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竹波エーイチ

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富野監督と戦後民主主義 〜『イデオンという伝説』

イデオンという伝説

前回の記事は途中から酔っぱらって書いているので、我ながらいつも以上に何を言ってるのか分かりにくい。
重複になるが、もう一度整理しておきたい。

まずは「戦後民主主義」の定義についてだが、このブログでは一貫して「故郷は地球」や「怪獣墓場」の脚本家、佐々木守氏の発言を基本に置いている。
あらためて引用しておくと、こういうものだ。

日本の敗北を体験した僕には「戦後民主主義」は明確な手ざわりとして残っている。それは「個人が、体制よりも社会よりも組織よりも、すべてに優先される」という考え方であり、そんな行動のことであった。(『佐々木守シナリオ集・怪獣墓場』あとがき)


言うまでもなく、佐々木守氏の言う「個人の優先」は、日本国憲法でいう「個人の尊厳」、細かく言えば「自由主義」「福祉主義」「平等主義」からなる「基本的人権尊重主義」から来るものだろう。
こと精神面だけをみるなら、これに「平和主義」を加えたあたりがいわゆる”憲法の精神”というやつで、「戦後民主主義」ともおおむね一致するものだと思う(以上はwikipedia - 日本国憲法を参照した)。

と一応の確認をしたところで、それでは手塚治虫の主張する「生命の尊厳」とは何かと言えば、字面こそ似ているが「個人の尊厳」とは180度正反対と言ってもいい概念だといえるだろう。
「コスモゾーン」にしても「ブッダ」の教えにしても、「個人の尊厳」どころか、むしろ「個」などは存在しないと言い切った方がよっぽど手っ取り早い説明になるはずだ。
つまり、もともとの手塚治虫は戦後民主主義とは無縁の思想を持ち、それを作品に展開していたわけだ。

ところが、手塚治虫の表現的なテーマと目される「人間の愚かさ」の方は、戦後民主主義と無縁ということにはいかなかった。
そもそも手塚は、それを”宇宙からの視点”と言われる(ことが多い)立ち位置から描いてきた。これは、地球上の人類をまとめて一つに俯瞰してしまう視点だったから、行き着く先の「平和」は、大抵の場合は「世界政府」の姿に収まることになる。

ただ、この場合の「世界政府」は、アメリカなりロシアなりの大国が天下統一することで成し遂げられるものではない。大抵は、世界中の国々が同時に善意をもって武器を捨てることが「平和」に繋がるという結末だ。
要するに、憲法9条が世界中に拡散した状態、と言えるだろう。

もちろん、手塚治虫が憲法9条の布教に励んでいたというわけじゃあない。
「人間の愚かさ」を描くために獲得した”宇宙からの視点”には、憲法9条的な、人間性善説ベースの平和主義と容易に結びつく可能性が最初から存在していた、とぼくが思うだけのことだ。


またもや前置きが長くなってしまったが、ここからが本題。

富野監督と手塚治虫の縁については、今さらぼくが説明するようなことでもないだろう。
富野監督は1964年に虫プロに入社、『鉄腕アトム』の演出や脚本を担当し、1972年の初監督作品が『海のトリトン』。1977年の『ザンボット3』は「人間の愚かさ」と「人間害悪論」をストーリーの骨格におき、”手塚治虫先生に捧ぐ”とばかりの内容だった。

1977年あたりといえば、60年代中程から始まった長い長い低迷から、ようやく手塚治虫が完全復活を遂げた頃だ。以前の記事では、ぼくは『ザンボット3』を手塚への挑戦だと書いたが、それもこれもチャンピオンが健在でなければただの弱い者イジメだ。王者手塚が復活したからこそ可能になった挑戦を、一番喜んだのは富野監督自身だったのかもしれない。

ところがその手塚はその翌年、『24時間テレビ 愛は地球を救う』に参加した。
一生を賭けた偉大なテーマ「生命の尊厳」は、本来は相容れないはずの「人間の尊厳」にその名を変えた。人間の「愛」が地球を救う、という傲岸不遜な人間中心主義(ヒューマニズム)に迎合した。

あくまで推測だが、この事態が富野監督にとって天変地異ほどのショックを与えたとしても不思議ではないと思う。
なぜなら、その後の富野監督の発言からは、随所に「個」を基本とした人間中心主義への懐疑の姿勢がうかがえるからだ。長くなるが、すでに絶版で入手困難な本なので、段落まるごと引用させていただく。

だからエゴというのは、すごくラフな言い方をしますと、ありません。あってはいけないんです。こういったときに、私とか僕がなくなっちゃって寂しいという言い方をするのが、今の子たちかもしれないし、今の日本の風潮かもしれないけども、それは違いますね。それは、エゴがあると信じた近代思想がでっちあげた概念です。日本においては『人形の家』のノラのような精神を翻訳するときに「自我」という日本語を作り、それがひいて社会の成員論を欠落させる状況まで生み出してしまった。それこそバカ野郎です。イデオロギーとして作っちゃったバカ野郎。だけど、高々、100年の歴史しかない概念などは、いつまでも思想としては生き残りませんから、基本的に社会の成員としての自分という考え方をすべきです。そうしたときに、どういうふうに社会との関係を持つのか、家族との関係を持つのか。そこをきちんとできなかったら、お前もない、私もないかもしれないんだと思わなくちゃいけない。今は本当に「まず私」で全てが始まっているというところから起こる勘違いというのが多すぎます。だから今我々が語っている言葉とか、一般に流布されているコンセンサス、認識論として手に入れている言葉というのは、全部が全部正しくはないですね。(『イデオンという伝説』太田出版・1998年)


50歳になるまでの公人私人論も持っていたのですが、そうして他者がある中でおのれの関係性というものを意識した時に僕はもっと大きな言葉に到達しました。僕はエゴの肥大化が持つ誤解というものが決定的に現代の我々を不幸にしていると考えます。僕はエゴ、もっと言ってしまえば個性というものを絶対に認めないというところまで来ました。
そう考えると衆愚政治に陥ってしまうかもしれない可能性を持ってはいるけれども民主主義というシステムを取り入れた、集団の英知というものは認めざるを得ないと思います。この制度は合意という作業を経ることによって個的なものではない意思を生み出すシステムだからです。すごく乱暴に言います。公的に有用なエゴ、個性から発したサムシング。それはどんなジャンルのものでもいいのです。そうしたものなら容認できますが、果たしてそんなものは存在するのだろうか。僕は基本的に個人の言説というものを却下する。認めない。お前程度の認識論は、お前程度の意見は、お前程度の個性は、個性とは言えないんだからやめなさいと。(『ガンダム者 - ガンダムを創った男たち』講談社・2002年)


いずれも、言わんとすることは明快で、「個」の否定だ。
ぼくは、富野監督のこうした認識は、かなりの部分で(本来の)手塚治虫の思想に近いものがあるように思う。そして、上の方に引用した佐々木守氏の思想とは180度相容れない。
つまるところ、富野監督が否定しているのは戦後民主主義だということだ。

しかし師である(?)手塚治虫は1978年、向こう側である戦後民主主義の陣営に鞍替えしてしまった。あるいは、取り込まれてしまった。
これはどうしたことだ。
おれらの”先生”はどこに行ってしまったんだ。


かくして、富野監督の、「手塚治虫」をその手に取り戻すための戦いが始まった。
『伝説巨神イデオン』。
そこでは、戦後民主主義への正面からの攻撃と、失われた手塚ワールドの再構築が図られた。

と、ぼくは考えている。

※余談になるが、ぼくには富野監督の言う「バカ野郎」は、前回引用した某国の首相に向けられているように思える。

つづく