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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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手塚治虫『バンダーブック ~100万年地球の旅』と日本国憲法

ブラックジャック登場

『24時間テレビ 愛は地球を救う』については特に説明しないが、手塚治虫を「ヒューマニスト」と見る傾向が、この番組への作品提供によっていよいよ固定されたであろうことは疑う必要のないことだと思える。
そして、その記念すべき第1回放送に放映され、番組内で最高の28%もの視聴率をあげた(Wikipedia)のが『100万年地球の旅 バンダーブック』だ。

ストーリーは、宇宙船爆発事故の際に両親の手でただ一人脱出させられた赤ん坊が、流れ流れて惑星ゾービに辿り着くところから始まる。赤ん坊はその星のとある王妃に拾われるとバンダーと名付けられ、王子として育てられる。
ゾービ星では人間は動物の尻尾の肉しか食ってはいけないなどのエピソードは、いかにも手塚節全開だ。

また、平和な日々のなか練武に励まされるバンダーが父にその理由を問うと、その答えはこうだ。
宇宙は平和だが、地球という星だけが野蛮な侵略を続けている。それに備えて、バンダーに武術を学ばせているのだと。「歪んだ進化」を遂げてしまった地球人は、宇宙のなかで一番「残忍」で、「冷酷」で、「悪質」である。地球人には「差別の心」があり、「信仰がまちまち」であり、「領土あらそい」が耐えない。「地球はもう手遅れ」なのであった・・・。
(・・・むむむ、えらい言われようだ。)

やがて自分が地球人であることを知ったバンダーの苦悩~、以下のストーリーもあるにはあるのだが、正直それほど特筆するような内容でもないので、こんなところで。


とまあ、ざっと見ただけでも『バンダーブック』には「生命の尊厳」っぽい主張もあり、「人間害悪説」の展開などもあって、いかにも手塚作品という印象だ。そこには、いつも以上に「毒」を増した手塚治虫その人がいるだけで、作品自体には何も問題はないと思う。
問題があるとしたら、それが『24時間テレビ 愛は地球を救う』の目玉として放送されたことだろう。つまり、「生命の尊厳」は「人間の尊厳」を含む、という、手塚的にはおよそ有り得ない事態が発生してしまったわけだ。

が、これはぼくの見るところだが、手塚治虫のテーマにはもともと恣意的に解釈されかねないリスキーな部分があったように思う。
手塚の表現上のテーマだと思われる「人間の愚かさ」が、”宇宙からの視点”といわれるスタンスから産み出されたものであることはすでに書いたが、それは今風にいえば”上から目線”というやつであって、要するに、地上の人間たちの営みを極限まで低く小さく見るということでもある。

そして、手塚はそのようなちっぽけな人間が起こす戦争などの愚行の解決に、しばしば宇宙からやってくる超越者を利用してきた。『来るべき世界』や『W3』などがその代表例だろう。人間を「愚か」だと見る以上、このような他力本願な展開になるのはある意味当然の帰結でもある。

というところで、ふと周りを見回してみると、実は同じように他力本願な世界平和を考えている人々が存在していることに気がつく。ちょうど『愛は地球を救う』の言葉のように、人々の善意が集まれば世界平和が成り立つと考える不思議な人々がいる。

ぼくら戦後の日本人だ。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(『日本国憲法前文』)

要するに、手塚治虫の永遠のテーマである「人間の愚かさ」は、その論理的発展の結果として、ぼくらの「平和憲法」の精神に容易に近づくことが出来てしまう。全く同じものではないが、そこそこ共感し合えるということだ。

そしてそこに、手塚のもう一つのテーマ「生命の尊厳」が「人間の尊厳」をも含む、と来たらどうだろう。
何のことはない。
手塚の2大テーマは、「基本的人権」と「平和主義」を精神的支柱とする『日本国憲法』の精神とほとんど変わらない、ということになるだろう。もっとストレートにいえば、「戦後民主主義」の代弁者だ。


この手塚的な「戦後民主主義」がいかにいびつなものかは、現在のぼくらの国のトップの発言を見ることで痛感できる。

・「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい
・「国というものがなんだかよく分からないんですが
・「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」        
                        -鳩山由紀夫

これらの発言から分かることは、この人物の頭の中には、手塚流の”上から目線”と自分個人だけがあって、その中間がないということだろう。自分を育ててくれた共同体や、それを包む「くに」という感覚。そういうものがない。何とも不思議な人だ・・・。

などと感心している場合ではなくて、じゃあそれのどこが問題かと言えば、ぼくら当時のアニメファンはそのいびつさが何を生むかを実際に目撃したことがあるってことだ。

『宇宙戦艦ヤマト』第24話「死闘!! 神よガミラスのために泣け!!」。
この回、ついに宿敵ガミラスを屠ったヤマトだったが、古代進は廃墟と化した都市を見てこう叫ぶ。
「我々がしなければならなかったのは戦うことじゃない。愛し合うことだった。勝利か・・・糞でも食らえ!」

ガミラス人と地球人は、生物学的にみて共存共栄することはできない設定になっている。そのガミラスと地球人がひとつの惑星に住もうとすれば、いずれかが排除されるのはやむをえないことだ。そして地球人、古代進は勝った。その結果として、彼はこれからも地球上で生きていける。

だからこの時の古代進の発言は、いかにも「きれいごと」だ。その場かぎりの「ウソ」だ。
しかし『宇宙戦艦ヤマト』の物語は、時として自分の命を守るためには「平和主義」の縛りを解かなくてはならないことがある、というこの世の「真実」を伝えている。ガミラス人の奴隷とならないために、「人間の尊厳」を守るために、古代たちは「平和主義」ではいられなかったことを伝えている。

と、いまオッサンになってみれば、この時の制作側の残したメッセージは素直に読み取ることもできるが、正直、少年時代に劇場や再放送でみたときの印象は違った。

それは「偽善」であり「欺瞞」である。そう感じた。

ならば手塚治虫はどうなんだろう。
『24時間テレビ』に参加することで大切なテーマを見失うことを容認するこの巨人は、「偽善」「欺瞞」ではないと言い切れるんだろうか。

つづく


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