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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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NHK「負けて、勝つ〜戦後を創った男・吉田茂〜」

maketekatsu

2012年秋にNHKが放送した歴史ドラマに、『負けて、勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜』というのがある。その劇中、渡辺謙が演じる吉田茂外相は、閣議で帝国憲法改正の必要があるかどうかを問われ、こう答える。

必要ないでしょう。婦人参政権、学校教育、労働組合、いずれにしても、各法令の改正で十分にまかなえます。憲法の改正は必要ありません

また、象徴天皇以外に陛下を守る方法なし、としてGHQ案を飲んだことを息子の健一に「素晴らしい決断」と褒められると、こう言い返す。

吉田茂は国を売った。20年後、30年後、そう言われるだろう。世界中のどこに、他国に憲法を作らせた国がある? 体半分、千切られたようなもんだ

最近ではその反日的な報道姿勢が指摘されることが増え、番組によっては著しい偏向が認められるとして裁判沙汰にさえなるNHK(NHK「JAPANデビュー」 一万人集団訴訟)。
そんなNHKをもってしても、あのGHQ案(現行憲法)の受け入れは「必要ない」ものであって、「国を売」る行為だと描かざるをえないのが、歴史の真実なんだろう。

NHKが同時代を扱ったドラマには『ドラマスペシャル・白洲次郎』(2009年)があるが、吉田茂の懐刀として憲法改正に関わった白洲次郎は、日本側メンバーから「一国の憲法がこんな風にして作られていいのだろうか」と問われ、「いいわけないだろ・・・」とつぶやく。
今に見ていろという気持ち、押さえきれず。秘かに涙す・・・(白洲次郎の独白)」

ここでも現行憲法が、愛国者・白洲の悔し涙を踏みつけて成立した様子が描かれている・・・。


というわけで、話題は憲法に進む。

ところで、このカテゴリが途中から歴史の勉強シリーズ(笑)になった訳は既に書いた通りで、旧友の一人が最近まで本気で「南京大虐殺」の実在を信じていたという衝撃によるものだ。といっても、その旧友をバカに出来ないのも現実で、世の中のパパたちは日々の仕事に忙しくて、あまり本など読んでるヒマがない。日常生活で「南京大虐殺」が話題になる職場(笑)なんて皆無だろうから、わざわざネットで調べたりもしない。そんなこんなで、少年時代に聞いた話がそのままフリーズされているのが一般的なおっさんの脳内だろう。

が、それじゃ今を生きる日本人としてマズイ気もするので、忙しいその旧友でも読める程度の文量を引用して、最近の歴史観みたいなのをまとめているのが現在の作業。実際ぼく自身も、新しい本を読めば新しい知識が注入されるという日々だ。

例えば、”大日本帝国が侵略国家に認定されて世界から孤立していく契機となった”、みたいに学校で教えられた「リットン報告書」について、憲政史家の倉山満さんはこう書いている。

 実は、植民地経営の経験が長いリットンは絶妙な解決策を用意していました。「日本には実を取らせ、中国には花を持たせよう」ということです。満洲国を否認して形式上は中華民国の領土と認めたうえで、日本の満洲における権益を容認しようとしたのです。(中略)ところが『朝日新聞』を筆頭とする日本のマスコミはこの報告書を反日文書だと糾弾しました。煽られた世論はリットンを蛇蝎のごとく憎悪し、ポピュリズムに流された政府は国際世論への説得ではなく、リットンと国際連盟への敵視を始めます。(『嘘だらけの日中近現代史』扶桑社新書・2013年)



こんなのもある。

 満州国とモンゴル人民共和国の国境紛争だった、1939年のノモンハン事件は、ソ連軍機械化部隊に、満州国軍と関東軍がまったく歯が立たずに敗退したと信じられていました。(中略)しかし、1991年にソ連が崩壊すると、ソ連・モンゴル軍の死傷者数も、戦病死を除いて一万九千余人だったことが判明しました。(中略)ノモンハン事件は、日本とソ連、両者の敗北とするのが正しいと思います。(『真実の満洲史宮脇淳子 ビジネス社・2013年)


おそらくぼくらの世代なら、いずれも「へ〜」という話だと思う。特に後者は”ソ連崩壊後”に明らかになった事実なわけで、ぼくらの年代が学校で学ぶことは不可能なことだった。
そして同じように、少年時代のぼくらに知る由もなかった事実に、「ヴェノナ文書」がある。

1995年7月から公開が始まった「ヴェノナ文書」で明らかにされたことのうち、わが国にとって看過できない最重要事項が、ハリー・デクスター・ホワイトの正体、だろう。ホワイトこそがあの「ハルノート」の考案者なわけだが、文書によれば、実は彼はコミンテルンのスパイだったそうな。ならば、誰が日本に対米戦争をさせたかったのかは、おのずと透けて見えてくるというものだろう。

といった感じで、戦後ずっと封印されていた事実の数々は、90年代以降の米公文書の公開によって、少しずつその姿を現してきつつある。今やGHQ史観は当のアメリカ自身の手によって否定されつつあることになるが、最近ではそのGHQそのものの正体さえ明らかにされて来ているようだ。

GHQ内部にアメリカ人共産主義者が多数混じっていたことは、今では歴史の常識と言っても差し支えないレベルの話だと思うが、実はそのGHQにはその前身とも言える「OSS」という組織があり、そこでは開戦直後から戦後日本の支配について検討した「日本計画」なる文書が存在するそうな。
詳しいことは「戦後日本を狂わせたOSS『日本計画』 ー 二段階革命理論と憲法」(田中英道 展転社・2011年)を読んでいただきたいが、大ざっぱに言うと、そこではすでにGHQ案の「日本国憲法」の元となる議論までされていたという。

私は、日本国憲法が作成された経緯について論じ、われわれ日本人はGHQばかりに目が奪われがちだが、それ以前に組織されたOSSの方針で方向づけられた点を見失うべきではないと指摘してきた。戦後レジームの基礎となった日本国憲法は社会主義憲法の第一段階として位置づけられて制定されたものであることが鮮明に見えてきたからだった。



さて、憲法の話題だ!と言いつつ、またも歴史の話をしているのは結局のところ、自虐史観(東京裁判史観)からの脱却なしに、自主憲法の制定など不可能だという思いがあるからだ。「平和憲法」と「自虐史観」と「戦後民主主義」は三位一体をなして戦後日本を支配してきたわけで、一つだけ変えるなんてのは有り得ない話だとぼくは思う。

だが、制度的に変更が難しい「平和憲法」や、教育現場に根深く浸透している「戦後民主主義」に比べて、「自虐史観」は割りと弱そうな敵に思えなくもない。要は、事実、事実、事実の積み上げだ。それで大日本帝国が野蛮な侵略国家じゃないことが心底納得できれば、やがて現行憲法の前文などはブラックジョークにしか思えなくなるだろう。
そうやって、少なくとも有権者の半分以上が自虐史観を脱していない限り、国民投票どころの話ではない。

憲法の話はつづく


【追記】
田中先生の本によると、OSSは戦争末期になってサイパンに「新国民放送局」を設置、そこからブラックプロパガンダを展開したそうだ。そこではいわゆる「従軍慰安婦」の話題も出てくるのだが、その女性は「特殊看護婦募集 朝鮮人のみ」という張り紙を見て応募してきたのだと言う。つまり、ここでOSSが創作した「日本軍の横暴」とは、売春婦を「看護婦」と偽って募集したことであって、「強制」などではなかったというわけだ。
なお、例によって、この反日プログラムには「南京大虐殺」の話題は一度も出てこないそうだ。


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