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竹波エーイチ

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ノンマルトの使者 ~金城哲夫 西へ!

金城哲夫西へ!

『ウルトラマン』には、確かに子どもたちに自虐史観(東京裁判史観)を植え付けようという意図のある作品があった。が、それは(これまでさんざん検討してきたように)佐々木守と実相寺昭雄コンビが作ったもので、金城哲夫は全く関与していない。むしろ金城は、佐々木/実相寺のそうした動きに、秘かな反撃を加えていた痕跡があることもすでに見てきた通りだ。

では『ウルトラセブン』はどうだろうか?
『ウルトラセブン』にも、自虐史観につながる作品はあったのだろうか?

自虐史観というのは簡単に言えば、かつて侵略戦争をおこした日本は愚かな犯罪国家だ、という歴史観のことだ。現在の日本政府はこれを肯定する「村山談話」を認めているので、日本は国として自虐史観を持っていることになる。

日本は侵略国家・・・。
そう聞いて、『ウルトラセブン』を一通りみたことがある人が真っ先に思い浮かべるのが第42話「ノンマルトの使者」だろう。

劇中で、ノンマルトは地球の海底に住んでいる民族だということになっている。彼らは地表の人類の海底開発に抗議して、攻撃を加えてくる。しかも彼らが言うには、実は彼らこそが地球の先住民で、現在の人類は彼らを侵略して海底に追いやった民族だそうな。
これをノンマルトの使者である真市少年から聞いたダンは、こう迷う。
「ぼくのふるさとM78星雲では、地球人のことをノンマルトと呼んでいる。ノンマルトとは人間のことだ。だがたしかに少年はノンマルトと言った。それはどういうことだろうか。人間でないノンマルトがいると言うのだろうか」
しかし結局ダンはセブンに変身してノンマルトが送り出した怪獣ガイロスを倒し、ウルトラ警備隊はノンマルトの海底都市を粉砕したのだった・・・。


このエピソードは金城哲夫が沖縄出身であることから、かつて琉球王朝を侵略した日本本土への怨念の発露だと言われることが多い。また、当時沖縄を占領していたアメリカを侵略者だと告発している内容だとも言われる。
で、後者はともかくとして、前者のほうは一見すると自虐史観そのものであるようにも思える。つまりは中国や韓国の言い分と同じで、日本はかつて沖縄を侵略した犯罪国家だ、と主張しているように見える。

だとすれば、日本人に加担してノンマルト(=沖縄)を滅ぼしたウルトラセブンもまた、(日本人と)同じく犯罪者なんじゃないか?
あるいはセブンは、日本を守るという名目で沖縄を占領している在日アメリカ軍のメタファーではないのか?
・・・という具合に、「ノンマルトの使者」をめぐる自虐史観的解釈は延々と拡大としていくというわけだ。

金城哲夫が没してしまった今となっては、果たして金城の真意がどこにあったのかは誰にも分からない。
しかし、金城が残した『ウルトラマン』『ウルトラセブン』をトータルで捉えたとき、ぼくには金城が被征服民・沖縄人のドロドロした怨念をいつでも心の奥底に秘めていたようには、どうにも思えない。
それで、あれこれ援護射撃になりうるものを探してみたところ、意外なところにそれはあった。


2005年に金城哲夫の没後30周年にあわせて発売されたドキュメンタリーDVD『金城哲夫 西へ!』では「地球人が知的生命体である宇宙人を倒していいのだろうか」というナレーションに続けて、「金城哲夫の迷走がセブンと共に始まる」というテロップを入れている。怪獣を単なる悪役としない金城の立場が、相手を宇宙人に代えたことでますます混乱し、その宇宙人を倒すセブンの正義からして揺らいでしまった、という主張のようだ。
金城哲夫は「迷走」し、「葛藤」した・・・。

このDVDがモロに、金城=怨念の人、というところをスタートラインに置いていることは疑いがない。

ところがこのDVDの面白いところは、こうした制作サイドの狙いを、続くインタビューが見事に否定していってしまうことだ。おそらくインタビュアーは「金城さんには宇宙人を殺すことへの葛藤があったと思いますか?」と聞いたのだろう。これに対し『ウルトラQ』以来、多くの金城脚本を映像にした満田かずほ監督は
それはあくまでもね、いわゆる物語を展開する上での、話を作る上での葛藤だと思う
とあっさり否定してしまっている。
それは単に「物語を展開する上での悩み」であると。

