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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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怪獣大戦争・南海の大決闘・ゴジラの息子

ミニラ2

三大怪獣 地球最大の決戦』でゴジラに与えられた新しいイメージは、ゴジラがモスラと同じ世界に存在する者であるということだった。そしてゴジラは、海の彼方から現れて再び海に去っていく「まれびと」であることを止め、日本の地にとどまった。

その後のゴジラの足取りはこうだ。

怪獣大戦争』(1965)は前作『三大怪獣 地球最大の決戦』の直接の続編とみていいだろう。前作では地球襲撃の目的も理由も全く不明だったキングギドラは、今作では地球侵略をもくろむ「X星人」の手先として登場する。X星人は前回の反省から、侵略を仕掛ける前にまず地球からゴジラとラドンを奪う作戦に出た、と考えると全てがすっきりと理解できる。

今作『怪獣大戦争』のゴジラのストーリーは、ゴジラが日本アルプスにある明神湖の湖底で秘かに眠っていたところ、X星人のUFOの電磁波によって捕獲され、X星に連れて行かれるところから始まる。同じく連行されたラドンとともにX星でキングギドラと戦うゴジラだったが、この後、X星人に脳波をコントロールされると富士山麓に放たれ、農村部から都市部へと暴れ回る。やがて正気を取り戻したゴジラは目の前にキングギドラがいることに気がつくと猛然と襲いかかり、最後はキングギドラもろともに海に転落していく。キングギドラだけが浮上して宇宙に飛び去っていくが、ゴジラとラドンはついに現れなかった・・・。

簡単にまとめてしまえば、『怪獣大戦争』でゴジラは2度覚醒し、いずれも目の前にキングギドラがいたので『三大怪獣・・・』の続きとばかりにそれと戦った。
今作でのゴジラのストーリーはたったのそれだけのことで、それ以外の劇中のドラマは一切ゴジラの与り知らぬことだった。


続く『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966)でも、ゴジラのストーリーと言えるものはほとんどない。
『怪獣大戦争』のラストで海に転落したゴジラは、インファント島にほど近い南海のレッチ島で眠っていた。その島では「赤イ竹」という謎の組織が核爆弾の製造を行っていたが、そこへ漂流してしまった日本人がゴジラを目覚めさせてしまう。ゴジラは攻撃してくる「赤イ竹」と戦い、彼らの核製造施設を破壊する。島が核爆弾で爆発する寸前、ゴジラは海に飛び込んで難を逃れる・・・。

今作にもゴジラの行動にゴジラの主体性はない。ゴジラは眠っていたかったのに、人間たちがそれをわざわざ目覚めさせ、暴れさせているだけのことだ。
とは言え『南海の大決闘』にもみるべき点はある。それは「核のメタファー」であったはずのゴジラが眠るすぐそばで、ゴジラとは無縁の核兵器が製造されていたという点だ。そしてゴジラはその核製造施設を破壊した。
このことをゴジラに核廃絶への願いを託したと見るのは、あまりにこれまでのゴジラの歩みを無視した捉え方だろう。むしろ反対に、もはや「核」のイメージはここでゴジラから完全に切り離されたのだ、とぼくは思う。


怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967)も、南太平洋が舞台となった。
ゾルゲル島に放置されていたゴジラのタマゴからミニラが孵り、そのミニラを守るためにゴジラがやってくる。ゴジラは島の怪獣を蹴散らしながらミニラの教育を始めるが、ここでもどういうわけかやたらと眠りたがる。その頃ゾルゲル島では人間による気象実験が行われており、この実験によって島は冷凍化し、ゴジラとミニラは雪に埋もれる・・・。

この3作はいずれも関沢新一の脚本によるものだ。
それにしてもこの3作を続けてみていくと、まるで関沢新一はゴジラに意味のあるストーリーを与えることを避けているかのようだ。いつだってゴジラは眠りたがっているだけだ。それを周囲のものたちが、なんだかんだと騒ぎ立てて、ゴジラをドラマのなかに引っ張り込もうとする。
はっきり言ってしまえば、この3作にゴジラは必要ない。『ゴジラの息子』もゴジラを出さず、ミニラだけで後の怪獣王の幼少時代を描くこともできたはずだ。なにしろゴジラときたら、息子に多少のアドバイスはするものの、ほとんどは寝ていたのだから。

果報は寝て待てと言うが、それではゴジラは寝ていることで何かの果報を待っていたのだろうか。
『三大怪獣・・・』では、ゴジラがモスラと同じ世界の住人であることが示唆された。これはすなわち、東洋的なアニミズムの「神」の世界の住人と言えるものだろう。日本では八百万の神と言われるものだ。
そして日本で生まれた新モスラは、インファント島においては島の守護神として崇拝されていた。ならば、ゴジラは日本の守護神足りえるのではないか。
それが『三大怪獣・・・』でゴジラに付与されたイメージだ。

そしてまたこのイメージは、『三大怪獣・・・』で唐突に押し付けられたものではなかった。『キングコング対ゴジラ』に始まるゴジラの旅路を通して、慌てず急がず、着実に積み上げられたイメージであることは、これまでじっくり観察してきた通りだ。
しかしここでゴジラを日本の守護神と見るイメージが、「大転換」と言われるほどに古いイメージからかけ離れたものかと言えば、実はそうではない。

そもそも1954年の『ゴジラ』に見られた初代ゴジラのイメージとは何だったか。
一つはゴジラは原爆や東京大空襲といった、あの戦争のメタファーであるということ。
もう一つは、ゴジラがあの戦争の戦没者の霊魂であるということだ。
では、あの戦争の戦没者とは何者だったのか。言うまでもない。彼らはこの日本を守るために、日本に残していった人々を守るために、散っていった人々だ。もしもゴジラが彼らの霊魂の集合体であるなら、ゴジラはもともと、この国を守るために現れても不思議ではない存在だったのだ。

よみがえったゴジラは、あの戦争を忘れ、自分たちを忘れようとする戦後の日本人に腹を立てたのか、日本の主要都市を次々と襲撃していった。しかし『海底軍艦』の神宮寺大佐がそうであったように、怒りをぶつけている相手こそが他ならぬ、かつて自分が守ろうとした人々であったことを思い出したのか、ゴジラの怒りは急速に収まっていく。ゴジラは「ゴジラじしんの意味」を取り戻していく。

ここまでが『三大怪獣・・・』までのゴジラのストーリーだ。
しかし、このストーリーが完結するためには、ゴジラにも、関沢新一にも、自分ではどうにもできない一つの条件が不足していた。それは地理的な条件だ。それが満たされるまでは、ゴジラは寝て待つしかなかった。
そしてそれは、ゴジラのもう一つのイメージである「原爆と東京大空襲」から導きだされるものだった。

つづく


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