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竹波エーイチ

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『9条どうでしょう』その2

alex

憲法の話題のシメとして、いわゆる「護憲派」の人々の考え方というものに触れておきたい。
題材は、以前にも取り上げた『9条どうでしょう』(毎日新聞社 2006年)。ちょっと古い本になるが、内田樹小田嶋隆平川克美町山智浩という4名による共著なので、一度に複数の意見が分かるメリットあり。それに、この手の本を何冊も読むのは苦痛なので・・・(笑)。

さて、いちいち細かい「は?」や「え?」を挙げていったらキリがないので、執筆者のみなさんに共通する点に絞っていきたい。まず第一に共通するのが「日米安保」の無視、あるいは軽視だ。

 戦後六十年の長きにわたって、日本が一度も戦争や紛争に巻き込まれなかったのは、紛れもなく憲法の第九条を遵守するという「手かせ足かせ」の功績である。(平川克美)


それと第二に、「拉致問題」の無視

 つまり、九条は日本の国防政策の基本方針として十分に現実的かつ有効だ。九条のもとで、十分に国は守れる。
 理由は、戦後からこっち、われら日本国民が、六十余年の間、ひとたびの戦争も経験せず、具体的な侵略の脅威にさらされることもなく、平和のうちに暮らしてきたという実績を挙げればこと足りる。(小田嶋隆)


そして第三に、根底に流れる「自虐史観」だ。
町山さんは、キューブリック監督作品『時計じかけのオレンジ』の主人公、アレックスに日本を喩えたうえで、

 日本をアレックスのような怪物と一緒にするな、と思う人もいるだろうが、怪物になる可能性をゼロに近づけるために、九条の扱いには慎重であるべしと考える。(町山智浩)


つまり、戦前の日本は暴力とレイプに明け暮れた怪物のアレックスで、現在は心理療法後の大人しいアレックス。せっかく大人しくさせたんだから、このままでいいだろ、ってことらしい。
さらにはこんな意見も。

しかし、今のように中国や韓国への反感いっぱいのくせに、集団自衛という題目だけで改憲しても、八紘一宇の理想を掲げながら他民族弾圧を行った戦前の二の舞ではないか。(中略)九条は侵略戦争の罰として戦勝国から日本に科せられた刑であり、謝罪の証でもある。(町山智浩)


「罰」だ「刑」だといいながら、それを保持せよ、って感覚がまず第一に理解できないし、いったい日本がどの「民族」をいつ「弾圧」したのか、それは現在の中華人民共和国の間違いでは?と言いたくなるが、細かい話はやめておこう。
そして最高に強烈なのがこれ。

 そもそもの話、現行の憲法は、(中略)世界の平和に対するリスクそのものを将来に向けて無化してゆくために書かれたのである。もっと言えば、リスクとは日本そのものの存在であったということである。(平川克美)


・・・ま、ぼくの見るところ、以上の三点(日米安保の無視、拉致事件の無視、自虐史観)が、この本の論者に共通する考え方のようだ。ただここで面白いのが、「護憲」と言いつつも、現行憲法が手続き的にも内容的にも「普通ではない」ことは、実は論者のみなさんが十分に周知していることだ。だから、他国の「普通の」憲法に言及すると、ふいにおかしな話になる。

例えば町山さんは、ドイツ憲法やアメリカ憲法、フランス憲法などの基本理念は「それまで宗主国や王のものであった国が国民のものとなった時に国と国民の間で交わされた契約」だと言うが、だったらGHQという宗主国が去った後は、日本国と日本国民の間に新しい契約を交わす必要があったんじゃないだろうか。
また、アメリカ憲法は、アメリカの歴史を踏まえているので「革命を起こす権利」まで認めているとリスペクトするのはいいが、外人の作ったGHQ憲法に日本の歴史が踏まえられてるはずはない。
さらには、アメリカ人の愛国心は「正直うらやまし」くて、それを支えているのがアメリカ憲法だと言うのなら、愛国心を捨てろと言わんばかりの日本国憲法を護る必要がどこにあるんだろうと不思議になる。
要は、ダブルスタンダードなんじゃないか?と言いたくなるわけですよ!


・・・あ、いや、細かい話は避けたいんだが、あと一点だけ気になったのが、平川さんの「憲法研究会」についての言及。平川さんは、GHQ憲法に一番影響を与えたのは、在野の学者を中心とした憲法研究会の「憲法草案要綱」だったという史実を挙げて、

 これら、在野の学者、文化人を中心とした憲法草案を読むと、彼らが新生日本というものに期待し、その礎としての憲法にいかにして普遍的な価値観を埋め込もうと努力していたのかが分かる。


と書くが、その中心人物の高野岩三郎鈴木安蔵って、バリバリの左翼学者じゃないか。
高野らの左翼思想が、GHQ内のニューディーラー(社会主義者)の共鳴を呼んで、日本国憲法のベースとなった可能性はないのか?

その後高野は象徴ながらも天皇制を残したこの案を不十分であると批判。その批判を「囚われたる民衆」などの言葉でまとめた上で、天皇制廃止・大統領制・土地国有化などを柱とした日本共和国憲法私案要綱を発表。社会党顧問やNHK会長などを歴任した。(wikipedia - 高野岩三郎)




ということで、いわゆる「護憲派」の人々の考え方について、『9条どうでしょう』からアレコレ引用してみた。
ただ、ぼく自身は自主憲法制定派なので、当然批判的に構えざるを得ないが、それでもこの本が出たのが2006年だということは配慮すべきだろうと思う。つまり、まだ北朝鮮は核保有国に認定されておらず、日本がミサイルを撃たれても何もしないアメリカに失望させられてもおらず、中国の尖閣諸島へのちょっかいも始まっていない、そんな時期に書かれた本だということだ。

もしかしたら論者のなかには、今では国民国土防衛のための改憲やむなしに転向した人もいるかも知れない。いや、もっと進んで、日本の伝統・文化・歴史を踏まえた自主憲法の制定を唱える人も出ているかも知れない。
何しろ、ぼくらの憲法は「普通ではない」。普通は国民の精神がその国の憲法を規定するもんだろうが、戦後日本だけは国民精神を憲法によって規定されてきた。憲法によって、国家観も歴史観も形作られた。
まず憲法ありきでは、何もかもが逆さまだ。そんな倒錯状態、いつまでも続けていいもんじゃないだろう。

最後に、この本の呼びかけ人である内田樹先生の「護憲」の理由を簡単に。
九条を廃して国軍を持ったとしても、それが米軍の支配下の一部署であることは変わらない。自主防衛が夢のまた夢であった現実に直面するのは改憲派には辛いだろうから、このまま夢を見ていた方がいいんじゃね? って感じか。

でも改憲派って、本当にそんなにロマンチストなのか?

つづく


【余談】本のなかで小田嶋さんは、憲法が規定する日本国の姿は「なんだかジョン・レノンが歌っていた『イマジン』の国みたいで、とても魅力的だと思う」と書いている。ぼくもジョン・レノンの音楽は好きだが、「イマジン」の歌詞は、国家も宗教も所有も否定しているわけで、確かにまるで共産主義のようだ。そこに日本国憲法との相似を見る小田嶋さんの感覚は、逆に鋭い(笑)と思う。


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