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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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『宇宙戦艦ヤマト』と自虐史観 〜ガミラスとラジェンドラ

デスラー発狂?

ところで、このブログのテーマは「ヒーロー番組と自虐史観」ということになっている。要は、ぼくらオッサン世代が幼少時に観たヒーロー番組には、自虐史観洗脳装置の役割を果たしてしまったものがあるんじゃないか? というのが出発点だ。

では『宇宙戦艦ヤマト』にもそれがあるのかと言えば、作品そのものには存在しないとぼくは思う。
しかし、自虐的な「解釈」は存在する。
そのきっかけとなるものが、第24話「死闘!! 神よガミラスのために泣け!!」で展開された、古代進と森雪のやりとりだ。

この回、イスカンダルを目前にしたヤマトは、その道程を阻もうとするガミラス軍の作戦によって、ガミラス本星へと誘導されてしまう。天井都市からの爆雷を受けたヤマトは海中に活路を見出そうとするが、濃硫酸の海はヤマトの艦体を溶解させていく。艦長代理の古代進は、やむをえず波動砲を使ってガミラスの火山活動を活発化させると、なおも攻撃を続けてくるガミラスのミサイルを迎撃、撃ち落とされたミサイルがさらに火山に刺激を与える形となって、気がつけば強大なガミラス帝国は滅亡していた。

廃墟と化したガミラス帝国を前にして、森雪は「私たちは何と言うことをしてしまったの」と嘆き、これに応える形で古代も言う。
「我々がしなければならなかったのは戦うことじゃない。愛し合うことだった。勝利か・・・糞でも食らえ!」


ここに『宇宙戦艦ヤマト』が持つ真のテーマがある、と見る人は結構多いようだ。テーマとはつまり、”平和主義”というやつだ。例えばぼくが読んだ本では、井上静という人が『アニメジェネレーション』(2004年・社会批評社)という本の中で『ヤマト』には「絶対平和主義的な主張が強烈に存在している」と高く評価している。

井上氏によれば、ヤマトが戦っているのは「内なる敵」、すなわち日本の過去である大日本帝国だそうだ。ヤマトはかつての同盟国・ナチスドイツの暗喩であるガミラスを倒すことで、自らの忌まわしき過去を否定し、叩きつぶし、「愛」と「平和」を叫んだのだ、というが氏の主張のようだ。

もちろん、ぼくに言わせれば、これぞ『ヤマト』への自虐的な解釈の代表格だ。
こういった解釈への反論はあちこちで読めるので一点だけ言わせてもらうなら、もしも『ヤマト』のテーマがそこにあったのなら、むしろ古代たちは(何らかの展開によって)ヤマトを敵に回して戦うべきであって、ヤマトを使って敵を倒してしまっては元の木阿弥というものだと思う。

要は、『ヤマト』のテーマはそんなところにはない。
テーマというのは繰り返し繰り返し形を変えて表されるもので、数分間のセリフの応酬だけで語られるものじゃない。
と、ぼくは思う。

では『ヤマト』において一貫して表現され、クライマックスにおいてようやく言葉にされたものは何だったか?

そもそも『ヤマト』の物語は、絶望の淵にあった地球人のもとにイスカンダルから救援の申し出があったことから動き出した。しかもイスカンダルのスターシャは、地球が復興するために必要な最先端技術を、イスカンダルまで自力で受け取りに来い、という。地球人は藁にもすがる思いでその言葉を信じると、かつて経験したことのない前人未踏の未知の航海に踏み出していった。

『ヤマト』の演出でぼくが素晴らしいと思うのが、宇宙空間を進んでいくヤマトの映像にBGMをかけず、ただエンジン音だけが静かに響いているシーンだ。ここには、この船のおかれた不安感や孤独感が見事に表現されていると思う。それでもヤマトはひたすらイスカンダルへ向かう。全ては地球の復興の使命のために。

そしてついに目指すイスカンダルへ到着したヤマトクルーに、スターシャは言う。
「明日の幸せというものは自分の力でしか獲得できないもの」だと。


特定のイデオロギーを交えなければ、このスターシャの言葉こそが『ヤマト』のテーマだとぼくには思える。
もしもスターシャが最初から地球に「放射能除去装置」を届けてしまったら『ヤマト』の物語は存在さえしなかった。しかしスターシャはそうはせず、地球人の明日を信じる勇気と、困難を克服する力をテストした。そしてヤマトのクルーたちは十分にスターシャの期待に応え、「自分の力」でイスカンダルに辿り着いた。

これが『宇宙戦艦ヤマト』の物語の中軸であり、ガミラスとの戦闘などは、言ってみれば人間の「勇気」と「力」を試すための設問に過ぎず、ストーリーを彩る装飾のようなもんだろう。
現に西崎プロデューサーの「企画書」を見ても、ヤマトの敵役は変更に次ぐ変更の末にガミラスに決まったことが明記されており、一方で『西遊記』をベースにした宇宙の旅の物語であることは比較的早くから決定していることも分かる。

一番最後に決定したことからテーマを読み取るというのは、やはり無理があるようにぼくは思う。


ただ「企画書」からは別の点で興味深いこともわかる。
それは、まだ「ガミラス」が「ラジェンドラ」と呼ばれていた段階で、すでにラジェンドラとイスカンダルが「二重連星」であることが決まっていたことだ。
二重連星、双子星・・・。

高度な宇宙航海技術をもつラジェンドラにとっては、イスカンダルとの距離が地球と火星ほどに離れていても、何ら障害はなかっただろう。にも関わらず『宇宙戦艦ヤマト』では、ガミラス=イスカンダルの等式が、物語のコア部分の一つとして明確に設定されていた。イスカンダルに向かうことは、ガミラスに向かうことでもあった。

そしてぼくの珍説によれば、ガミラスとはアメリカ合衆国のメタファーだった。
ならばイスカンダルが表すものも一つしかない。

イスカンダルもまた、アメリカのメタファーだ。

つづく


参考資料:宇宙戦艦ヤマト事件判決

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