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竹波エーイチ

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映画『ムルデカ 17805』(2001)〜インドネシア独立

peta

前回前々回の記事でみたように、いわゆる「海軍善玉論」なんてのは相当に怪しい議論で、一種のプロパガンダにさえ思えてくる。それが何で戦後日本で広く通用したかと言えば、やはり東京裁判史観の文脈と一致したからだろう。すなわち、海軍は単純に戦闘行為を行っただけで、「侵略」には加担していないんだと。「悪」は侵略行為に走った陸軍で、だからあそこで裁かれた軍人は陸軍関係者だけなのだと。

日本人にとっては、それによって、少なくとも日本の半分は「悪」ではない、むしろ陸軍軍部に欺された被害者なのだ、という自己弁護が成り立つし、アメリカ側からすれば、単純な戦闘行為の結果だけで(都市空襲や原爆なしで)アメリカが勝利したようなイメージを持たせることができる。お互いの精神安定にとって、「海軍善玉論」は都合がよろしい。

しかし実際には、陸軍は中国も韓国も「侵略」してないし、海軍がちっとも「善玉」でないのは、これまで見てきた通りだ。
詳細は省くが、満洲国を建国して「北進」(対ソ連)の準備をしていた陸軍が、日本政府と中国共産党と日本海軍の策動で、「南進」(対国民政府)させられた、というのが中川説の肝。ズルズルと中国大陸奥地へと引きずられ、気がついたら「侵略」のレッテルを貼られていた、という展開が実情だという。

この説は、しばしば言われる「日本が『アジア』を侵略した」を検証すると、一層、信憑性が増してくるだろう。
2001年公開の日本映画『ムルデカ17805』(東宝)は、インドネシア独立戦争を描いた作品だ。敗戦をインドネシアで迎えた日本軍人の一部が、インドネシアの人々とともにオランダ相手に4年以上戦って、独立を勝ち取るまでの物語だ。

この映画をみれば誰でも気付くのが、日本軍はインドネシア人とは戦ってないという当たり前の事実だ。日本軍が戦ったのはオランダ軍で、物資や石油を奪ったのもオランダ軍から。日本軍は、350年続いたオランダの支配を、わずか7日の戦闘で終わらせた。

アメリカ人の日本軍政学者ジョージ・S・カナヘレは『日本軍政とインドネシア独立』 (1977年 早稲田大学社会科学研究所翻訳選書) の中で、この時日本の果たした役割を四点あげているそうな。

①蘭語・英語の禁止(インドネシア語の普及)
②青年たちの軍事教練
③高官にインドネシア人を登用
④プートラ(民族結集組織)やホーコーカイ(奉公会)のネットワークを組織、その運営を指導

ゆえに(上記引用元の)『なぜアメリカは、対日戦争をしかけたのか』(2012年 祥伝社)でヘンリー・S・ストークス氏は、(日本がアジアの解放のために戦ったわけではないことを前提にしつつ)こう述べている。

 この事実はとりもなおさず、侵略したのが日本ではなかったことを証明している。
 日本がアジアの国々を侵略していた西洋諸国から、アジアの国々を独立させるために、あらゆる努力を惜しまなかったと見るのが、正しい認識であると思える。

そして、日本軍がインドネシアで創設した「PETA」は、後のインドネシア国防軍の母体となった。スハルト大統領、ウマル副大統領、スロノ国防相など多くのリーダーがPETA出身だそうだ。

ちなみに、ジャカルタの中心にあるムルデカ(独立)広場には、高さ37mの独立記念塔が立っていて、碑には独立宣言文と「17805」という日付が刻まれているそうだ。うち、178は8月17日を表すのだが、05は何かと言うと、なんと「皇紀2605年」の05だそうだ。インドネシアはその独立の日に、日本独自の「インペリアルカレンダー」を採用して、深い感謝の意を示してくれたということだ。

また、かつて東京裁判の舞台となった市ヶ谷の防衛省構内には、インドネシア政府から寄贈された、PETA出身のスディルマン将軍の銅像が立っているそうな。


ま、こんな話は例によって「今さら」の話で、例えば昭和30年代にヒットしたテレビドラマ『快傑ハリマオ』なんかは、白人支配の東南アジアでひとり戦う日本人を描いたわけで、昔の日本人には周知の件だった。だが、いつしかそんな日本人の記憶は薄れ行き、ありもしない「アジアの侵略」が不思議なリアリティで語られる風潮になってしまった。

安倍政権の誕生で改憲議論が再び盛り上がってきた昨今だが、「自虐史観」を放置したまま憲法を変えるのは、実はマズイんじゃないかとぼくは思う。自虐史観こそが「平和憲法」の歴史面からの存在根拠で、”ひとたびキレると破壊と殺戮の限りを尽くす日本人の狂気”は「平和憲法」が抑制してきた、というのが左翼側の論理。あくまで、日本人の自己抑制が「平和」に繋がるという自虐的発想が「護憲」であって、外敵からの防衛は「平和憲法」には含まれていない(拉致事件を見よ!)。

そして、自虐史観が現憲法を背景からサポートする時、その表層で現憲法の精神を具現している「戦後民主主義」の問題も片付いていない。モンスターペアレントなんかがその成れの果てだが、自分さえ良ければいいという幼稚な個人主義を、日本社会は克服できていない。もちろん、憲法を変えることで国民の意識が変わって、結果として日本人が「戦後民主主義」を超克できる可能性はあるが、今のところ、それが意識されているようには感じられない。

 今日、日本がアジア諸国から尊敬されなくなったのは、アメリカに追従して、経済利益だけを追求して、先の大戦に敗れるまでいだいていた気高い精神を、失ったからにちがいない。歴史を失った国には、品格がない。
 (『なぜアメリカは、対日戦争をしかけたのか』ヘンリー・S・ストークス)

ぼくも、改憲ではなく自主憲法だ!という意見には賛成なんだが、その際、「自虐史観」と「戦後民主主義」をまとめて葬れる内容じゃないと、意味がないと思う。これらは互いを強固に補完する関係で、切り離して考えれば全てが失敗に終わるだろう。

つづく


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