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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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ゴジラ映画は2度終わる ~『怪獣総進撃』から『ゴジラ対メカゴジラ』へ

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それは、時間を作っては少しずつ、年代順に昭和のゴジラ映画(東宝怪獣映画)をみていた時期のことだ。『ゴジラ対ガイガン』を観ていたぼくは、ふいにこんな疑問に取り憑かれてしまった。
「一体なぜ、ゴジラは戦い続けているのか?」

劇中でゴジラは、鮮血を噴き出し、片目をつぶされながら尚も強敵ガイガンとキングギドラのコンビに立ち向かっていった。一体どこに、そこまでしてゴジラが戦い続ける理由があったのか。あるいはゴジラを「戦わせる」理由があったのか。


昭和ゴジラシリーズについて多少なりとも調べたなら、それが本来は1968年の『怪獣総進撃』で完結する予定であったことがわかる。

11大怪獣が登場するという、東宝怪獣映画の総決算的作品である」「ところが、この映画が興行的に好成績を残したため、怪獣路線は存続されることになった(『ゴジラ大辞典』

だからゴジラは戦い続けた、というわけだ。

このような説明は一見明快で何となく納得してしまうものだが、実際にはぼくの疑問への答えにはなっていない。なぜならそれは、ゴジラ映画がその後も続いたことを知らなければ不可能な説明だからだ。
1968年、『怪獣総進撃』が制作されている期間においては、その後のことは分からなかった。そして、制作者たちは『怪獣総進撃』をもってゴジラ映画を完結させたつもりだった。かつて日本中で暴れ回った怪獣たちは、小笠原の怪獣ランドで平和に暮らしていくことになっていた。

しかしゴジラ映画はその後も作られ、ゴジラは血を流し続けた。つまり制作側の意に反して、『怪獣総進撃』ではゴジラ映画は完結してはいなかったということだ。
ゴジラシリーズを完成させるためには、いくつかのピースが欠けていた。そう考えることもできるはずだ。

そして結局は1974年の『ゴジラ対メカゴジラ』でゴジラ映画はようやく完結した。
あ、いや、もちろん翌1975年の『メカゴジラの逆襲」という映画があることは知っている。しかし、この映画のタイトルを見てほしい。この作品の主役はメカゴジラだ。前作で完成したゴジラに、メカゴジラがリターンマッチを挑んだのが『メカゴジラの逆襲』だったとぼくは思う。


『怪獣総進撃』から『ゴジラ対メカゴジラ』へ。
この間にゴジラは、ヘドラと戦い、ガイガンと戦い、メガロと戦った。しかしここに、第1作『ゴジラ』から『怪獣総進撃』に至るまでのような、シリーズとしての連続性はない。おそらく、戦う順番を入れ替えても特に支障はないだろう。
ではなぜ、ゴジラはこんな不毛な戦いを続けたのか。

理由があるとすれば、それは時間の経過ということではないだろうか。
『ゴジラ』が完結するためには、1974年という時が来るのを待たなければならなかった。ヘドラもガイガンもメガロも、時が満ちるまでの時間稼ぎに過ぎなかった。
それは、ゴジラに同時にふたつの出会いをさせるためだった。ひとつはメカゴジラ。もうひとつはキングシーサー。

このふたつの出会いは同時でなければ意味がなかった。ゴジラ本人の完成とゴジラシリーズの完結は、一つのストーリー上でしか達成できなかった。
だから『怪獣総進撃』の後も、ゴジラは戦い続けた。
そんなふうに、ぼくは今考えている。

では、ゴジラ本人の完成とは何か。
高橋敏夫という早大の先生が『ゴジラが来る夜に』という本のなかで、こう書いている。

ゴジラは、ゴジラじしんの力を、ゴジラじしんの強さを、ゴジラじしんの存在そのものを、そして、いうまでもなく、ゴジラじしんの意味を、確認し、反芻するためにだけ、メカゴジラとむかいあうのである。


高橋先生の言う「ゴジラじしんの意味」とは一体何だったのだろう。

ウルトラマンは第18話『遊星から来た兄弟』のなかで、ザラブ星人が変身した「ニセウルトラマン」と向かい合った。この時ウルトラマンが知ったこと。それは地球人から見れば、ウルトラマン=ザラブ星人であって、どちらも地球人類とは無関係な、赤の他人であるということだ。ザラブ星人は人間に問う。
「ウルトラマンこそ地球征服を狙う宇宙人ではないでしょうか?」
ウルトラマン(ニセ)が街を破壊していることを聞いた科特隊のムラマツ隊長は言う。
「たとえウルトラマンでも、この地球上で暴力をふるう者とは戦わなければならん」

ジャイアントロボは第22話『殺人兵器カラミティ』で、メルカ共和国が製造しBF団によって操られる自分のコピー品ロボット「カラミティ」と向かい合った。ロボの攻撃はすべて180度はねかえされ、ロボ自身を襲った。ロボは自ら放ったレーザー光線によって、視力を失った。しかし操縦者、大作少年の声に励まされ、ロボは立ち上がった。
この時ジャイアントロボが知ったこと。それは全く同じ性能として、全く同じ部品で作られたカラミティのコンピュータには存在しない、「こころ」を自分が持ち始めているということだった。


ゴジラが向かい合ったメカゴジラ。手当り次第に人間の文明を破壊し尽くそうというその姿は、20年前、初めて東京を襲った時の過去のゴジラ自身の姿に他ならなかった。メカゴジラは問いかけている。本来お前は文明の破壊者ではなかったのかと。

南海の孤島で、ゴジラは自ら吹きすさぶ嵐の中に身を投じると、何度も何度も落雷を受ける。じっと身を固めて、激しい電気ショックを耐え忍ぶ。それは、自分が今でも大自然の中にある者であることを確認するための作業のようだった。

ゴジラは再びメカゴジラに挑む。今度のメカゴジラは、最初から科学文明の粋ともいえるチタニウム合金の皮膚をさらしている。メカゴジラはまたもゴジラに問いかけているようだ。お前もまた俺同様に、人間のために戦う兵器ではないのかと。

メカゴジラの繰り出すフィンガーミサイルを受けて、ゴジラの全身から真っ赤な血が噴き出す。しかしこの時のゴジラは、まるでその痛みを楽しんでいるかのようだった。
そしてついに、ゴジラの本当の力が発現する。それは落雷という大自然がくれたエネルギーによって、ゴジラの肉体に宿った強大な磁力だった。ゴジラはその力でメカゴジラを引き寄せると、その首をへし折った。
ゴジラはメカゴジラとの戦いの中で、「ゴジラじしんの意味」を知っていったのだろう。


それでは、1974年のゴジラのもうひとつの出会いとは何だったのか。
それこそが『怪獣総進撃』に欠けていた最後のピースだったということになるが、それを考えるには1954年の『ゴジラ』にまでさかのぼる必要があるだろう。

つづく


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