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竹波エーイチ

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バラージの青い石 ~ウルトラマンは神か?

チャータムとノアの神

※以下の記事は、「バラージの青い石」の脚本を書いた金城哲夫氏の宗教観についての個人的な雑文であり、「ノア」についての学術的な研究発表ではありません。
なお、赤字部分は、クレームコメントに対応する意味で、後日修正した箇所です(2009/2/3)。

『ウルトラマン』第7話、「バラージの青い石」。
ぼくはウルトラマンのマニアでもオタクでもなく、ましてや研究者のような高尚な者でもない、ただの冴えない中年のおっさんだ。しかしそんなぼくでも、この「バラージの青い石」が後にマニアやオタクや研究者を大いに悩ませた作品であろうことは容易に想像がつく。
ウルトラマンとは何者か? ウルトラマンは「神」なのか?
「バラージの青い石」はこの永遠の問いに、原作者自らが何ともテーゲーな解答を与えてしまったからだ。


バラージというのは、中東のアララト山のふもとにある街の名前だ。
「この街はかつて大いに栄えた街だったのですが、今では地図にも名前が載ってないゴーストタウンになってしまいました。学者の中には、実在の街ではないという人さえいるぐらいです」
そのバラージ近辺に巨大な隕石が落下し、それを調査しにいった科特隊トルコ支部、インド支部、さらにパリ本部の隊員たちが消息を絶った。それで日本支部にお鉢が回ってきたのだったが、日本支部も同じく宇宙怪獣アントラーの放つ磁力に引き寄せられ、砂漠に不時着させられてしまう。そこをアントラーに襲われてその場を逃げ出した隊員たちは、命からがらバラージの街にたどり着く。

隊員たちは街の人に話しかけてみるが、アラビア語もヘブライ語も全く通じない。そこに王女風の女、チャータムが現れ、テレパシーを使って会話を始める。
チャータムによれば、バラージは昔はシルクロードの交易地として栄えに栄えたが、アントラーが現れてからは訪れる人もいなくなり、老人ばかりが住む街になったとのこと。
「それじゃ、あの怪物はそんな昔から・・・。しかしあの怪物は何故この街を襲わないのです?」
と尋ねるムラマツ隊長に、チャータムは「ノアの神の守りです」と答え、宮殿に案内する。するとそこには左手に青い石を持った、ウルトラマンそっくりの神像があった。

「ノアは宇宙人だったのか・・・」(ムラマツ)
「5000年の昔、ウルトラマンの先祖は地球上に現れ、その時もやはり人類の平和のために戦っていたのか」(アラシ)
「うむ、我々人類にとって、ウルトラマンは平和のための大切な神なのかもしれん」(ムラマツ)


金城哲夫がどうしてこのような話を書いたのか、なんとも理解に苦しむ。あるいは共作にクレジットされている南川竜(野長瀬三摩地監督)が主導権をとった可能性もあるが、たしか金城は玉川学園で民俗学や宗教学を学んだのではなかったのか?
ごらんの通りで、「バラージの青い石」の宗教観はテーゲーだ。
アラビア語もヘブライ語も分からない住人という点で、ここがイスラムでもユダヤでもないことはすぐ分かる。第一、イスラムやユダヤなら、造物主と何の関係もない「神像」を崇拝するはずがない。
となると(多神教で偶像崇拝のアジア人ということで)ヒンドゥーだと考えたくなるが、ヒンドゥーには「ノア」なんて人物は登場しない。もちろん方舟の伝説なんて知りもしないだろう。

つまり、ここで隊員たちはしたり顔で「神」というが、それが何の「神」を指しているのか、さっぱり分からないというわけだ。ウルトラマンがその「神」だとまで言うにも関わらず・・・。
では、ウルトラマンとはいったい何の「神」だと言うのか?

しかしヒントはある。
それは、金城哲夫が沖縄の出身だということだ。

沖縄紀行:琉球八社を巡る
どなたが書かれたものか知りませんが、沖縄の信仰について分かりやすく書いてあったので勝手に引用させていただきます。※2013年7月に「花鳥風月Visual紀行」管理人の、うににん様より転載許可をいただきました)

・どうして沖縄に熊野権現が?と質問してみると、14世紀頃に本土から真言宗の僧が訪れたのがきっかけだと教えてくれた。

・ちなみに、沖縄では仏教はそれなりに市民権を得てはいるものの、檀家制度がないので住民は特定寺院とつながっているわけではない。

・こうしてみると沖縄の神社は明治の神仏分離令以降も 「習合」 の状態を長く維持し続けてきたことが伺える。切り口によって仏教的にも神道的にもニライカナイ信仰的にも見えるのだけれど、実は全部つながっていて根っこの部分は一緒なのである。本土では既に失われてしまった、神仏分離以前の古い信仰の姿が、ここには色濃く残っている。(『花鳥風月Visual紀行』より)


