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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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機動戦士ガンダム アムロ・レイ その1

テム・レイ

いちいち説明するまでもないことだが、『機動戦士ガンダム』の基本的な設定は『マジンガーZ』と大差ない。
兜甲児とアムロ・レイはいたって似たような成り行きでロボットを操縦することになり、「悪」が繰り出してくる敵ロボットと戦う。この際、本来は戦闘に無縁である民間人がロボットを操縦する違和感については、彼らの血縁者が当のロボットの開発者であることで解消されている。所有権のある人間が使用者であるべきだ、といった感覚だろう。

そんな似た者同士の兜甲児とアムロだが、終わってみれば両者の間には巨大な隔たりがあったことは明らかだった。
簡単に言ってしまえば、アムロ以前に兜甲児が存在したことは許されたが、アムロの後に兜甲児が登場することは不可能だ。ここには不可逆性がある。

それは、単に兜甲児がスポ根チックな熱血漢で、アムロが内向的なオタク系少年だったから、というような表面的な差異によるものではなかった。アムロのキャラクターには裏付けがあり、兜甲児にはない。それが理由だ。

おそらく兜甲児の性格は、ロボットを操縦して戦闘を行うという彼の役割から単純に逆算して設定されたものだろう。運動神経抜群のスピード狂、猪突猛進タイプだが実は思いやりがあり、責任感や正義感も強い。
こういう人間でないと、あの巨大ロボで空を飛び回るなんて無理だろう。
なんて、一種のご都合主義から生まれたキャラが兜甲児だったとぼくは思う。

もちろん、この設定そのものが悪いわけではない。
スポ根ブームの後だけに子どもにも分かりやすいし、それなりの説得力はある。
問題は、その後、ロボットものの主人公といえば兜甲児タイプで決まり、という安易な追従が蔓延してしまったことだろう。要は主人公キャラの記号化だ。これは明らかに、子どもに対して「誠実ではない」。


では、一見するとそんな兜甲児へのアンチテーゼ、または単なる嫌がらせのようにもみえるアムロ・レイの性格設定の裏付けとは何か。
これはまったくもって難しく考える話ではないと思う。
子どもの性格は(ある程度までは)親が決めるものだ。この当たり前の視点が、『ガンダム』以前は丸っきり見過ごされていた。

例えばこんなセリフだ。
第19話「ランバ・ラル特攻!
「ぼくが一番ガンダムをうまく使えるんだ。一番、一番うまく使えるんだ・・・」
命令違反をしたアムロは、ガンダムのパイロットを降ろされそうになって腹を立て、勝手にガンダムに乗り込むと脱走してしまう。いろいろあってホワイトベースに戻ったアムロは、チームワークを乱した罪によって独房に閉じ込められてしまうが、その時アムロが吐いた(当時は衝撃的だった)セリフがこれだ。

それは確かに客観的な事実ではあるが、普通のヒーローがこれまで決して口には出さないものだった。
それに、そもそもこの時のブライトはチームワークを問題にしているのに、アムロには問題の所在自体を理解する素振りもない。アムロにとって重要なのは、好結果につながる「効率・能率」だった。
このアムロの発想を辿れば、それは彼の父、テム・レイに至ることになるだろう。

第1話「ガンダム大地に立つ!!」。
ブライトを前にアムロの父、テム・レイはこう言う。
「ガンダムが量産されるようになれば、君のような若者が実戦に出なくても戦争は終わろう」
アムロの父親はガンダムやホワイトベースの開発の中心となった軍事技術者だ。彼はこのセリフに代表されるように、科学の進歩や工業の発展こそが人類の幸せにつながる、という信念を持っていた。その信念にもとづき、彼はまだ幼児だったアムロを母親から引き離し、当時建設中だった「サイド7」という宇宙コロニーに移住させる。そこに彼の考える人類の幸福の実現があったからだろう。

そしてアムロは、陰では「親父」呼ばわりしている父を目の前にすると、「父さん」と呼んで敬語で話しをする。それにアムロの趣味は機械いじりで、15才にして小型の愛玩用ロボットを作るまでの技術がある。つまり、アムロはこの父から多大な影響を受け、おそらく内心では尊敬もしていたのだと思う。

ただ、その父はまだ幼かった自分から母親を奪った張本人でもあった。
母のいない心の空白を埋めるためには、アムロは父の思想や理念を無条件に受け入れるしかなかったのだろう。父の人格はともかく、その行動は正しいのだと。

そんなアムロが、科学や工業の発展がもたらす「効率・能率」について否定的な感情を持つことはないだろう。そしてまた、チームワークなどというきわめて情緒的な問題が、それらに優先するものだとは考えにくいことでもあっただろう。


という具合でこの父と子には、わずかなセリフからではあるが、確かな繋がりが感じられるように思う。この親にしてこの子あり、という実感がある。
もちろん、仮にも人間を描いているのだから、そうそう全てが理屈通りに合致するものではないが、少なくとも『ガンダム』以前にはこのような「普通の」視点がなかったことだけは断言できるように思う。

母に続く


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