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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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風立ちぬ(1)〜小冊子『熱風』

熱風

話はいきなり宮崎駿に戻る。

2013年7月に発行されたスタジオジブリの小冊子『熱風』には、正直参った(笑)。
ここに宮崎駿の名義で寄稿された文章のタイトルは『憲法を変えるなどもってのほか』で、文中でも「本当に日本が嫌いになりました」「情けない戦争だったんだ」「本当に日本人はダメだと思いました」などと反日的発言の連発。

このブログで、宮崎駿が左翼を辞めたことを嬉々として取り上げた身としては、腹立たしいやら恥ずかしいやらで、思わず印刷したPDFを破り捨てそうになり、該当記事には夜中にコソコソ言い訳がましい「追記」を加えたりしたもんだった(参考記事)。

しかしそんな厄介な文章は、今では良く知られているとおり、落ち着いて熟読するとそれほど「反日」でもないし、もちろん左翼っぽくもない。いたって中立的な論説だ。これは続いて収録されている鈴木敏夫の典型的なお花畑思考(『9条 世界に伝えよう』)や、反米のクセに9条を喜ぶ高畑勲の教条的左翼思考(『60年の平和の大きさ』)と読み比べることで、すぐに腑に落ちることができる。

例えば宮崎駿が批判的に語ってる満洲事変について。
宮崎は、日露戦争が終わった時点で遼東半島は中国に返還すべきだったと、当時の朝日新聞が聞いたら猛烈にバッシングしそうなことを言っている(笑)反面、「(そういう発想は)帝国主義の時代ですから世界にもなかった」とか「日本だけが悪人と言うことではない」などと、及び腰なフォローも入れている。

これは生粋の左翼から見れば「日和り」以外の何物でもないだろう。悪いのはあくまで日本だけであって、白人の侵略は「きれいな侵略」だし、現在の中国の侵略は「少数民族の保護」のはずだ(笑)。

まぁなかには、慰安婦に賠償しろとか、領土問題は折半か共同管理しろとか、互いの事情や実情を無視した戯れ言も散見されるんだが、それでも「尖閣諸島なんか明け渡しちゃえばいいじゃない」などと宣うホリエモンなんかよりは、よっぽど「中立」だ。しかも宮崎駿にとっては、慰安婦や領土の問題などは、「そんなことよりも」と他の話題に移ってしまってもいい程度の問題でしかない。

ならばと、宮崎駿のいわゆる「歴史認識」をいちど棚上げしてみると、およそ元左翼の運動家とは思えない宮崎駿の「現在地」のようなものが見えてくる。
いくつか興味深い発言を引用していく。

僕は「自分の命よりももっと大事な大義があるんじゃないか」とか、「そのために死ぬんだ」と思って、そっちの方へ、ガーンと行ってしまうタイプの人間なんです。もうちょっと早く生まれていたら、絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした。

 かつて、スイスやスウェーデンという中立国に憧れたことは事実でした。平和の国があってハイジが走り回ってるんだっていうイメージしかなかったから。でも、実際は違うわけで、非武装中立ということは現実にはあり得ないです。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃいけない。ただ、それ以上は「ちょっと待て」というのがやっぱり正しいと思うんです。

前にも言いましたが、今、はっきりしなきゃいけないのは、産業構造をどうするかという問題です。「自分たちの食うものや着るもの、住むものは自分たちで作ろう」という思想を持たずに、ただ消費して、あとは全員がサービス業みたいな、そんな国にしたってしょうがないし、うまくいくわけがないに決まってます。(中略)要するに今の世界中を覆っている、このマーケット中心のやり方というのはダメなんです。


ここで特に注目したいのが引用の3段目で、ストレートにグローバル経済を否定しているのみならず、明らかに「国境」を意識した考え方が見受けられると思う。左翼が標榜する「地球市民」や「世界政府(あるいは無政府)」とは180度異なる、いたって保守的な国家観だ。

まぁそれもそのはずで、かつて宮崎駿が「心情左翼」をやめたのは、ソ連やベルリンの壁の崩壊のせいじゃなくて、ユーゴスラビアが前時代的な「民族主義」に回帰していったことが理由だった。つまり、人間が「進歩」を求めず、国境の中に戻っていった現実から、宮崎は目をそらさなかったというわけだ(※)。

