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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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風立ちぬ(2)〜四歳で体験した戦争の記憶(キネ旬)

zerofighter in TOKOROZAWA

宮崎駿が、自分の親父さんについて語ったものが初めて印刷物になったのは、1995年7月の『キネマ旬報臨時増刊』に収められた『宮崎駿講演採録 アニメーション罷り通る(なごやシネフェスティバル’88)』だと聞いている。ここで宮崎は4才で体験した戦争の記憶を語り、それは「創作の原点を窺うことのできる貴重な講演」であると解説がついている。

今となっては余りに有名な講演だが、知らない人のために部分的に引用してみよう。
まず「創作の原点」について。

僕は映画を何本かやって来ましたけれども、「本当の悪役がおまえの映画には出て来ない」ってよく言われるんです。どっかで善い人になっちゃったり、一生懸命になるとたいてい善い人になっちゃいますから。

「人間の掘り下げが足りない」とか「一人の人間の中にある悪とか愚かな部分に背を向けて、肯定的な部分とか善いものだけを出してるんじゃないか」、例えば今度の「となりのトトロ」なんか全くそうです。はっきり意図的にやりました。こういう人達がいてくれたらいいなあ、こういう隣の人がいたらいいなあ、っていうふうに。

実はそのことで今日お話しようと思ったのは、自分の子供の時の体験がたぶん自分をそういうことにさせてるんじゃないか、と思ってるんです。この話はもう五十歳近くなってから平気でしゃべるようになったんですが、父親と母親のことに絡んでるものですからつい最近まで全然しゃべりたくなかった話なんです。


そして話題は「4才時の戦争体験」に移っていく。
戦時中の宮崎家は宇都宮で軍需工場を経営していて、「我が一族の歴史の中では1番景気が良かった」そうな。

やがて終戦間際の7月、事件は起こる。空襲に襲われた宮崎家はトラックに乗り込んで避難しようとするが、そこへ小さい女の子を抱いた近所の女性が「乗せてください」と駆け寄ってくる。しかし宮崎家のトラックは、その女性を見捨てて走り去ってしまう。

自分が戦争中に、全体が物質的に苦しんでいる時に軍需産業で儲けている親の元でぬくぬくと育った、しかも人が死んでる最中に滅多になかったガソリンのトラックで親子で逃げちゃった、乗せてくれ言う人も見捨ててしまった、っていう事は、四歳の子供にとって強烈な記憶になって残ったんです。それは周りで言ってる正しく生きるとか、人に思いやりを持つとかいうことから比べると、耐え難いことなわけですね。それに自分の親は善い人であり世界で一番優れた人間だ、っていうふうに小さい子供は思いたいですから、この記憶はずーっと自分の中で押し殺していたんです。それで忘れていまして、そして思春期になったときに、どうしてもこの記憶ともう一回対面せざるを得なくなったわけです。


ぼくはこの「キネ旬」を蒲田のアパートで読み、ショックのあまり呑川に身投げしそうになった(嘘です)。

少年時代のぼくは、宮崎駿のまき散らす反権力、反体制の雰囲気に激しく憧れたもんだったが、何だ、本人はブルジョワだったのかよ! そういや大学は学習院だっけ。ブルジョワの、上から目線の贖罪意識で「トトロ」を作られたんじゃあ、俺らがミジメすぎるぜ!!

当時のぼくは、宮崎があの時女性を見捨てた父親への失望と、それに続く倫理観の崩壊から左翼活動に走り、さらには貧乏人への贖罪意識から「ハイジ」や「コナン」や「トトロ」で徹底的な善人を描いたのだと理解した。つまり、親父さんへのルサンチマンこそが宮崎駿の「創作の原点」であって、ハイジの笑顔の後ろにはドロドロとしたニヒリズムが存在してるのだと、怖くなった。そしてぼくは漫画版の「ナウシカ」だけが宮崎の本当の顔で、あとは欺瞞やウソなんだと思い込むようになり、『ゲド戦記』の騒動も、さもありなんと冷ややかに眺めていたのだった。

・・・以上、もしかしたら同じような経緯を辿った同世代もいるかと思って自分語りをしてみたが、今となってはもちろん、ぼくの宮崎観はとんだ勘違いで、読み違えだった。

たしかに、青年になりかけの宮崎少年はこの世に厳然と存在する貧富の差という不公平に直面して、「自分が生まれてここまで生きて来たってことの根本に、とんでもないごまかしがある」とまで思いつめる。しかしそれに続く発言はこうだ。

 これはとっても辛いことでした。当然親とも喧嘩をして、それでもやっぱり親に、あの時なぜ乗せなかったのか、と僕はとうとう言えなかったんです。なぜなら僕も今だったら自信がないんです。僕が今、その場の父親や叔父貴の側に立ったら、車を止めるかどうかよくわからないんですね。

その時に「乗せてくれ」って言ってあげられる子供が出てきたら、たぶんその瞬間に母親も父親もその車を止めるようにしたんじゃないかと思うんです。例えば自分が親で、子供がそう言ったら僕はそうしただろうと思うんです。

でも僕はその時に、人間っていうのはやっぱり所詮「止めてくれ」って言えないんじゃなくて、言ってくる子を出すようなアニメーションを作りたいと思うようになったんだ、ってこの年になって思い至ったんです。


4才で人間のエゴイスティックな本性を知った宮崎は、だからこそ「こうあってほしい、こうあったらいいな」と本人が言うような映画作りを徹底する。このとき宮崎が、内心のニヒリズムやルサンチマンを隠して自分にさえ嘘をつき、営業スマイルを浮かべて子供好きのおじさんを演じてるわけじゃないことは、今では疑う余地がないだろう。

なぜって、宮崎駿の最新作『風立ちぬ』は、”美しいもの”だけを追った人を描いた映画だからだ。

風立ちぬ(3)へつづく


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