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竹波エーイチ

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1967年生まれのおっさん。
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無敵超人ザンボット3 〜神ファミリーと人間害悪説

脳みそ

ぼくがリアルタイムでみたアニメで、”人間害悪説”と真正面から取り組んだ作品だと思われるものが、富野喜幸(富野由悠季)監督の『無敵超人ザンボット3』(1977)だ。『ザンボット3』の革新性については、今さら言い足すようなことは持ち合わせていないので、Wikipedia - 無敵超人ザンボット3でも読んでいただいた方が早い。

ぼくがここで話題にしたいのは、そんな『ザンボット3』とは、手塚流”人間害悪説”を、富野流に書き換えたものだったんじゃないかと言うことだ。

そもそも富野監督と手塚治虫との縁は深い。富野監督が大学卒業後に選んだ就職先は虫プロダクション。そこでは『鉄腕アトム』の演出を任された。その後、フリーになって初めての監督作品が、手塚治虫原作の『海のトリトン』(1972)。

この『海のトリトン』で、富野監督が手塚治虫の原作を大きく書き換えてしまったことは有名な話だ。
その最終回には、「正義」だと思われていたトリトン族こそが「悪」だという大どんでん返しが待ち受けていて、多くの少年少女に衝撃を与えたそうだ(ぼくは観ていなかった・・・)。
そんな富野監督が、おれは手塚なんて全然知らんよ、と言うとしたらその方がむしろ不自然な気がする。

もちろん、『トリトン』の一例だけをもって、富野監督が手塚の人間害悪説の書き換えを狙って『ザンボット3』を作ったなどということはできないが、一方では、『ザンボット3』が旧来の『マジンガーZ』等への挑戦の意図が込められていたことは事実として広く認識されていることでもある。
作品の見えないところで、監督本人も意図せぬままに手塚に挑戦していたとしても、この人の場合だけは不思議ではないような気が、ぼくにはする。


では、『ザンボット3』が挑戦した(ようにぼくには思える)”人間害悪説”とはいかなるものか。
それを1965ー66年に手塚治虫が連載発表した『W3』(ワンダースリー)に見るならこうだ。

銀河系のすぐれた生物の集まり「銀河連盟」は、戦争を繰り返す愚かな人間たちが住む地球を、存続させるか破壊するかの会議を開いていた。評決は五分五分で、銀河連盟は1年の期限で地球人を調査することになり、W3が派遣された。
いろいろあって、1年後に銀河連盟が出した結論は、
地球という星はいかにも野蛮で危険きわまりない。宇宙に存続を許されない星だということがわかった

反陽子爆弾による地球爆破を命じられたW3だったが、彼らには地球で知り合った真一という少年に命を救われるという過去があった。W3のなかでも、地球爆破推進派だった一人が言う。
おらあね、地球はきらいだけど、あんたは好きなんだよ。あんたは心底から尊敬したよ

W3はそうして反陽子爆弾を持ち帰り、反逆罪をとわれた。追放刑を受けた彼らは、彼らの希望によって地球への流刑が決定、記憶を奪われたのち人間の姿に変えられ、10年前の地球に送られた。実はその姿は、真一少年を影から支えてきた人たちの姿であり、真一と協力してW3の命を救った人の姿だった。

そして地球の中心にはまだ反陽子爆弾が埋まっている、と脅かされた地球人はついに争いを止め、平和へと駆り立てられていくのだった。めでたしめでたし。


以上、大ざっぱなあらすじだが、まず注目したいのが、「銀河連盟」およびW3は、最後の最後まで「地球」すなわちぼくら人類を、野蛮で危険な存在だと見ていたことだ。ただ、圧倒的多数の愚者にまじって、真一くんのような彼ら好みの人間もいたので、地球は救われた。

それと、地球人は決して自分たちの力で平和を勝ち取ったわけではなく、宇宙人と反陽子爆弾という超越者の存在を知って内紛をやめたということ。しかも、その描写はたったの2ページで、W3という異物を排除しようと執念深く攻撃してきた人間の実態を描いたページに比べれば、余りにも少ない。