さて、ではそんな元は軍国少年予備軍で、心情左翼はやめて、保守っぽい世界観をもつ宮崎駿の憲法観とはどんなものか。宮崎は本当に「憲法を変えるなんてもってのほか」と言ってるのだろうか。

もし本当に戦火が起こるようなことがあったら、ちゃんとその時に考えて、憲法条項を変えるか変えないかはわからないけれど、とにかく自衛のために活動しようということにすればいいんです。立ち上がりは絶対遅れるけれど、自分からは手を出さない、過剰に守らない。そうしないと、本当にこの国の人たちは国際政治に慣れていないからすぐ手玉に取られてしまいます。

 憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです。(中略)多数であれば正しいなんてことは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない。


以上、宮崎が「もってのほか」と言ってるのは、”現実的な手続きについて”であって、狂信的に何が何でも改憲は認めんと騒いでるわけじゃあないわけだ。実際に領土が侵されたとき、それに対する国民の論議の結果としての改憲はアリだと言ってるように、ぼくには聞こえる。

高畑勲のように、日本人はバカだから歯止めとしての9条が必要だと自虐したり、鈴木敏夫のように、9条がある日本国を侵略できるわけがないと夢想したり、そんなのとは異なる至って現実路線の話を宮崎駿はしていると、ぼくには思える。

尖閣諸島を失うのは痛いが、それによって沖縄や対馬の自主防衛論が巻き起こると言うのなら、それはそれで議論の俎上には乗せられるのだ(日本人をバカ扱いする人や白昼夢を語る人とはお話する気になれないが)。



というわけで、以上、小冊子『熱風』2013年7月号から見えてくる、宮崎駿の「現在地」のようなことを考えてみた(たしかYouTubeにもっと詳しく解説した動画があったと記憶する)。

口の悪いオヤジでいちいち腹が立つ物言いだが、少なくとも反日的でも左翼的でもない。というか、かつてのお仲間に遠慮もしなければ擦り寄ることもなく、正直に自分の言葉を語ってる姿は痛快にさえ思える。もしも、「日本が嫌いになった」とか「日本人はダメだ」とか、余計なこと(笑)を言わなければ、あれだけネットで叩かれたりもしなかっただろう。

しかし宮崎には宮崎で、日本や日本人を嫌ったり失望したりする理由があったはずだ。
それをこのPDFから探すなら、どうやら実のお父上の話題がカギになりそうだ。

 後にロバート・ウェストールが書いた『”機関銃要塞”の少年たち』などを読んだ時に「あ、この人は俺の先輩だ」と思いました。主人公は戦時下の少年で、大人たちが「戦争、戦争」と言いながら、まじめに戦争をやってないことに腹を立てている。それが自分と周りの世界との境目を、見極めるきっかけになっているんです。


宮崎から見て、そんな「まじめに戦争をやっていない」大人の代表が、実の親父さんだったようだ。曰く「現実主義者でニヒリスト」「天下国家、俺は知らんというような人物」「徹底した刹那主義者」「世界情勢がどうこうということを認めたくなかった」「大局観なし」とボロクソだ。

若き日の宮崎は、そんな父にも戦争責任はあるはずだと中二病を起こすが、親父さんはそんなものを背負う気は全然なく、戦後もすぐにアメリカ人と友人になって「家に遊びに来い」と誘ったそうな。要するに「節操がない」・・・。

ぼくが見るところ、どうやら宮崎青年はそんな親父さんと「戦後日本」(あるいは戦後日本人)を同一視していたような気がする。

そもそも宮崎は「アメリカ人からチューインガムやチョコレートをもらうような恥ずかしいことはできない、そう思うような子どもでした」というが、同じような感慨を語ることのある松本零士は左翼思想には走らず、素直にやや反米的で、かなりアンチグローバリズムな名作群を生み出した(参考記事)。

この二人の違いに、少年時代の家庭環境を考慮するのは全くの間違いではないだろう。
松本零士の父親は、軍オタ少年予備軍の宮崎駿には憧れの的であるはずの、陸軍航空部隊のパイロットだったのだ。

長くなったので、風立ちぬ(2)へつづく


※なお、別の対談で宮崎は、30年後にはアジアにEUができると言われて頷いているが、それは日本が望んでそうなるというより、結果的にそうならざるを得ないという消極的な未来予想を意味していると思う。ルーピー鳩山がいうような積極的な「東アジア共同体構想」とは似て非なるものだろう。



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