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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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宇宙戦艦ヤマト イスカンダル=ガミラス

なにもかもが懐かしい

宇宙戦艦ヤマト』(1974)の物語とは要するに、荒廃した祖国を復興させるために、より文明の発達した星に行って最新の技術を援助してもらう話だと言える。ヤマトのクルーはイスカンダルからの使者サーシャを「地球の恩人」だというし、イスカンダルについては「科学が到達した一つの理想郷」だとも言う。べた褒めだ。

ところが宇宙を見渡してみると、実はこの「理想郷」とほぼ同等の科学力をもつ星がもうひとつ存在していた。それがイスカンダルとは二重連星、双子星であるガミラス星だ。で、このガミラスこそが地球を荒廃させた張本人であることはご存じの通り。

そうして見ると、この双子の兄弟であるはずのイスカンダルとガミラスとは、ある事象の「善」と「悪」をそれぞれに表現しているようにも思えてくる。どっちが兄(姉)かは知らないが、片っぽが犯した過ちを、もう片っぽが償っているかのようにも見える。片方は破壊する者であり、もう片方は建設する者・・・。

結論から言ってしまえば、ぼくはこの「イスカンダル(善)=ガミラス(悪)」という構図で表されているものは、「アメリカ合衆国」だと考えている。ただし、その「アメリカ」は、『宇宙戦艦ヤマト』を作った人々が見た「アメリカ」だろう。

主な『ヤマト』のスタッフの生年を見ると、西崎義展は1934年、松本零士が1938年、山本暎一が1940年、豊田有恒が1938年となっている。いわゆる「昭和ヒトケタ」~「焼け跡」といわれる世代の人々だ。
この人たちが見たアメリカとは、まずは破壊者、殺戮者だった。大都市を空襲しては民間人を無差別に殺害し、最後はきわめて非人道的な大量破壊兵器を投下した。キノコ雲を吹き上げ、放射能をまき散らす遊星爆弾のイメージは、まさにアメリカが広島と長崎に落とした原爆以外の何物でもないだろう。

しかしその一方で、この世代の人々はアメリカの尽力のおかげで日に日に復興していく戦後日本の姿も見た。大規模な食料援助にはじまり、ガリオア資金、エロア資金・・・。アメリカからの援助がなければ、日本の復興は有り得なかっただろう。
沖縄出身の『帰ってきたウルトラマン』の脚本家、上原正三氏(1937年生)は、当時のアメリカは「解放軍」「ニライカナイの神々」に思えたとまで証言している(参考記事ー怪獣使いと少年その2)。


てな具合で、要するに戦前に生まれ、荒廃した焼け跡で少年時代を過ごした人々は、アメリカの「悪」を見、続いてアメリカの「善」を見た。ぼくはこのアメリカのダブルイメージこそが、ガミラス=イスカンダルの二重連星というイメージに結びついたように感じている。


では何故、よみがえった戦艦大和は「悪いアメリカ」と戦う必要があったのだろう?
それを一種の復讐心にもとづく妄想だと考えることに、ぼくは反対しない。アメリカに負けた国民が、妄想の中で何を考えようがそれは自由というものだろう。
だが、『ヤマト』が放送された当時のアメリカが、ベトナム戦争に負けた直後であったことも考慮に入れるべきだと、ぼくは思う。日本を占領した後も、「悪いアメリカ」は延々と戦争をし続けた。核こそ使われなかったものの、民間人への無差別攻撃は各地で続けられていた。そしてその挙げ句、アメリカは負けた。

こうしたアメリカの在りように、もっとも失望感を感じたのが『ヤマト』を作った世代の人々だったんじゃないかとぼくは推測する。戦後に生まれた団塊世代以降とは異なり、ヒトケタ~焼け跡世代はふたつの「正義」を目の当たりにした人々だ。幼少時に信じていた日本の「正義」が否定され、アメリカの「正義」を受け入れさせられたこの人々にとって、「正義」とは相対的な概念だったことだろう。それだけに、この人々は早々に安保闘争を起こしてアメリカの「正義」に反発したと聞くが、ベトナム戦争の決着は、アメリカの「正義」への疑問を決定的なものにした可能性はあると思う。

