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竹波エーイチ

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火の鳥・未来編 〜手塚治虫のニヒリズム

火の鳥

手塚治虫は『火の鳥』の全体構成を、黎明編から時代を下り、また未来編から時代を遡って、現代編で結実するものとしていた。しかし作品自体が長期化するにつれて、『現代』自体がその時によって変化してしまうため、この初期構想は実現しなかった。(Wikipedia - 火の鳥


いきなり引用からで恐縮だが、『火の鳥』とはそうして構想されたものだった。分かりやすい方で言えば、『黎明編』がヤマタイ国、『ヤマト編』が古墳時代、『鳳凰編』が奈良時代、『羽衣編』が10世紀、『乱世編」が平安末期・・・と順を追って展開され、やがて「現代」を追い越して、最終的には『未来編』に至る。
それを、過去と未来の一番遠いところから、現代に向かって交互に書かれていった点が、『火の鳥』ワールドの特徴だ。

そして、書かれなかった『現代編』についてはこんな意見がある。

「・・・読者はこの欠落部分を補うことができる。それは『火の鳥』以外の手塚マンガをこの欠落部分に押しこむことだ。実は『火の鳥』には、手塚治虫の全作品を包みこんでしまうだけの壮大な枠組みが備わっている。そのようにして『火の鳥』の欠落部分を補っていく過程で、読者は手塚マンガの一つひとつが、『火の鳥』の一部分であったことに気づいていくのではなかろうか」(『アトムは僕が殺しました』田中弥千雄/サンマーク出版


なるほど。アトムやブラックジャックの活躍こそが、書かれなかった『火の鳥・現代編』だということか。
そう言えば初期SF三部作にしても、『ロストワールド』のママンゴ星がその後再び地球に接近したかどうかは不明だし、『メトロポリス』のミッチイの物語だって近未来にはあり得るし、『来るべき世界』のフウムーンたちは地球よりもっと良い星を見つけて平和に暮らしたのかもしれない。
なるほど。初期SF三部作でさえもが、『火の鳥』の一部だったのか・・・。


・・・だが、冷静に考えてみれば、それは一つの棚ぼたではあっただろう。
なぜ初期SF三部作までもが『火の鳥』ワールドに入れるかと言えば、それはそれらが決まって「警告」や「問題提起」に止まり、その先を読者に委ねるスタイルをとっていたからだ。したり顔で、「こんなことでいいのでしょうか・・・」と締めくくるニュースキャスターと同じようなもんだ。

では、手塚治虫から問題を提起され警告を受け続けたぼくら人類は、手塚ワールドにおいて、最終的に一体どうなったというのだろう。
何のことはない。いとも呆気なく、滅亡してしまったのだった。


『火の鳥・未来編』の舞台は西暦3404年の地球から始まる。それからしばらくして、山之辺マサト以外の全人類は滅亡してしまうので、ぼくらの子孫たちの命もあと1400年くらいで終わることになる。
人類の文明は25世紀にその頂点に達したらしいが、そこから以降は衰退期だった。理由は地球という天体自体の衰退で、搭乗員である人類もそれに引きずられた。種としての老化現象を止められない人類は、前向きな気持ちを失い、ついには政治・行政をコンピュータの管理に任せることにした。

コンピュータは5台。現在でいうアメリカ、フランス、ロシア、中国、そして日本(常任理事国の座をイギリスから奪ったらしい)。ところが、そのうちのロシアと日本のコンピュータが些細なことから仲違いを始めて暴走、ついには全面核戦争を引き起こしたのだった。

ただ一人生き残った山之辺マサトは、実は火の鳥から永遠の命を与えられた男だった。火の鳥は山之辺に、新しい人類の創造を命じる。山之辺はそれに従い、生命のスープを海に投じる。長い月日が流れ、一度は死に絶えた海に生命が生まれ、やがて恐竜時代に。その後、ナメクジが文明を築くというイレギュラーがあったものの、ついにほ乳類の天下が始まる。道具を使う人類が現れ、それは急速に発展し、日本の地にはヤマタイ国が誕生した。

「でも、今度こそ」
と火の鳥は思う。
「今度こそ信じたい」
「今度の人類こそ、きっとどこかで間違いに気がついて・・・命を正しく使ってくれるようになるだろう」と・・・。


要するに、一番遠くの未来である『未来編』と、一番遠くの過去である『黎明編』は繋がっていて、火の鳥ワールドは「円」を描く。ぼくらはその回し車のどこかに存在する、何回目かの人類だということだ。アトムやブラックジャックも、何回目かの彼らだということだ。

しかしそれじゃ、手塚がそれまで描いてきた「警告」や「問題提起」には一体何の意味があったというのか。
人類は、生まれては滅ぶを何度となく繰り返し、その循環は途絶えることがない。それは、いずれの人類もが、手塚がさんざん描くように、どうしようもなく愚かだからだ。
ぼくは、手塚の考える輪廻転生論も宇宙論も時間論もよく分からない愚か者だが、ひとつだけ分かることは、この永遠の愚行のループには、夢も希望も存在しないということだ。人間の営みなんぞは、まるで「シーシュポスの岩」のようじゃないか。

これは、ぼくやあなたが手塚治虫の教えをよく聞いて、愚かであることを止めるだけではダメだ。
『ロストワールド』『メトロポリス』『来るべき世界』・・・そこでは、たった一人でも愚か者がいれば、すべてが台無しにされてしまうという悲劇が描かれていたじゃないか。絶対にその一人の愚か者にはならない、という自信はぼくにはない。

率直に言って、ぼくが『火の鳥・未来編』から強く感じるものは、手塚の人間への絶望であって、ニヒリズムだと思う。
そしてそのニヒリズムから、なかば必然的に発展したものが、次のような火の鳥の発言だろう。

「地球は死んではなりません。『生き』なければならないのです。なにかがまちがって、地球を死なせようとしました。『人間』という、ごく小さな『生きもの』です。人間を生みだして進化させたのに、その進化のしかたがまちがっていたようです。人間を一度無にかえして、生みなおさなければならないのです」


要するに、愚かな人間こそが、地球にとって最大の”害悪”だ、という発想だ。

参考:「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」鳩山由紀夫

つづく


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