヤマト』(1974)に現れ、「危険性」は続編である『さらば宇宙戦艦ヤマト』(1978)に現れていると佐藤氏は述べている。ぼく個人は『さらば宇宙戦艦ヤマト』に「危険性」があるとは思わないので、ここでは「矛盾」の方だけ検討してみたい。


まず佐藤氏が指摘するのは、『宇宙戦艦ヤマト』では「人類=日本人」の図式が、なかば強引に成立させられているという点だ。日本人だけが乗った宇宙船が出発するにも関わらず、彼ら乗組員は地球のためだと言う。これが佐藤氏がいうところの「国家の概念を曖昧にし」だ。ところが実際には、宇宙船は日本ナショナリズムの象徴とも言うべき戦艦大和そのものだったので、当然のことながら、これでは「地球のため」という博愛的な国際主義とは矛盾してしまう。

それを粉飾するために『宇宙戦艦ヤマト』でとられた措置が、敵方のガミラス帝国をナチスドイツになぞらえることだった。戦艦大和をナチスドイツと戦わせた「日本が勝つように書き直された第二次大戦の物語」であり、「日本の立場を枢軸国側から連合国側に移した第二次大戦の物語」が『宇宙戦艦ヤマト』であったと佐藤氏は言う。

とはいえ、どのように粉飾しようとヤマトが敵を武力でもって叩く以上「博愛と非暴力のジレンマ」は隠しきれるものではなく、第一作の『宇宙戦艦ヤマト』は矛盾と混乱を抱えたまま終幕してしまう・・・。


細かい話はあとに回すとして、ぼくがこの佐藤氏の説を片肺飛行だと思うのは、ここで語られていることが、もっぱらガミラス帝国vs宇宙戦艦ヤマトのあいだに起こる戦闘に限られている点だ。
言うまでもなく『宇宙戦艦ヤマト』のストーリーの根幹は、イスカンダルまで放射能除去装置をもらいにいくヤマトの航海のほうであって、ガミラスとの戦闘はそれを彩り盛り上げるためのサブストーリーだ。サブストーリーだけを見て『ヤマト』を論じても、それは『ヤマト』の全体像を見たことにはならないだろう。

たとえば、2002年の「宇宙戦艦ヤマト事件判決」は十分に客観的な資料たり得ると思うが、そこから『宇宙戦艦ヤマト』が誕生するまでのプロセスを追っていくと、こうなる。

まず昭和49年3月ごろに西崎義展プロデューサーが「巨大な戦艦が宇宙を飛ぶ」という発想を中心に構想を練る。

「ハイラインの著作『地球脱出-メトセラの子ら』における、『地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める』話(SF版ノアの箱舟)に刺激された」

ともある。

続いて、西崎に依頼されたSF作家の豊田有恒が『アステロイド・シップ』という原案を作り、それをさらに西崎が修正していくことになるが、この過程で敵役が「コンピュータ」から「ラジェンドラ星人」に、「アステロイド・シップ」が「戦艦大和」に変更される。

そしていよいよ、西崎の「各話別基本設定書」に基づいてシリーズ全体がシナリオ化されていくわけだが、ここには見逃せないポイントがいくつかある。

「(キ) シナリオの作成
 被告(※西崎)は,シリーズ全体のシナリオ作成に当たり,脚本家,SF作家等との間でブレーンストーミングを行い,「銀河系の中心に行くのではなく,銀河系の外に旅立つ,壮大な話にしたい」「相手方のラジェンドラ(イスカンダル)は二重連星とする」「異星人側もヒューマノイドタイプとする」「敵,大敵は,ナチスドイツを想定し,かつ,第二次世界大戦の連合軍ヨーロッパ侵攻作戦を下敷きに考える」「戦略,戦闘に太平洋戦争,ミッドウェイ,レイテ等の海戦の戦略を参考にする」など具体的な指示を出して,シナリオ作成作業を進めた」


という具合に判決文を読む限り、『宇宙戦艦ヤマト』における戦闘とは、あとからコロコロ設定が変更された副次的な存在に過ぎなかったらしい。なにしろ当初のプランでは敵は宇宙人ではなくて、コンピュータだったほどだ。
あくまで『ヤマト』のベースは「地球脱出」であり、宇宙人はそれを妨害してドラマを盛り上げる脇役だった。

また判決文では、「大敵=ナチスドイツ」であると同時に、ヤマトの旅が「太平洋戦争」であることが明示されている。
確かにガミラス帝国がナチスドイツをモデルに練り上げられていったことには疑いがないが、その一方で、ヤマトの航海自体も史実の戦艦大和のそれと同一視されていたというわけだ。


ヤマトに与えられたストーリーはガミラス帝国と戦うことではない。
だとすれば、『宇宙戦艦ヤマト』を「日本の立場を枢軸国側から連合国側に移した第二次大戦の物語」だと見る佐藤説は、いくらなんでも我田引水のこじつけに過ぎるようにぼくには思える。

ぼくの見るところ、佐藤氏のこの本は、戦後日本を客観的にみたときの社会構造にゴジラやヤマトやウルトラマン等をやや無理矢理に当てはめていっただけのものだ。たとえば『ヤマト』に見られる矛盾と佐藤氏が指摘するものは、平和憲法と自衛隊を共存させている日本の矛盾とほぼ同じものだし、『ウルトラマン』や『ゴジラ』に見られるという依存心は、日米安保への依存という単純な現実だ。

しかし、それらが日本社会の構造と同一だから日本人の心情と一致して大ヒットに結びついた、という展開にはどうにも納得がいかない。そういった矛盾や依存は敗戦によってやむを得ず受け入れたものであって、日本人が深層心理ではそれらから目を背けて来たことは内田樹氏の指摘に詳しい(「9条どうでしょう」)。

ならばゴジラがたびたび現れては(矛盾や依存に満ちた)戦後日本を破壊して回ったように、むしろ実際は佐藤氏の説とは正反対に、ゴジラやヤマトやウルトラマン等が戦後日本の構造から逸脱するからこそ人々は痛快になり、盛大な拍手を贈ったのではないだろうか。つまりは内なるルサンチマンの発露というやつだ(言わばヤマトは「戦後」を脱出する船だ)。

となれば『ヤマト』のストーリーの本質は、佐藤氏がはなっから無視した戦艦大和のストーリーの方に存在していることになる。


そしてここで久々の告白タイムとなるが、ぼくは学生時代にこの本を読み、映像を確認することなく佐藤氏の説に賛同してしまった一人だった(大学生にもなってアニメのVHSをレンタルするのが恥ずかしかった時代だ)。
聞けばぼくの友人にも同じ体験をしたヤツがいるので、ぼくらの世代には案外多いケースなのかもしれない。

しかしどうだろう? 
旧日本軍が連合国に入れてもらってドイツ軍を破るなんて、これじゃ丸っきり戦前否定の自虐史観じゃないか。もうすっかり反省したので連合軍に入れてくださーい。その代わりに単独でベルリンまで攻め込んでみせまーす、てか?
ほんとか?
本当に日本人はそんなことを望んできたのか?

つづく


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。