なぜなら、この時アメリカは「正義」であることを自ら中止したことになるからだ。
「正義の戦い」からは降りることが出来るし、「正義の味方」は辞めることができる。

だが、もしも「正義」がそんなにフレキシブルなものでいいのなら、日本の「正義」、戦艦大和の「正義」だって、実は死んだ訳じゃない、ちょっと休んでいただけだと考えてもいいことになるだろう。
心の奥底にずっと押し込めていた情念に火がつくとしたら、この時期をおいて他にはないようにぼくには思える。


かくして戦艦大和は復活を遂げることになったが、ただしそれは日本の「正義」の復活を意味するものではなかった。そこが『宇宙戦艦ヤマト』が単純な国粋主義アニメではない要点だろう。
ヤマトが叩きつぶしたのは、あくまで「悪いアメリカ」だけ。
しかも、旅の目的はあくまでも「良いアメリカ」に渡って、最新の技術を供与してもらうことだった。言ってみれば、1860年に勝海舟や福沢諭吉をのせて太平洋を押し渡った咸臨丸の大航海こそが、ヤマトにオーバーラップされるべきものじゃないだろうか。

さらにもう一点。
ようやくのことでヤマトがイスカンダルに到着してみると、何と「良いアメリカ」もまた「悪いアメリカ」と同様に惑星自体が寿命を迎えつつあり、住人はもはやスターシャただ一人となっていた。「良いアメリカ」にも復興と再出発が必要だったわけだが、これを助けたのが古代進の兄、戦死したはずの古代守だった。

冥王星の戦いでガミラス軍の捕虜となった古代守は、収容されたガミラス艦の事故をスターシャに救出され、イスカンダルで手厚い介護を受けていた。そしてスターシャの自分への愛を知った古代守は、イスカンダルに残り、この地の「アダムとイブ」になることを決意する。「良いアメリカ」と「日本のサムライ」がここに結ばれて、新たな歴史をスタートさせたというわけだ。

一方、「良いアメリカ」に導かれた「日本の男の船」は無事に最新の科学技術を手に入れて、祖国復興の帰路についた。あの日、戦艦大和は志を果たすことなく海の底に沈んでしまったが、ぼくらのヤマトは帰ってくる。人類の未来への希望を載せて・・・。

めでたしめでたし。



・・・と気分よく締めたいところだが、ごらんの通り、ぼくの珍説をとればどこもかしこも日本マンセーで、願望と妄想のオンパレードになってしまう。確かに古代たちヤマトクルーは「明日の幸せというものは自分の力でしか獲得できないものですからね」というスターシャの言葉どおりに孤独と不安に耐え、勇気と信念で数々の困難を克服していった。

しかし翻って現実を直視すれば、果たして戦後日本がスターシャの言葉に見合う存在であるかどうかは、かなりの疑問符が付くだろう。アメリカの支援を受け、アメリカの軍備に守られて経済発展を遂げた日本人が「自分の力」を誇示したら、それこそ世界中の笑いモンだ。

そしてそれは、『ヤマト』を作った当の人々こそが、十分に自覚していたことだろう。戦後に生まれた団塊世代は、戦後の良いところだけを見て成長したが、ヒトケタ~焼け跡は違う。多感な少年時代に、彼らは彼らの「日本」がこの世界から一度は消滅するのを見、まったく新しい「日本」が作られていく一部始終を見た。彼らは、戦後日本の現実と歩調を合わせて大人になっていった。

『ヤマト』はそんな人たちの少年時代の願望そのものだったのかもしれない。戦後のどこかのタイミングで、一度は戦艦大和は甦らなければならなかったのかもしれない。
だがそれは、おそらく一度だけの夢物語がふさわしいのだろう。

祭りは終わった。
ならば、ヤマトは現実に帰らなければならない。

つづく


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