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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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伝説巨神イデオン もう一人の私(湖川友謙)

イデよ!

「イデ」とは何か?
この問いに対する答えとしてぼくが最も合点がいくのは、湖川友謙さんのこの発言だ。
(イデは)もう一人の私
(BSアニメ夜話「伝説巨神イデオン」/2008年3月19日放送より)


「イデ」について確実に分かっていることの一つには、第34話「流星おちる果て」でマーシャル・フランクリンが言った「イデは知力をひとつの場に集積してエネルギーに転化する働きを持つ」という事実がある。これは地球の大型コンピュータ「グロリア」の計算結果なので、疑う必要はない。

以前の記事で、ぼくは富野監督の”『イデオン』は『2001年宇宙の旅』の日本人版だ”という発言を引いて、「イデ」は神は神でも八百万の神と書いた。日本の神というのは西洋の神と違って、万物の創造主でもなければ人間を裁く存在でもない。神は人間の近く(例えば鳥居の向こう側など)に共存していて、人間との交感を行う。

ギジェの言った「イデは我々の意思さえも取り込んでいっている」からは、そうした日本の神の有りようが彷彿されると、ぼくは思う。それはつまり、湖川さんの言う「もう一人の私」の集合体ということだろう。

ただややこしいのは、イデのそういった側面が明らかになってくるのは、第34話「流星おちる果て」以降のことだという面がある。この回ベスの悪夢に登場したイデは、自分の存在目的を「我も我が身を守る」ことだと言った。ルウの純粋防衛本能にシンクロしてきたのは、それが「我が身を守る」に直結していたからだろう。
しかしイデは、ベスに「ともに苦しむ立場なのだ。全力を尽くして良き道を探すべきだ」と促される。どうやらイデはこの時、「我が身を守る」ためには「良き道」を探すことが先決だと気づいたらしい。


『伝説巨神イデオン』における「イデ」のわかりにくさは、要するにイデが複数の顔を持っているせいだとぼくは見ている。一つは第1話から『発動編』のラストにまで至る、自己防衛意識。そして第34話以降に見られる「良き道」の模索。
だが、「幾千幾万幾億の意思の集合体」でしかない「イデ」は、一体どうやって、そして何が「良き道」だと判断するというのか。イデにできることは一つだろう。周囲の人間の意思を取り込むことだ。人間が思うことを、現実に反映させることだ。

第38話「宇宙の逃亡者
バッフクランの武将、ギジェ・ザラルは「イデの何たるかを知りたい」という強烈な願いを抱えて、敵艦であるソロシップに乗り込んだ。ギジェにとってそれは恥辱にまみれた行為であったが、彼は耐えた。やがてその願いの純粋さを信用されたか、ギジェはイデオンのパイロットに昇格する。が、ステッキンスターでの戦闘で、不運にもギジェは敵のビームに撃ち抜かれてしまう。すると突然「イデオンのゲージ」が輝き、イデオンは勝手に合体。星をも貫くほどの破壊力のイデオンソードを発したのだった。「こ、これがイデの発現、か・・・」ギジェの最後のセリフだった・・・。

この不思議なエピソードにも色々な解釈があるのだろうが、ぼくにはこれは、イデがギジェの思いを叶えてやった光景であるように思える。もちろん、イデにそんなやさしさや思いやりがあったというのではない。ギジェの強烈な思いが、それを現実にしてしまった、という意味だ。

これとは反対のケースになるが、イデが自ら善悪を判断する「神」のような存在ではないことの証しも作中にある。
それは劇場版『発動編』での出来事。
イデに滅ぼされるという妄想に取り憑かれたシェリルは、ルウを船外に連れ出すと両腕で抱いたまま叫び出す。

「イデよ、答えて欲しい。今ここには純粋に守りしか思わぬ子が死を恐れている。イデよ、この無垢な子の、怖れの心に応えるべきです。ルウの純粋な心がイデの力の現れであるのなら、なぜ多くの人を死に至らしめるのですか。むしろ人を生かすのが、イデの成すべきことではないでしょうか」

次の瞬間、シェリルの体は宇宙空間に放り出される。イデを「説得」しようとしたシェリルの行為を、イデは完全に無視した。イデには、人間が言葉で語る「善悪」など何の意味もない。「良き道」は、そんなところにはないと言わんばかりだ。


・・・それにしても、この「神」の恐ろしさはどうだろう。
この「神」には、取り繕った言葉や上辺だけのきれい事、自分自身についている嘘、小賢しい打算のたぐいは全てが見抜かれてしまう。心の奥底の、それこそ本能レベルにある思念だけを、この「神」は汲み取る。それも、より大きく強い意思をこの「神」は取り上げる。

イデの発現。
それは、そこにいる人々の思いや願いの発現なのかも知れないのだった。

つづく

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