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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
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手塚治虫とヒューマニズム

本

(ご注意!)以下の記事は、『ガンダム』や『イデオン』は好きだが手塚治虫には興味がなかった、というような人向けに書いたニワカ勉強の結果です。話を手短に簡略化してありますので至らぬ点もあるかと思いますが、鼻であしらっていただけますようお願い申し上げます。



ヒューマニズムという言葉にはいろいろな意味があるようだが、もともとは(神中心ではなく)「人間中心主義」と訳出された概念で、今日の日本では「人道主義」や「博愛主義」を指すことが多い・・・とWikipediaには書いてある。

手塚治虫が自身のテーマだと主張する「生命の尊厳」は、いかにも「人道」っぽいし「博愛」っぽい。手元にある秋田文庫版の『W3(ワンダースリー)』第2巻の帯には、「手塚治虫の人間愛に輝く。人間愛の完結編」とあって、なるほど手塚ヒューマニズムとは「人間愛」のことを指すのかと納得させられる。

が、どうも手塚評論の最前線では、「人間愛」で手塚を語るようなことは、ほとんどなかったようだ。
1989年に出版された『マンガ批評大系●別巻 手塚治虫の宇宙』(平凡社/竹内オサム・村上知彦編)には、1950年以降に発表された代表的な手塚評論が年代を追って収録されている。

その中でぼくの目に付いたものをあげてみると、まず佐藤忠男氏は手塚作品に「ペシミスティック」という言葉を使っている。開高健氏は、手塚の主題は「対立」であると言う。呉智英氏は、手塚作品に共通する姿勢を「あらゆる価値を突き放して見ているような、不信の姿勢である」と言う。

さらに面白いのがこれ。
1990年発行の講談社現代新書『手塚治虫ー時代と切り結ぶ表現者』のなかで著者の桜井哲夫氏は、手塚本人が自分のストーリーマンガの第一作だと言い切る『地底国の怪人』(1948年)を評して、このマンガの重要なポイントは「人間中心主義(ヒューマニズム)からの脱却」にあったと述べられている。

パラパラ読んだだけで真意を取り違えている可能性もあるので、興味のある方は元の本に当たっていただきたいが、とにかく手塚に詳しいプロの文筆家や大学教授のみなさんが、手塚を「ヒューマニズム」やら「人間愛」といった言葉では捉えて来なかった空気だけは伝わるものがあると思う。

じゃあそれは一体何なのか。
手塚にとって「ヒューマニズム」や「人間愛」には、どういう意味があったのか。


2002年にrockin' onから出版された『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』(宮崎駿)という本の中で、インタビュアーの渋谷陽一がこんな話をしている。

「僕は一度、手塚治虫にインタヴューしたことがあるんです。で、ヒューマニズムについてちらっと話したら怒りだしちゃいましてね、手塚さんが。『もう、やめてくれ! 俺についてヒューマニズムというな、とにかく。俺はもう言っちゃ悪いけど、そこらへんにいるニヒリズムを持った奴よりもよほど深い絶望を抱えてやってるんだ』と」

「『ここではっきり断言するけど、金が儲かるからヒューマニストのフリをしているんだ。経済的な要請がなければ俺は一切やめる』と、もういきなりシリアスな顔をして怒られましてねえ」


まあ特に説明はいらないだろう。「ヒューマニズム」でも「人間愛」でもいいが、それはつまりは商売上の看板であり、宣伝文句だったということだ。プロの批評家が、そんな程度のことを見抜けぬはずはない。
話のついでに記しておくと、しばしば”手塚ヒューマニズムの集大成!”みたいに宣伝されることの多い『ブッダ』。それについても、手塚本人がこんな話をしている。

「逆にアトムのように、モラルで塗り固められた善人には、たいへん反発というか異質なものを感じて避けたくなることだってあります。『ブッダ』の終わりのほうなどは、早くやめたくなって、なんでこんなものを描き出してしまったんだろう、と思うくらい嫌悪を感じたこともありました」(『ガラスの地球を救え』手塚治虫/光文社智恵の森文庫)


ぼくのようなひねくれ者は、こんな話を聞くと何だか痛快な気分になって、手塚治虫という人物に親近感が湧いて来てしまうわけだが、それはさておき話を戻すと、一般に言われる「ヒューマニズム」やら「人間愛」といった「テーマ」が、その実態は商売上の看板であり宣伝文句であることが、ご本人の発言から分かった。

が、それは長年手塚が掲げてきた「生命の尊厳」というテーマに「経済的な要請」が結びついての結果であって、手塚本人がもとより意図したことではないだろう。「生命の尊厳」自体は、松本零士における「友情」のように、手塚の心情的テーマとして確かに作品中に存在していると思う。

それでは、松本零士で見られる「敗戦」「戦後」、すなわち表現上のテーマは、手塚の場合は何に見いだせるのだろう。

だらだらと長くなってしまったので、つづく


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