繰り返しになるが、描かれていたことの大半は、人間の持つ愚かな性だ。他者を信じず、争いを繰り返し、同族で殺し合う人間の野蛮さと危険さだ。そして、ごく僅かな数人を除けば、人間はついに己の愚かさを省みることはなかった。ただ、宇宙人と爆弾の存在が怖くて、戦争をやめたというだけのことだ。
きっと世界政府でも作ったのだろう。



手塚作品に見られる”人間害悪説”の一例として、『W3』に少し触れてみた。安い文庫版も出ているし、読み物としては文句なく面白いので、興味のある方はご一読を。
さて、それでは富野監督は、”人間害悪説”をどのように展開したのか。

『無敵超人ザンボット3』における「銀河連盟」的立場の存在を「ガイゾック」という。人類に攻撃を仕掛けてきたのは、ガイゾックが作ったコンピュータだっだが、その目的は「宇宙の静かな平和を破壊する悪しき考えを持つ知的生命体排除」(Wikipedia)だった。もちろん、人類が宇宙にとっての”害悪”だという立場だ。

これに立ち向かうのは、地球人ではなく、母星を同じくガイゾックに滅ぼされたビアル星人の末裔「神ファミリー」だ。彼らは「この主人公たちが敵・ガイゾックと戦闘し、住宅や避難民などへの被害が出るため、主人公たちは地球にガイゾックを『連れてきた』と誤解され、一般の地球人から激しく非難される」(Wikipedia)。

この誤解はなかなか解けず、地球人の協力も得られない神ファミリーは孤独な戦いを続けるが、やがて主人公の神勝平ら若者たちは、ガイゾック飛来以前の人間関係を取り戻していく。
そして最終回、多くの犠牲を払って、ついにガイゾックのコンピュータを追い詰めた勝平に向けられた言葉はこうだ。

「憎しみ合い、嘘をつき合い、わがままな考え。まして、仲間同士が殺し合うような生き物が、良いとは言えぬ。宇宙の静かな平和を破壊する。我は、そのような生き物を掃除するために、ガイゾックによって作られた。

(中略)最後に聞きたい。なぜ、我に戦いを挑んだ。なぜ。
地球の生き物が頼んだのか。自分たちだけのために守ったのか。本当に、家族や親しい友人を殺してまで守る必要があったのか。悪意のある地球の生き物が、お前たちに感謝してくれるのか。 地球という星が、そのような優しさを・・・。

お前たちは勝利者となった。しかし、お前たちを優しく迎えてくれる地球の生き物がいるはずがない。
この悪意に満ちた地球に、お前たちの行動をわかってくれる生き物が一匹でもいると言うのか」


物語は、傷つき倒れ、寒さに震えている勝平を、かつて非難し石もて追った生まれ故郷の人々が大挙して押し寄せ、迎えてくれる場面で幕を閉じる。


人それぞれ感じ方は違うものだし、いちいちぼくがゴチャゴチャ説明するようなことでもないだろう。
ただ一つ言えることは、もしも『W3』を読んで、人間なんて宇宙から見れば愚かで下等な生物だ!みたいな子どもっぽいニヒリズムに凝り固まった少年がいたとして、そんな彼を、普通の常識的な大人に変えるきっかけとなるものが、『ザンボット3』には確かに存在する。

それはつまり、「銀河連盟」が漠然と言う人間の「野蛮で危険」とは、ここでガイゾックが延々と吐く悪態に他ならないからだ。ここまで人間全てを悪し様に言われ、そんなもんへの抵抗感がかすかにでも湧いてくるのなら、彼はすでに”人間害悪説”から解放されているのだと、ぼくは思う。

本来は地球に対して中立であった神ファミリーが持った愛郷心。
ことさらに人間の愚かさや野蛮さを強調せずとも、あるいは「正義」の御旗を振り回さなくても、子どもに大切なことは十分伝えられる。
『ザンボット3』からは、そんな印象を強く受ける。


つづく

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