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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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劇場版『地球へ・・・』(1980年)

地球へ・・・

ということで、ここからようやく『伝説巨神イデオン』の話題に入っていくわけですが、基本的な姿勢を最初に一点だけ・・・。
この先はできるかぎり作品から分かることだけで話を進めることにして、マイナーな資料からの引用等は極力慎むことにします(『ガンダム』編の反省です)。前回引用した『イデオンという伝説』(太田出版)には「第八章 完全復刻・初期設定ファイル」などという、何とも魅力的な資料も収録されているわけですが、こういったものはなるべく使いません。劇場でみた記憶だけで、あーでもないこーでもないとやり合ったあの少年時代に戻って、しかし40過ぎのオッサンの視点で、話を進めていきたいと思います。


・・・とか言いながら、またいきなり脱線してしまうわけだが、劇場版『伝説巨神イデオン』が封切られる2年前に公開されたアニメ映画に『地球へ・・・』がある。原作は竹宮恵子。

この『地球へ・・・』だが、主力メカが気持ち悪い形状をしていたので当時はまるで好きになれなかったが、いま見返してみると、これがかなり面白い。竹宮惠子は角川文庫版の『火の鳥3 ヤマト・異形編』のあとがきに
「そして、『手塚治虫をどこで、どうやって超えるか』を意識の底にひそかに沈めながらプロを目指したのだ」と書いているが、『地球へ・・・』はまさに、手塚治虫への挑戦状の一つだったと言えるだろう。もしも1980年に「手塚治虫賞」が存在していたなら、受賞は間違いないところだと思う。

(以下かなり大ざっぱなあらすじ)
舞台は1000年以上先の未来の話。
大気汚染によって人間が住めなくなった地球から人類が去って、すでに500年が経過していた。宇宙生活を始めた人類は徹底した管理社会体制を構築、再び地球を荒らさないために、人間自身を改造した。人工子宮による試験管ベイビー、血縁のない育て親による育児、成人検査による不良分子の殲滅・・・。そこで人は、「地球の子としての完全な平等を保証」されていた。

ところがそんな管理の網をすり抜けるように、人類の中に「ミュウ」と呼ばれる新人類が誕生していた。人類はミュウを敵視して抹殺を図るが、それでもミュウは生まれ続け、追っ手から逃れて地下生活を始めた。
「われわれも故郷が欲しい」
ミュウたちの思いは募り、ある事件をきっかけについに蜂起。地球を目指し、長い旅路につくのだった。

人類とミュウの戦闘は続き、やがてついにミュウは地球に辿り着く。
そして、地球を管理するコンピュータ・テラによって語られる真実、それはかつて人類が地球を去るに当たって故意にミュウを誕生させることに決め、「二つの因子のどちらかに地球の未来を賭けた」というものだった・・・。


さて『地球へ・・・』だが、昭和のアニメ作品が多く展開していた問題意識(のようなもの)が、実に良く整理された映画だと思う。”人間害悪説”に始まり、地球脱出へ。”世界政府”が必然的に生むであろう管理社会へのシニカルな視線。
ここに竹宮恵子の手塚への挑戦を探すなら、それはミュウたちが持つ地球への燃えさかるような愛郷心だろう。地球で生まれたわけでもなく、しかもすでに「人間」の枠を超えてニュータイプとなったミュウであっても、故郷は欲しい。人間は手塚流の上から目線だけは生きられないし、地球を救うのもまた、上から目線ではない・・・。

本題ではないので深くは考えてないんだが、まあそんな感じかと思う。
ではこの『地球へ・・・』が、本題である『イデオン』とどう関係があるのかと言えば、それはそのストーリーの根本にある「超越者」の存在についてだ。


『地球へ・・・』においては、人類とミュウは、超越者であるコンピュータの計画によって引き合わされ、戦わされた。それ自体は、戦国時代に真田昌幸がふたりの息子を徳川・豊臣両家につかせたように、よくある保険のパターンだから特筆するようなことじゃない。問題は、わずか2年前に公開された『地球へ・・・』が、その後の『イデオン』解釈に微妙な影響を与えたんじゃないか、ということだ。

あまり個人の趣味のサイトへの批判めいた話はしたくないんだが、こういう文章がある。

イデオン論 - Yasuakiの新批評空間(アニメ、ゲーム、哲学、経営、旅行)

サイト全体としてはとても一度に目を通すことは無理なほど膨大な情報量なので、とりあえず「イデオン論」だけに話を絞るが、この「イデオン論」が非常な力作であり、大いに刺激的な文章であることを認めつつ、全体としてはチト間違った解釈なんじゃないかとぼくには思える点がある。

それは、「だからこそ、イデは、『全力で良き力を示せ』と語りかけ、両者を対話させようとするのです」という事実誤認に基づく、「イデは、両種族を、どんな形であれ結び付けようとしていました」という解釈だ。
今さら言うまでもないが、「全力を尽くして良き道を探すべきだ」と言ったのはベスであってイデではない。だからそもそも、イデは両種族を結びつけようとはしていない・・・。

ぼくは、このような誤解を生んだ底辺には、年代の近い『地球へ・・・』の世界観からの影響があったのではないかと邪推している。
もちろん根拠はない。
だが、仮にもあの富野監督が、すでに世に出ているパターンを繰り返して満足するものだろうか、という疑問がぼくにはある。常にアニメの制作側に厳しい監視の目をむけ、その「大人の嘘」を糾弾してきた「あの時代の」富野監督が、他人の作品のおいしいところをパクって悦に入るなんてことが、一体全体あり得るだろうか。

まず有り得ないだろう。
ならばそれは、あくまで観る側の一方的な誤解というものだ。

ぼくは『伝説巨神イデオン』は、そういった従来からある”超越者による引き合わせ説”(新造語です)とは、かけ離れた次元で語られた物語だと思っている。

つづく

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