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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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『エヴァンゲリオン』と『機動戦士ガンダム』

しと

それでは本題に入りたい。
まずは、『新世紀エヴァンゲリオン』が『機動戦士ガンダム』の問題意識をどのように発展させたかについて。

巨大ロボットアニメの中興の祖といえば、1972年にスタートした『マジンガーZ』だ。
それまでリモコン等で外部から操縦されていた巨大ロボットは、ここで人間が内部に乗り込んで直接操作する武器となった。

ストーリーを簡単に言うと、静岡県の「光子力研究所」には世界に比類ない「光子力」&「超合金Z」のテクノロジーがあって、それを奪いに世界征服を目論むDr.ヘルの「地下帝国」が襲ってくるので、主人公・兜甲児がマジンガーZで撃退するという話。「光子力」と「超合金Z」をDr.ヘルから守るのが、兜甲児の「正義」だ。

『機動戦士ガンダム』(1979年)は、この『マジンガーZ』のフォーマットに準じながら、その「正義」の正体をバラしていく。

簡単な図式でいえば、悪者の「地下帝国」=「ジオン公国」、「光子力研究所」=「ホワイトベース」、「マジンガーZ」=「ガンダム」で、テクノロジーそのものが標的にされて主人公が戦うところは同じだ。

そこで『ガンダム』の方を詳細に検討すると、もう一つの図式、「ジオン公国」=「大日本帝国」であり、「ホワイトベース」=「戦後日本」が見えてくる。

ところで『ガンダム』の方にはもう一つのピース、ホワイトベースやガンダムがそのために戦う存在、すなわち「地球連邦政府」がある。主人公、アムロ・レイたちは、謂わばその「連邦の盾」となってジオン軍と戦っている。

ならば『マジンガーZ』で、地球連邦政府と等式を結ぶのは何なのか。
アメリカ合衆国だ。

はじめは陸上を歩行するだけだったマジンガーZは、やがてアメリカ人科学者の協力で水中活動が可能になり、続いて、やはりアメリカ人科学者の援助によって空中飛行まで可能になった。しかし最終的には光子力も超合金Zも歯が立たない新たなる敵(ミケーネ帝国)が現れると、敗れた兜甲児は「心と体の傷を癒すため」にアメリカに留学していく・・・。

ここでのアメリカは、日本に「平和憲法」を押しつけたGHQそのものだ。マジンガーZはアメリカ様の許可によって、はじめて国外出兵が可能になった。そしてアメリカは、ミケーネ帝国の侵略に対して安全地帯だった。だから兜甲児は彼女同伴で楽しい留学生活がエンジョイできるわけだ。

こうして70年代ヒーロー番組の本質が見えてくる。
そこで描かれているのは、悪の大日本帝国の亡霊に「アメリカの盾」となって立ち向かっている戦後日本の姿であって、ヒーローが守っている「正義」とは「アメリカの正義」に他ならない、ということだ。

それゆえ、『ガンダム』においては主人公アムロ・レイにこんなセリフが投げかけられる。
「なぜ、なぜなの?なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」(第41話「光る宇宙」)

ララァはアムロには戦う理由がないと言っている。アムロは「盾」でしかなく、人殺しを担保する「正義」など持ち合わせてはいない。
そして同じように兜甲児ら、70年代ヒーローが叫ぶ「正義」も、結局はアメリカ製の「借り物の正義」だった。

・・・長くなってきたので、もっと詳しく知りたいという酔狂な人は「仮面ライダー」「マジンガーZ」「機動戦士ガンダム」などのカテゴリを参照してください。

でも、とりあえずここまでの話だけでも、『新世紀エヴァンゲリオン』第1話「使徒、襲来」がどれほどの衝撃だったかは、十分に感じて頂けるんじゃないかと思う。
開始早々に現れる使徒。それを迎え撃つのは、なんとUN(国連軍)じゃないか。

ぼくがはじめて『エヴァ』を見たのは1996年夏だったが、まだ91年の湾岸戦争の記憶は強く残っていた。厳密には国連軍と多国籍軍は違うそうだが、要は、米軍じゃないか。それが『エヴァ』では日本本土でドンパチやっている。

ってことは、まさかもう自衛隊はないのか? リアル憲法9条の日本出現か? と興奮したもんだが、のちに「戦略自衛隊」の存在を知ってフェードアウト。
それはともかく、実質的に米軍と見なせるUN軍が日本国内で戦闘していて、しかもアッサリ負けちゃったことの意味は、あまりに大きい。

『ガンダム』のアムロ・レイにいたる70年代ヒーローには、たとえ「借り物」であったとしても「正義」と自称できるものはあった。だが『エヴァ』では、守られるべき「アメリカ」自身が、日本の地で戦って敗れてしまった。つまり『エヴァ』で、「アメリカの盾」を演じる者は誰もいない、ってことだ。
ならばと、長年悪役を務めてきた大日本帝国も一緒に消滅せざるをえない。

こうして、わずか開始数分で『エヴァ』の世界から「正義」も「悪」も消えてしまった。
それが当時の庵野監督のアンテナが捉えた、「無意識に社会を反映」した結果なのだろう。
1995年の日本には、守るべき「正義」もなく、戦うべき「悪」もなく、ただ人のむき出しのエゴだけが蠢いていたのだろう。

おそらくサブカル史において、1979年の『機動戦士ガンダム』が露わにした戦後日本の「正義」を、1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』が跡形もなく消し去ってしまった意味は大きかったはずだ。平成に入って7年目、ついに「昭和」は完全に終わった。ほんとなら、ここが日本社会が「借り物」ではない正義を模索するスタート地点だったのかも知れないが、どうも『エヴァ』が生み出したのは「セカイ系」とかいう内向きな分野だけだったようだ。

ひとつ興味深いのは、昭和ヒーロー番組を知らぬまま、先に『エヴァ』を見てしまった当時の14才前後の脳内だ。
彼ら彼女らはもう30代も半ばに達しているが、もしかすると根本的な世界観がぼくらと微妙に異なる可能性がある。機会があったらいろいろ聞いてみたいもんだ。

つづく


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