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竹波エーイチ

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1967年生まれのおっさん。
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三大怪獣 地球最大の決戦 〜守護神ゴジラ誕生

神々の相談2

三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)が、ゴジラシリーズの転機となった作品であることに異論をはさむ人はいないだろう。

モスラ、ラドンとモンスター語で会話したうえに手を組み、結果的に地球を守るために戦ったことから、恐怖の対象としてのゴジラは本作で完全に終わりを遂げる(『ゴジラ大辞典』)。


いつまでもゴジラに「恐怖の対象」であることを望む人から見れば、この大転換によってゴジラはお子様専用に堕落したことになるようで、前作『モスラ対ゴジラ』までに比べると、この『三大怪獣 地球最大の決戦』はあまり評判がよろしくない。Wikipediaの記述もあらすじを除けば、そっけないものだ。

しかし、これまで見てきたように関沢ゴジラシリーズは、決してお子様に迎合するためだけの、行き当たりばったりの作品群ではない。ゴジラに、新しい時代にあわせた「ゴジラじしんの意味」を持たせるために、慌てず急がず着実に積み上げていった大きなストーリーのなかに、それらはあったとぼくは思う。
それは、今作『三大怪獣 地球最大の決戦』で、ゴジラがどのように登場したかを見るだけでも十分に分かることだろう。

『キングコング対ゴジラ』で松島湾から上陸したゴジラは、東北本線にそって南下すると、首都圏を迂回して富士山麓まで到達し、そこに現れたキングコングと戦った末、熱海近海に消えた。
続く『モスラ対ゴジラ』では、ゴジラは三重県の倉田浜干拓地から出現し、四日市を経由して名古屋を襲撃すると東に進み、静岡県岩島近海に消えた。

ぼくはこのゴジラの旅は、ゴジラのもつイメージの一つである「南洋に散った戦没者の霊魂」が「故郷参り」をする旅だと考えた。そして、ゴジラに込められた魂は一人のものではなく戦死した日本人の集合体であるから、東京、大阪、名古屋という順にゴジラは来訪(帰郷)し、蹂躙していったのだとも考えた。
そうだとすればゴジラが次に襲う都市は、1964年当時、日本で四番目に人口(出身者)の多い都市でなければならない。

・・・横浜。

太平洋沖に突然現れたゴジラは、通りがかった客船を放射能熱線で破壊すると、そのまま横浜港に上陸、当時のYOKOHAMAの象徴だったマリンタワーをなぎ倒した。今作のゴジラは、まさに1954年の『ゴジラ』から続くゴジラのイメージそのままの行動からスタートした。ゴジラには、横浜を襲撃する理由が十分にあったということだ。

※もともと1943年以来、五大都市(大阪、名古屋、横浜、京都、神戸)の一つとして規定されていた横浜市が名古屋市の人口を抜いたのは1968年のこと。現在は大阪市を抜いて、東京特別区に次ぐ人口2位(360万人)。


ゴジラがそうであるように、ラドンも1956年の『空の大怪獣ラドン』のイメージをともなって登場した。
当たり前のように「阿蘇山」から現れたラドンは、例によって無意味な飛翔を続けたのち、横浜上空でゴジラを見つけると箱根まで誘導し、戦闘状態に突入した。
すでに書いたように、ラドン=熊襲、というイメージは後続の1958年『大怪獣バラン』(関沢新一脚本)によって確定されたものだ。ラドン自体には阿蘇から生まれる必然はなく、熊襲のイメージと結びつく理由はどこにもなかった。しかしその後、東北地方から出現したバランが、アラハバキ信仰を思わせる「バラダキ山神」として祀られていたことで、ラドン=熊襲、バラン=蝦夷という対比が完成することになった。
今回、関沢新一は自らの作品のなかで、ラドン=熊襲のイメージを強調し直していることになる。


関沢新一にとってのお手馬とも言えるモスラは、完全に『モスラ』(1961年)『モスラ対ゴジラ』(1964年)から続く世界の中に存在している。前作で、インファント島と日本人との心の交流の実現として、日本からゴジラを追い出した新モスラは、小美人とともにインファント島で暮らしていた。
このモスラはインファント島の守護神であったが、日本で生まれたモスラでもあった。モスラの動物としての「帰巣本能」はインファント島ではなく日本にあった。

そのモスラは、日本にキングギドラが来襲して破壊活動を始めると、ちょうど来日していた小美人のテレパシーによって日本に向けて出発した。島民総出の見送りだ。モスラの目的は単独でキングギドラと戦うことではなく、共同して戦うべくゴジラとラドンを説得するというものだった。
この説得は富士山麓で行われた。主役の進藤刑事が「モンスター語なんて習ったことないよ」と嘆くが、小美人が通訳となって人間側に彼らの対談の様子を中継した。

「争いをやめて、みんなで力を合わせて、地球をキングギドラの暴力から守ろうと言っています」
「モスラは、今までの行きがかりはさっぱり捨てようではないか。と言っていますが、ゴジラもラドンもお互いにおまえが謝れと言い合っています」
「この地球は人間だけのものではない。みんなのものだ。その地球を守るために戦うのは当たり前ではないか。ということで、話はまとまりかかっています。・・・やっぱりダメです」

いかなる説得もゴジラとラドンの心を動かすことはなく、諦めたモスラは単独でキングギドラに立ち向かっていく。が、結局はこのモスラの果敢な行動が、ゴジラとラドンを動かすことになった。3頭はそれぞれの得意技を生かしたチームワークを発揮して、見事にキングギドラを宇宙へ撃退することに成功したのだった。モスラは小美人とともにインファント島へ帰っていき、ゴジラとラドンはその姿を見送る・・・。


ストーリー上で注目すべき点が二つある。
まず第一点は、小美人がモスラ同様に、ゴジラとラドンの言語も理解できるということだ。小美人はいわゆる巫女であるので、「神」であるモスラの言葉を一般の人々に伝えることがその役目だ。
その小美人がゴジラらの言語を理解できた。ということは、ゴジラとモスラは同じ言語を用いて対話していたことになる。モスラとゴジラ、ラドンは、実は同じ世界の住人であることがここで示されている。

第二点は、いつも海から現れて海に消えるという行動パターンを(結果的に)繰り返してきたゴジラが、今作ではついに日本の地にとどまった、ということだ。
ゴジラがこれまで、一貫して「恐怖の対象」であった理由を「アンチまれびと信仰」として考えることも可能だろう。

折口信夫は、海の彼方にあると信じられていた他界から、時を定めて村落共同体を訪れ、人々を祝福する霊的存在を「まれびと」と呼んだ。それが用語として定着した。折口信夫は、この「まれびと」に対する信仰が、日本の民俗信仰の根幹にあると考えた(http://www.pandaemonium.net/menu/devil/marebito.html)



ゴジラは、この「日本の民俗信仰の根幹」である「まれびと」と同じように現れるが、祝福するかわりに人々を呪い、人々に祟った。言ってみれば、日本人の民俗信仰の根幹を揺るがす存在がゴジラだった。だから「恐怖の対象」足りえた。
その「アンチまれびと」のゴジラは今回、海から来たが、海に戻ってはいかなかった。
関沢新一が明確な意図を持って、今作でゴジラのイメージを転換させようとしたことは疑いがない。
ゴジラは日本人の精神の根底にある「恐怖の対象」ではなくなった。
代わりにゴジラに与えられたイメージは、モスラと同じ言語を解する、モスラ世界の住人というものだった。

つづく


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