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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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ボルテスV その2 プリンス・ハイネルとGHQ

ハイネルとラ・ゴール

それでは『超電磁マシーン ボルテスV(ボルテスファイブ)』(1977)のあらすじを。

地球を離れること1万4千光年の宇宙に、ボアザンという星があった。高度な科学力を誇るボアザン星だったが、そこには二つの種族による対立があった。一つは頭に角(つの)が生えた種族で、彼らは「貴族」として思うままの贅沢な暮らしをしていた。もう一つは角のない種族で、こちらは「労奴」として苛烈な労働を強いられる階級だった。

あるとき、ボアザン皇帝の弟に一人の男子が生まれた。が、なんとその赤ん坊には角がなかった。その赤ん坊、ラ・ゴールは、ニセモノの角を着けられると王族の子として育てられ、やがてその科学への天才を開花させると若くして科学大臣の地位を得る。

ほどなく皇帝が亡くなり、王位継承者としてラ・ゴールの名が挙がる。しかしライバルであるザンバジルにニセの角の秘密を暴露されて、ラ・ゴールは失脚。彼自身は「労奴」に落とされ、身重の妻ロザリアは国外追放とされる。

労奴となったラ・ゴールは、新皇帝ザンバジルが宇宙征服の計画を立てていることを知ると、同志とともに反乱を起こす。しかしこの反乱は失敗に終わり、ラ・ゴールはただ一人、ボアザン星からの脱出を余儀なくされる。ラ・ゴールの宇宙の放浪は続き、ようやく彼がたどり着いた星が、ぼくらのこの地球だった。

地球に降り立ったラ・ゴールは、ボアザン星の「労奴解放」のため、さらにはザンバジル皇帝による地球侵略に備えるため、地球人と協力して軍事要塞ビッグファルコンと戦闘ロボ、ボルテスVを建造する。この間、地球で知り合った剛光代博士との間には、三人の男児をもうけていた。

やがてラ・ゴールが地球にいることを知ったザンバジルは、ラ・ゴールがすみやかに帰国しない場合は地球を攻撃すると伝えてくる。ラ・ゴールはやむをえず後のことを光代夫人らに託すと、ボアザンに帰っていった。

しかしボアザン帝国軍による地球侵略は開始された。
地球側ではラ・ゴールの3人の息子に2人の若者を加えた5人編成のボルテスチームが結成され、それを迎え撃つ。戦況は膠着したが、ボアザン側の内紛と、ボアザンから脱出してきた労奴の協力を得たボルテスチームは、ついにボアザンの地球侵略軍を撃退することに成功する。そして、労奴(本当は元ボアザンの将軍)の口から、父の真実を知らされたラ・ゴールの息子たちは、父を意思を叶えるため、ボアザンの労奴解放を目指して宇宙に飛び立つ・・・。


整理すればこうなる。
まず遠い宇宙に高度な文明があって、そこには「善」と「悪」が同時に存在する。「善」が地球にやってきて、「悪」を倒せるだけのテクノロジーを与える。地球人がその「善」の技術を使って「悪」を倒す。
大雑把なところで、『ボルテスV』の物語が『宇宙戦艦ヤマト』と世界観を同じくしていることは一目瞭然だろう。

ただし、もちろん後発の『ボルテスV』の方が、細部において先鋭化されていることは言うまでもない。例えば、「悪」についてだ。

第一話「宇宙からの侵略者」。
突如として太陽系に侵攻してきた大船団はボアザン帝国の地球征服軍だった。司令官の名はプリンス・ハイネル
戦闘に先立ってハイネルはこう演説する。

「戦いの時は来た。われらボアザン帝国の栄光と名誉、その香り高き文化をあまねく宇宙のすみずみにまで及ぼさんがため、この辺境の地、地球を支配する。虫けらのごとき人間どもを追い払うのだ!」

要点はふたつ。
ひとつは、ハイネルらは地球を滅ぼしに来たのではなく、彼らの「栄光と名誉」「香り高き文化」でもって教化しに来たという点。平たく言えば、植民地化だ。その理由は、ぼくら地球人は「虫けら」のように劣った存在だからだ。
ふたつめは、そんなボアザン人から見れば、地球などは「辺境の地」でしかないという点。

まとめて言えば、ハイネルらは、辺境の野蛮人どもはボアザン文化で支配してやったほうが幸せだと考えているようだ。

だからハイネルは、地球人にも「愛」という感情があると知ったとき、「下等動物の人間が愛を持っているとは」と言って大笑いする(第13話「謀略の父が地球を狙う」)。
また、彼らはボルテスのことを「ほ乳類がつくったロボット」とも呼ぶ(第7話「新隊員タッコちゃん」)。

さて、それじゃあ『ヤマト』では「ガミラス」が演じたこの悪役は、いったい何からイメージされるものなのか? 地球人を「辺境」の野蛮人と見、自分たちの「香り高き文化」で教化・支配しようとするボアザン人とは・・・。

この答えを長浜忠夫の心象風景に探すのなら、これはもうGHQ以外にはないとぼくは思う。
極東の地、日本を占領したアメリカは、日本の古い制度を徹底的に破壊し、彼らの文化や価値観で改めた。それも時間をかけずに怒濤の勢いで行った。こんなことが民衆レベルにまで起こったのは、日本の歴史上この時くらいのものだろう。

もちろん、大日本帝国が似たようなことを東アジアで実行したことは事実だが、1932(昭和7)年生まれの長浜忠夫は終戦時はまだ少年だ。戦争に負けること、他国の支配を受けることの意味を長浜少年に実感させたのは、GHQをおいて他にはないだろう。だからこの世代の人が「侵略者」をイメージすれば、それは自然とGHQに繋がるのだとぼくは推測する。

一方、「侵略者」であるボアザンが、同時に「建設者」として助力してくれる存在であることも『ヤマト』と同様の構図だ。ボルテスメカを建造したラ・ゴール、影となってボルテスチームを援助してくれたダンゲ将軍といった人々も、またボアザン人。
要は、『ヤマト』ではイスカンダル=ガミラスの二重連星として表現された「善」と「悪」は、『ボルテスV』ではボアザン星のふたつの身分階級(労奴と貴族)として表現し直された。後発の強味ではあるが、『ボルテスV』のほうが洗練されているし、核心を突いているとぼくは思う(もちろん、バトンリレーの結果としてだが)。

いずれにしても、そこで表現されているのはアメリカに対するダブルイメージだ。すなわち「良いアメリカ」と「悪いアメリカ」・・・。

そして『ボルテスV』の洗練はそれだけにはとどまらない。
『ヤマト』では今ひとつ消化不良というか、ウヤムヤだったもののいくつかは、『ボルテスV』の中で確実に形を成しているとぼくは見ている。

つづく