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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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アイアンキング タイタニアン(宇虫人)

タイアニアンの嫌がらせ

アイアンキング』の最後の敵は、宇宙からやってきた侵略者「タイタニアン(宇虫人)」だった。
タイアニアンについては『戦後ヒーローの肖像』のなかで佐々木守自身が自嘲気味にこう述べている。

ここまで進んだところで(※独立原野党を指す)やっぱり敵は宇宙人にしないとだめだという意見が強くなり、結局タイタニアンという宇宙怪人が出現することになってしまった。


が、そんな不肖の子タイタニアンにこそ、佐々木守の天才性が現れているとぼくは思う。

タイタニアンに先立つ不知火族と独立原野党との戦いを通して、佐々木守が考えた「アイアンキング」という物語の主人公像がわかった。静弦太郎は、自分の頭で考えてではなく、組織に命令されて戦う。弦太郎は国家を守るために戦っているので、一人二人の個人の犠牲は仕方のないことだと思っている。
こう聞いて、それは素晴らしい英雄だ、と感心するような人はいないだろう。自分も弦太郎のようになりたい、という子どももいないだろう。

そしてその一方で、霧島五郎が変身する正義の巨大ヒーロー、アイアンキングにも問題があった。アイアンキングは、とてつもなく弱っちいヒーローだったのだ。
まず1分間しかまともに戦えない。ウルトラマンの三分の一だ。
さらに18話までは光線技もなくて、蹴ったり殴ったりしかできなかった。

その結果、アイアンキングは全26話中、実に15話まで敵ロボットに一度も勝ったことがなかった。何のために登場したのかも良く分からないことすらある。一言でいえば、デカイだけが取り柄だった。


でも考えてみればそれも当然かもしれない。人間サイズのときの霧島五郎は平凡以下の格闘能力しかない。その五郎が大きくなったからといって、いきなり最強の格闘家になるというのもおかしな話だということもできる。
一方、弦太郎はといえば、人間としては最強クラス。変身後の仮面ライダー並みの戦闘能力を誇っている。さらにはアイアンベルトという武器を所持していて、このベルトは巨大なロボットにダメージを与えられるほどの破壊力を誇っていた。
ただ、いかんせんサイズが人間なので、大きな岩を投げつけられたり、踏みつぶされそうになると対抗しようがない。
「アイアンキング」を観る人は誰でも、ああ弦太郎がアイアンキングだったら、と思うだろう。

このはがゆい気持ち。これをさらに引き出すべく用意されたのが第三の敵、宇宙からの侵略者、タイターン星雲出身の「タイタニアン」だ。
名前をみれば一目瞭然だと思う。「巨大」「巨人」。

タイタニアンは普段は人間の姿をしているから、このサイズであれば、弦太郎は5人やそこら楽に相手ができる。しかし、戦いが劣勢とみるや、タイタニアンはあっさり巨大化してしまう。しかもご丁寧に、一度人間の姿のまま巨大になり、それからおもむろに怪獣に変身する。嫌がらせもここまでやると見事というほかはないだろう。

こうして弦太郎は一気に苦戦に陥る。すると五郎がアイアンキングに変身し、いつの間にか覚えたらしい光線技の一撃で怪獣を片付けてしまう。弦太郎はアイアンキングに深く感謝するのだった・・・。

そしてクライマックスがやってくる。
第25話「アイアンキング大ピンチ」、第26話最終回「東京大戦争」。
ここで霧島五郎すなわちアイアンキングはタイタニアンに催眠術をかけられ、からだを乗っ取られてしまう。アイアンキングはタイタニアンと一緒になって、東京の破壊を始めた。ちなみにこのときアイアンキングが破壊しつくした地名は大和町(大和朝)一帯だ。タイタニアン編にも、きっちりと佐々木守の反皇室(反大和朝廷)思想は生きているわけだ。
では、この東京最大のピンチに弦太郎はどうしたか?

