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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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さらば宇宙戦艦ヤマト 宇宙の愛 ~そして神話に

ガトランティス=地球連邦

前回からの続き

ご存じのとおり、『さらば宇宙戦艦ヤマト』は地球連邦艦隊の最後の一隻となったヤマトが、すでに攻撃能力を失いながらもガトランティスの超巨大戦艦に体当たりしていくシーンで幕を閉じる。この特攻に先立って、若き艦長・古代進は生き残ったクルーに退艦命令を出してこう言った。

俺たちの戦いを永遠に語り継ぎ、明日の素晴らしい地球を作ってくれ

地球がなくなれば、彼らの戦いを永遠に語り継ぐ人もいなくなるのだから、古代にとってガトランティスに勝利することは最初から既定の結果だったのだろう。そしてガトランティス側もまた、よろよろと接近してくるヤマトに攻撃を仕掛けることもなく、黙って成行に身を任せているようだった。最後まで必死の抵抗を続けた前作のガミラスとは大違いだ。

そうしてみると、『さらば宇宙戦艦ヤマト』の物語にとって重要だったのは、古代たちが「どう」戦ったのかであって、「誰と」戦ったのかではなかったように思えてくる。つまり、ガトランティスがアメリカを模した帝国であるという表面的なイメージには、それ自体に大した意味はないんじゃないかと考えたくなる。

しかし、古代に特攻を決意させたのは紛れもなくガトランティス、その大帝ズォーダーだった。
すでに満身創痍でボロボロのヤマトに対し、ついにその本体である超巨大戦艦の姿を見せたガトランティスは、主砲の一撃で月を粉砕してみせた。勝ち誇ってズォーダーは言う。

宇宙は全てわが意思のままにある。わたしが宇宙の法だ。宇宙の秩序だ

これを聞いた古代は激しく憤慨し、反論する。

ちがう、断じてちがう。宇宙は母なのだ。そこで生まれた生命は全て平等でなければならない。それが宇宙の真理であり、宇宙の愛だ

しかし思い出してみれば、このやりとりに極めて類似した展開が『さらば宇宙戦艦ヤマト』にはもうひとつ存在したことに気がつく。それはヤマトが再び旅立っていく直接の動機にも繋がったものだ。
ヤマトを廃艦させ、記念艦にしようとした人々。
その代表格である地球連邦政府の初代大統領は、アンドロメダの進水式に際してこう言った。

宇宙の平和、それをもたらし、それを守るリーダーとなるのは我が地球であります

ところが「リーダー」を自称する連邦政府には「宇宙の平和」への責任感などカケラもなく、そのことが古代を憤慨させ、ヤマトを出撃させる結果になった。古代から見れば、連邦政府の叫ぶ「宇宙の平和」なんぞは地球人のエゴイズムでしかなく、それが高じたものこそが「宇宙の法」「宇宙の秩序」を語るガトランティスに他ならなかったのだろう。

つまりガトランティス=地球連邦政府。

古代が戦おうとしたものとは、「宇宙の愛」すなわち宇宙に生きる全てのものの「平等」を奪い、我が手で支配しようとするこういった考え方だったとぼくは思う。白色彗星帝国=ガトランティスとは、未来の地球連邦政府の姿そのものだった。

そしてその地球連邦政府の世界にあって、ヤマトとそのクルーは厳しく冷遇されていた。ヤマトは老朽艦扱いされ、ガミラスの魔の手から世界を救った英雄たちは末端の労働者として埋没していた。
しかし前作『宇宙戦艦ヤマト』では、ヤマト=日本ではなかったか?
ならば冷遇され、邪魔者扱いされ、埋もれてしまっていたのは、本当は「日本」ではなかったのか?

そう考えたとき、アンドロメダ進水式での初代大統領の発言は、ぼくに現実世界のある国のトップの発言を思い起こさせる。言うまでもない。歴代のアメリカ大統領だ。彼らは「自由主義世界のリーダー」を自認し、「ニューワールドオーダー」を叫んでベトナムやイラクに攻め込んだ。確かに1978年当時の日本はまだそういった行為に直接加担することはなかったが、その後の展開はご存じのとおりだ。

だが、『ヤマト』のスタッフが危惧していたことは、未来の日本が本意でもない戦争に駆り出されることへの不安だったわけではないだろう。すでに戦後教育によって日本の過去の歴史は全否定され、アメリカ様式が日本の伝統を浸食して久しかったのが70年代だ。

そこに「日本」はあるのか?
すでに「日本」は連邦政府(=アメリカ)に呑み込まれていて、実はその実体は存在していないも同然なのではないか?
ならばヤマトには、もはや命をかけて守るべきものが何もないことになるんじゃないか?