ここでぼくが注目したのは、「沖縄的チャンプルー空間」となっている沖縄の信仰における、仏教の位置づけだ。
他のサイトもいろいろ漁ってみたところ、仏教はどうやら沖縄では、その教義自体が問題にされることはほとんどなく、ひたすら葬式用の宗教として存在しているとのことだ。その理由としては上記の引用にあるように、沖縄では「明治の神仏分離令以降も『習合』の状態を長く維持し続けてきた」こともあげられるのだろう。

しかし本土においては、神仏は明治以来きっちり分離し、教義を明確にしてきた。そこへ沖縄の葬式仏教しか知らない金城哲夫がやってきて、民俗学や宗教学を学んだ・・・。
となれば金城哲夫は、知らずには済まされない、一人の巨大なヒーローの存在に当たったはずだ。
それは現在の日本仏教では最大規模の宗派、浄土真宗の本尊、阿弥陀如来だ。


仏教の基本というのは、いかにして個人が修行を積んで苦しい輪廻から解脱するか、ということだとぼくは理解している。要は、個人が自分のために行うものであって、他者を救済するような性質のものではない。
しかし浄土真宗は違う。
いわゆる「他力本願」というやつで、善人どころか悪人も救済してしまう信じられないほどサービスのいい宗派だ。それもこれも、数いる如来のなかで、阿弥陀如来だけが全ての人間を救うために修行を積んでくれたおかげだそうだ。
この阿弥陀如来がどれほどのヒーローだったかは、あの織田信長をもっとも苦しめたのは上杉謙信でも武田信玄でもなく、本願寺一向一揆だったことだけでも十分わかるだろう。

だからぼくらが「神さま仏さま」と助けを請うとき、「仏さま」がこの阿弥陀如来であることは間違いないように思える。
では「神さま」が誰かというと、おそらく誰と特定できる存在はいないだろう。そうではなくて、助けを請わざるを得ないような状況に追い込んでいる「神さま」のお怒りや祟りを鎮めてもらうために、「神さま」にすがっているのだとぼくは思う。
つまり「神さま許してください、仏さま取りなしてください」というところだ。
こういった感覚は本土の人間だけが持っているもので、沖縄の葬式仏教しか知らなかった金城哲夫にとっては一つの「発見」だったのではないかと思う。

「神ではないんです」「ウルトラマンは人々の心が呼び寄せるものなんです」「例えば、大怪獣が現れた。ウルトラマン助けてーッ、ウルトラマン来てくれーッ。そうした心からの叫びに反応するというか。そういう存在なんです」(『金城哲夫ウルトラマン島唄』上原正三著)

おそらくこんな便利な存在は、沖縄はおろか、外国にもそうそういるものではないだろう。キリスト圏ではよく「Oh My God!」というが、キリスト教は予定説の宗教なので、造物主が決めた運命は変えることができないはずだ。あれはただ運命を嘆いているだけのことだろう。
しかし金城は、本土には人々の「願い」や「祈り」に応えて救済してくれる存在がいることを知った。この鮮烈なイメージが、本土の子どもたちに与えられるべきヒーロー像として、やがてウルトラマンに結実していったとしても不思議ではないようにぼくには思える。

それでは「バラージの青い石」の「ノアの神」とは何だろう?
ぼくはそこには、やはり沖縄人としての金城の発想があるように思う。彼の故郷、沖縄では、神仏はいまだに分離していないという。ならば沖縄人金城にとっては、「仏さま」もあくまで「神さま」の一人でしかないということになる。
だから怪獣が「神さま」だとして、ウルトラマンもまた「神さま」であっても金城にとっては何の問題もない。ウルトラマンは「仏」という名の「神」だ、ということで落ち着いてしまうからだ。

ここに「バラージの青い石」の混乱の真相があると思う。
金城はおそらく、西洋・中東的な意味でウルトラマンを「神」だと考えたわけではないだろう。むしろそれは、沖縄からみた「仏」、阿弥陀如来だった。
しかし、沖縄の「沖縄的チャンプルー空間」となっている宗教観がそれを「神」だと言ってしまい、それまで統一感のあったウルトラ像に混乱をきたした。
そのようにぼくは考えている。


ところで、またそれとは別のところにも、ウルトラマンへの仏教の影響はあるとぼくは思っている。
『ウルトラマン』第一話「ウルトラ作戦第一号」で、誤ってハヤタを殺してしまったウルトラマンは、自分の命を与えることでハヤタを救おうとした。この展開はいかにも仏教的というものだろう。

生活の中の仏教用語”月の兎”大谷大学ホームページより

こういった行為を「捨身」と言うそうで、法隆寺の玉虫厨子に描かれていたり、手塚治虫の『ブッダ』第1巻冒頭にも出てくる。仏教の神髄の一つなのだろう。

つづく

関連記事:ウルトラマンAとキリスト教

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