・・・何もしなかった。
1分たてばアイアンキングが消えてしまうことを良く知っていたので、ただだまって見物していた。そして弦太郎が考えたとおりにアイアンキングは五郎に戻り、ちょっとしたハプニングでさらに強いアイアンキングに生まれ変わった。弦太郎とアイアンキングは協力してタイタニアンを見事に全滅させたのだった。
めでたしめでたし・・・・。


と言っても、めでたいのは佐々木守にとってのことだ。『アイアンキング』を通して、佐々木守はついに彼が目指した巨大ヒーローの破壊を完成させたといえるだろう。

一般に「巨大変身ヒーローもの」では、主人公とヒーローが一体になっている。
これは、それが子どもに必要な成長物語として想定されたものだからと考えていいだろう。子どもは巨大ヒーローに憧れる。しかし、いきなり巨大ヒーローにはなれない。まずは巨大ヒーローに変身する主人公になるべく、人間としての努力を重ねなくてはならない。だからその主人公こそが、大人が子どもに願う理想の姿でなければ意味がない。
この図式をそのままドラマにしてしまった作品としては『帰ってきたウルトラマン』などがあげられるだろう。

しかし『アイアンキング』はどうか。
主人公にもアイアンキングにも共感すべきものが存在しないうえ、この両者は別人で、そこには連続性がない。静弦太郎をとれば巨大な敵には手も足も出ず、アイアンキングをとれば水をガブガブ飲んでいるばかりの三枚目だ。

問題は、そういった状況にも関わらず『アイアンキング』が立派に「子ども向け特撮ヒーロー番組」のカテゴリーのなかに存在しているということだろう。侵略者がいて、その手先の怪獣やロボットがいて、颯爽とした主人公がいて、巨大ヒーローがいれば、それは十分に成立してしまう。たとえ、主人公がヒーローになる、という成長物語が欠落していてもだ。


実のところ、佐々木守が否定したかったヒーローとは、どうやらこの「変身」部分にあったように見受けられる。
戦後民主主義者である佐々木守にとって、何より大切なものは「個人」だった。個人の自由や権利こそが至上の価値だった。だったらヒーローはその「個人」を守るものでなければならない。

どこかで不幸に泣く人あれば
かならずともにやって来て
真心こもる愛の歌
しっかりしろよとなぐさめる
誰でも好きになれる人
夢を抱いた(いだいた)月の人
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう


戦後ヒーローの肖像』のなかで、佐々木守は川内康範作詞の『月光仮面』主題歌を延々と引用しているが、月光仮面はいわゆる「変身ヒーロー」ではない。祝十郎は「変身」するのではなく、月光仮面に「変装」するだけだ。また、祝十郎は民間の私立探偵であって、科学特別捜査隊や国家警備機構に配属された公務員でもない。

この違い。

この祝十郎とハヤタや静弦太郎との違いにこそ、佐々木守は戦後ヒーロー像の変質を見た。そして後者を否定した。つまり、個人が個人の範疇で、個人の意思で、個人の力のみで、他の個人を悪の魔の手から守ることが佐々木守にとっての正義のヒーローだった。だから「公」に属し、現在の国家体制の維持・防衛をするハヤタや静弦太郎を「ヒーロー」と認めることはできなかったのだろう。

しかしかつてのヒーローたちは走った、飛んだ、蹴った、殴った、怒った、叫んだ、時には泣いた・・・。そこにはまぎれもなく人間がいた。見ている子どもたちの感情をそのままに引き受ける、生きた、血の通った人間がいた。(「『月光仮面』と初期のテレビ映画」)


「ヒーロー番組」は、子どもたちに正義を愛する心を教える・・・。
佐々木守はそういった制作側の大人の態度を、嘘であり欺瞞であると言いたかったのだろう。「ヒーロー番組」は正義を愛する心ではなく、現在の国家体制を正当化し、それを維持したがる心を植え付けるためのものだと。

だから佐々木守は、子ども~主人公~ヒーローという成長物語の構造そのものを破壊しようとした。ジャミラ、ガヴァドン、シーボーズなど「正義」の名の下に排除されるいのちを強調した。
佐々木守が紛れもなく天才だと言うのは、『ウルトラマン』にしても『アイアンキング』にしても、そのヒーロー番組としての基本構造に手を加えることなく、それらの破壊活動を実現させてしまったことに尽きると言ってもいいだろう。

がしかし、繰り返しになるが、そういった思想は何かと極端に走る日本人にとっては自虐史観の温床にしかならなかった。日本が抱える本当の問題の解決につながることはなく、むしろ解決を遠ざける結果になってしまった。
そのように、ぼくには思える。

では、本当の問題とは何か。ぼくはそれは、国家と民族の自立にあったのではないかと思う。
そして実のところ、ウルトラシリーズのメインストリーム、すなわち金城哲夫と上原正三は秘かにその問題に立ち向かっていたようにぼくは思っている。

つづく


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