満田監督は金城哲夫の飲み友だちでもあった。酒の飲めなかった上原正三以上に、金城の本音・本性を知っていたことだろう。そんな人に、金城には作劇上の葛藤しかなかったと言われて、それでもそのまま収録した制作サイドは立派なものだ。

DVDはさらに「ペガッサ星人との出会いからセブンの迷走が始まった。そして両者の心を持つダンが苦悩し始める」
と続けるが、これも満田監督に軽くあしらわれる。
「SF的にモノを考えるやつなんだよね」
現在販売中のDVDソフトなので過度な引用な控えるが、要はSFとして面白いかどうかが金城にとって重要だったということだ。

そして「ノンマルトの使者」。
これは実は満田監督のアイデアだったそうだ。金城との酒の席で満田監督が
「現在の人間、地球人ってのは本当に一番最初から地球にいた人間なのかね? 人類なのかね?」
と言ったところ
「それ、ちょっと話のネタになりそうだぞ」
と金城が反応した、とのことだ。酔っぱらいの雑談から生まれたのが「ノンマルトの使者」だったということだ。
もちろん、満田監督のひとことに、金城が沖縄人ならではの情念を込めた可能性は否定できない。が、金城哲夫が日頃から何としても沖縄の悲惨な歴史を『ウルトラセブン』で告発してやろうと思ってはいなかったことも確かだ。

では、このDVDの言うところの金城の「葛藤」「苦悩」「迷走」はどうなってしまうのだろうか。それらは作中で、モロボシダンの姿となって表されているのではなかったのか。

「ペガッサを破壊する前にペガッサの市民たちをこの地球に迎え入れてやりましょう」(ダークゾーン/若槻文三脚本)
「みんな何を疑ってるんだ。まず相手を信じることです。そうでなければ、人間は永遠に平和を掴むことなんかできっこないんだ」(ウルトラ警備隊西へ/金城哲夫脚本)
「それは、血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」(超兵器R1号/若槻文三脚本)


DVDはモロボシダンの吐く宇宙の平和と共存への思いを、あたかも金城の思いであるかのように重ねていく。だが、ダンは本当にその思いを叶えるために働いていただろうか?
そうだと言うのなら、ダンの行動には矛盾がある。

と言うのは、本当にダンが宇宙の平和と共存共栄を目指すなら、彼はウルトラ警備隊になど入らず、いつでもウルトラセブンとして事に当たるべきだったからだ。そのほうが問題の解決も、理想の実現も早かっただろう。
しかしダンはそれをせず、人間モロボシダンとしての限界に「苦悩」しているだけだった。
この様子を「葛藤」「迷走」とは言えないだろう。
ダンは自らそのあり方を選んだのだから。

そしてダンは、ついに地球を去るその日まで、人間モロボシダンとしての立ち位置にとどまった。ダンの、人類への協力者・助言者としての立ち位置は、最後まで一貫していた。

ぼくはこのダンの姿にこそ、青春の日に「沖縄と本土の架け橋」を志した金城哲夫自身の姿を見る。
怪獣と人間、宇宙人と人間との架け橋であること。
そこに「苦悩」も「葛藤」も「迷走」もない。沖縄人の情念も、怨念もない。
一個の人間としての、果てしない挑戦と努力があるだけだ。



てな感じで考えたとき、金城哲夫の人生をことさらにウルトラシリーズに重ねていくことは、一種の下司の勘ぐりではないかと思えてくる。表向きでは「架け橋」などと調子のいいことを言いながら、内心ではドロドロとした怨念に取り憑かれていた金城哲夫、というふうにはぼくは感じることができない。『ウルトラマン』にも『ウルトラセブン』にも、そういった人間の二面性といったものは描かれてはいないからだ。イデ隊員はちょっと微妙な面もあるが、あれは金城ではなく佐々木守が仕掛けたことだ。

