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竹波エーイチ

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1967年生まれのおっさん。
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故郷は地球vsまぼろしの雪山 〜「怪獣な日々」

まぼろしの雪山

実相寺/佐々木vs金城の第2ラウンドは、怪獣になった人間がテーマだ。いずれも主役、というか狂言回しは科特隊のイデ隊員が務める。イデを通して、科特隊の、そしてウルトラマンの「正義」が問われる。

実相寺/佐々木が繰り出すのは、怪獣ジャミラが登場する第23話「故郷は地球」だ。
あらすじを簡単に言うと、有人人工衛星に乗り込んだエリート科学者ジャミラが宇宙で遭難し、自分を救助に来ない全人類に恨みを持つと、どういうわけか怪獣に変化してしまい、地球に復讐のために戻ってくるというストーリーだ。

ジャミラは日本で開かれる国際平和会議にこそ復讐すべき「全人類」の代表が集まって来ると思ったのか、会議の参加者をピンポイントで殺害する。はじめはジャミラ退治に精を出していた科特隊日本支部だったが、パリ本部のアラン隊員からジャミラが元は人間であったことを聞かされたイデは言う。
「おれ、やめた。ジャミラと戦うことはやめた」「考えてみりゃ、ジャミラはおれたちの先輩じゃねえかよ。その人と戦えるか!」「おれたちだってな、いつジャミラと同じ運命になるか知れないんだよ」(『戦後ヒーローの肖像』佐々木守著より)
イデはジャミラにも叫ぶ。
「ジャミラ、てめえ人間らしい心はもうなくなっちまんたんかよォ」
イデの叫びはジャミラには届かず、ジャミラはなおも国際平和会議会場に向かう。結局、科特隊とウルトラマンは、ジャミラの苦手である水を浴びせかけ、ジャミラを退治したのだった・・・。

ジャミラと「故郷は地球」について記事を書くのはこれで3回目になる。
1)ジャミラは可哀想か
2)『故郷は地球』は名作か

何度も同じことを書いても仕方ないので、今回は単刀直入に書くことにしたい。
実相寺/佐々木がこの作品で言いたいことは、ウルトラマンはジャミラが元は人間であったことを知っていながら「怪獣」として殺害したが、人間を守るはずの彼が人間ジャミラを殺していいのか? それでもウルトラマンは人間の味方と言えるのか? ということだ。

と、断定するのには理由がある。
実相寺本人が、ウルトラマンという存在が嫌いだったと証言しているからだ。

『ウルトラマン』の誕生した昭和四十年代の初頭は、東京オリンピック、新幹線開通、首都高速の開通などに引き継いだ列島改造の波が大きくうねっていたころで、映画の題名でいけば超高層のあけぼの時代という、土木工事が根こそぎ日本の様相を変え、地霊を追い払っていた時期なのである。
いわば、ウルトラマンのヒーローとしての本質には、正義という名分に、そんな開発側の論理が匂っていたことは否定できまい。
だから、そのシリーズに手を染めていたとき、ヒーローに感情を移入することは難しかった。つくり手としては、どうしても眠りを妨害される地霊のほうへ感情と関心がかたむいていたわけで、ヒーローを熟知させ、正義の御旗を担ぐ気にはなれなかったのである。(「『ウルトラマン』二十五周年偶感」

どうもあのころ、ウルトラマンなど、正義の側に肩入れをしなかったのは、土建屋と歩調を合わせて開発に狂奔するイメージが、超人側にはつきまとっていたせいかもしれない。(「ウルトラ・シリーズの怪獣たち」

ウルトラマンのような巨大なヒーローは、結局人間に利用されるだけされて、ある時代が終われば御用済みの払い下げになるのだろう。(「ウルトラマンを作った男」

いずれもちくま文庫から出ている『怪獣な日々』(実相寺昭雄著)から引用した。
実相寺のウルトラが、金城哲夫と全く異なる地点からスタートしていることは一目瞭然だろう。実相寺作品とは、最初からウルトラマンの「正義」を否定することを目標にしていた。そのために逆算されて生まれたのが、子どもの夢から生まれた何も悪事を働かない怪獣ガヴァドンであり、ただ重いだけの怪獣スカイドンであり、科学競争の犠牲者ジャミラだった。

そもそも実相寺は『ウルトラマン』制作の初期メンバーではない。金城哲夫を始めとした若い情熱が、『ウルトラQ』を超えるものを、全く新しい子どもたちのヒーローを、とぶつかりあったあの現場に、実相寺はいない。彼はTBSからの出向社員で、遅れてウルトラに参加した助っ人だった。実相寺が来た時にはすでに『ウルトラマン』は完成していた。
何事も、創造するよりも破壊するほうが簡単なのは分かりきったことだ。『ウルトラマン』で言えば、怪獣が悪さをせず、むしろ人間の行為の犠牲者であるように設定すれば、それを排除しようとするウルトラマンの正義は容易に揺らいでしまう。
しかしそれは完全なルール違反だとぼくは思う。手を使ってサッカーをやったなら、それはもはやサッカーとは言えないはずだ。

ただ、監督陣の末端にいてはっきりいえることは、これを見る対象としての子供のことなど、わたしは何も考えていなかった、ということだ。ほかの監督さんのことは知らない。少なくともわたしは、子供に”夢”を与えたいということは、全く思わなかった。(「今日の夢・ウルトラの夢」

