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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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アイアンキング 独立原野党(独立幻野党)

イスラムゲリラ?

不知火族に続く『アイアンキング』の敵役は、「独立原野党またの名を幻兵団」と名乗る「この日本を転覆させようという、とんでもない革命集団」(霧島五郎談)だった。

独立原野党の首領は言う。
「同志諸君、革命だ! おれたちの時代を作るべき革命の時が今来たのだ!」
しかし実のところ、この「とんでもない革命集団」がどういう思想や信条を持ち、どういう時代を目指しているのかは作中ではさっぱり分からない。彼らはひたすら「革命」を叫ぶのみで、手がかりといえるものは彼らが不知火族と同じように日本の自民党政府を「大和政府」と呼ぶことだけしかない。

ところが幸いなことに、原作者の佐々木守自身がこの件についてきちんと説明してくれている。

「アイアンキングのいささか異色な点の第二は、闘う相手が宇宙人ではないという点である。その最初の敵は『不知火族』を名乗る日本先住民で、渡来人である大和政権の打倒を目指して襲撃して来るのである。次なる敵は『独立幻野党』を名乗り、現代まで続く大和王朝の転覆を志す革命集団である」
「このころぼくが騎馬民族征服王朝説にひかれて、日本古代史などの歴史書を調べたり、また日本赤軍の行動に関心をもっていて、昭和四八年の暮れにはレバノンのベイルートへでかけたりしていた気持ちがストレートに現れているようである」(『戦後ヒーローの肖像


戦後ヒーローの肖像』は佐々木守の晩年である2003年に出版された本で、かなり物腰の柔らかな、ゆったりとした懐の深い文体で書かれている。上原正三が初めて佐々木守に出会ったころの「オレはこの世に恐いものは何もない。そんな顔である」(『金城哲夫ウルトラマン島唄』)といった威圧感はどこにも感じさせないものだ。
それにもかかわらず、佐々木守はここで何のカッコ書きもなく「渡来人である大和政権」と言い切っている。どうやら佐々木守は、晩年にいたるまで「騎馬民族征服王朝説」を確信していたということだろう。

騎馬民族征服王朝説(Wikipedia)

ぼくは歴史学には詳しくないが、簡単に言えば、現在の天皇家は大陸からの渡来人だという説だと理解している。作家の井沢元彦さんが常々指摘されるとおり、こんなことは宮内省が5世紀前後の古墳の発掘を認めれば瞬時に決着がつくことだと思うが、現在に至るまでその正誤が議論されているようだ。
ただ、戦後民主主義に限りない可能性を追い求め、そのためにも皇国史観を全面否定したい佐々木守にとっては、騎馬民族征服王朝説は、まさに渡りに船のような学説だったことだろう。


「今の日本の諸悪の根元は天皇制にあります」(Wikipediaより)

前回の記事に書いた通り、佐々木守は『アイアンキング』の主人公静弦太郎にヤマトタケルの旅路を再現させることで、ヒーローたちが訴える「正義」や「平和」の最深部にある天皇制をあぶり出そうとした。ヒーローたちはぼくら一人一人の味方ではなく、現在の国家体制を維持するために働いている、というのが佐々木守の本当の主張だろう。
そして不知火族が滅びると同時に登場した独立原野党を使って、佐々木守はさらなる刃をヒーローに突きつける。

第12話「東京非常事態宣言」。
独立原野党党員に恋人をもつ玲子は弦太郎にこういう。
「あなたとあの人は違うわ。あの人たちは革命のために戦っている。自分の思想のために戦ってるわ。でもあなたは命令されて戦っている。そう、あなたは戦うことが好きなだけよ」

第17話「アイアンキング殺害命令
独立原野党の党員だった弟の死について語る姉、真琴。
「弟は幸せものです。だって弟は自分の思想のために、自分の考えを貫いて死んだんですもの。(中略)あなたたちも、あなたたちの考えを貫いて戦ってらっしゃるんでしょう?」

言いたいことは明快だ。
お前が守っている「正義」や「平和」が本当に正しいものかどうか、お前は自分の頭で考えてから行動しているのか、と佐々木は弦太郎に問いかけている。お前はただ無批判に、無自覚に現状を維持しようとしているんじゃないか、と。
無論、「国家警備機構」も「独立原野党」も、それを指摘したいがために用意された装置だから、弦太郎が反論することはできない。したくても佐々木守がそれをさせない。


ここで断っておきたいが、佐々木守という人は相当な天才だとぼくは思っている。
番組の視聴率やら玩具の販促やら、うるさい営業サイドの要望に応えながら、ここまで自分の思想を子ども番組に織り込む力のある作家はそうそういないだろう。またその思想も、正義を平和をそして権力を疑え、と自分の頭で考えることを子どもたちに求めるという点においては、大きな意義があったと思う。

しかし、その佐々木作品は諸刃の刃でもあった。
佐々木守が死守したがった「戦後民主主義」は、何かと極端に走りがちな日本人社会にあっては個人の権利や個人の自由を過剰なまでに追求する方向に向かい、社会的モラルやマナーの破壊につながってしまった。
さらに、皇国史観を否定したいあまりか、佐々木は日本の過去を否定する自虐史観の持ち主でもあった。当然、佐々木作品には自虐史観につながる思考経路から成立しているものが多数ある。

その代表が、怪獣ジャミラの「故郷は地球」だろう。
「故郷は地球」をぼんやり観ていると、権力の犠牲になった人には、例えそれが狂った殺人鬼であっても我々は謝罪しなくてはならない、という気になってくる。
また、『ウルトラマン』という絶対的なヒーローの「正義」に疑問符をつけた、何やら高尚な作品にも思えてくる。

が、それは間違った認識だとぼくは思う。
これまで検討してきたように、佐々木(&実相寺)は一環してヒーローの破壊を行ってきた。「名作」の誉れ高い「故郷は地球」も、その破壊活動のひとつのパーツでしかない。
もしもそれがつい最近放映されて、まだ評価も定まっていないような新作なら話は別だ。しかし「故郷は地球」が放映されたのは、もう40年も昔のことなのだ。そして確かに、40年前には佐々木や実相寺の作品群には相応の意義もあった。

しかし、ヒーローを否定し、戦後民主主義的な価値観を追求するような時代はもう終わっているのではないか。ぼくらはそろそろ、完全に自虐史観から脱却すべき時が来ているんじゃないか。

そう思うとき、「故郷は地球」や「怪獣墓場」は単体の作品として捉えるのではなく、実相寺/佐々木によるヒーロー破壊活動の一環として捉えるべきではないかと、ぼくは思う。くどいが40年も前の作品だ。全体像を捉えることは難しいことではないだろう。そしてそれら「名作」がぼくらに植え付けた思想や感覚を明確に取り出して、過去の遺物として葬り去る必要があるとぼくは思う。

佐々木守は彼のヒーロー番組を通して、子どもたちに、大人が言うような「正義」や「平和」や「権力」を疑えと言った。しかしそのメッセージの受け手であるぼくらが、無批判に「故郷は地球」や「怪獣墓場」を「名作」だと信じ込むことは、果たして佐々木守の本意を理解していることになるだろうか。
むしろ佐々木守の本意を全く理解していないからこそ、それらを「名作」だと信じて疑わない態度がとれるのではないか、ともぼくには思える。


『アイアンキング』を佐々木守によるヒーロー破壊活動の一環として捉えたとき、第三の悪役タイタニアン編は、まさにその集大成とも言えるものだった。タイタニアン編の真意を初めて理解したときの、身震いするような悪意をぼくは忘れることができない。
佐々木守は間違いなく天才だった。

つづく

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