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竹波エーイチ

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わが青春のアルカディア(キャプテン・ハーロック)

キャプテン・ハーロック

ネット上、あるいは書籍に残されている松本零士氏のインタビューを読むと、繰り返し語られている話題が3つほどあるように思う。大雑把にまとめると、一つは「人類は人種の壁を越えて仲良くするべきだ」という、氏の基本的な主張。それと、友情の大切さ。加えて、氏の戦争体験だ。
もちろん、これらは密接に関わっているわけで、悲惨な戦争体験を味わった松本零士が、その解決策に「人種を越えた友情」を見いだしたのだ、と聞けば極めて一貫性のある話だろう。

例えば、とあるインタビューで松本零士はこんな話をしている。

「世界中の読者あるいは、同年代にも伝えたいのは、私は世界中がお互いに理解し合い、仲良く暮らしていきたい。そのためにも、思想、宗教、信条、民族感情、これに土足で絶対に踏み込んではならない。お互いに敬意を払いながら楽しく仕事を続けていきたいし、またそう言う物を描きたい。(中略)だから、地球上で争っている場合ではない。どこの国の人とも仲良く、お互いに敬意を払いながら、穏やかに楽しく暮らしていきたい。そのために、この仕事をしているんだという断固たる想いがあるわけです」(夢は叶うー ~松本零士~ asianbeat)


実際、2001年に公開される予定だった新作『宇宙戦艦ヤマト』は、そんな氏の主張を反映して「多国籍的な乗組員」になる予定だったそうな(『宇宙戦艦ヤマト伝説』フットワーク出版社)。そういえば劇場版『銀河鉄道999』(1979年)でも、トレーダー分岐点などで「多国籍的な」人々が都会で共存している様子が描かれていた。
人種の壁を越えて仲良くすることが、氏の考える人類の未来像であったことは確かなのだろう。

1982年公開の『わが青春のアルカディア』(原作・構成・企画 - 松本零士)でも、もちろん「友情」は大きなテーマとなっている。ハーロックとトチローの時を超えた友情、地球人とトカーガ星人の人種を超えた友情は、このアニメ映画のストーリー上の根幹だろう。やはり松本零士の思想は、一貫して劇中で描かれているわけだ。

ところがさすがに「キャプテン・ハーロック」といえば松本ワールドの中心人物だけあって、その劇場版ともなると、まさに松本零士その人自体でもあった。氏の戦争体験すらが『わが青春のアルカディア』には描かれていたのだ。
それを言葉で表すとこうなる。

「それから亡国の悲哀ね、国が破れるということがどういうことなのかということは、子供心にもイヤっていう程味わいましたね。B29の大群に追われ、機銃掃射も受けている、その記憶がまだ生々しい内に占領軍がやって来て、そんなるつぼの中で暮らしていたんですよ。あの頃の私たちの扱いって、本当に動物以下でしたからね。
 と言っても、ひとりひとりの兵士に対しての憎しみは起こらないですけどね。中には優しい人もいるわけでしょ。ただ占領軍全体となると『絶対に施しは受けない』っていう気概は子供ながらに持っていましたね。占領軍兵士が投げてくるキャンディーなどは踏み潰して歩いてましたから」(松本零士インタビュー ルーフトップ★ギャラクシー


そして、以下が映画のあらすじだ。


『わが青春のアルカディア』の世界では、宇宙は「イルミダス」という宇宙人の侵略に脅かされていた。地球も例外ではなく、抵抗むなしくイルミダス地球占領軍に統治される状態だった。ハーロックは実戦英雄賞をもらうほどの名将だったが、いまは難民引き揚げ船の艦長でしかない。
イルミダス人は地球人を奴隷扱いにしていて、「この薄汚い黄色のネズミめ」とののしって、手に持っていた「フライドチキン」を投げつけてくる有様。さらにイルミダス人は地球人を評してこう言う。
「地球人はすぐに新しい環境に順応する。つまり、昨日まで敵だとわめいていた我々に、今日は尻尾を振ってついてくる

続いてハーロックには、地球人の義勇軍を組織して、トカーガ星を滅ぼしに行けという命令が下る。命令を持ってきたのは「協力内閣首相」のトライター氏だ。彼は、イルミダスに協力すれば地球の安全は保証される、だからトカーガを滅ぼしてイルミダスへの忠誠を示すべきだと言う。
もちろんハーロックはこの申し出を断り、腐りきった地球を脱出しようと、宇宙貿易人エメラルダスの宇宙船を奪おうとする。するとそこに地球占領に協力させられていたトカーガ人のゾルたちがやってきて、その船は自分たちがトカーガに戻るために使わせてくれと言ってくる。イルミダスが地球占領のためにトカーガ人を利用し、用済みになったトカーガを今度は地球人の手で滅ぼさせようとしていることに気付いた彼らは、手を取り合ってイルミダスへの抵抗を誓う・・・。


さて、以上のストーリーが意味しているものは至って明快なものだろう。「地球」を「日本」に入れ替えればいい。
戦争に敗れてアメリカに占領された日本。そして、アメリカの命令で他国の侵略に向かわせられる未来の日本が、『わが青春のアルカディア』で描かれた「世界」だ。氏のインタビューでの発言こそが、その裏付けだと言えるだろう。

私見だが、『わが青春のアルカディア』では、この強烈な世界観の方が、テーマとされている「友情」よりもはるかに強いインパクトを持っていたように思える。「友情」テーマは『巨人の星』でお腹いっぱいというぼくらだったが、そこには確かにリアルな「敗戦」が存在した。さらには戦勝国アメリカに「尻尾を振ってついて」いった、日本の「戦後」が存在した。

そしてもしも松本零士が、そんな忘れられつつある日本の「敗戦」と、高度経済成長後の見えにくくなっている日本の「戦後」を描く作家なのだとしたら、『銀河鉄道999』にもまた違った光が当たるだろう。
それは、人間世界全てを覆い尽くそうとする「機械化グローバリズム」への抵抗の物語だと考えることができるはずだ。ぼくが『999』での鉄郎の戦いを「思想戦」だというのは、鉄郎が解放しようとしたものが、他ならぬ、機械化至上主義という単一の価値観に「占領」されてしまった「心」だと思うからだ。

上掲のインタビューで氏も言っている。
「思想、宗教、信条、民族感情、これに土足で絶対に踏み込んではならない」

ハーロックにせよ星野鉄郎にせよ、それらに「踏み込んで」くる者と戦うためのレジスタンスでありテロだった。
劇中の主人公たちには、そのような暴力的な手段しか選択肢がなかった。
・・・だが、少年少女が見るアニメ映画が、テロを推奨するようなものであっていいはずがない。そこでは美しく、希望に満ちた言葉が語られなければならない・・・。


などと、今さら力説するような話じゃないんだが、要は、子どもが見れば「限りある命の尊さ」だったり「時空を超えた友情の尊さ」だったりする映画が、おとなから見れば悲しい現実を描いていることが分かる・・・なんてのは良くあることだ。前回の記事では散々煽ってみたものの、テーマとストーリーが乖離しているのは、少年向け作品の宿命なのかもしれない。

ならば何故、いま『イデオン』のカテゴリで松本零士について触れているのか。
それは『銀河鉄道999』が、ストーリー上の矛盾を抱えるリスクを押してでも選んだ言葉、すなわち「限りある命の尊さ」という「テーマ」が、ある偉大なマンガ家の「テーマ」に寄生することで、その過激なテロ思想が露呈することを回避したような気がしているからだ。

つづく