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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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銀河鉄道999(劇場版) 〜鉄郎とテロリズム

鉄郎とハーロックとメーテル

さて、『ガンダム』に続いては、当然ながら同じく富野監督の代表作である『伝説巨神イデオン』に話を進めたい。

すでに延々と書いてきた通り、ぼくは『ガンダム』という作品は、戦場を舞台とした青春群像劇を展開する裏側で、既存のヒーロー番組の「嘘」をことごとく撃破していった解体者だったと思っている。
その結果、あれほど隆盛を誇った横山光輝や石ノ森章太郎、永井豪といった大御所の世界観は、『ガンダム』登場後はその活躍の場を失ってしまった。おそらくこの点については、いま40~45才ぐらいのオッサンであれば、リアルに体験した共通認識なんじゃないかと思う。

では、そんな解体者、富野監督が次に粉砕すべき相手は誰なのか?
「おとなの嘘」をついているのは誰なのか?
言うまでもない。マンガの神様にして、日本のアニメの創設者、手塚治虫以外誰も残っていない。
『伝説巨神イデオン』とは、富野監督が手塚解体に向けて放った刺客だったのだ!


【注意!】このあとしばらく手塚治虫の話題が続きます。俺は富野とイデオンにしか興味はねえ!という方は、こちらの記事までスキップしてみてください。

逆襲のジャミラ - 富野監督と戦後民主主義


・・・てな感じで話を進めていこうと思うわけですが、とある手塚解説書によりますと、「もし彼を論ずるのなら、当然のことながら、少なくとも彼の全作品を読んでみる必要があるだろう」とのことです。全くおっしゃる通りです。

ところが、あらかじめ白状しておくと、ぼくは手塚先生のマンガはほとんど読んでいないのです。『ドカベン』目当てで買っていたチャンピオンに掲載されていた『ブラックジャック』、それと『火の鳥』『ブッダ』ぐらいが、ぼくが少年時代に読んだ手塚作品でした。しかも、本当に面白いと思って読んでいたかというと疑問もあって、そろそろ背伸びしたい年頃のクソガキが、権威あるものから教養を得る、くらいの気分で『火の鳥』を買い集めていたような記憶があります。

そんな体たらくですので、手塚通の方がこの先を読むと腹が立つ可能性がありますのでご注意を。


・・・と、先に予防線だけは張っておいてサッサと本題に入りたいところだが、また例によって回りくどい前置きを(笑)。

ちょうど『機動戦士ガンダム』の初回放送が低視聴率にあえいでいた1979年の夏、松本零士原作のアニメ映画が公開された。『銀河鉄道999』だ。
Wikipediaによると、「配給収入は16億5000万円。1979年度の邦画の第一位で、これはアニメ映画史上初の快挙だった」そうで、「1970年代後半から1980年代前半に巻き起こったアニメブームを代表する作品の一つ」とのことだ。

あらすじは長くなるのでこちらを参照していただきたい(銀河鉄道999(1979) - goo 映画)が、簡単にまとめてしまえば、星野鉄郎という自分では「機械の体」を買えない貧乏な少年が、それをタダでくれるという星まで宇宙を旅をする話だ。ただ、星野鉄郎にはもう一つ、自分の母親を殺害した「機械伯爵」なる人物に復讐を遂げたいという思いもあった。

そして『銀河鉄道999』において、テーマと目されるものが出現するのは、実はサブストーリーと思われた復讐劇の方だった。復讐を遂げた星野鉄郎は、協力してくれたキャプテンハーロックにこう言う。

「機械伯爵や機械化人を見ていると、永遠に生きる事だけが幸せじゃない、限りある命だから人は精一杯頑張るし、思いやりややさしさがそこに生まれるんだと、そう気がついたんです。機械の体なんて、宇宙から全部なくなってしまえと」

すなわち、「限りある命の尊さ」、それが『銀河鉄道999』のテーマである。とはWikipediaにも書いてある。
星野鉄郎の元々の旅の目的は自分自身が機械の体になることだったが、それは間違っていた。寿命があるからこそ、人は「精一杯頑張る」し、「思いやりややさしさがそこに生まれる」ことに鉄郎は気がついたのであった、と。

・・・何か変だ。

人間の命に限りがあるなんて当たり前のことで、限りがない「永遠の命」を持っているのは劇中の機械化人だけのことだ。となると、ありもしない架空の事象から、この作品のテーマは導き出されていることになる。
それは果たしてテーマと呼べるようなものなんだろうか?

それに、鉄郎が劇中で知っている事実には、実はこのテーマに相反してしまうものがある。
ガラスのクレアさんの存在だ。
999号でウエートレスをしているクレアさんは、機械の体でありながら「精一杯頑張る」し、「思いやりややさしさ」があって、もちろん「人間狩り」などしない。このことは、旅の最初からずっと鉄郎自身が確認できたことだ。
そしてその反対に、生身の体でありながら「精一杯頑張る」ことをせず、「思いやりややさしさ」を持たない人間がいることを、他ならぬぼくら当時の少年少女自身が知っている・・・。

鉄郎のセリフはこう続けられる。

「ぼくたちは、この体を永遠に生きてゆけるからという理由だけで、機械の体になんかしてはいけないと気がついたんです。だからぼくは、アンドロメダの機械の体をタダでくれるという星へ行って、その星を破壊してしまいたいのです」

クレアさんに見られるように、体が生身か機械かはその人間性とは一致しない。
が、鉄郎は機械の体は間違っていると言う。これは鉄郎個人の考え方であって、そうは思わない人もいるだろう。残念ながらこの時の鉄郎の発言だけでは、機械の体のおかげで病気がちの肉体を克服できた人に、元の体に戻れと説得することはできないと思う。

そうして見ると、この後に展開される鉄郎の戦いとは、実のところ一種の思想戦なんだと思えてくる。
キリスト教が正しいのか、それともイスラム教が正しいのか。
鉄郎は生身の体が正しいと言い、機械化母星のプロメシュームは機械の体が正しいと言う。お互いに譲ることはない。

そして鉄郎はおのが信条に基づいて機械化母星に乗り込むと、機械化母星を破壊してしまった。
元は生身の人間であった、多くの機械化人たちが宇宙の藻屑となっていった。
鉄郎は「永遠の命」の大量虐殺と引き替えに、「限りある命の尊さ」という思想を守ったのだった。


・・・そのような鉄郎の行為を、一般的にはテロリズムという。

「限りある命の尊さ」と聞けば聞こえがいいが、裏を返せばその実態は、「永遠の命」の人間は尊くないというのが『銀河鉄道999』で表されたことだ。これは何とも不思議なテーマだ。クレアさんはその例外として扱われているが、それは彼女が「限りある命」に戻ろうとしているから「善」であるという、強調表現のひとつなのだろう。

要するに、『銀河鉄道999』は、テーマと言われているものと全体のストーリーの間に、かなりの乖離がある作品なのではないか? 
というか、ぶっちゃけ「限りある命の尊さ」なんて、後から取って付けた「テーマ」だったんじゃないか?
そして「テーマ」を取っ払ってみたとき、そこにあるストーリーから自然に読み取れるものが、何か他にあるんじゃなかろうか?

つづく

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