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竹波エーイチ

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1967年生まれのおっさん。
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『二つの憲法』井上ひさし

痛快!憲法学

1945年8月、日本はアメリカに敗れ、占領された。
このインパクトは量り知れないわけで、60年代後半から80年代前半のヒーロー物テレビ番組でも、わずかでも政治色があれば「アメリカ」の影が見え隠れした。

ひとつは「アメリカ」を守ろうとした仮面ライダーマジンガーZなど。もう一つが、「アメリカ」と戦おうとした宇宙戦艦ヤマトキャプテンハーロックザブングルなど。そして1979年の『機動戦士ガンダム』で、前者のアムロと後者のシャアが激突した。

しかしそんな「アメリカ」は、日米経済戦争の激化とともに語られなくなり、二度目の敗戦のあとは意識の外に置かれるようになったことは、『エヴァンゲリオン』の記事で触れた。「年次改革要望書」など、目に見えない再占領が行われたのは、ご存じの通り。

一方、同じ頃、元左翼運動家の宮崎駿が「転向」したことは、『ナウシカ』の記事で触れた。理由にはソビエトの崩壊もあるが、それ以上にユーゴ紛争で「民族主義」が選ばれたことが、宮崎に左翼イデオロギーを見捨てさせる原因となった。ナウシカは人間の手によるユートピア(共産主義)を否定し、「シュワの墓所」を破壊してしまう。

そうして90年代後半からは、特撮やアニメからイデオロギーを感じる作品はほとんどなくなった。一部、『ウルトラマンコスモス』や『ガンダムSEED』なども存在したが、それらは物語が進む中で、初期設定のイデオロギーが人々の自然な感情によって否定されていく過程を描いた、ともいえるものだった。

また、ぼくはここ20年にメジャー配給された国産の戦争映画は全部みたと思うが、そこにもイデオロギーは感じられず、ただあの戦争を個人個人がどう生きたか、が淡々と描かれていたように記憶する(自主制作は除く)。

このカテゴリでは、そんな21世紀の作品群から、日本人が自然に持っている美意識や美徳を描いた特撮やアニメを取り上げた。そして驚くべき事に、それら「日本の心」を真っ向から否定し、対立してくるのが「日本国憲法」であることを紹介した。

それはなぜか?
なぜわが国の最高法規が、ぼくら日本人の心を否定してくるのか?


このカテゴリの〆として、その答えを日本を代表する左翼言論人、井上ひさし氏の発言に探ってみようと思う。テキストは、2011年に岩波書店から発行されたブックレット、『二つの憲法』。1999年8月に行われた講座を収録したものだそうだ。

まず冒頭のあたりから、井上氏はいきなり矛盾した話をする。
「押しつけ憲法論」を否定して、良いものは積極的に取り入れるべきだと言いつつ、井上氏は司馬遼太郎の晩年のエッセイ集に言及する。

 『この国のかたち』という表題は、おそらく「憲法」のことだと思います。司馬さんに伺おうと思いながら機会を失ってしまいましたが、『この国のかたち』は憲法の一番正しい定義だと思います。


この指摘に問題はないだろう。辞書を引けば、constitution には憲法の他に、「構成・組織・構造」「体質・体格」「気質・性質」そして「政体・国体」とある。憲法が「この国のかたち」であることは疑いがない。

ところが井上氏はその後、「日本国憲法」の条文の元となった「パリ不戦条約」などを絶賛し、人類の理想を求める叡智の集合体が「日本国憲法」だと謳い上げるわけだ。

だがこれは、明らかに矛盾する発言だ。
「この国のかたち」とは、要は「日本の現実」のことだろう。日本の歴史や文化、伝統などの上に生きている、普通の日本人の集合体が「この国のかたち」のはずだ。
しかし井上氏は、欧米人が、欧米人の都合に合わせて作った法律の条文をかき集めたものが、「この国のかたち」だと言う。

さらには、欧米が「パリ不戦条約」の成立に尽力したかつての日本の働きぶりを覚えていて、「あの頃の平和維持の熱意をもう一度燃やして欲しい」と願って9条が生まれた、とおっしゃるが、「日本国憲法」制定後も、アメリカもイギリスもフランスも、みーんな次の戦争をしていたのはどう説明されるんだろう。

第一次インドシナ戦争
朝鮮戦争
第二次中東戦争

それと、このブックレットでは真ん中の半分くらいが「明治憲法」の批判に充てられていて、なかにはひどい事実の曲解もあって、うわぁ・・・って感じなんだが、これなんかも凄い。

 このように「大日本帝国憲法」は、立憲君主制といいながらそれは見せかけでした。絶対天皇制だった。それは、条文をたどってみればわかる。ですから、この憲法を持つ限り、満洲事変に始まって敗戦に至る日本の行く先は見えていたのではないか。そういう疑問も湧いてきます。


小室直樹先生の『痛快!憲法学』(集英社・2001年)には、「明治憲法」成立の過程が分かりやすく書いてあるが、それを読むと、上記の井上氏の発言は誹謗中傷にしか思えない。

そもそも憲法は、幕末の不平等条約の改訂のために必要とされたものだ。
日本が資本主義の民主主義国でないと、欧米に相手にされない。それで、国民に資本主義の精神を持たせるため、すなわち労働の自己目的化を促進するために設置されたのが、二宮金次郎の銅像だそうな。

ところがここで問題になったのが、民主主義には欠かせない「平等」の精神。
キリスト教では「神の前の平等」があるが、日本にGODはいない。それで伊藤博文らが考えたのが「天皇の前の平等」で、明治天皇がご先祖に誓う形で、ようやく欧米にも認められる憲法が誕生した。と小室本には書いてある。

だから、条文だけ読めば井上氏が「絶対天皇制」とわめくのも詮無いこと。
しかし憲法典で大切なのは条文ではなく運用のはずで、その観点からすれば「明治憲法」を持つ日本は立派な「立憲君主国」だった。それは、君主に「拒否権」がないこと、つまり天皇陛下が内閣の決定に反対できなかったのが「明治憲法」下の日本だったという事実から分かる。

「満洲事変に始まって敗戦に至る日本の行く先」は、少なくとも天皇とは何の関係もない。「明治憲法」の不備は、その点ではない。

ま、詳しいことはブックレットを読んで(笑って)いただきたいが、井上氏の発言は、あまりにもイデオロギーに満ち満ちているとぼくは思う。欧米は無条件で素晴らしく、戦前の日本は暗黒の社会・・・、まるっきりGHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」そのまんまだ。

そしてそんな井上氏が絶賛する「日本国憲法」も、イデオロギーによって生まれた存在だ。欧米人の”理想”の、寄せ書きだ。

伊藤哲夫さんの『明治憲法の真実』(到知出版社・2013年)という本によると、「日本国憲法」の「前文」は、「アメリカ憲法」「リンカーンのゲティスバーグの演説」「マッカーサー元帥が憲法にふくましめようとした三項目」「三国のテヘラン会議宣言」「大西洋憲章」「独立宣言」が典拠となっているそうだ。

「日本国憲法」は、「この国のかたち」ではない。
だからそれは、ぼくらの「現実」と対立する。

つづく


【憲法改正について】
いきなり自主憲法だとか、自民党案だとかは無理があると思うので、とりあえず「前文」と「9条2項」の削除、がぼく個人の意見だ。「9条2項」の削除に強い抵抗があるなら、自衛軍は有するが、侵略戦争と徴兵制は禁止する、と改正すれば共産党も反論しにくいんじゃなかろうか。


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