ほかの監督さんのことは知らない・・・つまり実相寺は『ウルトラマン』を使って、『ウルトラマン』ではないものを作っていたのだろう。


「故郷は地球」に対する金城の返答は、第30話「まぼろしの雪山」だ。

ある雪深い村に、15年前、行き倒れの母子があった。母親はすでに死んでいたが赤ん坊は生きていて、そのことから「雪女の娘」だと村人に嫌われた。娘はゆきと名付けられ、飯田山の麓に住む独り者の老人に育てられたが、老人も2年前に死んでしまった。あるとき村の猟師の一人が、いつも猟の邪魔をするからと言ってゆきに脅しの発砲をした。するとそこに土地の伝説の怪獣ウーが現れて、ゆきを守った。しかしそのせいで村人のゆきへの迫害はますます酷くなり、ついには鉄砲を持った猟師の集団にゆきは追われた。ゆきの助けを求める声に、怪獣ウーがまたも現れた。ハヤタはウルトラマンに変身してウーと戦った。いよいよスペシウム光線と思われたそのとき、ゆきがウーを呼ぶ声が聞こえてきた。やがてその声が聞こえなくなると、ウーは消滅した。雪山で死んでいるゆきの映像が映し出された・・・。

「故郷は地球」と同じく、「まぼろしの雪山」も演劇上の主役はイデだ。幼い時に母と死に別れたイデは、ゆきに同情し「何だか今度の事件はひどく気が重いんだ」とぼやく。
「ぼくにはウーが、15年前に死んだ雪ん子(ゆき)の母親の身代わりのような気がするんだ。ひょっとすると母親の魂が、今でもゆきのそばに・・・」
しかしアラシ隊員にそれは感傷だと言われ、イデはウーとの戦いに向かう。

戦闘を懐疑し、放棄しかけるという点で「故郷は地球」と「まぼろしの雪山」のイデの立ち位置は似ている。また、ウーがゆきの母親ではないかと言われるところは、元は人間であったジャミラに近いものがある。
が、両者のウルトラマンの扱いは全く違う。水に弱いジャミラに、執拗なまでにウルトラ水流を浴びせ続けたウルトラマンはここにはいない。ここにいるのは「恐怖のルート87」で「純真な心の持ち主」にしか見えないアキラ少年を見た、あのウルトラマンだ。ウルトラマンは今回も、ウーを呼ぶゆきの声を聞いたからスペシウム光線を発射しなかったのだ。

もちろん「怪獣」の扱いも異なる。実相寺は自分の文章のなかで

時代の間尺に合わなくなったもの、地に宿る霊、樹々の精、といったものが消えゆく宿命を背負って”怪獣”というかたちを結んだことは間違いないだろう。

だから感情移入は滅びゆくものへの挽歌という趣になった。(「ウルトラ・シリーズの怪獣たち」)

と書いているが、こういう書き方は「ずるい」とぼくは思う。それは、そういう意味での怪獣を描き続けたのは金城哲夫であって、実相寺昭雄ではないからだ。
実相寺のガマクジラ、ガヴァドン、ジャミラ、スカイドン(テレスドン、シーボーズ)のどこが「時代の間尺に合わなくなったもの、地に宿る霊、樹々の精」なのだろうか。そういった怪獣の哀れさは、金城のヒドラにありウーにこそあるのではないか。
金城は『ウルトラQ』のころから、巨大猿ゴロー、マンモスフラワー、岩石怪獣ゴルゴス、大ダコのスダール、大蜘蛛タランチュラ、モグラ怪獣モングラーなどで、怪獣たちの悲しさや哀れさを描いてきた。その上で、それらを退治せざるをえないウルトラマンというヒーロー像を追求した。

上原正三の書いた『金城哲夫ウルトラマン島唄』のなかで、金城が『怪獣解剖図鑑』の大伴昌司を相手にこんな会話をしている様子が描かれている。

「だから、ぼくは何度も言っています。ウルトラマンは怪獣の殺し屋ではない」
「でも怪獣を退治している」
「殺すつもりはないんです」
「えッ?」
「お前、やめろよ、そんな悪さやめろ。早く帰れ、山でも海でも、巣に帰れ」
「ウルトラマンが?」
「そうです。諭しているんですよ、初めは。それでも悪さをやめないから懲らしめるんです」
「懲らしめる?」
「そうです。それも仕方なく懲らしめるんです。よーく見てご覧なさい。ウルトラマンの顔。怪獣に話しかけていますよ。怪獣にもいろいろな性格があるから、きかん気の強いヤツ、生まれながらの乱暴者とか」


怪獣博士の大伴昌司にして、金城のウルトラマンに込めた思いが全く理解できていなかったことは驚きに値する。無論、そうした混乱を招いた元凶の一端が、実相寺昭雄作品にあることは言うまでもないことだろう。同じシリーズでありながら、全く違うヒーロー像を描く人間が同居していて、混乱を起こさないことの方が不思議というものだ。

ところで、最初は「実相寺/佐々木」と書いていたものが、途中から「実相寺」一人になったのには訳がある。
ぼくの見るところ、佐々木守には何が何でもウルトラマンを破壊しようという意図があったわけではないようだ。ないわけではないが、実相寺より薄い。
それは「故郷は地球」の脚本を読むと分かる。ジャミラを「一匹の怪獣として葬り去れ!」と言った科特隊パリ本部のアラン。放映された映像では、その言葉をアランは全く表情を変えることなく冷徹に言い切った。それが余計に、科特隊という組織のありようを強調する結果になった。
しかし佐々木の脚本では、そのときアランは涙を流していたのだ。

『ウルトラマン』には、実相寺昭雄が自ら脚本を書いた作品が一本ある。
第22話「地上破壊工作」。
果たして、そこで破壊されたのは「地上」だけだったのだろうか。

つづく

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