つまるところ「ノンマルトの使者」等に自虐史観をみるのは、それを見る側が求めた結果なのではないか、と思える。つまり、元々自虐史観を持っていて、それを広めたい人にとっては、格好のストーリーが有名な『ウルトラセブン』にあった。だから「ノンマルトの使者」は、しばしば『ウルトラセブン』の全体像から切り離された状態で、語られた。
その結果、上記のDVDなどは「ノンマルトの使者」を金城哲夫論のスタート地点に置いたため、総論としては完全に破綻してしまった、と。

さらに突き詰めるなら、こうだ。
金城はあくまで「SF的にモノを考え」た。その時点では金城には新番組もあったし円谷プロでの安定した地位もあった。
が、その後金城が新番組に失敗し、会社を追われて沖縄に都落ちしたことで、さかのぼって「葛藤」やら「怨念」やらが付与されていったんじゃないか?
もしも金城が『マイティジャック』や『怪奇大作戦』に成功し、契約社員への降格がなかったとしたら、彼は沖縄に帰ることもなく、アル中になって精神病院に入れられることもなかっただろう。それでも人は、金城哲夫の作品に「沖縄」を見たのだろうか。

DVDのなかで、金城が沖縄返還に立ち会うために帰郷したという説を、盟友上原正三がきっぱりと否定している。

ボロボロになって帰っていったというのが正解で、彼が沖縄復帰に立ち会うためって言ったら余りにもこれ、カッコ良過ぎ。彼はそういう男じゃないですよ。もっと生身の、本当にやさしい傷つきやすい夢見る男ですよ


沖縄は日本の縮図というが、おそらく金城には本土の日本人よりクリアーに「日本」が見えただけなのだろう。平和憲法を尊び、二度と戦争はしないと「日本」は言うが、その実は沖縄のように今なおアメリカに占領されているだけなのではないか? この日本の「平和」は本物なのか? と。


※ついでになるが、いわゆる「作家論」の危険性についても書いておきたい。

DVDでは金城の二面性を強調しようとしてか、第8話「狙われた街」についても触れている。
メトロン星人は言う。

われわれは人類がお互いにルールを守り、信頼しあって生きていることに目をつけたのだ。地球を壊滅させるのに暴力をふるう必要はない。人間同士の信頼感をなくすればいい。互いに敵視し、傷つけ合い、やがて自滅していく

ところがこの「人間同士の信頼感」はエンディングのナレーションでは一転してこう語られることになる。

メトロン星人の地球侵略計画はこうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは恐るべき宇宙人です。でもご安心下さい。このお話は遠い遠い未来の物語なのです。え、何故ですって? われわれ人類は今、宇宙人に狙われるほどお互いを信頼してはいませんから


DVDではここに、金城が抱えていた内面の「葛藤」を見ようとしているわけだが、実際にはこのナレーションは金城哲夫が書いたものではない。
これを書き加えたのは監督の実相寺昭雄だいうことだ。

実相寺昭雄なら納得だ。彼は他人を信頼できない人間だったのだろう。
しかし金城哲夫が書いてもいないものを元に、金城哲夫を語ることの危なさはどうだろう。
「迷走」していたのは果たして金城哲夫だったのだろうか?

つづく


さらについでに書いておくが、上述の

>DVDのなかで、金城が沖縄返還に立ち会うために帰郷したという説を、盟友上原正三がきっぱりと否定している。

この「説」の元は、1993年に出版され、NHKでテレビドラマにもなった小説、『私が愛したウルトラセブン』(市川森一著)にあるように思われる。
あの小説では、金城哲夫は『ウルトラセブン』放映中から沖縄帰郷を考え始めており、『セブン』終了を待たずに帰郷したことになっているが、言うまでもなくこれは市川の創作だ。
金城は『セブン』の途中から新番組の立ち上げに夢中になっていて、本気で帰郷を考えるのはその新番組の失敗によって正社員から契約社員に降格されてから、だそうだ。
きわめて資料性の高いノンフィクション『金城哲夫ウルトラマン島唄』(上原正三著/1999年刊)と違って、『私が愛したウルトラセブン』のほうは完全なるフィクション、単なる小説なので、ご注意を。

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