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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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機動戦士ガンダム アムロ・レイ その2 〜戦後民主主義

アムロいろいろ

アムロ・レイの言動には、もちろん母カマリアからの影響もうかがうことができるだろう。

第7話「コアファイター脱出せよ」には、アムロのこんなセリフがある。
「あなたがたは自分のことしか考えられないんですか?」

執拗なジオン軍の追跡を振り切ろうと、必死で戦うアムロたち。しかしホワイトベースに乗っている避難民は、自分たちだけを地上に降ろしてくれと言い出してくる。
このとき、まずブライト艦長が
「あと一息で連邦軍の勢力圏に入るんです。それまでの我慢がなぜできないんですか?」
と諭したのに対し、避難民が
それまでの命の保証は誰がしてくれるんです?
と返してきた。
それを聞いたアムロが言ったのがこのセリフだ。

アムロは続けてこうも言う。
「誰が、自分だけのために戦うもんか。皆さんがいると思えばこそ戦ってるんじゃないか。僕はもうやめますよ?」
このセリフは、(あのアムロにしては)なかなか感心なものだろう。
アムロだって成り行きでガンダムを操縦してはいるが軍人ではなく、避難民同様の民間人だ。命の保証なんて、あるわけがない。それでもホワイトベースのみんなが生き残れるよう、恐怖心をこらえて戦っているのだとアムロは苛立っている。

しかし、そのたった2話あとの第9話「翔べ! ガンダム」でアムロは豹変する。出撃拒否をし、それを諫めに来たブライトにぶん殴られたアムロはこう言い放つ。
戦いが終わったらぐっすり眠れるっていう保証はあるんですか?
ブライトもこれには口をあんぐりと開けて「保証?」と言葉を失ってしまう。つい先日、誰にもできっこない「保証」を求める避難民にいらだちを見せたアムロが、今度は自分の睡眠についての「保証」をブライトに求めてくれば誰だって混乱してしまう。


こういったアムロの精神分裂ぎみの傾向の根っ子には、おそらく母カマリアに対するアムロなりの葛藤があるとぼくは思う。もともとは地球で家族3人の生活を送っていたアムロは、まだ幼い頃、父に連れられて宇宙コロニー・サイド7に移住した。ところがこの際、母カマリアはまだ幼いアムロと離れて地球に残ってしまう。その理由はこうだ。
私は宇宙の暮らしって馴染めなくて

むろん、理由はそれ以外にもあったのだろうが、とりあえず作中で語られたのはこれだけだ。
カマリアは自分が宇宙コロニーでの生活をしたくないという理由で、アムロの養育を放棄してしまった。育児よりも、個人的な感情を優先した。さらに、これは後で分かることだが、地球がジオンとの戦場になると彼女はアムロと暮らした家まで放棄してしまった。

子どもを捨て、家も捨てる。
これは70年代に広く叫ばれていた、女性の自立、男女同権、ウーマンリブ運動の成れの果てだろう。そしてその大元には、戦後民主主義の中核である人権最優先思想があるだろう。個人の自由や権利は何よりも大切だとする考え方だ。

自分を捨てた母親をアムロが恨んではいなかったことは、第13話「再会、母よ・・・」のエピソードから十分に見てとれる。おそらく幼い日から、アムロはずっと母親の行動を理解し、受け入れようと努力してきたのだろう。それはつまりは戦後民主主義的な考え方を受け入れることに繋がる。

しかしその一方で、心の奥底には自分から母親を奪った個人主義への疑問は残っていたのだろう。
アムロの「保証」に対する正反対の言動には、その葛藤のあとが見てとれるとぼくは思う。
そしてその葛藤の結果として、アムロは時には個人的な感情に走ることもあれば、またある時には他人の自己中心的な行動に激しい苛立ちを覚えるのだろう。


てな感じで見ていくと、アムロというキャラクターが、必ずしも(兜甲児以来の)熱血ヒーローへのアンチテーゼとしてのみ設定されたネクラのオタクではないことが理解できるように思う。
アムロの父親が象徴しているのは、科学や工業の発展につながる効率・能率優先の考え方だった。これを、高度経済成長からやがてはバブルに踊るまでに至る、戦後日本の外面的な姿だとしよう。
そしてもう一方のアムロの母親は、戦後日本の内面、すなわち個人の自由や権利を優先する戦後民主主義を象徴しているとしよう。第13話でカマリアがアムロにみせた絶対平和主義も、それをあらためて強調するものだ。

子は親の鏡というが、そうしてみるとアムロの分裂気味の性格というものは、実のところ戦後日本の外面・内面の表象から導き出される、しっかりとした裏付けを持ったものであることが感じられる。アムロのキャラクターは、そう成るべくして成ったもので、制作者が脳内でテキトーに考えただけのものではない。

そしてあの時代には多数のテム・レイが存在し、多数のカマリアが存在した。ならば同じように、やはり多数のアムロも存在したのだろう。ぼく自身はそうではなかったが、アムロに自分の分身を感じる人が多数いたとしても、それは何も不思議なことではない。


・・・それにしても、このアムロの放つ破壊力は半端ではないだろう。
『ガンダム』の後では、もはや脳内でテキトーに考え出された熱血キャラの居場所などは存在しない。主人公の人格を形成する裏付けなしに、ぼくらがそのキャラクターに共感することは難しくなってしまった。
アムロこそがまさに戦後日本にありうるべき少年であるとしたら、一切の熱血ヒーローはみな虚構であり虚像であることになる。アムロを知ったあとに兜甲児が現れたとして、一体どこの誰が兜甲児のほうにリアリティを感じることが出来るだろう?

つづく


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