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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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機動戦士ガンダム アムロが戦う理由〜ララァ

ララァ

※前回までの記事に対し、「ジオン=大日本帝国」はおかしいのではないか、というご指摘をいただきました。もしかしたら同じような感想を持たれた方もいるかと思いますので、この場で釈明させていただきます。

結論から言ってしまえば、ぼくも「ザビ家=大日本帝国」なんて記述をみたら、アホらしいのでそれ以上先を読むことはないでしょう。ぼくが言いたかったのは、あくまでジオン共和国~初期ジオン公国が作中で置かれた立ち位置が、従来のショッカーやらDr.ヘル(地下帝国)と同じだということです。

ぼくは『機動戦士ガンダム』とは、旧来の『マジンガーZ』等の「子どもに対して誠実ではない」ロボットヒーロー番組を、「コモンセンスとニュートラル」のスタンスから書き換えられた作品だと考えます。手法としては、徹底したリアリズムということになるでしょう。

そうして作られた『機動戦士ガンダム』は、結果的に『マジンガーZ』等の世界観の真実を暴露してしまったようにぼくには思えます。リアリズムの観点からみれば、それまでは悪の侵略者だと単純に決めつけられてきた「敵」にも、十分な説明と整合性が必要とされるでしょう。そのとき、初期のジオンが置かれた位置こそが「大日本帝国」のイメージであって、このことにより『機動戦士ガンダム』は、それまでの作品群がなんとも安直に「悪」だ「侵略者」だと決めつけてきた「敵」が何だったのかを、問わず語りに物語ってしまったのではないか・・・というのが話の主眼です。
あくまで初期設定の話ですので、その後のザビ家による残虐非道と大日本帝国には何の関連もありません。

ちなみにぼくは(ホロコースト的な意味での)「南京大虐殺」が史実だとは思ってませんので、ザビ家を大日本帝国と同一視することなぞ、心外なくらいに有り得ない話なのです。


と、言い訳はこのくらいにして本題に入ると、ジオンという、「正義」を主張してくる敵役の存在に驚かされたのが『機動戦士ガンダム』の思い出の一つだったが、ぼくにとって更なる衝撃だったのは以下のやりとりだった。

ララァ「なぜ、なぜなの?なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」
アムロ「守るべきものがない?」
ララァ「私には見える。あなたの中には家族もふるさともないというのに」
アムロ「だ、だから、どうだって言うんだ?」「守るべきものがなくて戦ってはいけないのか?」
ララァ「それは不自然なのよ」

第41話「光る宇宙」で交わされたアムロとララァの会話だ。
このやりとりについては、まずアムロの弁護を先にしようと思う。ララァは「私には見える。あなたの中には家族もふるさともないというのに」というが、これはアムロの責任ではない。『ガンダム』の物語が、アムロにそれを要求した。

そもそも『ガンダム』におけるアムロのストーリーは、そういった自分につながるものを次々に喪失していく旅路だった。アムロは物語の冒頭で育ちの地、サイド7を失った。戦いのなかで初めてもった恋心も失った。地球では生まれの家と、自分を捨てた母親に別れを告げた。連邦軍の一員となって出撃した宇宙では、安全な中立コロニーで過去の栄光にすがって生きる、かつては畏敬していた父のみじめに変わり果てた姿を見た・・・。

という具合に、アムロの「家族もふるさとも」は物語によって奪われたものだ。
今や中年のおっさんになり果てた目から見れば、ここで答えに詰まっているアムロの姿にはぐっとくるものがある。

しかし、しかしそれでもやはり、ぼくもアムロに問いたい。
君は何のために戦っているのかと。


ガンダム者 ーガンダムを創った男たち』(講談社/2002年)の中で安彦良和氏は、放映当時、ジオンに強く惹かれていった若者たちについてこんな苦言を呈している。

「ただテーゼに対してアンチテーゼをぶつけて、それで面白いだろうという対比のさせ方はよくやる手法なんですが、その仇役が際立ち過ぎた。お陰でアンチテーゼのほうがテーゼだったという思い込みが、わりとコアなファンを中心に広がってしまった(中略)あくまでも正であり反であるというその緊張感を楽しんでほしいのであって、地球連邦はこんなに腐っているからみんなでジオンに味方しようってことではないんです。人間はダメだからみんなでニュータイプになろうよって、そういう設定なら僕は最初から降りています」


苦言は苦言として、現実にジオンが必要以上に魅力的に描かれ、そこに多くの若者が惹かれてしまったことは隠しようのない事実だった。実際、アムロにしたって、他人の家に勝手に上がり込んで酒をかっ食らっている連邦の兵士と、見事に統制されたランバ・ラルの部隊を比較して、どっちが優れた人間集団であるかくらいは容易に理解できたことだろう。

ぼくはジオンの侵略者と戦っているんです」(第15話「ククルス・ドアンの島」)
アムロほどに聡明な少年が、いつまでもこんな純朴な気持ちのままでいたとは考えにくい。
現に、サイド7以来、アムロとともに戦ってきた少年カイ・シデンはこんなことを言ってる(予定だった)。

ジオン公国は地球連邦の独善から逃れようとして戦っているんだ。ザビ家独裁は倒さにゃならんが、問題なのはオレたちが連邦の無能な官僚や参謀の盾となって死ぬってことなんだ」(『ロマンアルバム・エクストラ50 機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編』中の「AR台本(抜粋)」より)

あまりにもマニアックな資料から引用するのはどうかとも思うが、とりあえずは制作サイドにはこんな意図もあったこと、そして、当時のぼくらがカイにこう言わせた気分を共有し始めていたことは、安彦さんの発言からも確かなことだったように思う。

ジオンの魅力。
それはカイの(幻の)セリフから読み取れるように、ジオンが理想を持ち、その理念のために命を賭けているという事実にあるのだろう。ザビ家を褒めるわけではないが、あの”ギレンの演説”を聞いたときのアムロの反応、
「これが・・・敵・・・?」
からは、初めて見る全体主義国家の異様な一体感への衝撃をうかがうことが出来る。自由気ままだが常に孤独感を抱えていたであろうアムロにとって、多くの人が同じ気持ちを共有することができるという事実は、信じがたい光景だったに違いない。

だが、アムロにだって反論の余地はあったはずだ。
先輩ヒーローである本郷猛や兜甲児のように、彼も「正義」を主張すればいい。
「ぼくは正義のために戦っているんだ!」
そうララァに言い返せばいい。

おそらくララァには大爆笑されるだろうが・・・。


結局のところ、仮面ライダーや兜甲児が自らの「正義」を安心して叫べる根拠はただ一つ。それは、相手側のショッカーやDr.ヘルが、自分で自分を「悪」だと言ってくれた上に、オレらこそが本当の「正義」だ!とは言わないことだ。そうやって敵味方がお互いに認め合うことで固定された「善悪」だけが、ヒーローの「正義」を担保するものだった。

『ガンダム』がこの構造を完全に暴露してしまった今、自分で自分を「悪」だという敵役なんて、バカらしくて見てられなくなるのが普通だ。ヒーロー番組の歴史は、「ガンダム以前」「ガンダム以後」に分断された。

そのトドメを刺すのは、シャアだ。

つづく

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