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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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恐怖の宇宙線vs恐怖のルート87 〜実相寺&佐々木 vs 金城

こどもの怪獣

前回の記事で『ウルトラマン』には、実相寺/佐々木と金城哲夫との間に一種の対決があるのではないか、とぼくは書いた。その第1ラウンドが、第15話「恐怖の宇宙線」vs第20話「恐怖のルート87」だ。いずれも「子ども」が中心になっている物語だが、ウルトラマンと「子ども」との関わりは全くの正反対と言っていいだろう。

まずは、佐々木守脚本、実相寺昭雄監督による「恐怖の宇宙線」から。あらすじは例によってシンプルの極地。佐々木守の底知れぬ才能を感じる逸品だ。
未知の宇宙線の影響で、ムシバ少年が土管に書いた怪獣ガヴァドンの落書きが実体化してしまう。ガヴァドンは何も悪さはせずに寝てばかりいるが、そのイビキと存在自体によって東京の経済を麻痺させてしまう。ハヤタはウルトラマンに変身するが、ムシバら子どもたちに「殺さないでーやめてくれー帰れー」のシュプレヒコールを浴びる。ウルトラマンはガヴァドンを持ち上げると、そのまま宇宙に連れ去る。ムシバ少年たちは「いっちまった。ちぇ、つまんねえの」と嘆く。その夜、子どもたちがガヴァドンを偲んで泣いていると、ウルトラマンの声が聞こえてくる。
「泣くな子どもたち。毎年7月7日の七夕の夜、きっとガヴァドンに会えるようにしよう。この星空の下で・・・」
しかしムシバは「七夕の夜、雨が降ったらどうなるんだよう」と愚痴る・・・。


一つ前の第14話「真珠貝防衛指令」で、「女性の敵」なんていう結婚詐欺師か宝石泥棒かという相手と戦わせられたウルトラマンは、今回は「子どもの夢を壊す者」にされてしまった。
佐々木守の狙いは明らかだろう。ウルトラマンは「大人」のメタファーだと、佐々木は子どもたちに伝えている。学校の先生や、口うるさい親、おっかないおまわりさん・・・君たちが苦手な、そういう「大人」とウルトラマンは同じなんだよ、と佐々木は言っている。それがこの作品に込められたメッセージだろう。だからムシバはウルトラマンの言葉に反抗する。サイコーにご機嫌なおもちゃを取り上げられてしまったからだ。

ウルトラマンに向かって「帰れ」コールをした子どもたち。そしてガヴァドンとの別れに涙した子どもたち。
しかし彼らの本音は「ちぇ、つまんねえの」だ。そこに本当のガヴァドンへの愛情があったわけではない。要は、世の中が混乱し、大人たちが困り果てている状態を楽しんでいるだけのことだ。
怪獣ガヴァドンでなくても、東京のど真ん中に巨大なウンコが出現しただけでも、彼らは同じように楽しむことができただろう。さすがに学生時代に児童文学を志したというだけあって、佐々木守は子どもの本質を熟知している。

これまで「人類」を丸ごと守っていることになっていたウルトラマン。しかし「恐怖の宇宙線」で、人類は「大人」と「子ども」に分断されたのだった。


これに対する金城の返答はこうだ。
第20話「恐怖のルート87」。国道87号線でトラックにひき逃げされたムトウアキラ少年の魂が乗り移った(と思われる)怪獣ヒドラは、国道87号線を走るトラックを次々と襲う。ハヤタはウルトラマンに変身するとヒドラと戦い、スペシウム光線でとどめを刺そうとするが、アキコ隊員がヒドラの上にムトウアキラ少年の魂が乗っていることに気がついて叫ぶ。
「ウルトラマン、ヒドラを殺してはいけないわ!」
ウルトラマンもそれに気付いたのか、飛び去るヒドラをただ見送った。アキコ隊員は言う。
「ウルトラマンには分かってたんだわ。ありがとう、ウルトラマン」
ムトウアキラ少年を殺したひき逃げ犯は自首し、事件は解決する。イデ隊員は言う。
「ヒドラは子どもたちの守り神だったのかもしれませんね。遠い遠い昔から・・・」
しかしどうしてアキコ隊員にはヒドラの上のムトウアキラ少年が見えたのか。アキコは言う。
「結局、純真な心の持ち主には、普通の人には見えないものが見えるってことじゃないかしら・・・」


怪獣が子どもの側にいる、という点ではこの両作品は似ているような印象を受けるが、内容は全く違う。ただ寝ていただけのガヴァドンに対し、ヒドラは「交通事故で不幸な死をとげた多くの少年たちの化身」となって大人社会を襲った。ガヴァドンは巨大なウンコと何も変わらないが、ヒドラはゴジラ以来の伝統的な怪獣像を踏襲している。
つまりここで金城哲夫は、怪獣が人間に害をなすからハヤタがウルトラマンになって戦うのだ、という『ウルトラマン』の大前提から逃げてはいない。そしてその上で、ウルトラマンが子どもたちと共にあることを表現する。
ムトウアキラの幻影が見えたのはアキコとウルトラマンと、テレビの前の子どもたちだけだった。ウルトラマンはアキコや子どもたち同様の「純真な心」を持っている。だからウルトラマンは君たちのものなんだ。
それが金城がこの作品に込めたメッセージだろう。


それにしても、なぜガヴァドンもスカイドンもガマクジラも、もっと派手に町中で暴れたり訳もなく人間を襲ったりしないのだろう? どうして実相寺/佐々木の怪獣たちは寝てばかりいるのだろう? そして、何も悪いことをしない怪獣たちを、どうしてウルトラマンは力づくで排除しようとするのだろう?
なんだか怪獣のほうが可哀想に見えてくる。もしかしたら怪獣のほうが哀れな存在なんじゃないか・・・?

怪獣が寝てばかりで何もしなければ、暴力をふるっているのはウルトラマンだけになる。怪獣が弱者に見えてくる。さらにその怪獣が、不幸な生い立ちだったりしたらどうだろう。

しかも、その怪獣が元は人間だったとしたら・・・。

つづく