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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
一つの 「カテゴリ」 で一つの記事となってます(記事は古い順に並んでます)。同世代のおっさん向け。

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シン・ゴジラと福島瑞穂

蒲田くん
久しぶりに、ブログを更新することになった。
なった・・・というのは、それがぼく自身の意思ではなくて、友人との約束によるものだからだ。

と言ってもそれは大した約束じゃなくて、友人の撮った石垣島の写真を送ってもらう代わりに、内容は問わないからブログ記事を更新する、というもの。すでに写真を受け取ってしまった以上、気乗りはしないが約束は果たされなければならない。

気乗りがしないのにも理由はあって、このブログに多少の存在意義があったとしたら、それは日本の左傾化を阻止しなければならない時期において、のことだったからだ。つまりは、暗黒の民主党政権が誕生する2009年9月までは、ぼくはきわめて強い危機意識を持ってブログ記事を書いていた。そこにはぼくなりの存在意義が、確かにあったのだ。

実際、今の若い人には信じられないだろうが、あの当時の日本は中国・韓国・北朝鮮の非軍事的侵略に抗しきれず、かなりヤバい状況だった。何しろ自民党から「人権擁護法案」やら「外国人参政権」やら「皇室典範改正」などの法案が飛び出てくる時代だ。そしてセンターラインを見失った日本国民は、最悪の選択をしてしまった。左翼政権の誕生だ(今の韓国と同じだねw)。

しかしそこは、さすがに”成熟した民主主義”を誇るわが国だ。賢明な国民は、悪政を繰り返した民主党政権を数年で見切ることが出来た。舵は大きく右に切られ、日本はセンターラインを取り戻した。以後、いろいろ諸問題は抱えつつも、株価は上がり、失業者は減り、外交的な地位も向上・・・と、10年前からは考えられない明るい日本が今ここにある。

そしていよいよ憲法の改正までが国民的な議論の俎上に載せられているこの時期に、自虐史観ガーとか、戦後民主主義ガーとか言ってるブログの更新ってどうなのよ? と思うと、ぼく自身も笑ってしまうしかない。それに今はプロの文筆家を除けばツイッターとかのSNSが主流なわけで、ブログって何? なんて人もいるのかも知れない。
ぼくにしてもツイッターには日常的に触れているが、長文の時事ブログなんて「株式日記」くらいしか読まなくなって久しい(ちなみにぼくはツイート自体はしたことがないし、2ちゃんねる含めた掲示板、他人様のブログのコメント欄などに書き込みをしたことも一切なかったりする)。

というわけで、やむなく更新するこのブログ。内容は問わないと言うのなら「糖質制限ダイエット」だとか「横浜のおすすめデートスポット」だとかをテキトーに書いた方がアクセスアップに繋がりそうだが、わざわざ友人を失うような行動はとらない方がいい(笑)。
ならばここのブログ主好みのアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』(2012〜14)はどうか、と思ったが、周りに観てた人間が誰もいないので盛り上がらないし、新しい作品はリアル世代の青少年が批評したほうがいいのでオヤジは黙ってろ。

やはり『ゴジラ』で始まったブログは『ゴジラ』で終わるべきなのか・・・。

(以下、いきなり本文に入る)

シン・ゴジラ』(2016・東宝)のような名画について、しばしば言われることの一つに、観る人によって様々に解釈できる許容力、というものがある。むろん映画は論文じゃないんだから、名画の持つ許容力自体はぼくだって否定しない。
だが、以下のツイートはどうだろう?

福島みずほ @mizuhofukushima 4時間4時間前
「シンゴジラ」を見る。
福竜丸の展示館に行くと、太平洋で行ったアメリカの原爆実験がどれだけ被爆を生み出し、放射性物質が海流を回っているかわかる。
核はウラン採掘から高レベル放射性物質の処分まで命と環境を傷つける。
ゴジラは人類の身勝手から生じた悲しい化身に見える。そして人類は復習される

一言、これは酷い(笑)。
『シン・ゴジラ』のゴジラは「福竜丸」も「原爆実験」も関係ないし、「人類の」身勝手から生じてもいないし、仮に「復習され」たのだとしても「人類」じゃなくて日本人だけだ。
続いてもう一つ、引用。

福島みずほ @mizuhofukushima 4時間4時間前
「シンゴジラ」の映画を見る。
放射性物質を吐き出して、暴れるゴジラを見ていると原発事故を思い出す。原発はいらない。
コントロールできず人類は復習を受ける。核兵器でゴジラを撃退しようという計画もひどすぎる。

こちらも同様だ。
『シン・ゴジラ』と「原発事故」には何の関係もない。そして今回のゴジラは「原発」自体でもない。

これらをみる限り、福島瑞穂が本当に『シン・ゴジラ』を劇場で観たのかが疑わしくなってくるが、おそらく彼女はその目で観たのだろう。そして映画で実際に描かれたものとは別のものを、スクリーン上に見たのだろう。

でもぅ瑞穂ちゃんはオタクの評論家じゃないんだしぃぃ映画をどう感じたってあの娘の勝手だと思うんですぅぅ・・・って声も聞こえそうだが、今回ぼくはそのような、一見中立を装う思考停止を許さないことにする。
なぜならこれは1954年以来続いてきたゴジラシリーズとは別の、『シン・ゴジラ』だからだ。
『シン』であるからには「旧」とは異なると、タイトル自体が言っているのだ。
しかもこれを作ったのが、日本でも指折りの特撮オタクで知られる庵野秀明樋口真嗣だ。旧シリーズと同じで、あるわけがないのだ。

・・・と、ここで今、若い人に大流行しているという「LINE」とかいうスマホアプリで件の友人に問うてみれば、彼は昭和・平成・ミレニアムにまたがる旧ゴジラシリーズは、ほとんど観ていないと言う。
ならばよし。
『シン』を知るには、まず「旧」を知ることだ。
「旧」で描かれた、あるいは語られたゴジラとは違うものが、『シン』にはあるはずだ。

あと何回かつづく