プロフィール

竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
一つの 「カテゴリ」 で一つの記事となってます(記事は古い順に並んでます)。同世代のおっさん向け。

カテゴリ
もくじ

全ての記事タイトルを表示する

ブログ内検索
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

主要記事
リンク
応援中
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

フリーエリア
趣味 - シュミラン

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『エヴァンゲリオン』の思い出 その1 ーSFとオカルトー

smile
まずは前回の記事の補足から。

何度も「守るべき何かが無い」を引用したことで、いや俺には愛する家族や友人や愛人がいるぞ!と思われた向きもあるかも知れないが、そこは誤解しないでいただきたい。宮崎駿は的確に「守るべき村や、守るべき何か」と分けていて、ぼくらの大切な家族や友人や愛人は、前者の「村」の方に入れられていると思われる。そして、後者の「何か」の方はよく分からないので、とりあえず「生きろ」と言っておいたのではないかと思われる。

じゃあ後者の「何か」とは何なのか。

宮崎同様、左翼あがりの押井守監督は、『THE NEXT GENERATION -パトレイバー-』(2014〜15年)の第7章「大いなる遺産」の劇中で、後藤田隊長にこんなセリフを言わせている。

「(あなたを逮捕した)南雲さんと後藤さんは、今でも自分の正義を信じて、つまり、守るべきものを持っておられるようです

聞いているのは、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』(1993年)でクーデターを起こして、戦後日本の「虚構性」を揺るがした元陸上自衛隊二佐、柘植行人。

押井監督の言葉を借りればこうなるだろう。
戦後日本は、国として守るべき「正義」を失っていた、のだと・・・。

これは、かなりフィットしている気がするが、どうだろう。
と言うのも、まさにこれから語る『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜96年)とは、戦後日本を舞台にして、そのどこにも「正義」がない状況を描いた作品だった。庵野監督のアンテナは、たしかに「無意識に社会を反映」(※)していたというわけだ。


ところで本題に入る前に、ここでぼくと『エヴァンゲリオン』との関わりについてハッキリさせておきたい。

ぼくが初めて『エヴァンゲリオン』に触れたのは1996年の夏頃だった。当時のぼくは、一回目の結婚に失敗して以来のどん底の日々で、極度の自己嫌悪に陥っていた時期だった。何にも興味を持てない乾いた毎日を送っていたある日、旧友がテレビシリーズ全26話を録画したVHSテープを貸してくれた。

最初は、気色悪いキャラクターじゃのーと渋々見始めたぼくだったが、すぐにこの作品の価値が分かった。『エヴァンゲリオン』は、少年時代のぼくに人間や人生を教えてくれた『ガンダム』や『イデオン』の正統な後継者であり、そこには「本当のこと」が描かれている、ということだ。

28才のぼくは少年のように繰り返し『エヴァ』を観て、不思議なことに、この陰鬱なアニメによって救われていったのだった。

『エヴァ』のおかげで、閉じた心を溶かしてもいいのかなと思い始めていたぼくは、やがて二回目の結婚の機会に恵まれた。
失敗できない初めての映画デート。
ここでぼくが選んだ作品は、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)だった。

感想はこうだ。
「なんか、イヤ〜なもの見ちゃったな・・・」
今でも、ヨメさんのゲテモノ耐性の強さには深く感謝しているぼくだ。

というわけで、ぼくは『エヴァンゲリオン』のテレビシリーズ全26話については、手放しで絶賛している。それは、戦後日本の「SFアニメ」の問題意識を引き継ぎ、発展させ、ついには終わらせてしまった傑作で、どんなに褒めても言葉が足りない。

だが一方、『劇場版 Air/まごころを、君に』および『劇場版 DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に』については、ぼくは語る言葉を持たない。

なぜって、劇場版は「SF」ではなくて「オカルト」映画だからだ。君子、怪力乱神を語らずだ。

2001年発行の『新版エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き』(2001年/三一書房)という本の中で著者の北村正裕さんは、2001年当時のエヴァ言論の貧困を嘆いて、今後のエヴァ研究の発展を願っておられるが、それはちょっと無理な相談だろう。他人にまともだと思われたい人は、オカルトや陰謀論は語らないものだ。『エヴァンゲリオン』がオカルト作品として完結した以上、批評の舞台は「学研ムー」に移されたということだ。

一応、説明らしいことを書いておくと、人間の誕生を「創造説」か「進化論」で語ってるのが「SF」の範疇だとぼくは思っている。

例えば庵野監督の前作、『ふしぎの海のナディア』(NHK・1990〜91年)では、人間は240万年前に宇宙からやってきたアトランティス人の手で、彼らの下僕として作られた生き物だとされる。始めはクジラで試したが失敗し、その後「最初の人間、アダム」と呼ばれる巨人が作られるも破棄、最終的にはアトランティス人に似せて人間は作られた、とか。
たしかに荒唐無稽ではあるが、『ナディア』は人間「創造説」を採っているSFアニメだ。

では、『劇場版エヴァンゲリオン』はどうか・・・。
たしか、人間は何番目かの使徒でゴニョゴニョ・・・。

もちろんだからと言って、『劇場版エヴァンゲリオン』がダメだとかクソだとか言ってるわけじゃない。オカルト作品については、あれこれ考えたり語ったりするのは間違った楽しみ方ではないかと、そう言いたいだけだ。

現にぼくは『劇場版エヴァンゲリオン』のDVDは繰り返し鑑賞したし、素晴らしいアニメーション技術だなあと感心している。ついでに言えば、『新劇場版ヱヴァンゲリヲン』は3作とも映画館でみた上でブルーレイを持っている。
ただ、それらを語る言葉を持っていないだけのことだ。

前置きが長くなったので、本題は次回へつづく

(※)『パラノ・エヴァンゲリオン』1997年/太田出版

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。