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竹波エーイチ

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機動戦士ガンダム コモンセンスとニュートラル

月刊ガンダムエース9月号

少々くどくなってきたが、『機動戦士ガンダム』制作当時の富野監督の問題意識について、もう少し。
前回までの記事では、「子供に対して誠実でない」従来のアニメに対して、「(子供に)嘘はついちゃいけない」というスタンスから富野監督が『ガンダム』に向かい合っていた点について書いてみた。

だが、嘘はつかないと口で言うだけなら易しいが、それをアニメ制作の現場で具体的に実行するにはどうしたらいいのか? 『月刊ガンダムエース9月号』のなかで、富野監督はこんな話をしている。

「少なくともファーストガンダムはコモンセンスだけで作った。分かりやすく言うと、右翼でも左翼でもなくニュートラルを貫いたんです。朝鮮戦争までの戦争の図式に則って、それを反戦でも軍国主義でもなく、ただひたすらニュートラルを意識して戦争を描いた。だから僕の主義は一切ガンダムには入れてません。子供が見るかもしれないんだから、絶対に右にも左にもブレないという覚悟をもって作ったんです」


コモンセンス・・・。辞書を引けば、常識とか良識とか分別とか、そういう意味だとされているが、この対談の別の場所では、「普通」という意味として使われた言葉でもある。これをまとめれば、子供に嘘をつかないこと=子供に「普通」の話をすること、で実行されることになる。

ちなみに上記に引用した監督の発言は、次のような安彦良和氏の発言への回答でもあった。

「僕はガンダムというのは非常に大きな社会的、歴史的意味を持った作品だと思っています。(中略)つまり、本来のサブカルのエリアを超えちゃったのね。なぜ超えたのかというのを、これから話し合っていきたいと思うんだけど・・・」


ここで安彦氏のいう「サブカル」がどこまでの範疇を指しているのかは、お二人の議論がいまいち噛み合っていないためハッキリとは分からないんだが、少なくとも『ガンダム』が従来のアニメのエリアを超えてしまったことだけは、「普通」の感覚の持ち主であれば認めざるを得ないことだろう。
そしてその理由は、『ガンダム』がコモンセンスに基づいてニュートラルに作られた作品だから、と富野監督は断言しているわけだ。

となると、これを逆に考えれば、従来のアニメは「普通」の感覚ではなく、ニュートラルでもない、そういうことになるだろう。そしてそこには「大人の嘘」がある、と。


勿体ぶった言い回しは多忙な友人たちの迷惑になるので、結論から言ってしまいたい。
アニメといっても「カルピス名作劇場」みたいなものもあるのでロボットアニメやヒーロー番組に絞ることになるが、それらが吐いている「嘘」とは、要するにアメリカのことだ。

在日米軍や日米安保。
本来、日本の存亡をかけた戦闘を描いているはずのロボットorヒーロー番組から、アメリカ軍の存在はほとんど抹殺されている。『鉄人28号』『ジャイアントロボ』『マジンガーZ』『ボルテスV』・・・どこにも在日米軍は登場してこない。まるでそんなものは最初から存在しないかのようだ(ちなみに1961年に公開された東宝『モスラ』には、ちゃんと在日米軍が登場するが、これは『モスラ』が成人向けの映画だという証明になるのかもしれない)。

日米安保も在日米軍も存在しない日本。
コモンセンスに照らし合わせば、これが「大人の嘘」であることは余りにも明白だ。つまりは、日本がアメリカ軍によって保護されているという事実は、”子供が知らなくていいこと”だとされているわけだ。あるいはそれは、”子供に知られたくないこと”なのかもしれないが・・・。

いずれにしても、このような「嘘」で固められたロボットorヒーローアニメが、「ニュートラル」だとは到底考えにくいことだ。
では、それは「右」なのか「左」なのかと言えば、もちろんのこと「左」だろう。在日米軍の存在しない日本を望んでいるのは「左」だと考えるのが普通だ。
さらには自衛隊はいつもミジメなヤラレ役で、活躍するのは民間人である少年(鉄人28号)や私設の研究所(マジンガーZ、ボルテスV)、よくて国連組織(ジャイアントロボ)というのでは、バリバリの「左」としか言いようがない。

要するに、ここには「国」がない。
個人、民間施設と来て、いきなり国連に飛んでしまう。国家が国民を守るための戦いは、一体どこへ行ってしまったのか(不思議と円谷プロ系の特撮は国家による防衛組織が多いが)。


という具合で、従来のロボットorヒーローアニメの多くは、在日米軍や日米安保の存在を隠蔽したうえで、国家が国民を守らない世界の物語を描いてきた。

さて、もうお気づきだろうが、『機動戦士ガンダム』とは、まさにこの世界観そのものをスタートラインに置いた作品だ。そこには「アメリカ」の姿はない。そして「日本」という国もない。従来のアニメがついてきた「嘘」が、『機動戦士ガンダム』では「現実」とされた。

だが、それにも関わらず、『機動戦士ガンダム』は「アメリカ」と「日本」を見事に描ききった作品だったとぼくは思う。
アムロ・レイに戦後日本の精神風土が反映されていることはその一例だろう。
つまりは「嘘」の世界に意識的に飛び込むことで、その「嘘」を内側から食い破ってしまった作品が『機動戦士ガンダム』だったのではないか、なんて感じにぼくには思えるのだった。

つづく

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