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竹波エーイチ

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1967年生まれのおっさん。
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噴煙突破せよ ~科特隊について

shall we dance

『ウルトラマン』第21話「噴煙突破せよ」は、科特隊にとって記念すべき一作となった。この作品で、ついに科特隊は自力での怪獣退治に成功した。怪獣ケムラーは、イデ隊員の発明したマッドバズーカによって急所を攻撃され、自ら火山に落下して爆死したのだった。

いや、もちろんこれ以前にも科特隊はマグラーとアントラーを倒している。が、マグラーはその回の主役とは言えなかったし、アントラーにはバラージにあった守護石を投げつけただけで、いずれも自力で完全勝利をおさめたとは言い難い。やはり「噴煙突破せよ」を、科特隊の初勝利と考えてもいいように思う。そしてWikipediaによれば、この後の科特隊は、ギガス、ゴルドン(1匹目)、テレスドン(再生)、ドラコ(再生)、ジェロニモン、サイゴ、ゼットンを倒すことになる。

この科特隊の全成績をどう見るかは人それぞれのような気もするが、ぼくとしては十分合格点だと言いたいところだ。ゴジラシリーズにおける人間の絶望的なまでの無力さとは、全く比較にならないだろう。
特に「噴煙突破せよ」では、スペシウム光線がケムラーに通じなかったウルトラマンは、むしろ科特隊の砲撃の邪魔者になっていた。ウルトラマンにできることは、ケムラーを抱きかかえてその急所をアラシが狙いやすい位置に固定することだけだった。まさに科特隊の完全勝利だ。

が、それでも全話を平均すれば、科特隊が基本的にはウルトラマンを頼りにし、その登場を心待ちにしている気配があることは否めない。ウルトラマンになりたい子どもは沢山いるだろうが、それを差し置いて是非とも科特隊に入りたいという子どもが、果たしてどれほどいるものやら。

では、そんな科特隊とは一体何なんだろうか。
もちろん、科特隊とはパリに本部を置く国際科学警察機構の日本支部で・・・なんてことではない。科特隊の、劇中での役回り、その存在の意味とは何か、ということだ。

諌山陽太郎さんという作家の書いた『マンガ・特撮ヒーローの倫理学』という本のなかに、次のような一説がある。

荒ぶる<神>が天変地異を起こす(怪獣が現れる)

→呪術者が<神>の意を読む(科学者がその現象を解釈する)

→呪術者は人々に荒ぶる<神>の鎮め方を指示する(科学者の<ことば>を聞いた「科学特捜隊」が出場し様々な<科学>を駆使する)

→荒ぶる<神>は鎮められる(ウルトラマンが現れ、怪獣は退治される)

『ウルトラマン』は、<人間>世界の外と<人間>とが<科学>という呪術を用いて交感するという、生き生きとした<まつりごと>の世界を描いた物語なのである。

一部を引用しただけだと分かりにくいが、古代では<呪術>であったものが現代は<科学>であり、『ウルトラマン』はきわめて日本的な解決方法をベースにした物語だ、ということだと思う。
この説自体には非常に魅かれるものがある。
が、多少の不満もある。
と言うのも、科特隊が科学を駆使することとウルトラマンが現れて怪獣が退治されることには、何の因果関係もないからだ。これは論理の飛躍というものだろう。

この間には、諌山さんが省略した2つの決まったプロセスがある。
一つは、「噴煙突破せよ」等の一部の作品を除いてだが、まず科特隊が怪獣に敗北すること。
そしてもう一つが、ハヤタが自らの意志でウルトラマンに変身するということだ。
この二つのプロセスを経て、ようやくウルトラマンによって怪獣は退治される。

まあ、科特隊があっさり科学を駆使して怪獣を倒してしまっては、ウルトラマンの出番が無くなってしまって番組自体が成立しないわけだが、それにしても<科学>という<呪術>は、実際のところ荒ぶる<神>にはあまり役に立っていない。
つまりそれほどこの<神>は何かに怒り狂っている(『もののけ姫』のシシ神のように)。
こういう場合、古代の日本人はどうしたか。
『ゴジラ』のなかで、大戸島の古老はこう言った。
「むかしは長く時化の続くときには、若え娘っ子をいけにえにして、遠い沖に流したもんだ」

荒ぶる神への「いけにえ」。これが科特隊の役回りだろう。
ただし、ただいけにえになっただけでは足りない。まず<神>の怒りの原因を科学的に調査し、その<神>の怒りがどれほど大きいか、そしてその<神>がいかに強いかを身を以て示さなくてはならない。
つまり<科学>という<呪術>とは、神道の「祝詞」に近いものだとぼくは思う。
<神>の怒りをみなに伝え、その偉大さを奏上することによって、荒ぶる神を鎮める。それが科特隊の仕事だろう。


さて、これで『ウルトラマン』世界のおおよその概観が見えてきたように思う。
まず怪獣たち。彼らはいわゆる八百万の神が、人間の働きかけによって実体化し、境界を越えて人間に害をなすようになったものだとしよう。
さらに科特隊はそんな荒ぶる神を鎮めるために祝詞を奏上し、いけにえになるものだとする。
そしてウルトラマンは「和」を尊ぶ者であり、辺境を守る武士であり、荒ぶる神を葬る阿弥陀如来でもある。ウルトラマンは、怪獣退治による血のケガレの全てを引き受けて、遠い宇宙に排出もする。
しかしそんなウルトラマンは、実はいけにえであるはずのハヤタが変身した姿だ。ハヤタの、地球の平和を守りたいという強靭な精神力が、ウルトラマンを地上に存在させる。ハヤタの勇気ある決断がなければ、ウルトラマンは登場しない・・・。

こうして一望してみると『ウルトラマン』は、当時の日本人が普通に持っていた世界観や宗教観の内部に存在しているように思える。八百万の神、祟り、罰が当たる、ケガレとミソギ、和の尊重、武士道・・・おばあちゃんのぽたぽた焼きの世界だ。
なにより注目すべきは、この世界のどこにも「悪」の存在がないことだ。もちろんそれは、誰かを「悪」だと決めつければ、「言霊」が生まれるからだろう。
そしてもっと注目すべきことは、一見すると固定されて見える力関係を一瞬にして覆す力は、科学力でもなんでもなく、ハヤタという一人の人間の強烈なまでの平和への願い、祈りだということだ。
精神力が科学力に打ち勝つ。
この非合理性も、日本人ならではの世界観というものだろう。


このように、一種のループとして閉鎖的に完結していたウルトラマンの世界。
しかしその頃、永遠に思えたこの調和は、すでに内外両面からの崩壊が始まっていた。あとで詳しく書くつもりだが、そのうちの外的要因は金城哲夫自身が招いてしまった、いや、気がついてしまったものだ。
では内的要因は何か。

実相寺昭雄と佐々木守の参入だ。

つづく

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