『さらば宇宙戦艦ヤマト』に描かれている日本の「現実」には、そういった精神的な背景があったのではないかとぼくは推測する。なぜならまさに『さらば宇宙戦艦ヤマト』の結末には、失われた「日本」をいかにして生かすかという思いが込められていたように思えるからだ。


「ヤマトは生きている」「俺たちのヤマトを死なせてはならない」と言って連邦政府の支配下を離脱したヤマトは、連邦自慢の艦隊が全滅した後もたった一隻で戦い続けた。人々はそんなヤマトに地球の運命を託して、熱い声援を贈った。
しかしガトランティスはあまりも強大で、次第にヤマトはその戦力を失っていった。

たった18人になってしまったクルーに、艦長古代は退艦命令を出し、こう言った。

みんなは俺が死ににいくと思っているんだろう? そうじゃない。俺も生きるために行くんだよ。命というのはたかが何十年の寿命で終わってしまうような、ちっぽけなものじゃないはずだ。この宇宙いっぱいに広がって、永遠に続くものじゃないのか? 俺はこれから、そういう命に自分の命を換えにいくんだ。これは死ではない

古代は言う。「宇宙いっぱいに広がって、永遠に続くもの」「そういう命に自分の命を換えにいく」のだと。
「そして俺たちの戦いを永遠に語り継ぎ、明日の素晴らしい地球を作ってくれ」と。

そう言い渡すと、彼は最愛の人、森雪の亡がらを抱いて一人、ヤマトを超巨大戦艦に向けて発進させる。するとテレサがどこからともなく現れる。実は彼女は反物質世界の人で、こちら側の世界にふれあうと巨大な爆発を引き起こす存在だった。彼女が超巨大戦艦に接触すれば、ガトランティスも一瞬にして消滅する。

テレサは古代に、ありがとうと言う。
「あなたのおかげで人々は目覚め、より美しい地球と宇宙のために働くことでしょう。わたしはこの日を待っていたのです」
テレサに導かれたヤマトの姿は次第に小さくなっていき、やがて巨大な爆発となる。あとには漆黒の宇宙空間だけが残されたのだった・・・。


古代の願い。
それは、ヤマトの物語が「伝説」「神話」となって、「宇宙いっぱいに広がって、永遠に続く」ことだった。それが古代の言う「命」だ。そしてそんなヤマトの戦いが「宇宙の愛」に則ったものだったからこそ、テレサは現れた。その一部始終を地上の人々は見た。彼らは「神話」の目撃者となった。

もちろん、この時の目撃者となったのは何も劇中の人物たちだけではない。
ぼくら当時の少年たちも、そのうちの一人だった。

かつてヤマトという船が「日本」という守るべき、残すべきもののために戦ったこと、さらにその戦いは「宇宙の愛」を貫くためのものでもあったこと、これらはぼくらの胸中奥深くにしまいこまれたものだ。それは、いつの日か「日本」を取り戻さなければならない時に、大きな力の源とならなければならないものだろう。
ヤマトの「神話」を語り継ぐのは、ぼくら当時の少年少女だということだ。



ところで・・・。

もしもこの時のヤマトが実は破壊されず、そのまま太陽系のどこかで「日本」を興している世界があるとしたらどうだろう。ヤマトが連邦政府に対して独立を宣言し、主権を主張している世界があったとしたら・・・。

ジオン公国だ。

つづく


※詰め込みすぎで説明不足の感があるので付け足しておきますが、古代のいう「平等」とは、いわゆる民族主義的な意味での平等だと思われます。つまりは世界の多様性は多様性のままに存在するべきで、それぞれの伝統や文化は固く保持されるべきだろうということです。
これに対し、サヨク的な「平等」は人為的に操作された平等ですので、本来の多様性は破棄されている状態でしょう。つまりは、アメリカによるイラクの強引な民主化や、中国共産党がチベットやウイグルで行っていることは「宇宙の愛」に反する行為だということです。



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